『能狂言』下162 右之外書上珍敷狂言五番 ざいほう
▲アド一「これは、この辺りに住居致す者でござる。某、祖父をいち人持つてござるが、大有徳な人ではござれども、しわい人で、つひに孫どもに、何をひと色くれられた事がござらぬ。それにつき私の、良い事を思ひ付いてござる。私ばかりでもござらぬ。相孫がござるによつて、今日はあれへ参り、この事を談合致さうと存ずる。
《道行、常の如く、案内を乞うて》
扨、今日参る事、別なる事でもござらぬ。おほぢ御は、有徳なお方ではござれども、しわいお方で、つひに我々へ何もくれられた事がござらぬ。それにつき、私の存じまするは、今日あれへ参つて、名を付けて貰うたならば、よもや、何ぞ引出物をくれられぬと申す事はござるまいと存じまするが、これは何とござらうぞ。
▲アド二「これは、一段と良うござらう。幸ひ、誰殿も私のかたへ来て居られまする。これをも同道致しませうか。
▲ア一「それは幸ひな事でござる。これから、あれへも誘ひに参らうと存じてござるが、扨々、良い時分に参られてござる。その儀ならば、これへ出らるゝ様に、仰せられい。
▲ア二「心得ました。
申し申し。ござりまするか。
▲アド三「何事でござるぞ。
▲ア二「只今、誰殿の参られて、こなたにも御相談があると申されまする。これへ出させられい。
▲ア三「心得ました。
申し申し。出させられてござるか。
▲ア一「扨々、こなたには、良い時分にこれへ御出なされてござる。今日は、ちと御相談があつて、追つ付けこなたへ参る処でござつた。
▲ア三「それは、いかやうな事でござるぞ。
▲ア一「《初めの通りを云ふ》
▲ア三「これは、一段と良い思し召し付きでござる。
▲ア一「すれば、御両人ともに、御同心でござるか。
▲ア一「すれば、御両人ともに、御同心でござるか。
▲ア二「中々。
▲ア二三「同心でござる。
▲ア一「その儀ならば、さゝえを用意なされい。
▲ア三「心得ました。《末のアド、樽を持つて》
申し。竹筒を用意致しましてござる。
▲ア一「その儀ならば、追つ付けて参りませう。まづ、こなたからござれ。
▲ア二「いやいや。まづ、こなたからござれ。
▲ア一「その儀ならば、私から参りませう。
▲ア二「それが。
▲ア二三「良うござらう。
▲ア一「さあさあ。ござれござれ。
▲ア二「こなたはござらぬか。
▲ア三「まづ、こなたからござれ。
▲シテ「それならば、お先へ参りませう。さあさあ。ござれござれ。
▲ア三「参りまする、参りまする。
▲ア一「いや。申し。かやうに申し合はせて参り、名を付けて貰ひましたならば、何ぞ引出物をくれられぬと申す事は、ござるまいぞ。
▲ア二「仰せらるゝ通り、何ぞくれられぬと申す事は、ござりますまい。
▲ア一「いや。参る程に、これでござる。
▲ア二「誠に。
▲ア二三「これでござる。
▲ア一「いざ、案内を乞ひませう。
▲ア二「それが。
▲ア二三「良うござらう。
▲ア一「物申。案内申。祖父御は、お宿にござりまするか。
▲シテ「表に物申とある。案内とは誰そら。
▲ア一「孫どもが。
▲三人「御見舞ひ申してござる。
▲シテ「そなた達ならば、案内に及ばうか。つゝと通りは召されいで。
▲ア一「左様には存じてござれども、もしお客ばしござらうかと存じて、案内を。
▲三人「乞ひましてござる。
▲シテ「扨々、それは念の入つた事ぢや。まづ、かう通られい{*1}。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「扨、このおほぢは、年が寄つて腰が痛い程に、早う床机をくれさしめ。
▲ア一「畏つてござる。急いでお床机を上げさせられい。
▲ア二「心得ました。
はあ。お床机でござる。
▲シテ「三人ともに、これへ御出やれ。
▲三人「畏つてござる。《オモは左、あとの二人は右へ出る》
▲シテ「扨、この間は久しう見えなんだが、何として見えなんだぞ。
▲ア一「この間は、三人ともに、渡世にかまけまして、御無沙汰を。
▲三人「致いてござる。
