『能狂言』下145 集狂言 ながみつ

▲アド「これは、遥か遠国方の者でござる。某、訴訟の事あつて、長々在京致す処に、訴訟悉く叶ひ、安堵のみ教書を戴き、国元へのお暇までを下されて、この様な満足な事はござらぬ。それにつき、国元へ下りまするが、今日は寺町の市でござるによつて、あれへ参り、何ぞ土産物を調へて下らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。国元では、この様な事は知らいで、今日か明日かと待つて居るでござらう。戻つてこの様子を話いたならば、さぞ、皆々の悦ぶでござらう。いや。参る程に、寺町ぢや。扨も扨も、賑やかな事かな。皆、売り物ぢや。ちと見物致さう。これは何ぢや。はあ。これは織物ぢや。金襴、緞子、どんきん{*1}、綾、錦。扨も扨も、結構な事かな。
▲シテ「これは、洛中を走り廻る、心も直にない者でござる。今日は寺町の市でござるによつて、あれへ参り、何ぞ良い物もござらば、調儀致さうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。今日は、門出を祝うてござるによつて、何ぞ仕合せのない事はござるまい。ゑい。これに、田舎者と見えて、売り物に見入つて居る。見れば、眉あひの延びた奴でござる。見れば、良い太刀を持つて居る。ちと当たつて見よう。
▲アド「はあ。これは何ぢや。
《口真似をする》
子供のもて遊び。ぴいぴい風車、起き上がり小法師、振り鼓。何を求めうと、儘な事ぢや。
《太刀へ手をさふる》
これはいかな事。扨々、都は油断のならぬ。持つて居る太刀へ、手を障ふる。ちと所を替へう。
《太刀を右へ持ち替ふる》
▲シテ「これはいかな事。眉あひの延びた奴かと存じたれば、目の鞘の外れた奴でござる。いや。見れば、所を替へた。今一度当たつて見よう。
▲アド「これは何ぢや。茶の湯の道具。風炉、釜、茶碗、茶入れ、茶筅、柄杓。何を求めうと、儘ぢや。
《この内に、右に持つて居る太刀を、シテの左へ佩く》
やい。こゝな者。人の持つて居る太刀を、なぜに佩くぞ。
▲シテ「おのれこそ、人の佩いて居る太刀に、手をさふるぞ。
▲アド「こちへおこせ。
▲シテ「こちへおこせ。
▲両人「出合へ出合へ出合へ出合へ。
▲目代「やいやい。汝らは、この御政道正しい御代に、何事をわつぱと云ふぞ。
《これより、「茶壺」の如く云ふ。目代も同断に云うて、「身共に預けい」と云うて、太刀を取り、持つて居て、「扨、汝は何者なれば、何事をわつぱと云ふぞ」と、アドへ問ふ》
▲アド「私は、遥か遠国の者でござるが、訴訟の事あつて、長々在京致す処に、この度、訴訟悉く叶うて、近日国元へ下りまするによつて、今日は土産物を調へに、この所へ参つて、売り物を見物致いて居りましてござれば、あれ、あの者がいづかたからやら参つて、私の持つて居る太刀を佩いて、我が物ぢやと申しまする。それを申し上がつての事でござる。目代殿でござらば、きつと仰せ付けられて下されい。
▲目代「あれが口をも問はう。まづ、それに待て。
▲アド「畏つてござる。
《シテへも右の如く云ふ。シテ、「茶壺」同様、立ち聞きして、アドの云ひし如くに云うて、「私の佩いて居る太刀へ、手をさへまする」と云ふ》
▲目代「扨々、合点の行かぬ事ぢや。まづ、それに待て。
▲シテ「畏つてござる。
▲目代「やいやい。汝が太刀が定ならば、国作を覚えて居るか。
▲アド「中々。私の太刀でござるによつて、よう覚えて居りまする。
▲目代「それならば、云うて見よ。
▲アド「まづ、その太刀は、備前物でござる。
▲目代「ほう。
▲アド「備前にとつても長光。こなたも御存じでござらうが、長はちやう、光は光ると書いた字でござる。きやつは存じますまい。問うて見させられい。
▲目代「心得た。
《又、右の通り云ふ。シテ、同様に云ふ》
きやつも知つて居る。
▲シテ「きやつが知らう筈はござらぬが。何とも合点の行かぬ事でござる。
▲目代「まづ、それに待て。
▲シテ「心得ました。
▲目代「やいやい。汝が太刀が定ならば、地肌、焼きの様体を覚えて居るか。
▲アド「中々。覚えて居りまする。云うて聞かせませう。
▲目代「云うて聞かせい。
▲アド「まづ、鎺元より物打ちは、すぐ焼き。それより切つ先へ参つては、くわつくわつと大乱れに、乱れ焼きでござる。又、地肌は、物に譬へて申さば、霜月師走の頃、うす氷の上へ薄雪の降り掛かつた様な、はあ、見事な焼きでござる。
▲目代「心得た。又、あれにも問うて見よう。
▲アド「問うて見させられい。
《又、右の如く問ふ。同断に云ふ》
▲目代「はて、何とも合点の行かぬ事ぢや。
やいやい。今度は、この太刀の寸尺を云うて見よ。
▲アド「畏つてござる。いや。申し。私は田舎者で、物を声高に申しまするによつて、きやつが聞き取つて、同じ様に申すものでござらう程に、今度は、寸尺をさゝやいて申しませうが、何とござらう。
▲目代「これは、良い所へ気が付いた。一段と良からう。
▲アド「それならば、こちへござれ。
▲目代「心得た。
▲アド「申し。寸尺は、で、ござる。
▲目代「心得た。
▲アド「もし、きやつが申す寸尺が違うたならば、すつぱでござらう程に、太刀の事は扨置き、丸裸に致しませう。
▲目代「一段と良からう。
▲アド「早う問はせられい。
▲目代「心得た。
《シテ、これまでは「茶壺」の如く、目代の後ろより立ち聞きをして、同様に云へども、こゝにて、脇座へ連れて行き、さゝやく故、シテ、困る体なり》
やいやい。この太刀が、汝が太刀が定ならば、寸尺を覚えて居るか。
▲シテ「《アドの云うた通りに云うて、シテ柱の元へ連れて行き、さゝやいて》
寸尺は、で、ござる。
▲目代「で、ござると云ふ事があるものか。寸尺を云へ。
▲シテ「寸尺の。
▲目代「中々。
▲シテ「寸尺は、備前物でござる。
▲目代「それは、くにさくぢや。寸尺を云へ。
▲シテ「寸尺は、鎺元より物打ちまでは、直焼き。それより切つ先までは、大乱れに乱れ焼きでござる。地肌は、物に譬へて申さば、霜月師走の頃、薄氷の上へ薄雪の降り掛かつた様な、見事な焼きでござる。
《この言葉の内に》
▲目代「やいやい。きやつは疑ひもない、すつぱぢや。
▲アド「誠に、疑ひもない水破でござる。丸裸にしてやりませう。
▲目代「それが良からう。
▲ア目「おのれ、憎い奴の。すつぱに違ひはない。
《と云うて、捕らへて、壺折を取る。下に襷を掛け、それに女帯、かつら帯、その他結び付けてあるを見て》
▲アド「あれ、見させられい。あの如くでござる。
あのすつぱゝ、どちへ行くぞ。捕らへてくれい。
▲ア目「やるまいぞやるまいぞ。
《と云うて、追ひ込む。シテ、「これは何となさるゝ。これは迷惑にござる」と云うて、逃ぐるを、捕らへて、壺折を取るなり》

校訂者注
 1:底本は、「純金(どんきん)」。

底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.

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