『能狂言』下147 集狂言 さんにんかたわ
▲主「これは、この辺りに住居致す者でござる。某、存ずる仔細あつて、片輪者を抱へうと存ずる。まづ、この由をたかふだに打たう。《シテ柱へ、扇にて打ち》
一段と良うござる。
▲座頭「しないたるなりかな。辺りの若い者どもと寄り合うて、手慰みを致いてござれば、散々仕合せが悪しうござつて、身の廻りまでを打ち込うでござる。何とがな致さうやれと存ずる処に、山一つあなたに大有徳なお方がござつて、何者にはよるまい、片輪者に御扶持をなされうと、高札を打たれたと申すによつて、某も、生まれ付いた片輪ではござらねども、日頃、皆の者が、目早な、めはやなと申すによつて、引つ違へて座頭になつて参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。かう参つても、御扶持をなされて下さるれば、良うござるが。御扶持を下されぬ時は、参つた詮もない事でござる。いや。参る程に、これに高札がある。この辺りから座頭の体で案内を乞はう。
物申。案内申。
▲主「表に物申とある。案内とは誰そ。どなたでござる。
▲座頭「これは、高札の表について参つた座頭でござる。
▲主「何ぢや。高札の表について来た座頭ぢや。
▲座頭「中々。
▲主「扶持をして取らせう。かう通れ。
▲座頭「それは、ありがたうござる。
▲主「つゝと通れ。
▲座頭「心得ました。
▲主「それにとうど居よ。
▲座頭「はあ。
▲躄「これは、この辺りに住居致す者でござる。辺りの若い者どもと寄り合うて、手慰みを致いてござれば、散々仕合せが悪しうござつて、金銀は申すに及ばず、女共が手道具までも打ち込うでござる。何とがな致さうやれと存ずる所に、山一つあなたに有徳人がござつて、何者にはよるまい、片輪者に御扶持をなされうと、高札を打たれたと申す。某も、生まれついた片輪ではござらぬが、日頃皆の者どもが、不達者なと申すによつて、それを幸ひに、ゐざりになつて参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、世話にも申す如く、相撲の果ては喧嘩になり、博奕の果ては盗みをするより他はないと申すが、今思ひ当たつてござる。いや。参る程に、これに高札がある。人に見付けられぬ内、躄になつて案内を乞はう。《常の如く》
私は、高札の表について参つた片輪者でござる。
▲主「扶持をして取らせう。まづ立て。
▲躄「私は、ゐざりでござる。
▲主「何ぢや。躄ぢや。
▲躄「中々。
▲主「扨々、良い若い者ぢやが、さぞ不自由にあらうなあ。
▲躄「はあ。殊の外不自由にござる。
▲主「扶持をせう。かう通れ。
▲躄「ありがたうござる。
▲主「つゝと通れ。
▲躄「畏つてござる。
▲主「それにとうど居よ。
▲躄「はあ。
▲シテ「名誉のこれしやでござる。辺りの若い者どもと寄り合うて、しゝの角をもむ程に揉む程に、縄になる程致いてござれば、散々仕合せが悪しうござつて、身の廻りは申すに及ばず、家一跡をも打ち込うでござるによつて、宿へ戻る事もならず、ほうど行き当たつて迷惑致す処に、天道人を殺さずとは、よう申したものでござる。山一つあなたに大有徳な人がござつて、何者にはよるまい、片輪者を抱へうと高札を打たれたと申す。私も、生まれついた片輪ではござらねども、日頃、皆の者どもが口不調法なと申すによつて、それを幸ひに、啞になつて参らうと存じ、おしの用意を致いた。総じて啞と申すものは、この様な物をかう致いて、をゝとさへ申せば済む事でござる。まづそろりそろりと参らう。誠に、良い置きしほもござつたれども、まだ取らう取らうと大欲にかゝつて、こちの物をあちへ取られてござる。いや、参る程に、これに高札がある。さらば、この辺りから啞の体で案内を乞はう。
