『能狂言』下140 集狂言 うりぬすびと

▲アド「これは、この辺りに住居致す耕作人でござる。某、当年は瓜を作つてござるが、一段と見事に出来て、この様な満足な事はござらぬ。今日は瓜畑へ見舞うて、様子を見ようと存ずる。まづそろりそろりと参らう。総じて、瓜が色付いてからは、人が取りたがるものでござる程に、案山子をも拵へ、垣をも念を入れて結うて置かうと存ずる。参る程にこれぢや。扨も扨も、当年程、瓜の見事に出来た事はござらぬ。これは、余程色付いた。や。これはいかな事。人の取つた跡がある。扨々、憎い事でござる。良い良い。今日は案山子を作つて、盗まれぬ調儀を致さうと存ずる。
《と云うて、大臣柱の方へ、案山子を作る。腰桶の上へ鞨鼓を置き、うそふきの面を着せ、梨子打烏帽子をも着せて、杖を横に通し、水衣を着せ、右の方に、杖に吊り緒を付けて、持たせ置く》
一段と良い。はあ。その儘の人ぢや。遠いから見たならば、番をして居ると思うでござらう。扨、垣をも、念を入れて結うて置かう。
《「ゑいゑい」と云うて、竹を挿す真似して》
一段と良うござる。又明日、見舞ひに参らうと存ずる。
▲シテ「これは、この辺りに住居致す者でござる。昨日、さる方へ参るとて、瓜畑の側を通つてござるが、余り見事な瓜でござつたによつて、二つ三つ取つて、さる方へ進上致いてござれば、扨々、これは風味の良い瓜ぢや。手作りかと仰せられた処で、いかにも手作りの瓜でござると申してござれば、手作りならば、今少しくれいと仰せられてござる。初め、手作りぢやと申して、今さら手作りではござらぬとは申されず、畏つた。進上致さうと、お約束致いてござる。是非に及ばぬ。今から取りに行かずばなるまいが、何と致さう。いや。人遠い所ぢや程に、苦しうござるまい。その上、もはや暮れかゝつた程に、畑主も見舞ひは致すまい。まづそろりそろりと参らう。かやうの事を致せば面白うなつて、後には本のものになると申すが、私は中々、左様の事ではござらぬ。いや。参る程に、この畑であつた。はあ。昨日参つた時よりも、垣に念を入れてせられた。さりながら、この垣の分は、飛び越えて参らう。やつとな。はあ。扨も扨も、昨日来た時よりも、一夜の事で、これは良う色付いた。さらば取らう。これはいかな事。これは枯れ葉ぢや。いや。これに良い瓜がある。これを取らう。これはいかな事。これも又、枯れ葉ぢや。扨々、苦々しい事かな。日が暮れたによつて、枯れ葉がその儘の瓜に見ゆる。これでは中々、取る事はならぬが、何とせうぞ。をゝ。それそれ。夜、瓜を取るには、転びを打つが良いと申す。さらば、転びを打たう。ゑいゑい。やつとな。
《シテ柱の辺りより、人形の方へ、転び行く》
さればこそ、早、これにあるわ。扨も扨も、見事な瓜かな。さらば取らう。《取つて、懐へ入る》何事も、ものをば承つて置かう事でござる。最前から、かやうに致いたならば、今時分は余程取るであらうものを{*2}、残念な事を致いた。やつとな。はあ。又、これにあつた。これも一段と見事な。むゝ。旨い匂ひがする。
《又取つて、懐へ入れて、又、転びては取り、転びては取り、案山子の傍へ転び行て》
あゝ。悲しや、悲しや、悲しや。真つ平許いて下されい。私は参るまいと申してござれども、是非とも取つてくれいと申す人がござつて、是非なう参りました。深しう取りは致しませぬ。何とぞ許させられて下されい。申し申し。それならば、二つ三つ取つた瓜も返上致しまする程に、何とぞ許いて下されい。申し申し。瓜を返しまする上は、御損もござらぬ事でござる程に、何とぞ、許すと只一言、仰せられて下されい。申し申し。なぜにものを仰せられぬぞ。ものを仰せられいでは、迷惑にござる。これ程までに降参致すに、ものを仰せられぬは、かへつて御卑怯でござる。申し申し申し。これはいかな事。ものを云はぬこそ道理なれ。人かと思うたれば、あれは人形ぢや。扨々、腹の立つ。何としてくれうぞ。をゝ。それそれ。再び参らうではなし。瓜蔓を引つ立てゝのけう。ゑい。めりめりめり。ゑい。めりめりめり。
《と云うて、三所程も、蔓を引つ立つる》
腹も立つ。くねをも引き抜いてやらう。ゑい。ぐわらぐわらぐわら。ゑい。ぐわらぐわらぐわら。これこれ。これで一段と良い。急いで戻らう。これはいかな事。せっかく骨を折つて取つた瓜を、すでに忘れうと致いた。さらば、これを持つて帰らうと存ずる。
《と云うて、瓜を拾ひ集め、懐へ入れ、楽屋へ入る》
