狂言二十番 04 骨皮(こつぴ){*1}

▲住持「これは、当寺の住持でござる。新発意を呼び出だいて、申し渡す事がござる。
新発意。居さしますか。居るかなう。
▲シテ「はあ。私を呼ばせらるゝは、何事でござる。
▲住持「我御料を呼び出すは、別の事でもない。愚僧も、もはや年寄つて、寺役も大儀ぢや程に、今日より寺をそなたへ譲る程に、さう心得さしませ。
▲シテ「忝うはござれども、まだ学問もはかばかしうござらず、その上遅うても苦しからぬ事でござる程に、重ねての事になされて下されませい。
▲住持「一段とおとなしい返事で、満足致いた。さりながら、隠居すると云うて、他へ行くでもない。則ち、この内に居る程に、何なりとも用の事があらば、云はしませい。
▲シテ「それならば、ともかくも御意次第に致しませう。
▲住持「又、云ふまではなけれども、旦那衆の気に入つて、寺の繁昌する様にさしますが、専でおりやる。
▲シテ「お気遣ひなされまするな。随分、旦那衆の気に入る様にしませう。
▲住持「それならば、愚僧はもはや入る程に、聞きたい事があらば、問ひにおりやれ。
▲シテ「畏つてござる。
▲住持「又、旦那衆の参られたならば、こちへ知らさしませ。
▲シテ「心得ましてござる。
扨も扨も、嬉しい事かな。住持の、いつ寺を譲らるゝか、譲らるゝかと存じた処に、今日譲らるゝ様な大慶な事は、ござつてこそ。旦那衆のお聞きやつたならば、定めて悦びにおりやらう程に、随分気に入る様に致さうと存ずる。
▲アト「これは、この辺りの者でござる。さるかたへ所用あつて参るが、俄かに雨が降りさうにござる程に、旦那寺へ立ち寄り、傘を借つて参らうと存ずる。則ちこれぢや。
物申。案内申。
▲シテ「表に物申とある。案内とは誰そ。物申とは。
▲アト「某でござる。
▲シテ「これは、ようこそ御出でござれ。
▲アト「この間はお見舞ひも申しませぬが、お住持様にもこなたにも、変らせらるゝ事もござらぬか。
▲シテ「中々。変る事もござらぬ。扨、師匠の何と思はれましてやら、私に寺を譲られてござる程に、今までの通りに相変らず、参らせられて下されい。
▲アト「それは、めでたうござる。存ぜませいで、お悦びにも参りませなんだ。扨、今参るは別の事でもござらぬ。今日はさる方へ参りまするが、俄かに雨が降りさうにござる程に、何とぞ傘を借させられて下されませい。
▲シテ「中々。易い事。貸して進じませう。ちと、それに待たせられい。
▲アト「それは、忝うござる。
▲シテ「これこれ。これを貸して進じませう。
▲アト「これは、忝うござる。
▲シテ「又、何なりとも、用の事があらば、仰せられい。
▲アト「中々。頼みませう。もはや、かう参る。
▲シテ「ござらうか。
▲アト「中々。
▲両人「さらばさらば。
▲アト「忝うござる。
▲シテ「ようござつた。
▲アト「はあ。
なうなう。嬉しや。急いで参らうと存ずる。
▲シテ「旦那衆のおりやつたならば、知らせいと仰せられた程に、参つてこの通りを申さうと存ずる。
申し。ござりまするか。
▲住持「いや、おりやつたよ。
▲シテ「さぞ、お淋しうござりませう。
▲住持「いや。さうもおりない。
▲シテ「只今、誰殿の参られてござる。
▲住持「それは、寺参りか。何ぞ用があつて、おりやつたか。
▲シテ「傘を借りに参られてござるによつて、則ち貸しましてござる。
▲住持「それは、ようこそ貸さしました。さりながら、どの傘を貸さしましたぞ。
▲シテ「この中、新しう出来て参つた傘を、貸しましてござる。
▲住持「我御料は、粗相な人ぢや。あれは、まださし初めもせぬに、貸すといふ事があるものでおりやるか。重ねてもある事ぢや。貸すまいと思へば、云ひ様がおりやる。
▲シテ「それは、何と申しまする。