《啞竹取り出し、「をゝんをゝんをゝん」と云うて、叩く》
▲主「いや。表がうめくが、何事ぢや知らぬ。
いや。汝は何者ぢや。
▲シテ「《啞竹にて、書いて、見する》
何ぢや。高札の表について来た啞ぢや。
▲シテ「《「をんをん」と云ふ》
▲主「啞といふものは、芸のあるものぢやが。汝は、何も芸はないか。
《啞竹にて、弓を射る真似、鑓を使ふ真似、茶を挽く真似をする》
扨々、万能な奴ぢや。くわつと扶持をして取らせうぞ。
▲シテ「あゝ。《と云ふ》
▲主「これはいかな事。啞がものを申した。それそれ。啞のひと声と云うて、一代に一度、ものを云へば、その身の事は扨置き、所まで富貴致すと申す。めでたい事でござる。急いで抱へうと存ずる。
やいやい。扶持をして取らせう。かう通れ。
▲シテ「《「をんをん」と云ふ》
▲主「つゝと通れ。
▲シテ「《「をんをん」と云ふ》
▲主「それにとうど居よ。
▲シテ「《又、「をんをん」と云ふ》
▲主「大方、片輪者を抱へてござる。銘々に役を申し付けうと存ずる。
やいやい。座頭。
▲座頭「はあ。
▲主「何と、窮屈なか。
▲座頭「左様にもござらぬ。
▲主「扨、某は、二、三日の逗留に、山一つあなたへ行く。《三人ともに、同様に逗留の事云ふべし》則ち、汝が前にあるは、軽物蔵ぢや。そちに預くる程に、盗人の入らぬ様に番をせい。
▲座頭「目こそ見えませずとも、すは盗人と申さば、わつぱと申して追ひ走らかしませう。
▲主「頼むぞや。
▲座頭「はあ。
▲主「やいやい。躄。
▲躄「はあ。
▲主「何と、窮屈なか。
▲躄「左様にもござらぬ。
▲主「そちが前にあるは、酒蔵ぢや。これを汝に預くる程に、よう番をせい。
▲躄「お気遣ひなされまするな。もし、盗人とも申さば、すねこそ立ちませね、声でなりとも追ひ出いてやりませう。
▲主「をゝ。頼むぞや。
▲躄「畏つてござる。
▲主「やいやい。啞。
▲シテ「《「をんをんをん」と云ふ》
▲主「何と、退屈なか。
▲シテ「《又、「をんをんをん」と云ふ》
▲主「汝が前にあるは、鳥目蔵ぢや。そちに預くる程に、よう番をせい。
《啞竹にて、鑓を使ふ真似する》
▲主「何ぢや。盗人とも云はゞ、鑓で仕留めう。
▲シテ「《「をんをんをん」と云ふ》
▲主「則ち、次の間に、鑓を掛けて置いた。あれで仕留めてくれい。
▲シテ「《「をんをんをん」と云ふ》
▲主「頼むぞや。
《「をんをん」と云ふ》《主、太鼓座へ引つ込む》
▲座頭「もはや、頼うだ人は、行かれたか知らぬ。
頼うだ人。頼うだお方。
はや、行かれたさうな。さらば、ちと目をあいて見よう。はあ。夜の明けた様な。いや。隣にも誰やら声がする。覗いて見よう。《立つて、後ろから見て》
はあ。あれは誰ぢや。ちとおどさう。
《躄も、座頭の如く云うて、「扨々、躄といふものは、良いものかと思うて、躄になつて来たれば、すねが折るゝ様な。さらば、ちと立つて見よう」と云うて、すねを伸ばし、さすりて立つ処を、座頭、見付けて》
やいやいやいやい。
《と云ふ。躄、肝を潰し、下に居、座頭を見て》
▲躄「ゑい。和御料ならば、肝を潰すまいものを。何としてこゝへは来たぞ。
▲座頭「何としてと云ふ事があるものか。この間の不仕合せ故、参つた。
▲躄「某も、その通りぢや。扨、身共が隣でも、何やらうめく声がするが、定めて余の者ではあるまい。見て参らう。
▲座頭「それが良からう。
▲躄「こちへ渡しめ。
▲座頭「心得た。
▲躄「さればこそ、誰ぢや。