▲アド「昨日、瓜畑へ見舞うてござれば、人の取つた跡がござつたによつて、案山子を拵へ、垣をも念を入れて結うてござる。心元ない程に、参つて見ようと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、当年は豊年とは申せども、某が瓜の様に、よう出来た瓜はござらぬ。せっかく出来たものを、人に取らるゝと申すは、近頃残念な事でござる。いや。参る程にこれぢや。これはいかな事。昨日、念を入れて結うた垣を、散々に引き抜いた。南無三宝。瓜蔓をも、皆引つ立てた。扨々、憎い奴でござる。瓜を盗むのみならず、瓜蔓まで引つ立つるといふは、扨々、腹の立つ事でござるが。何と致さう。いや。それそれ。瓜盗人は、又参るものぢやと申すによつて、今夜は某が案山子になつて居て、参つたならば捕らへて、散々に打擲致さうと存ずる。
《と云うて、人形を毀し、その如くに取り繕うて、腰掛けて居る》
▲シテ「あゝ。かりそめな事を致さう事ではござらぬ。夜前の瓜を進上致いてござれば、とかくこの様な風味の良い瓜はない程に、明日は私のかたへ御出なされて召し上がられう程に、随分たくさんに取つて置けとの事でござる。又、今夜も取りに行かずばなるまい。はあ。余り度々の事ぢやによつて、参るはこはものなれども、是非に及ばぬ事でござる。やうやう時分も良うござる。まづそろりそろりと参らう。この様な事も、度重なれば顕はるゝと申すが、今夜は何とやら、後ろから掴み立てらるゝ様に、しきりに恐ろしい心が出たが。あゝ。何事もなければ良いが。気味の悪い事ぢや。いや。参る程に、これぢや。なうなう。嬉しや。まづ、落ち着いた。畑主が見舞はぬと見えて、くねがその儘ある。これで安堵致いた。扨、案山子もその儘あるか知らぬ。《人形を見て》
はあ。さればこそ、これにつゝくりとして居る。やい。夜前は、よう某に肝を潰させたな。夜前こそ怖じたれ、案山子などに怖づる身共ではないゝやい。《笑うて》いや。又、知らぬ者は肝を潰すまいものでもござらぬ。この畑主は、殊ない細工利きと見えて、その儘の人ぢや。扨、あの案山子をようよう見れば、何やらによう似たが、何にであつたか知らぬ。をゝ。それそれ。罪人の作り物に、その儘ぢや。いゑ。それについて、思ひ出いた。近日、村の祭礼でござるが、当年は、鬼が罪人を責むる作り物を致さうと申してござるが、いつも役は鬮取りにするによつて、自然、某が鬼の役に取り当たるまいものでもござらぬ。幸ひ、人通りはなし。あの人形を罪人にして、ひと責め責めて見よう。いや。これにくね竹がある。これを杖にして、さらば稽古致さう。《謡》
いかに罪人、急げとこそ。《一段責めて》
へ。何を云うても人形ぢや処で、責め力がない。まづ、これで鬼の稽古は済んだが、又自然、罪人の鬮に当たるまいものでもない。今度は、あの案山子を鬼にして、罪人の稽古を致さう。幸ひ、これに良い綱がある。さらば、これを持つて責められて見よう。《謡》
あら悲しや。これ程参り候ふに、さのみな御責め候ひそ。行かんとすれば引きとゞむ。止まれば杖にて丁と打つ。
《アド、杖にてシテの肩を叩く》
あゝ痛、あゝ痛、あゝ痛。やいやいやいやい。この畑には人が居るぞ。聊爾に礫を打つなやい。《方々見廻して》はて、合点の行かぬ。人音もせぬが。いづれからつぶてを打つたか知らぬ。今一度稽古して見よう。
《と云うて、綱を引き、杖を上ぐる》
はゝあ。この綱を引けば、杖が上がる。又、緩むれば、打つ。はあ。すれば、今、身共が綱を引いて、又緩めたによつて、この杖で打つたものであらう。扨々、この畑主は細工利きぢや。殊の外、良いからくりぢや。余り面白い。今一度、引いて見よう。引けば上ぐる、緩むれば打つ。引けば上ぐる、緩むれば打つ。引けば上ぐる、緩むれば打つ。引けば上がる緩むれば打つ。《笑うて》扨も扨も、面白い事ぢや。今一度、稽古して見よう。《謡》
罪人よ、罪人よ。因果の綱に繋がれて、行けど行かれぬ死出の山。行かんとすれば引きとゞむ。止まれば杖にて丁と打つ。
《アド、謡の内に、面を脱ぎて》
▲アド「がつきめ。やるまいぞ。
《と云うて、杖にて叩く》
▲シテ「おのれは人形ではないか。
▲アド「何の人形。よう瓜を取つたな。
▲シテ「あゝ。許いてくれい、許いてくれい、許いてくれい。
▲アド「あの横着者。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。

底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.

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