狂言二十番 08 長光(ながみつ){*1}

▲アト「これは、この辺りの者でござる。この間はいづ方へも行かねば、気が屈してござるにより、今日は町表へ参つて慰まうと存ずる。まづそろりそろりと参らう。誠に、遊山と申すものは、かねて期したるよりも、かやうにふと思ひ立つて出づるが、ひとしほの慰みかと存ずる。いや。何かと申す内に、これは早、まちおもてゞござる。まづ、売り物を見物致さう。
▲シテ「これは、この辺りで心の直にもない者でござる。今日は町表へ参り、似合はしい者も通らうならば、当たつて見ようと存ずる。この間は打ち続いて思はしうもござらぬにより、あはれ今日は、良いものに行き合ひ、ひと仕合せ致したい事でござる。いや。あれに何者やら、結構な太刀を提げて、売り物に余念もなう見入つて居る。これに、ちと当たつて見ようと存ずる。
▲アト「これは、何店ぢや。これは、物の本みせでござる。四書、五経、古今、万葉集、伊勢物語。色々、様々の本がござる。何を買はうと儘な事ぢや。これは、なにみせぢや。これは、呉服みせでござる。金襴、緞子、黄緞、せてん、綾、六糸緞{*2}、錦。何を買はうと儘な事ぢや。これは、から物みせでござる。茶碗、水差し、水こぼし。この釜は、見事な釜でござる。定めて芦屋釜でがなござらう。
▲シテ「芦屋釜でがなござらう。
あいつは目の鞘の外れた奴でござる。
▲アト「これは、何店ぢや。これは、子供のもて遊びみせぢや。起き上がり小法師、振り鼓。土で作つた人形もあるわ。《笑》
▲シテ「人形もあるわ。
▲アト「押すな、押すな。
▲シテ「押すな、押すな。
▲アト「やい。こゝな者。
▲シテ「何事ぢや。
▲アト「なぜに、某の太刀に手を掛くるぞ。
▲シテ「いやいや。これは某の太刀ぢや。こちへおこせ。
▲アト「いや。某のぢや。こちへおこせ、おこせ、おこせ。
▲シテ{*3}「こちへおこせ。
▲両人「やいやい。狼藉者。出合へ出合へ出合へ。
▲目代「やいやい。この治まつた御代に、汝らは何事をわつわと云ふぞ。
▲アト「これは、私の太刀でござるものを、かやつ{*4}がのぢやと申すにより、出合へ出合へと申してござる。
▲シテ「いやいや。これは、私の太刀でござるものを、かやつがのぢやと申すによつての申し事でござる。
▲目代「やいやい{*5}。その様に水掛け合ひの様に云うては、理非が知れぬ程に、批判を付くるまではまづ、これをば某に預けい。
▲アト「こなたは、いかやうなお方でござる。
▲目代「所の目代ぢやよ。
▲アト「それならば、こなたへ預けまする程に、必ずかやつに遣らせられて下されまするな。
▲シテ「いや。申し申し。それならば、こなたへ預けまする程に、構へてかやつに遣らせられて下されまするな。
▲目代「理非の付くまでは、どちらへも遣はす事ではない。まづ、両方へのいて居よ。
▲両人「畏つてござる。
▲アト「あのすつぱめが。
▲シテ「あの横着者めが。
▲目代「やいやい。最前は、何事をわつわと云うたぞ。
▲アト「まづ、お礼を申し上げまする。私はこの辺りの者でござるが、あの太刀を提げまして、売り物に余念もなう見入つて居つてござれば、あれ。あこなやつが、いつの間にやら参つて、私の提げて居る太刀を佩きまして、今となつて、かやつがのぢやと申しまする。大の横着者でござる程に、これをば、きつと仰せ付けられて下されませい。
▲目代「汝が口ばかりでは知れぬ。あれにも問うて見よう。
▲アト「ようござりませう。
▲目代「やいやい。最前は、何事をわつわと云うたぞ。
▲シテ「まづ、お礼を申し上げまする。私はこの辺りの者でござるが、あの太刀を佩きまして、売り物に余念もなう見入つて居つてござれば、あれ、あこな奴が、いつの間にやら参つて、私の佩いて居る太刀の足あひへ手を入れまして、今となつて、かやつがのぢやと申しまする。だいの横着者でござる程に、これをば、きつと仰せ付けられて下されませい。
▲目代「扨は、汝が主が定か。
▲シテ「中々。私のぬしが、ぢやうでござる。
▲目代「それならば、きつと云ひ付けてとらせう。それに待て。
▲シテ「畏つてござる。
▲目代「やいやい。あれが主ぢやと云ふに、何とてそちは理不尽な事を云ふぞ。
▲アト「あれが主ぢやと申さば、云はせても置かせられい。私の主の証拠には、あの太刀の国作を、空で悉く申しませうが、あれは主でない証拠には、え申す事はなりますまい。
▲目代「これは、いち良い証拠ぢや。さりながら、あの者にも問うて見よう。
▲アト「ようござりませう。
▲目代「やいやい。あれが主の証拠には、あの太刀のくにさくを、そらで悉く云はうと云ふが、汝も云ふか。