▲座頭「きやつも来たわ。
▲躄「ちと、おどいてやらう。
▲座頭「一段と良からう。
▲躄座「やいやいやいやい。
《と云うて、拍子を踏む。啞、肝を潰し、「をんをんをん」と云うて、両人を見て》
▲シテ「扨も扨も、和御料達ならば、肝を潰すまいものを。何としてこれへは来たぞ。
▲躄「何としてと云ふ事があるものか。この間の。
▲躄座「不仕合せ故に参つた。
▲シテ「身共とても、その通りぢや。扨、そなたは何になつて来た。
▲座頭「身共がなりは、興がつた体ぢや程に、合点が行くまい。
▲シ躄「中々。合点が行かぬ。
▲座頭「日頃そなた達の、目早な、目早なと仰しやるによつて、引つちがへて、座頭になつて参つた。
▲シ躄「これは、良いものぢや。
▲座頭「扨、そなたは又、何になつて来た。
▲躄「身共は、常のなりぢやによつて、知れまい。
▲シ座「何とも知れぬ。
▲躄「かねがね和御料達の、不達者な、不達者なと仰しやるによつて、それを幸ひに、躄になつて参つた。
▲シ座「これは、只居て良いものぢや。
▲躄「扨又、そなたは最前からうめくが、何になつて来たぞ。
▲シテ「某は、道具もあり、合点が行くまい。
▲躄座「何とも合点の行かぬ体ぢや。
▲シテ「常々そなた達の、口不調法なと仰しやるを幸ひに、啞になつて参つた。
▲躄「これは、ものを云はいで良いものぢや。
▲シテ「扨、それについて、最前危ない事があつての。
▲座頭「それは、何とした。
▲シテ「これへ来たれば、頼うだ人の仰せらるゝは、啞といふものは芸はあるものぢやが、汝は何も芸はないかと仰せられたによつて、弓を射る真似、鑓を使ふ真似、茶を挽く真似などをしたれば、万能な奴ぢや。くわつと扶持をして取らせうと云はれた処で、余りの嬉しさに、あつと返事をしての。
▲座頭「それは、危ない事であつた。
▲躄「扨、何とした。
▲シテ「さすが、有徳な人の分別は、違うたものぢや。啞のひと声と云うて、一代に一度物を云へば、その身の事は扨置き、所まで富貴栄華に栄ゆると云うて、悦うで抱へられた。
▲座頭「扨々、それは仕合せな事ぢや。
▲躄「今からそちは、仕合せが直るであらう。
▲シテ「その様な事もあらう。扨、座頭。和御料は、何も預りはせぬか。
▲座頭「某は、結構なものを預つた。
▲シテ「結構なものは、何であらうぞ。
▲躄「されば、何であらうぞ。
▲座頭「軽物蔵を預つた。
▲シ躄「いかさま、これは結構なものぢや。
▲座頭「躄は何を預つた。
▲躄「某は、当座良いものを預つた。
▲シテ「当座良いものは、何であらうぞ。
▲躄「酒蔵を預つた。
▲シ座「誠に、これは当座良いものぢや。
▲躄「又、啞は何を預つた。
▲シテ「身共は、いち重宝なものを預つた。
▲躄「重宝は、何であらうぞ。
▲座頭「されば、何であらうぞ。
▲シテ「鳥目蔵を預つた。
▲躄座「これは誠に、いち重宝なものぢや。
▲シテ「扨、それについて、座頭。相談がある。
▲座頭「それは、いかやうな事ぢや。
▲シテ「まづ、これから躄が所へ行て、一つ呑うで、扨、その上で、身共が鳥目をぐわらりぐわらりと出いて、今ひと勝負始めうではあるまいか。
▲座頭「これは、一段と良からう。躄。蔵の戸をあけさしめ。
▲躄「心得た。
▲座頭「面々の道具が大事ぢや。これへおこさしめ。
▲シテ「心得た。
▲躄「ぐわらぐわらぐわら。扨も扨も、夥しい壺数ではないか。
▲シテ「誠に、夥しい壺数ぢや。
▲躄「扨、これはどれに致さう。
▲シテ「これは、亭主の物好きが良からう。
▲躄「それならば、幸ひこゝに、蓋の取れ掛けたがある。これに致さう。
▲シテ「それが良からう。
