狂言二十番 01 見物左衛門(けんぶつざゑもん){*1}
▲見物左衛門「罷り出でたる者は、この辺りに住居致す、見物左衛門と申す者でござる。今日は、加茂の競馬、深草祭でござる。毎年、見物に参る。今日も参らうと存ずる。又、某ひとりでもござらぬ。こゝに、ぐつろ左衛門殿と申して、毎年同道致す人がある。今日も誘うて参らうと存ずる。内に居られたら、良うござらうが。どれへも出ぬ人ぢや。定めて内に居らるゝであらう。やあ。これぢや。
物申。ぐつろざ殿。内にござるか。何と、はや見物にござつた。
やれやれ、ぐつろ左殿と同道せねば、身共の慰みがない。
やあ。身共に逢うて、笠をとらせらるゝは、どなたぢや。やはり召せ。こなたは、祭は見物なされぬか。何ぢや。刀がない。なくば、大事か。身共は、これ。持たねば、差しませぬわ。
扨、祭の刻限は、何どきでござる。何と、巳午の刻ぢや。えい。身共は一刻も二刻も早う出た。とてもの事に、九條の古御所を見物して帰らう。御厩を見ようか。えい。これが、御厩ぢや。扨も扨も、見事な事かな。姫栗毛、額白、黒毛、白毛。あれからこれへ、扨も扨も。これは、十二因縁の心を以て、立てさせられた。扨、御所を見物致さう。はあ。これに、八景の押し絵がある。洞庭の秋の月、遠浦の帰帆、遠寺の晩鐘、平砂の落雁、瀟湘の夜の雨、寄する波に音なき夜の泊り。扨も扨も、見事な。これに、掛物がある。何ぢや。毗首が達磨、東坡が竹、牧渓和尚の墨絵の観音、三幅一対。扨も扨も、見事、見事。畳は皆、繧繝縁、高麗縁。あれからこれまで敷きつめられた。柱は、黒塗柱に蒔絵を書かせられたわ。申さうやうもない事ぢや。
何と云ふ、馬子達。具足が駈けると云ふか。
えい。身共は、それこそは見に来たれ。はあ。扨も扨も、乗つたり乗つたり。先なは、乗り手と見えた。あれは、誰でござる。何と、梅の木原の酸い右衛門殿。その後なは、誰でござる。何ぢや。柿の本の渋四郎左衛門。扨も扨も、くひしばつて乗られたが、落ちられずば良からうが。ありやありやありや、ありやこそ。云ふ言葉の下から落ちられた。扨も扨も、可笑しい事ぢや。
何ぢや、そなたは。身共が笑ひが苦になるか。何と仰しやる。ぶたれうとお云やるか。そなたに疵は付けまい。身共は、町で隠れもない、おほいたづら者ぢや。お構やるな。
扨も扨も、あれあれ。したゝか、腰を打たれたやらして、ちんがりちんがりちんがり。扨も扨も、可笑しい事ぢや。
やあ。大勢人の寄つて居るは、何事でござるぞ。やあ。子供が相撲を取る。
えい。身共は、小さい時から相撲が好きぢや。行て見物致さう。はあ。これはどうも、這入られまいが。まづ、この笠を破つては、女共が叱るであらう。まづ、これをかうして。ちと御免なされませう。
これこれ。こゝな人。草履のあとを踏むによつて、先へ行かれぬ。
南無三宝。ちりけのやいとを剥いてのけた。はあはあ。痛やの、痛やの。まづ、這入つた。
これ、行司。腰が高い。下にござれ。何と云ふ。某をあばれ者と云ふか。やあ。何と云ふ。相撲の作法を知らずば、構ふなと云ふか。身共が知るまいと思ふか。総じて、相撲は四十八手とは云へども、砕けば、八十八手も百手にも取る。鴨の入れ首、水車、反り返り、かひな投げ、あをり掛け、河津掛け。この様な手を知つて居る。何と、それ程ならば、出て取れと云ふか。身共ぢやと云うて、取りかねうか。何と、小言を云うたらば、礫を打たう。そちが打つたらば、この方からも、参らせうまでよ。あ痛、あ痛。これは堪忍がならぬ。やい、そこな柿の帷子、柿の鉢巻。おのれ、見知つたぞ。やれ、子供もかゝつてくれ。えいとう、えいとう、えいとう。
南無相撲御退散。又、明年参らう。
南無相撲御退散。又、明年参らう。
校訂者注
1:底本、柱に「狂言記」とあり、1903年刊『狂言全集』、1925年刊『狂言記』とほぼ同文。
底本『狂言二十番』(芳賀矢一校 1903刊 国立国会図書館D.C.)
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