▲シテ「この祖父は、その様な事は知らず、三人の孫どもには見捨てらるゝ。この頃お大名衆に、人をあまた抱へさせらるゝと聞いたによつて、年は寄つたれども、弓の者になりとも、又、鉄砲の者になりとも、出うと思うてすわ。
▲ア一「御腹立ちは、御尤でござりまするが、かれこれ致いて御無沙汰致しましてござる。
▲ア三「扨、これは三人の持たせでござる。
▲シテ「扨々、これはいらぬ事を召された。おほぢがゝたへは、方々から貰うて沢山にあれども、持たせとあらば、留めて置かう。
▲ア一「それは近頃。
▲三人「忝う存じまする。
▲ア一「扨、今日かやうに申し合はせて参るも、別なる事でもござらぬ。いづれも、いまだ定まる名がござらぬによつて、何とぞ名を付けて下されうならば、近頃。
▲三人「忝う存じまする。
▲シテ「何ぢや。祖父に名を付けてくれい。
▲三人「中々。
▲シテ「これはいかな事。その年になるまで、名を付けぬといふ事があるものか。それは、そなた達の親どもに付けて貰はしめ。
▲ア一「左様ではござれども、こなたのお年にも、又、ご果報にもあやかりたう存じて、三人の。
▲三人「願ひでござる。
▲シテ「むゝ。何ぢや。このおほぢが年果報にあやかりたいと仰しやるか。
▲ア一「中々。
▲三人「左様でござる。
▲シテ「それ程に仰しやる事ならば、付けてもやらうか。
▲ア一「それは。
▲三人「忝うござる。
▲シテ「何と付けたものであらうぞ。
▲ア一「何とが良うござらうぞ。
▲シテ「をゝ。良い名を思ひ付いた。そなたの名をば、興がりと付けておまさう。
▲ア一「これは、珍しい良い名でござる。
▲シテ「又、和御料をば、ま興がりと付けてやらう。
▲ア二「これは、忝うござる。
▲シテ「又、そちをば、面白うと付けう。
▲ア三「これも良い名で、忝うござる。
▲シテ「何と、いづれも気に入つたかの。
▲ア一「殊の外。
▲三人「気に入りました。
▲シテ「それは近頃、満足した。扨、いづれもの、名を付けさせらるれば、馬の、鞍の、太刀の、刀のと云うて、引出物をなさるれども、その様な物は、皆そちたちが親どもへ譲つて、持たぬによつて、この祝儀にお足百貫づゝ参らす{*2}程に、これは、そなた達のわたくし物にして、太う長う大きう栄えさしめ。
▲ア一「これは近頃。
▲三人「ありがたうござる。
▲シテ「扨、めでたう最前の竹筒を開かしませ。
▲ア三「畏つてござる。はあ。さゝえを開きましてござる。
▲シテ「今日の事ぢやによつて、身共が呑うで、めでたうそなたへ差さうぞ。
▲ア一「戴きませう。
▲シテ「一つ注がしめ。
▲ア三「畏つてござる。
▲シテ「をゝ。恰度ある。
▲ア三「ちやうどござる。
▲シテ「さらば、そなたへ差さう。
▲ア一「戴きまする。
▲シテ「めでたうおりやる。
▲ア一「これは、慮外にござる。扨、これをおほぢごへ上げませう。
▲シテ「これへおこさしめ。
▲ア一「これは、慮外にござる。
▲シテ「めでたうおりやる。
《又、呑みて、まきやうがりに差す。ま興がりより、又、祖父へ戻す》
▲シテ「今度は、和御料へ差さう。
▲ア二「戴きませう。
▲シテ「ちと、そなた、酌に立たしめ。
▲ア一「心得ました。《オモ、酌に立つ》
▲シテ「めでたう謡はしめ。
▲ア一「畏つてござる。《小謡》
▲ア二「扨又、これを祖父御へ上げませう。
▲シテ「これへおこさしめ。
▲ア二「慮外にござる。
▲シテ「をゝ。めでたうおりやる。又、一つ注がしめ。
▲ア一「心得ました。《小謡》
《もし、アドへ舞など所望するならば、こゝにて、オモへ舞を所望する。アドは、舞なくてしかるべし》
▲シテ「扨、これをそなたへ又、差さうか。
▲ア三「戴きませう。
《ま興がり、酌に立つ。小謡あり》
▲シテ「これは、上々の酒盛になつておりやる。
▲ア一「左様でござる。扨又、祖父御様へ、願ひがござる。
▲シテ「それは又、いかやうな事でおりやる。
▲ア一「久しうこなたのお立ち姿を拝見致しませぬ程に、ひとさし舞はせられて下されうならば、忝う存じまする。
