狂言二十番 10 瓜盗人(うりぬすびと){*1}

▲アト「これは、田舎に住居致す者でござる。某、田畑をあまた持つてござるが、この中は久しう見舞ひませぬ程に、今日は見舞はうと存じて罷り出でた。まづそろりそろりと参らう。世間に田畑をあまた持つた衆もござれども、中にも某の畑の様に、毎年良う出来るはないとあつて、皆の褒め物に致さるゝ事でござる。いや。参る程に、則ちこれが身共の畑でござる。扨も扨も、久しう見舞はぬ内に、殊の外よう成長致いた事かな。いや。瓜もよう色付いてござる程に、鳥けものゝ付かぬ様に、垣を結ひ、案山子を拵へて置かうと存ずる。見た処が一段と良い。又、明日見舞はうと存ずる。
▲シテ「これは、この辺りの者でござる。今晩、さるかたより夜ばなしに参れとあつて、人を越されてござる程に、参らうと存じて罷り出でた。まづ急いで参らう。遠路と申し、その上、野道をかけて参るは、斟酌にはござれども、思ひ寄つて人を越された事でござるによつて、かやうに参る事でござる。定めて皆、若い衆の待ち兼ねてござらう程に、急いで参らうと存ずる。いや。これに、見馴れぬ垣が結うてあるが、何畑ぢや知らぬ。まづ、ちとのぞいて見ませう。扨も扨も、良い香が致す。瓜畑さうな。これは、幸ひな事ぢや。これを一つ二つ取つて、今晩のもてなしに致したいものぢやが。やあら、何とせうぞ。いや。やうやう日も晩ずるにより、まづ、何かは知らず、この垣を破りませう。まづ、結ひ目を切らうず。かゝゝ。さらば、垣を破りませう。めりめり。ぐはさぐはさぐはさ。めりめりめり。扨も扨も、夥しう鳴つた事かな。誰も聞き付けはせぬか知らぬ。人が居たならば、咎めうが。誰も人は居ぬと見えた。某はうろたへた事を致いた。誰ぞ咎めうかと思うて、思はず知らず口を塞いでござる。《笑》扨も扨も、うろたへた事を致いた。まづ、垣を越えませう。いや。えい。扨も扨も、夥しい事かな。どれに致さうぞ。いや。これに致さう。いや。これに致さう。これは枯れ葉ぢや。どれに致さうぞ。これなどは良さゝうにござる。これも枯れ葉ぢや。はて。合点の行かぬ事でござる。何とした事ぢや知らぬ。いや。今、思ひ出いた。夜分の瓜を取るには、ころびを打つて取るが良いと申す。さらば、ころびを打つて取りませう。いや。えい。はや、これにござる。扨も扨も、これは見事な瓜でござる。いや。えい。これにもござる。《笑》これなどは、別して見事にござる。最前から、かやうに致せばようござつたものを。何程取らうと儘な事ぢや。いや。えい。
はあはあはあ。真つ平、ご許されませい。私は、瓜盗人ではござりませぬ。道に踏み迷うて参つてござる。まつぴらご許されませい。申し申し。その様にふすべさせられたものではござりませぬ。許すとなりと、許すまいとなりとも、有無を仰せられて下されませい。や。申し。その様に黙つてござつては、何とも迷惑にござる。この上は、七重の膝をやへに折りましても、お詫びを申さねばなりませぬ。真つ平ご許されて下されませい。や。申し申し申し。
これはいかな事。人かと存じたれば、あれは案山子でござる。扨も扨も、腹の立つた事かな。よしない案山子に降参を致いた。憎さも憎し。致し様がござる。まづ、この案山子を打ち崩いてのけう。瓜蔓をも、かう引きかなぐつてのけう。これこれ。これでこそ腹がいたれ。いやいや。かやうの所に長居はいらざるものぢや。定めて、いづれも待つてござらう。急いで参らうと存ずる。はて扨、よしない事に手間を取つてござる。
▲アト「今日も畑へ見舞はうと存ずる。これはいかな事。何者やら、垣を破つて置いた。合点の行かぬ事ぢや。これはいかな事。瓜蔓も引きかなぐつてあり、殊にこれは、案山子まで引き崩いて置いた。扨も扨も、憎い事かな。定めてこれは、鳥類畜類のわざではござるまい。瓜盗人が這入つたものでござらう。扨も扨も、腹の立つ事でござる。何とぞして、この盗人を見顕はしたいものぢやが。何とせうぞ。いや。思ひ出いた。かやうのものは、又、重ねても参るものでござる程に、今度は某の案山子になつて、きつと見顕はさうと存ずる。扨も扨も、腹の立つ事でござる。今度参つたならば、きつと見顕はして、只置く事ではござらぬ。これこれ。これで一段とようござる。
▲シテ「急いで罷り帰らうと存ずる。それについて、夜前、瓜を持参致いてござれば、亭主をはじめいづれも、殊の外風味の良い瓜ぢやとあつて、褒め物に致されてござる程に、又、戻りにも一つ二つ取つて、宿への土産に致さうと存ずる。いや。何かと申す内に、これは早、夜前の畑でござる。まだ瓜主が見舞はぬと見えて、垣もその儘ござり、瓜蔓もその儘ござる。これはいかな事。瓜主が見舞うたやら致いて、又、案山子がしつらうてある。はて扨、性懲りもない者がござる。殊にこれは、上手の作つた案山子でござる。さながら正真の人の様にござる。いや。あの案山子が人に似たについて、思ひ出いた。重ねての狂ひには、鬼が罪人を責むる体もあり、その外色々のまなびをして遊ばうと仰せられた。自然、某が鬼の役に当たるまいものでもござらぬ程に、あの案山子を罪人の心に致し、某が鬼になつて、ひと責め責めて見ませう。さりながら、この辺りに竹杖はないか知らぬまで。幸ひ、これに竹杖がござる。これを鉄棒の心に致いて、ひと責め責めて見ませう。
いかに罪人。急げとこそ。《笑》
何程責めても人形ぢやによつて、責めぢからがない。又、鬮取りの事なれば、自然、某が罪人の役に当たるまいものでもござらぬ程に、今度はこの案山子を鬼に致し、某が罪人になつて責められて見ませう。
あら悲しや。これ程参り候ふ程に、さのみな御責め候ひそ。行かんとすれば引きとむる。止まれば杖で丁と打つ。
これはいかな事。止まれば杖で丁と打つと謡うたれば、謡に合はいて丁と打つたが。合点の行かぬ事でござる。風のしつらひでもござるか。引けばうつむく、緩むれば仰向く。引けば俯く、緩むれば仰向く。引けば俯く、緩むれば仰向く。《笑》扨も扨も、上手の作つた案山子でござる。これでは丁と打つたも道理でござる。今一度責められて見ませう。
行かんとすれば引き止むる。止まれば杖で丁と打つ。
▲アト「がつきめ。逃がすまいぞ。
▲シテ「南無三宝、騙された。まつぴら許いてくれい、許いてくれい、許いてくれい。
▲アト「おのれは憎い奴の。よう某の瓜を取つたな。横着者。どちへ行くぞ。人はないか。捕らへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。

校訂者注
 1:底本は、柱に「狂言記」とあるが、本文は1903年刊『狂言全集』、1925年刊『狂言記』とは異なり、後年、鷺流の伝本を芳賀が校訂した『狂言五十番』(1926刊)と、ほぼ同文である。

底本『狂言二十番』(芳賀矢一校 1903刊 国立国会図書館D.C.

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