狂言二十番 02 連歌毘沙門(れんがびしやもん){*1}
▲アト「これは、この辺りに住居致す者でござる。今日は初寅なれば、鞍馬へ参詣致さうと存じて、罷り出でた。まづ、急いで参らう。それに付いて、こゝに、分けて心安う話す仁がござるが、内々約束でござる程に、これを誘うて参らうと存ずる。いや。行く程に、これぢや。
物申。案内申。
▲次アト「表に物申とある。誰も出ぬかやい。
物申とは、どなたでござるぞ。
▲アト「某でござる。
▲次ア「えい。ようこそ出でさせられた。
▲アト「只今参るは、別の事でもござらぬ。今日は初寅なれば、鞍馬へ参詣致さうと存ずるが、ないないのお約束でござるに付いて、誘ひに寄りましてござる。参らせられますまいか。
▲次ア「はて扨、ご失念もなう誘はせられて、満足致してござる。何が扨、お供致しませう。
▲アト「で、ござるか。
▲次ア「中々。
▲アト「それならば、いざ、ござつて。
▲次ア「まづ、こなたからござれ。
▲アト「それならば、参らう。さあさあ。ござれござれ。
▲次ア「心得ました。
▲アト「何と思し召すぞ。鞍馬を信仰致いてよりこの方、何事も富貴富貴と、吹き付ける様に仕合せがあると存ずるが、こなたには、その思し召し当たりはござらぬか。
▲次ア「仰せらるゝ通り、毘沙門天を信仰致す故に、思ひの儘にござれば、いよいよ信心が、いや増しまする。
▲アト「いや、程なう参り着いてござる。
▲次ア「誠に、御前でござる。
▲アト「いざ、拝みませう。
▲次ア「ようござらう。
▲アト「南無多門天王。福徳自在に守らせ給へ。
▲次ア「諸願成就、皆令満足なさしめ給へ。
▲アト「何と思し召すぞ。いつ参つても、森々と致いた宮立ちではござらぬか。
▲次ア「仰せらるゝ通り、神さびて、殊勝な事でござる。
▲アト「さらば、今夜はこれに通夜を致しませう。
▲次ア「ようござらう。
▲アト「はあ、はあ、はあ。
扨も、ありがたい事かな。や。多聞天王より、御福を授けさせられた。扨も扨も、ありがたい事かな。
▲次ア「あゝ。申し申し。なぜに、そなたばかり取らせらるゝ。こちへもおこさせられい。
▲アト「いや。某に下された物を、こなたへ遣らう仔細がござらぬ。
▲次ア「それは、こなたの言ひ訳が済みませぬ。両人の中へ下された物を、こなたひとりして取らせらるゝ筈はござるまい。その上、毎年相変らず、こなたと同道致いて参詣申すに、ふたりの間へ与へさせられた御福を、いかにしても、ひとりで取られは致されまいぞ。
▲アト「誠、仰せらるれば、さうぢや。両人の中へ、名ざしもなう下されたを、身共へ与へさせられたと限つたと申す事もござるまい程に、その儀ならば、この下された梨について、当座を致いて、どうなりとも句がらの出来た者が、ぬしにならうと存ずるが、これは、何とござらうぞ。
▲次ア「これは、面白い批判でござる。誠に、歌の道には鬼神までも納受あると申せば、いよいよ神慮に叶ふ様に当座を致いて、その上での事に致さう程に、急いで案じて見させられい。
▲アト「中々。どちなりとも、出勝ちに致しませう。
▲次ア「ようござらう。
▲アト「かうもござらうか。
▲次ア「殊の外、お早うござる。
▲アト「毘沙門の福ありの実と聞くからに。
▲次ア「これは、一段と面白うござる。
▲アト「さらば、脇をさせられい。
▲次ア「かうもござらうか。
▲アト「何とでござる。
▲次ア「くらまぎれにてむかで喰ふなり。
▲アト「これも、殊の外出来ましてござる。いざ、吟じて見ませう。
▲次ア「ようござらう。
▲アト{*2}「《強》毘沙門の福ありの実と聞くからに。