▲住持「お易い御用ではござれども、この間、師匠のさして出られましたれば、辻風に遇はれまして、骨は骨、皮は皮となつてござるによつて、骨皮ともに真ん中を結うて、天井へ吊るいて置いてござる。あれではえ御用には立つまいなどゝ、かう似つくらしう云うてやるものでおりやる。
▲シテ「心得ましてござる。重ねては、左様に申しませう。もはや、かう参りまする。
▲住持「おりやらうか。
▲シテ「中々。
▲両人「さらばさらば。
▲シテ「これはいかな事。いかに師匠の申されても、あるものを貸さいでは置かれてこそ。
▲二のアト「これは、この辺りの者でござる。今日は遠路へ参る程に、旦那寺へ参り、馬を借つて参らうと存ずる。急いで参らう。則ちこれでござる。
物申。案内申。
▲シテ「又、表に物申とある。案内とはたそ。物申とは。
▲二ア「私でござる。
▲シテ「これは、ようこそ参らせられてござれ。
▲二ア「只今参るは、別の事でもござらぬ。今日は遠路へ参るが、近頃ご無心にはござれども、馬を貸して下されうならば、忝う存じまする。
▲シテ「尤、お易いご用ではござれども、このぢゆう、師匠のさして出られましたれば、辻風に遇はれまして、骨は骨、皮は皮となつてござるによつて、こつぴともに真ん中を結うて、天井へ吊るいて置いてござる程に、あれではえ御用には立ちますまい。
▲二ア「いや。馬の事でござる。
▲シテ「中々。馬の事でござる。
▲二ア「はあ。それならば、是非に及びませぬ。もう、かう参りまする。
▲シテ「ござらうか。
▲二ア「中々。
▲両人「さらばさらば。
▲シテ「ようござつた。
▲二ア「はあ。
はて扨、合点の行かぬ事を申さるゝ。
▲シテ「師匠の教へられた通りを申した程に、定めて機嫌が良うござらう。
申し。ござりまするか。
▲住持「いや。おりやつたよ。何ぞ用でばしおりやるか。
▲シテ「只今誰殿の、馬を借りにわせましてござる。
▲住持「幸ひ、暇で居ようが、貸さしましたか。
▲シテ「いや。最前、こなたの仰せられた通りを申して、貸しませなんだ。
▲住持「いや。愚僧は、馬の事は覚えぬが。何と云うてやらしました。
▲シテ「この中、こなたのさして出られましたれば、辻風に遇はれまして、骨は骨、皮は皮となつてござるによつて、骨皮ともに真ん中を結うて、天井へ吊るいて置いてござる程に、あれではえ御用には立つまいと申してござる。
▲住持「これはいかな事。傘を借りに来たならば、さう云うてやらしませと云うたれ。馬を借りに来たに、その様な事を云うてやるといふ事が、あるものでおりやるか。又馬も、貸すまいと思へば、云ひ様がおりやる。
▲シテ「それは、何と申しまする。
▲住持「この中、春草に付けて置いてござれば、駄狂ひを致いて、腰の骨を打ち折つて、厩の隅に藁をかづいて寝て居まする。あれではえ御用には立つまいなどゝ、かう似合はしう云うてやるものでおりやる。
▲シテ「心得ましてござる。重ねては、左様に致しませう。
▲住持「必ず、粗忽な事を云はしますな。
▲シテ「畏つてござる。
これはいかな事。云へと仰しやるによつて云へば、又、𠮟らるゝぢやまで。身共の身になつても、迷惑致す事ぢや。
▲三のアト「これは、この辺りの者でござる。旦那寺へ、所用あつて参る。まづ急いで参らう。いや。参る程に、則ちこれぢや。
物申。案内申。
▲シテ「又、表に物申とある。案内とは誰そ。物申とは。
▲三ア「某でござる。
▲シテ「これはようこそ、出させられてござれ。
▲三ア「この間は、久しうお見舞ひも申しませぬが、お住持様にもこなたにも、変らせらるゝ事もござらぬか。
▲シテ「中々。変る事もござらぬ。それに付いて、師匠の何と思はれましてやら、愚僧に寺を譲られてござる程に、相変らず参らせられて下されい。
