狂言二十番 14 栗焼(くりやき){*1}
▲主「これは、この辺りの者でござる。召し使ふ者を呼び出いて、見する物がござる。
太郎冠者。居るかやい。
▲シテ「はあ。
▲主「あるか。
▲シテ「お前に。
▲主「汝を呼び出すは、別の事でもない。ちと見する物がある程に、それに待て。
▲シテ「畏つてござる。
▲主「やいやい。只今、さるかた方より重の内を貰うたが、何であらうぞ。推量して見よ。
▲シテ「されば、何でござらうぞ。蜜柑ではござりませぬか。
▲主「いやいや。
▲シテ「葡萄か、梨の類でござりませう。
▲主「いや。こりやこりや。見よ。栗ぢやわ。
▲シテ「扨も扨も、見事な栗かな。かやうの大きな栗は、つひに見ました事がござりませぬ。
▲主「それについて、不思議な事がある。かやうな物を下されようならば、三十か五十下されう筈ぢやに、四十あるが、合点の行かぬ事ぢや。汝、ちと考へて見よ。
▲シテ「されば、何と致いた事でござらうぞ。いや。申し。私のめでたう判じましてござる。あなたとこなたと、始終仰せ合はされうとの下心でがな、ござりませう。
▲主「これは、よう推量した。さうでがなあらう。扨、幸ひな事がある。今晩、客来を申し受くるによつて、この栗を出したう思へども、客は七、八十人程あり、栗は只四十ならではないが、これをもてなす分別はあるまいか。
▲シテ「これは又、格別な儀でござりまするが、何と致いたらば、おもてなしになりませうぞ。申し。良い事がござりまする。
▲主「何とするぞ。
▲シテ「まず、それを火取りまして、大薬研へ入れて、ぐわらりぐわらりと下ろいて出させられたならば、七、八十人の事は扨置きまして、二百人にも三百人へも出させられませう。
▲主「はて扨、むざとした事を云ふ。それではこの栗の見事なが、賞翫にならぬよ。
▲シテ「扨は、その栗の見事なを、ご賞翫にとある事でござるか。
▲主「その通りぢや。
▲シテ「これは又、何と致いたものでござりませうぞ。いや。申し。致し様がござる。まづ、それをとつくりと火取りまして、扨、ぬる湯にて洗ひ上げ、それを銀の鉢かなどに入れて、お座敷へ出させられたならば、参るお方も参らぬお方も、やれやれ。見事な栗かなとあつて、一同にお褒めなされたならば、いづれも様へのおもてなしになりませう。
▲主「これは一段と良からう。それならば、火取りにやらう。
▲シテ「良うござりませう。
▲主「則ち、汝に云ひ付くる。
▲シテ「畏つてござる。
▲主「云ふまではなけれども、数の揃うたものぢや程に、随分念を入れて火取つて来い。
▲シテ「何が扨、畏つてござる。
▲主「早う火取つて来い。待つて居るぞ。
▲シテ「はあ。
これは難しい事を仰せ付けられた。扨、どこ元で火取らうぞ。お次で火取つたならば、いづれもの何かと仰せられては、いかゞな。づゝとお末へ持つて参り、火取らうと存ずる。いや。これなる囲炉裏に幸ひの火がある。こゝで火取りませう。まづ炭を継がう。ぐはらぐはらぐはら。じようが立つ。おゝ。おこるわ、熾るわ、熾るわ。さらばくべませう。おゝ。火取れるわ、火取れるわ、火取れるわ。ぽん。《笑》これはいかな事。したゝかに飛んでござる。栗を焼くには、芽を取つてくぶるはずを、はたと失念致いた。さらば、芽を取つてくべませう。これでは中々、跳ぬる事ではござるまい。おゝ。火取れるわ、火取れるわ、火取れるわ。最前の処は、大方良うござらう。これも良い、これも良い、これも良い。《笑》あゝ。あつやの、熱やの。《笑》手を焼いた。はて扨、粗相な事ぢや。扨も扨も、火取つたれば、ひとしほ見事な栗ぢや。狐色と申すはこれでござる。これなどは、別して見事な栗ぢや。もはやないさうな。まんまと火取つてござる。急ぎお目に掛けて、御感に預からうと存ずる。扨も扨も、心地良い事かな。あゝ。これを一つ、試みを致したい事でござるが。さりながら、数の揃うたものぢや程に、念を入れいと仰せられたによつて、喰うてはいかゞな。只持つて参らう。さりながら、自然どなたぞ、この栗の風味は何とあるぞと仰せられた時、いや。何とござるをも存ぜぬと申しては、いかゞな。その上、一つばかりは苦しうござるまい。たべて見ませう。扨も扨も、旨い事かな。これは一つでは堪忍がならぬ。も一つたべう。これは風味の良い栗ぢや。手も離さるゝ事ではござらぬ。も一つたべう。おとがいが落つる様な。むゝ。旨い事ぢや。ほう。これはいかな事。口当たりが良さに、一つ喰ひ二つ喰ひ、皆に致いた。何としたものでござらうぞ。いや。頼うだお方は、どこやらがづゝとお正直な程に、面白可笑しう申し上げて置かうと存ずる。