▲次ア「闇まぎれにて蜈蚣喰ふなり。
▲アト「あら不思議や。社壇が殊の外鳴りまする。
▲次ア「誠に、不思議な事でござる。
▲アト「まづこれへ寄つて、様子を見ませう。
▲次ア「ようござらう。
▲シテ「《一セイ》《強》毘沙門の福ありの実と聞くからに、闇まぎれより歩み行き。
▲アト「これへ、見慣れぬ御方の出でさせられた。言葉を掛けませう。
▲次ア「ようござらう。
▲アト「いかに申し。これは、人間とも見えず、唐びたる体にてご出現は。
▲両人「いかやうなる御方にて候ふぞ。
▲シテ「当山より鉾を持ち、顕はれ出でたるを、いかなる者ぞと問ふ程、鈍では。
▲アト「扨は、毘沙門天王にてばしござるか。
▲シテ「遅い推かな。
▲両人「はあ。ありがたう存じまする。まづ、かうご来臨なされませい。
▲アト「扨、只今は、何のためのご出現でござりまする。
▲シテ「これへ出現するは、別の事でもない。最前、両人の中へ福を与へたれば、それを汝らが論ずるによつて、配分をしてとらせんと思ひ、これまで出現してあるぞとよ。
▲アト「扨も扨も、これは神慮に叶ひ、ありがたい事でござりまする。その儀ならば、良い様に配分なされて下されませい。
▲シテ「まづ、ありの実をこちヘおこせい。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「扨、これをば何で割らうぞ。
▲アト「何がようござりませうぞ。
▲シテ「両人の内に、刃物は持たぬか。
▲アト「折節、刃物は持ち合はせませぬ。
▲シテ「それならば、この鉾で割らう。但し、錆びようか。
▲次ア「されば、何とござりませうか。
▲シテ「いやいや、苦しうない。割つてとらせう。
いでいで、ありの実割らんとて、いでいでありの実割らんとて、南蛮の鉾を柄長くおつ取り延べて、梨の真ん中を、ざつくり。
はあ。二つになつたわ。
▲アト「誠、二つになりましてござる。
▲シテ「さあさあ。汝から取れ。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「汝も取れ。
▲次ア「ありがたう存じまする。
▲シテ「扨、最前、汝らが高声に云うたは、何であつたぞ。
▲アト「その御事でござる。梨につきまして、及ばずながら連歌を致しましてござる。
▲シテ「はて扨、汝らは、しほらしい者どもぢや。その連歌が、今一度聞きたいよ。
▲両人「何が扨、申し上げませう。
▲シテ「扨々、今の連歌はいかに。
▲両人「毘沙門の福ありの実と聞くからに、くらまぎれにてむかで喰ふなり{*3}。
▲シテ「毘沙門、連歌の面白さに、毘沙門、連歌の面白さに、悪魔降伏、災難を払ふ、鉾を汝に取らせけり。
▲次ア「あらあら。けなりや、けなりやな。我にも福をたび給へ。
▲シテ「《下》欲しがる事こそ道理なれ、欲しがる事こそ道理なれと、忍辱の鎧に、兜を添へて取らせけり。これまでなりとて毘沙門は、これまでなりとて毘沙門は、この所にこそ納まりけれ。
えいや、いや。
校訂者注
1:底本は、柱に「狂言記」とあるが、本文は1903年刊『狂言全集』、1925年刊『狂言記』とは異なり、後年、鷺流の伝本を芳賀が校訂した『狂言五十番』(1926刊)と、ほぼ同文である。
2:底本、ここに「▲アト「」はない。
3:底本は、「むかで喰ふ」。
底本『狂言二十番』(芳賀矢一校 1903刊 国立国会図書館D.C.)
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