▲シテ「私の主でござる物を、申さいで何と致しませう。まづあれから云へと仰せられませい。
▲目代「心得た。
やいやい。あれも云はうが、まづ汝から云へと云ふわ。
▲アト「畏つてござる。まづ、あれは備前物でござる。備前にとつても長光。ながは長の字。みつは光、光ると申す字で、読み声までも覚えて居まする。
▲目代「一段とよう云うた。あれにも問うて見よう。
▲アト「ようござりませう。
▲目代「やいやい。あの太刀の国作を云うて聞かせい。
▲シテ「畏つてござる。まづ、あれは備前物でござる。備前にとつても長光。ながはちやうの字。みつはくわう、光ると申す字で、読み声までも覚えて居まする。
▲目代「汝もよう覚えて居る。
やいやい。あの太刀の焼きを云うて聞かせい。
▲アト「焼きでござるか。
▲目代「中々。
▲アト「まづ、鎺元より物打ちまでは、桜の花を重ねたやうに、くわつくわつと致いて、扨、それより末へは大のたれにのたれまして、切つ先となつて、焼き返しがくわつとござつて、さながら瘧りも落つる様な、見事な物でござる。
▲目代「心得た。
やいやい。あの太刀の焼きを云へ。
▲シテ「焼きでござるか。
▲目代「中々。
▲シテ「はゞき元より物打ちまでは、桜の花を重ねた様に、くわつくわつと致いて、扨、それより末へは、おほのたれにのたれまして、切つ先となつて、焼き返しがくわつとござつて、さながらおこりも落つる様な、見事な物でござりまする。
▲目代「やいやい。今度はあの太刀の地肌を云うて聞かせい。
▲アト「地肌でござるか。
▲目代「中々。
▲アト「物に譬へて申さうならば、霜月師走の氷の上へ、薄霜のさつと降り掛かつた様にござる。
▲目代「心得た。
やいやい。今度はあの太刀の地肌を云うて聞かせい。
▲シテ「地肌でござるか。
▲目代「中々。
▲シテ「物に譬へて申さうならば、霜月師走の氷の上へ、うすじものさつと降り掛かつたやうにござる。
▲目代「はて扨、汝もよう覚えて居る。これは、合点の行かぬ事ぢや。
やいやい。汝が云へば、あれも劣らず云ふにより、何とも理非が付きにくい。某の推量するに、汝が高声に云ふにより、かやつがゝどつて口真似をすると見えた程に、今度は、あの太刀の寸尺を、某にひそかに云うて聞かせい。
▲アト「これは、良い処へお気が付かせられてござる。これへござりませい。
▲目代「心得た。
▲アト「寸は、かやうでござる。
▲目代「心得た。
やいやい。あの太刀の寸を云うて聞かせい。
▲シテ「や。
▲目代「寸を云うて聞かせい。
▲シテ「寸でござるか。
▲目代「中々。
▲シテ「まづ、あれは備前物でござる。備前にとつても長光。
▲目代「いやいや。それは国作ぢや。寸を云うて聞かせい。
▲シテ「寸でござるか。
▲目代「中々。
▲シテ「まづ、鎺元より物打ちまでは。
▲目代「いやいや。それは焼きの事ぢや。寸を云うて聞かせい。
▲アト「申し申し。盗人に極まつてござる。
▲シテ「おのれが何を知つて。黙つて居よ。
▲目代「それならば、寸を云へ。
▲両人「寸を云へ。
▲シテ「物に譬へて申さうならば。
▲目代「いやいや。その事ではない。寸を云へ。
▲シテ「まづ、あれは備前物でござる。
▲アト「いや。その事ではない。寸を云へ。
▲シテ「鎺元より物打ちまでは、桜の花を。
▲目代「いやいや。その事ではない。寸を云へ。
▲シテ「物に譬へて申さうならば。
▲アト「いやいや。その事ではない。寸を云へ。
▲目代「寸を云へ。
▲アト「寸を云へ。
▲目代「寸を云へ。
▲アト{*6}「申し申し。佩かせられませい。
▲シテ「これは、何とするぞ。
▲両人「がつきめ。逃がすまいぞ。
▲シテ「面白うもござらぬ。
▲アト「あれ。ごらうじられませい。盗人にきはまつてござる。
▲シテ「真つ平許いて下されい、許いて下されい。
▲アト「あの横着者。逃がす事ではないぞ。
▲目代「あの人たらし。捕らへてくれい。
▲両人「やるまいぞやるまいぞやるまいぞ。

校訂者注
 1:底本は、柱に「狂言記」とあるが、本文は1903年刊『狂言全集』、1925年刊『狂言記』とは異なり、後年、鷺流の伝本を芳賀が校訂した『狂言五十番』(1926刊)と、ほぼ同文である。
 2:底本は、「五糸緞(むりよう)」。
 3:底本は、「▲アト「」。
 4:底本は、「彼奴(かやつ)」。
 5:底本は、「いやいや」。
 6:底本、ここに「▲アト「」はない。

底本『狂言二十番』(芳賀矢一校 1903刊 国立国会図書館D.C.

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