申し。頼うだお人。ござるか。ござりまするか。
▲主「いや。太郎冠者が栗を火取つて参つたさうな。太郎冠者。火取つて来たか、火取つて来たか。
▲シテ「ござるか、ござるか。ござりまするか。
▲主「何と、栗を火取つて来たか。
▲シテ「さればその御事でござる。仰せ付けられた栗を火取らうと存じて、お次へ参つてござるが、自然、若君様方の御らうじられて、何かと仰せられてはいかゞぢやと存じまして、づゝとお末へ参り、まんまと焼き栗に致いて、これへ持つて参れば、あとから、太郎冠者、太郎冠者と呼びまするによりて、後ろをきつと見てあれば、もうせん頭に戴き、鬢髪に黒き髪もなき老人と老女と、夫婦来り給ひて、我はこれ竈の神、三十四人の父母なり。汝、栗をくれいよ。栗をくれたらば富貴になすべしと、事詳しくものたまへば、あら尊やと思ひて、夫婦に栗を奉る。いや。申し{*2}。竈の神の出でさせられてござる。
▲主「何ぢや。かまどの神の出でさせられた。
▲シテ「中々。
▲主「はて扨、それはめでたい事ぢやな。
▲シテ「中々。めでたい事でござる。又、あとが殊の外賑やかにござるによりて、立ち帰つて見てござれば、三十四人の公達だちの、おぐしをからこに揃へさせられたもござり、或いはふきあげなどに結ばせられて、やいやい。太郎冠者。とゝかゝにはおませて、何とておれらにはくれぬぞ。くれい、くれいと仰せられて、何が優しい楓の様なお手を出させられまするによつて、何が進ぜいでは置かれましてこそ。ようこそ仰せられたれ。頼うだ人、息災延命に守らせられい。進上、進上、進上と申して、三十四人のきんだちだちに、残らず進じましてござる。
▲主「それはよう進じました。扨、残つた栗は何としたぞ。
▲シテ「いや。残つて何があるものでござる。
▲主「いや。残る筈ぢや。まづよう聞け。三十四人の公達だちに三十四、夫婦に二つ。残つて四つある筈ぢや。こちへおこせい。
▲シテ「それは、こなたの算用がぬるうござる{*3}。まづ、夫婦に二つと仰せられませい。
▲主「夫婦に二つ。
▲シテ「三十四人の公達だちに三十七、八なれば、残つて何がござらうぞ。
▲主「いやいや。残つて四つある筈ぢや程に、こちへおこせい。
▲シテ「その中には確か、虫喰ひもござりました。
▲主「多い内ぢや程に、一つやなどはあるまいものでもない。それならば、残つて三つあらう程に、早うおこせい。
▲シテ「いや。申し。かやうの事に付きまして、栗焼く言葉がござるを、御存じでござるか。
▲主「いや。知らぬよ。
▲シテ「申して聞かせませう。
▲主「云うて聞かせい{*4}。
▲シテ「栗焼く言葉には、栗焼く言葉には、逃げ栗、追ひ栗、灰まぎれとて、三つは失せて候はず。お主ごぜんのご心中、お恥づかしう候ふ。
▲主「何でもない事。あちへうせう。
▲シテ「はあ。
▲主「まだそれに居るか。
▲シテ「はあ。
校訂者注
1:底本は、柱に「狂言記」とあるが、本文は1903年刊『狂言全集』、1925年刊『狂言記』とは異なり、後年、鷺流の伝本を芳賀が校訂した『狂言五十番』(1926刊)と、ほぼ同文である。
2:底本は、「いやもし」。
3:底本は、「ぬるござる」。
4:底本は、「いうて聞(きか)せ」。
底本『狂言二十番』(芳賀矢一校 1903刊 国立国会図書館D.C.)
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