▲シテ「何ぢや。舞を舞へ。
▲ア一「中々。
▲シテ「なう。物狂やぶつきやうや。何と、このおほぢが舞を舞はるゝものぢや。これは、許いてくれさしめ。
▲ア一「御尤ではござりまするが、今日はめでたい事でござるによつて、平にひとさし舞はせられて下されい。
▲シテ「むゝ。誠に、今日はめでたい事でもあり、扨又、身共も酒にも酔うた程に、舞ひもせうか。
▲ア一「それは。
▲三人「ありがたうござる。
▲シテ「そなた達、謡うてくれさしめ。
▲三人「畏つてござる。
《床机に掛かりながら、杖にて「宇治の晒」を舞ふ》
▲シテ「なう。腰痛や、こしいたや。はあ。そなた達は、いたづらな人ぢや。
▲ア一「扨々、久しうてお立ち姿を拝見致いてござる。
▲ア三「扨又、これを上げませうか。
▲シテ「これへおこさしめ。
▲ア三「畏つてござる。
▲シテ「扨、そなた達は、今一つ参らぬか。
▲ア一「もはや。
▲三人「たべますまい。
▲シテ「その儀ならば、取らしめ。
▲ア三「心得ました。
▲シテ「扨、このおほぢは、年寄つて物覚えが悪しうなつて、そなた達へ付けてやつた名を、はや忘れた。そなたの名は、何とやら付けたの。
▲ア一「私は、興がりでござる。
▲シテ「をゝ。それそれ。興がりであつた。又、和御料は、何とやら付けたの。
▲ア二「ま興がりでござる。
▲シテ「誠に、ま興がりであつた。扨又、そなたは何と付けたぞ。
▲ア三「面白うでござる。
▲三人「誠に、さうであつた。扨、今も云ふ通り、とかく忘るゝによつて、めでたう拍子にかゝつて問はう程に、答へさしめ。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「扨、酒にも酔うた程に、奥へ行て休まう。とてもの事に、和御料達、手車を舁いて、乗せて行てくれさしめ。
▲ア一「心得ました。さあ。これへ寄らせられい。
▲ア二「畏つてござる。
《興がりとま興がりと二人、手車を組み、面白うは、シテ、手車に乗せると、後を抱へて入る》
▲シテ「何と、良うおりやるか。
▲ア一「一段と。
▲三人「良うござる。
▲シテ「それならば、囃すぞや。
▲ア一「早う。
▲三人「囃させられい。
▲シテ「心得た。《囃子物》
財宝が孫ども、財宝が孫どもの、名をば何と申すぞ、名をば何と申すぞ。
▲三人「《囃子物》興がりも候ふ、ま興がりも候ふ、面白うも候ふ。
▲シテ「《囃子物》財宝が孫ども、財宝が孫嫡子の、名をば何と云ふやらん。
▲三人「《囃子物》興がりも候ふ、ま興がりも候ふ、面白うも候ふ。
▲シテ「《囃子物》財宝が孫どもの、名をば何と申すぞ、名をば何と申すぞ。
▲三人「《囃子物》きやうがりも候ふ、まきやうがりも候ふ、面白うも候ふ。
《色々仕方ありて、手車へ乗ると、その儘、立つて囃しながら、楽屋へ入る。但し、脇狂言の時は、アド、名乗りも、「某、祖父をいち人持つてござるが、つゝと有徳な人でござるによつて、今日はあれへ参り、名を付けて貰はうと存ずる。某ばかりでもござらぬ。相孫がござる程に、これをも誘うて参らう」と云うて、次アドを誘ひ、今一人も同断に居合はせて、同道する。さゝえも用意せず、名乗り、道行とも、「しわい人」といふ事を抜き、只、めでたうさつぱりと云ふべし。シテも、脇狂言の時は、名を付けて引出物を取らせ、盃事なしに、すぐに、「祖父は年寄つて物覚えが悪しい程に、そなた達の名を、拍子にかゝつて問ふによつて、答へさしめ」と云うて、拍子にかゝり問うて、片しぎりにて廻り、扨、シヤギリを吹かせて、グワツシて留める。その時、興がり、ま興がりは、左右へ連なり、面白うは、祖父の後ろについて居て、跳んで留めるなり》
校訂者注
1:底本は、「通らい」。
2:底本は、「まいす」。
底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.)
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