『能狂言』下164 右之外書上珍敷狂言五番 まんぢう

▲アド「これは、洛中に住居致す者でござる。某、饅頭を商売致す。今日も罷り出で、商売致さうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、私も古へは、かやうな賤しい商売致す者ではござらねども、今では散々落ちぶれて、この様な体になつてござる。総じて、商売物もあまたござれども、私は元手がござらぬによつて、この様な物を少しづゝ持つて出て、商売致す事でござる。いや。参る程に、市場ぢや。さらば、この所に店を出さう。
▲シテ「罷り出たる者は、遠国方の者でござる。某、訴訟の事あつて、長々在京致す処に、訴訟悉く叶ひ、安堵の御教書を頂き、国元へのお暇までを下されてござる。この様なありがたい事はござらぬ。それにつき、今日は国元への土産物を調へに参らうと存ずる。その上、長々在京は致いたれども、都を篤と見物致いた事がござらぬによつて、今日は、こゝかしこをゆるりと見物致さうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、国元ではこの様な事は知らいで、さぞ待ちかねて{*1}居るでござらう。戻つてこの様子を話いて聞かせたならば、殊ない悦びでござらうと存ずる。いや。何かと云ふ内に、これは、殊の外賑やかな所へ出たが。こゝは、何といふ所ぢや知らぬ。やあやあ。何と云ふぞ。こゝは、立ち売りぢや。扨も扨も、聞き及うだよりは、殊の外賑やかな事ぢや。さらば、ちと売り物を見物致さう。これは何ぢや。これは、子供のもて遊び。起き上がり小法師、振り鼓、ぴいぴい風車。扨も扨も、しほらしい事ぢや。これは何ぢや。茶の湯の道具。風炉、釜、茶碗、茶入れ、茶杓、茶筅。いづれも結構な道具ぢや。又、これは何ぢや。武具、馬具、鞍、鐙、轡、手綱。扨々、都は重宝な事でござる。これは、何を求めうと、某が儘ぢや。
▲アド「申し申し。これを召しませぬか。
▲シテ「それは、何ぢや。
▲アド「これは、点心と申す物でござる。
▲シテ「何ぢや。天秤ぢや。
▲アド「いや。天秤ではござらぬ。点心とも申し、又、饅頭とも申して、つゝと旨い物で、上つ方の召し上がらるゝ物でござる。一つ召し上がられて御らうぜられい。
▲シテ「何と云ふ。点心とも饅頭とも云うて、旨い物ぢやと云ふか。
▲アド「中々。旨い物でござる。平に一つ召し上がられい。
▲シテ「それならば、汝、喰うて見せい。
▲アド「いや。私がたべては、旨いか旨うないか知れませぬ。こなた、召し上がられて御らうぜられい。
▲シテ「いや。汝が喰うても、旨いか旨うないかは、口元で知るゝ程に、平に喰うて見せい。
▲アド「食べまするは易い事でござれども、これは一つで十疋づゝ致す物でござるによつて、聊爾にはたべられませぬ。是非ともこなた、召し上がられい。
▲シテ「それは、十疋が二十疋でも苦しうない。平に早う食うて見せい。
▲アド「扨は、こなたの御振舞ひでござるか。
▲シテ「その通りぢや。早う喰へ。
▲アド「それは、忝うござるわ。ありやうは、これを商売致しまするが、高直な物でござるによつて、久しうたべた事がござらぬが。今日はお蔭で、旨い物をたぶる事でござる。
▲シテ「さあさあ。早う喰へ。
▲アド「心得ました。
▲シテ「扨も扨も、旨さうな口元ぢや。
▲アド「扨も扨も、旨い事でござる。この様な旨い物は、ござるまい。さあさあ。こなたも一つ召し上がられい。
▲シテ「それ程旨い物ならば、今一つ喰へ。
▲アド「たべませう。が、代物は下さるゝか。
▲シテ「中々。後は皆、求めてやらう程に、早う喰へ。
▲アド「それならば、たべませうか。
▲シテ「早う喰うて見せい。
▲アド「畏つてござる。扨々、今日は思ひも寄らず{*2}、ご馳走になりまする。
▲シテ「早う喰へ、早う喰へ。扨も扨も、面白い事かな。殊の外旨さうな口元ぢや。
▲アド「いや。殊の外旨うて、おとがいが落つる様にござる。
▲シテ「何ぢや。頤が落つる。