▲三ア「それは、めでたうござる。存じませいで、お悦びにも参りませなんだ。扨、只今参るは、別の事でもござらぬ。明日は、志の日でござる程に、御住持様にもこなたにも、御出なされて下されうならば、忝う存じまする。
▲シテ「私は参りませうが、師匠は、え参る事はなりますまい。
▲三ア「それは何ぞ、お暇入りでもござるか。
▲シテ「別にひま入りもござらぬが、この中、春草に付けてござれば、駄狂ひを致いて、腰の骨を打ち折つて、うまやの隅に藁をかづいて寝て居られまする。あれでは、え参る事はなりますまい。
▲三ア「いや。お住持様の事でござる。
▲シテ「中々。師匠の事でござる。
▲三ア「それは、気の毒な事でござる。それならば、こなたばかり出させられて下されい。
▲シテ「中々。私は参りませう。
▲三ア「もはや、かう参る。
▲シテ「ござらうか。
▲三ア「はあ。
はて扨、合点の行かぬ事を申さるゝ。
▲シテ「今度は、いかなりとも機嫌でござらう。
申し。ござりまするか。
▲住持「いや、おりやつたよ。何ぞ用でおりやるか。
▲シテ「只今、誰殿の参られてござるが、みやうにちは、こゝろざしの日でござる程に、こなたにも私にも参る様にと申されてござるによつて、私は参らうが、こなたには、えござる事はなるまいと申してござる。
▲住持「幸ひ、明日は暇ぢやによつて、行かうものを。
▲シテ「いや。こなたの仰せられた通りを申してござる。
▲住持「身共は覚えぬ。何と云うてやらしましたぞ。
▲シテ「この中、春草に付けてござれば、駄狂ひを致いて、腰の骨を打ち折つて、厩の隅に藁をかづいて寝て居られまする。あれでは、え参る事はなりますまいと申してござる。
▲住持「それは、真実云うてやらしましたか。
▲シテ「中々。真実でござる。
▲住持「はて扨、和御料は、鈍な人ぢや。云うても云うても、合点が行かぬさうな。それは、馬を借りにわせたならば、さう云へとこそ云うたれ。その様な事で、所詮寺を持つ事はなるまい。出てお行きあれ。
▲シテ「あゝ。
▲住持「お行きやるまいか、お行きやるまいか、お行きやるまいか。
▲シテ「あ痛、あ痛、あ痛、あ痛。
なう。御坊。いかに師匠ぢやと云うて、その様に打擲する事が、おりやらうか。そなたぢやと云うて、駄狂ひを召されぬ事は、おりやるまいぞ。
▲住持「いつ身共が駄狂ひをした事があるぞ。あらば、早う云へ、早う云へ。
▲シテ「申したならば、面目がござるまい。
▲住持「面目を失ふ覚えはない。あらば、早う云へ、早う云へ。
▲シテ「それならば、申すぞや。
▲住持「早う云へ。
▲シテ「それ。いつぞや、門前のいちやが参つた。
▲住持「そのいちやが、何としたぞ。
▲シテ「まづ、聞かせられい。手招きをして、眠蔵へ連れてお這入りやつたが、何と、あれは駄狂ひではないか。
▲住持「おのれは憎い奴の。ない、せぬ事を云うて、師匠に恥をかゝする。この上は、弓矢八幡逃す事ではないぞ。
▲シテ「師匠ぢやと云うて、負くる事ではござらぬ。
▲両人「いやいやいや。
▲シテ「覚えたか。
なうなう。嬉しや。勝つたぞ、勝つたぞ。
▲住持「やいやい。師匠をこの如くにして、どちへ行くぞ。人はないか。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞやるまいぞ。

校訂者注
 1:底本は、柱に「狂言記」とあるが、本文は1903年刊『狂言全集』、1925年刊『狂言記』とは異なり、後年、鷺流の伝本を芳賀が校訂した『狂言五十番』(1926刊)と、ほぼ同文である。

底本『狂言二十番』(芳賀矢一校 1903刊 国立国会図書館D.C.

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