『能狂言』下151 集狂言 たけのこ
▲アド「これは、この辺りに住居致す耕作人でござる。この間は、久しう畑へ見舞ひませぬによつて、今日は見舞ひに参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、耕作と申すものは、つゝと忙しいものでござる。折々見舞うて、草などをも取り、色々と世話を致さねばならぬ事でござる。いや。参る程に、これが私のはたでござる。扨も扨も、この畑の様に、作り付くる程の物が良う出来る畑はござらぬ。いや。あれへ、隣の藪から根をさいて、見事な筍が上がつた。さらば、これを取つて戻り、賞翫致さうと存ずる。ゑい。ぽん。ゑい。ぽん。
《と云うて、抜く内に、シテ、一の松にて名乗る》
▲シテ「これは、この辺りに住居致す者でござる。某、藪を持つてござるが、当年は夥しう筍が上がつてござるによつて、今日は、見舞ひに参らうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、筍に限つて人の取りたがるものでござるによつて、今日は見舞うて、垣などを念を入れて結うて置かうと存ずる。これはいかな事。さればこそ、申さぬ事か。はや何者やら、笋を抜く音が致す。いや。あれは、誰ぢや。
なうなう。やあら。和御料はむさとした。なぜに身共が筍を取るぞ。
▲アド「これはいかな事。お見やれ。某が畑に生えた筍を取る。むさとした事を仰しやる。
《と云うて、又抜く》
▲シテ「あゝ。これこれ。扨々、和御料はむさとした。成程、畑はそなたの畑なれども、もと、某が藪から根がさいて、それ故に出来た筍ぢや。すれば、もとはこちのものぢや程に、遣る事はならぬ。
▲アド「いよいよ無理な事を云ふ人ぢや。成程、根はそちの藪からさいたでもあらうが、畑はこちの畑ぢや程に、取らねばならぬ。
▲シテ「いかにそちの畑なりとも、畑へも種を蒔いてこそ物は出来れ。その竹の種は、こちの藪ぢや程に、取つたのを皆、返さしめ。
▲アド「いやいや。何程云うても、返す事はならぬ。
▲シテ「すれば、どうあつても返すまいか。
▲アド「おんでもない事。
▲シテ「おのれ、憎い奴の。散々に打擲してやらう。憎い奴の、憎い奴の。
▲アド「これは、何とするぞ、何とするぞ。出合へ出合へ出合へ出合へ。
▲支人「いや。なうなう。そなた達は、何事をわつぱと云ふぞ。
▲シテ「憎い奴でござる。そこを退かせられい。きやつを打擲致しまする。
▲支人「いやいや。身共が出ては、聊爾はさせぬ。まづこれは、何とした事でおりやるぞ。
▲シテ「それならば、聞いて下されい。私が筍を、きやつが取りましたによつて、それを戻せと申せば、戻すまいと申すによつての事でござる。何とぞこなた、取つて下されい。
▲支人「その通り云はう。まづ、それに待たしめ。
▲シテ「心得ました。
▲支人「いや、これこれ。そなたは何として、きやつが筍を取つて、返すまいとは云ふぞ。
▲アド「まづ、こなたも聞いて下されい。私が畑へ生えた筍でござるによつて、取りまする。あれが筍ではござらぬ程に、返す事はならぬと云うて下されい。
▲支人「心得た。
今のを聞かしましたか。
▲シテ「中々。承つてござる。こなたも、よう思うても見させられい。成程、畑はきやつが畑ではござれども、もと私の藪から根がさいて生えた筍でござる。いかな畑でも、種を蒔かいで物が出来るものでござるぞ。その上、あの藪も年貢が出まするによつて、一本も遣る事はならぬと云うて下されい。
▲支人「心得た。
今のをお聞きやつたか。
▲アド「中々。承つてござる。きやつが藪から年貢を出しますれば、私も畑年貢を出しまする。こゝを以て、同じ事でござる。その上、きやつが左様に申さば、他に申し分がござる。
▲支人「それは又、いかやうな事ぢや。
▲アド「先度、私の牛が放れて、あの者の厩へ参つて、子を産んでござるを、承るとその儘参つて、親子ともに連れて参らうと申してござれば、いやいや。こちの庭へ来て産んだ子ぢやによつて、親牛は戻さうが、子は戻さぬと申して、取つて返しませぬ。それならば、笋を返しませう程に、牛の子を戻せと仰せられて下されい。