▲アド「中々。
▲シテ「《笑うて》扨々、面白い事ぢや。まだ喰へ、まだ喰へ。
▲アド「もはや、ござりませぬ。
▲シテ「何ぢや。もうない。
▲アド「中々。
▲シテ「扨々、それは残り多い事ぢや。あるならば、まだいか程も喰はさうものを。
▲アド「高直な物故、沢山には持つて出ませぬ。御用ならば、明日、何程なりとも持つて参りませう。
▲シテ「明日は早う、沢山に持つて出い。
▲アド「畏つてござる。今日は、思ひも寄らず活計を致いて、忝うござる。
▲シテ「扨も扨も、今日は一段の慰みを致いてござる。急いで参らうと存ずる。
▲アド「いや。申し申し。代りを下されい。
▲シテ「代りとは。
▲アド「今の饅頭の代りを下されい。
▲シテ「おのれは、むさとした事を云ふ。我が物をおのれが喰うて、某に代りをおこせと云ふ事があるものか。
▲アド「こなたは、ご仁体にも似合はぬ事を仰せらるゝ。それ故、私の申すは、高直な物で、一つでも十疋づゝ致しまする程に、むさとはたべられぬと申してござれば、十疋が二十疋でも苦しうないと仰せられたによつて、たべました。二つ振舞はせられた程に、二十疋置いてござれ。
▲シテ「まだそのつれな事を云ふか。誰が汝に振舞ふものぢや。おのれが儘に喰うた物ぢやによつて、一銭もやる事はならぬ。
▲アド「そのつれな事を仰しやつて。代物を置いてござらずば、こゝを一寸も通すまいが、何とおしやる。
▲シテ「いや。云はせて置けば、方領もない事を云ふ。身共を田舎者ぢやと思うて、云ひ掛けをし居るか。この御政道正しい御代に、そのつれな事を云うたらば、ために悪からうぞよ。
▲アド「ために悪からうと云うて、何と召さる。
▲シテ「目に物を見せう。
▲アド「それは誰が。
▲シテ「身共が。
▲アド「《笑うて》某如きの者ぢやと思うて、侮つて仰しやるが、恐らく、そのつれな事に怖づる身共ではおりないぞ。
▲シテ「ていとさう云ふか。
▲アド「おんでもない事。
▲シテ「悔やまうぞよ。
▲アド「何の悔やむものぢや。
▲シテ「おのれ、憎いやつの。ひと討ちにしてくれう。
▲アド「あゝ。悲しや。これは何となさるゝぞ。
▲シテ「何とするとは。胴斬りにしてやらう。
▲アド「あゝ。許させられい、許させられい、許させられい。
▲シテ「あの横着者。どれへ行くぞ。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。
《又、一遍追ひ廻し、饅頭売り、大臣柱の方へ逃げて行き、下に居る。
「真つ平命を助けて下されい」
「おのれ、云ひ掛けをした程に、ひと討ちにしてやらう」
「不調法を申してござる。何卒御免なされて下されい」
「おのれ、重ねてそのつれな事を云ふまいか」
「中々。申す事ではござらぬ」
「それは誠か」
「誠でござる」
「真実か」
「一定でござる」
「それならば、命を助けてやらうが、某が行く方を見るな」
「見る事ではござらぬ」
「太刀奪」などの如く、「見るな、見るな」と云うてのき、
「今日は、一段の慰みを致いた。急いで罷り帰らう」
と云うて、大名は入る。饅頭売り、後にて立つて、
「扨々、苦々しい事を致いた。宿へ戻つたならば、女共は、この様な事は知らいで、身共が我が儘に喰うたと思うでござらう。仕合せの悪しい時は、何をしても悪しい。さりながら、某が喰うたを徳分にして、せめて、この入れ物なりとも持つて戻らう。あゝ。しないたるなりかな」
と云うて、留める》
《又、シテ、引つ込んで、饅頭売り、立つて、「やい。あの横着者。どちへ行くぞ。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ」と云うて、追ひ入りにもする》

校訂者注
 1:底本は、「待て」。
 2:底本は、「思ひ寄らず」。

底本『能狂言 下』(笹野堅校 1945刊 国立国会図書館D.C.

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