▲躄「さらば、蓋を取らう。やつとな。むゝ。旨い匂ひがするわ。
▲シ座「誠に、旨い匂ひがする。
▲躄「まづ一つ汲んで。これは、座頭から呑まさう。
▲座頭「身共に呑まするか。
▲躄「中々。
▲座頭「恰度ある。
▲躄「ちやうどある。さらば、和御料も呑ましめ。
▲シテ「心得た。
▲座頭「今度は、身共が酌に立たう。
▲シテ{*1}「ちと謡はしめ。
▲座頭「心得た。《小謡》
▲シテ「扨、一つ受け持つた程に、何ぞ舞はしめ。
▲座頭「何と、この興がつた形で舞はるゝものぢや。許いてくれさしめ。
▲シテ「いやいや。そのきやうがつたなりが、面白からう。平に舞はしめ。
▲座頭「それならば、舞はうか。
▲シ躄「それが良からう。
《「あんの山」を舞ふ》
やんやゝんや。
▲躄「さらば、又、身共が酌に立たう。
《躄、立つて、小謡》
▲座頭「扨、今度は某が受け持つた程に、躄。一つ舞はしめ。
▲躄「某こそ許いておくりやれ。
▲座頭「身共もゝはや舞うた。平に舞はしめ。
▲躄「それならば、舞はうか。
▲シ座「それが良からう。
《「漕ぎ出いて」を舞ふ》
やんやゝんや。
▲躄「舞うておりやるわ。
▲シテ「今度は身共が酌に立たう。
《啞、立ち、小謡》
▲躄「又、両人とも受け持つた程に、啞も一つ舞はしめ。
▲シテ「某こそ許さしめ。
▲躄「いやいや。順の舞ぢや。平に舞はしめ。
▲シテ「それならば、舞はう程に、謡うてくれさしめ。
▲躄座「心得た。
《「景清」か「鵜飼」を舞ふ》
やんやゝんや。
▲躄「さらば又、身共が酌に立たう。
《躄、立ち、「ざゞんざ」を謡ふ》
▲シテ「これは、上々の酒盛になつた。
▲躄座「誠に、上々の酒盛になつた。
▲シテ「頼うだ人は、この様な事は知らいで、ゆるりと慰うで居らるゝであらう。
▲躄座「仰しやる通り、ゆるりと慰うで居らるゝであらう。
《シテの舞済むと、主、立つて、「ゆるりと用事を仕舞うてござる。定めて片輪者が待つて居るでござらう。急いで罷り帰らうと存ずる。はて、合点の行かぬ。酒盛の音がする」と云うて、見て、「や。座頭が目をあき、躄が立ち、啞が物を云ふ。これは、すつぱであらう」》
▲主「やいやいやいやい。
▲三人「そりや。帰らせられた。
《と云うて、うろたへて、笛の上へ逃げ、座頭は啞竹を持つて、「をんをん」と云うて出るを、主、「座頭ではないか」と云ふ》
▲座頭「私は啞でござる。
▲主「啞が物を云ふものか。
▲座頭「あゝ。真つ平許させられい。
《と云うて、逃げ入る。主、追ひ込む》
▲主「扨、残りの者は、何とした知らぬ。
《と云うて、廻る処へ、躄、杖をつき、出る》
おのれは躄ではないか。
▲躄「私は、座頭でござる。
▲主「あの横着者。どちへ行くぞ。
▲躄「あゝ。許させられい。
《と云うて、逃げ入る。この内、啞、笛の上へ行き、初め道具を置いた所を見て、「南無三宝。大切の道具を取られた。何と致さう」と云うて、正面へ廻る時》
▲主「今いち人の者は、何としたか知らぬ。
やい。おのれは啞ではないか。
▲シテ「私は、物でござる。
▲主「物とは。
▲シテ「躄でござる。《と云うて、下に居る》
▲主「何の躄。あの横着者。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。
▲シテ「あゝ。許させられい、許させられい、許させられい。
校訂者注
1:底本、ここに「▲シテ「」はない。
底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.)
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