▲支人「これは尤ぢや。
なうなう。今のをお聞きやつたか。
▲シテ「中々。承りました。いや。申し。何と、牛の子と筍と、同じ様に云はるゝものでござるぞ。それはもはや、事済んだ事でござる程に、筍をば皆戻せと云うて、取つて下されい。
▲支人「いや。さう云うては済むまい。身共が思ふは、何ぞ勝負をして、勝ち負けによつて、牛の子を返すとも、筍を取るともしたならば良からう。
▲シテ「いや。勝負には及ばぬ事でござる。
▲支人「いや。勝負をせねば、そなたの負けになるぞ。
▲シテ「それならば致しませうが、あれも致すか、問うて下されい。
▲支人「心得た。
これこれ。これでは何とも済まぬによつて、何ぞ勝負をして、勝ち負けによつて、牛の子を取るとも、筍を返すともしたならば良からう。
▲アド「これは一段と良うござりませう。
▲支人「扨、勝負には、何をするぞ。
▲アド「歌を詠みませうが、あれも詠むか、問うて下されい。
▲支人「心得た。
これこれ。勝負には何をするぞと云うたれば、歌を詠まうと云ふが、そなたも詠むか。
▲シテ「あれが詠まば、私も詠みませう。まづ、あれから先へ詠めと仰せられい。
▲支人「心得た。
まづ、そなたから詠ましめ。
▲アド「何とてござらうぞ。
▲支人「されば、何とてあらうぞ。
▲アド「かうもござらうか。
▲支人「何とぢや。
▲アド「我が畑へ。
▲支人「《吟ずる》
▲アド「隣りの竹が根をさして。
▲支人「《吟ずる》
▲アド「思ひも寄らぬ筍を取る。と致しませう。
▲支人「これは一段と良い。
さあさあ、そなたも詠ましめ。
▲シテ「何とてござらうぞ。
▲支人「されば、何とてあらうぞ。
▲シテ「かうもござらうか。
▲支人「はや出たか。
▲シテ「我がまやへ。
▲支人「《吟ずる》
▲シテ「隣りの牛が子を産みて。
▲支人「《吟ずる》
▲シテ「思はず知らず牛の子を取る。と致しませう。
▲支人「これも一段と良い。
いや。なうなう。これではまだ分からぬ程に、今ひと勝負さしめ。
▲アド「それならば、今度は相撲を取りませうが、あれも取るか、問うて下されい。
▲支人「心得た。
これこれ。今ひと勝負と云へば、相撲を取らうと云ふが、そなたも取るか。
▲シテ「中々。取りませう程に、これへ出いと仰せられい。
▲支人「心得た。
取らうと云ふ程に、あれへお出やれ。
▲アド「心得ました。
▲支人「身共が行司をしてやらう。やあ。お手。
《と云うて、合はすると、跛、棒にて追ひ走らかし、「勝つた」と云うて、悦ぶ》
▲アド「申し申し。棒を持つて取ると申す事が、あるものでござるか。棒を置いて取れと仰せられい。
▲支人「心得た。
その棒を置いて取らしめと云ふわ。
▲シテ「いや。申し。私は、見させらるゝ通り、ちんばでござつて、則ち、この棒が私の足でござる。足を置いて取る事はならぬと仰せられい。
▲支人「これも尤ぢや。《その通りを云ふ》
▲シテ「いかに跛ぢやと申して、棒を持つて取らるゝものでござるぞ。いや。良い事を思ひ寄りました。今一番取らうと仰せられて下されい。
▲支人「心得た。
今一番取らうと云ふ。
▲アド「心得ました。
▲支人「又、某が行司をしてやらう。やあ。お手。
▲両人「やあやあ。
《と云うて、棒にて追ひ廻し、叩く処を、棒を取つて引き廻し、打ち倒いて、棒を持つて、「勝つたぞ勝つたぞ。牛の子も筍も、やらぬぞやらぬぞ」と云うて、二人とも入る》
▲アド「やいやいやいやい。卑怯者。その身共が足をば、置いて行け。遣る事はならぬぞ、ならぬぞ。やいやい。足がなうては、ありかれぬわ。その足をば戻いてくれい。あの横着者。どちへ行くぞ。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞやるまいぞ。
《と云うて、ゐざりゐざりして、立つて跛を引き引き、追ひ入る》
底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.)
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