狂言二十番 19 塵塚(ちりづか)

▲ワキ「《次第》塵の世なれど捨て難き、塵の世なれど捨て難き、箒木や心なるらん。
《詞》これは、西国方の者なるが、我未だ東国を見ず候ふ程に、この度思ひ立ちて候ふ。
《道行》塵ひぢや、苔の滴り積み積もり、山路船路を遥々と、名にのみ聞きし湖を、左に見つゝ磨針の、峠越ゆれば染色の、赤坂にこそ着きにけれ、赤坂にこそ着きにけれ。
《詞》これは早、日の入りしほに松原に着いてござる。所の人に尋ねうと存ずる。
いかにこの所の人のござ候ふか。
▲間「所の者と御尋ねは、いかやうなる御用にて候ふぞ。
▲ワキ「さん候ふ。これは西国がたの者なるが、この所は何と申したる所にて候ふぞ。
▲間「これこそ赤坂と申し候ふよ。
▲ワキ「扨は、聞き及びし赤坂にて候ふかや。
▲間「御宿をも貸し申すべく候ふ。
▲ワキ「成程、宿をも取り候ふべし。まづこの所にて経念仏して参らうずる。
▲間「左様に候はゞ、後程御迎へに参らうずる。
▲ワキ「扨はこの松原は、聞き及びしその古への、熊坂の長範が旧跡なり。いざや弔ひ申さんと、座具を延べ、すり火打ち、焼香をくべて懇ろに、十方微塵世界度衆生、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏。
▲シテ「ありがたや。塵の浮世の塵故に、散り散りになる木の葉掻き、落ち葉を何と思ふ人もなき身なるぞや、よくよく弔ひ給へよと。
▲ワキ「不思議やな。萩薄の生ひ茂りたるその中より、そのさま老いたる人影は、いかさま手向けし熊坂の。
▲シテ「いやとよ、その長範は、今は西方浄土の住居、故もゆかりもこの野になし。
▲ワキ「扨、御身はいかなる人ぞ。
▲シテ「只今お僧の回向のもんに、微塵世界の塵の字は、塵より起こる妄執の、心を晴らし申さんため、これまで顕はれ出でたるなり。
▲同音「弔ひてたび給へ。重ねて姿を顕はし、山やまたに谷散り積もる木の葉の数々、詳しく語り申さんと、云ふかと聞けばその儘、叢に隠れ失せにけり、叢に隠れ失せにけり。
▲間「最前の御僧を御迎へに参らうと存ずる。さればこそ、これに候ふ。
何とて日の暮れて候ふに、茫然としてござ候ふぞ。
▲ワキ「ちと尋ねたき事のある間、近う寄りて給はり候へ。
▲間「何事にて候ふぞ。
▲ワキ「この松原において、古への長範に劣らぬ人のこれあり候ふか。
▲間「あゝ。こゝな御僧は。この太平の御代に、左様の者のあるべきか。いや。誠、今思ひ出いた。この所に駒坂と申す者のありしが、総じてこの所は山野ばかりなれば、木の葉を掻きて世を渡る者あまた候ふ。かの駒坂、或る小童と木の葉の争ひをなし、つひに空しくなりて候ふが、この者命終はる時、長範の事を申し出だしたると承り候ふ。扨、御僧には、何と思し召し御尋ね候ふぞ。不審に存ずる。
▲ワキ「尋ね申す事、余の儀にあらず。最前、この所は古へ熊坂の長範の旧跡と存じ、回向申し候へば、そのさま興がる老人、この叢の内より出で、長範は今は西方浄土にまします。我を弔ひ給へと、微塵世界のもんを唱へ、これなる薄の中に隠れて候ふ。誠に物語の如く、塵より起こる妄執と申し候ふ間、暫くこの所に罷りあり、かの跡を弔ひ、その後参らうずるにて候ふ。
▲間「御尤にて候ふ。
▲ワキ「塵の浮世は塵のみぞ、塵の浮世は塵のみぞ、猶積もるなる秋風の、吹くにつけても落ち葉かく、弔ふ法ぞ殊勝なる、弔ふのりぞ殊勝なる。
▲後シテ「掃けども掃けども落ち葉かく、成り果てし身の恥づかしさよ。
▲ワキ「不思議やな、この叢の草深き、中より顕はるゝ人影は、その古への熊坂の長範が年延へ、なりふりなり。
▲シテ「おう。それは熊坂、我は駒坂。かれは熊手に引き掛けて、栖長きしわざ、我は馬鍬に木の葉掻く、この赤坂を老いの坂と一緒に、人の異名して駒坂とこそ呼び給へ。
▲ワキ「げにげに、聞けば理なり。ありし昔を懺悔して、仏果を得給へとよ。
▲シテ「いでいで、さらば語り申さん。
昔語りの言の葉草、積もる思ひを秋風の、法のみ声に吹き混ぜて、散り敷く木の葉叢に、草刈りわつぱの年程十五、六、目の内人に優れたるが、人に優れて木の葉掻く。我が子や孫の友どちも、わらんべながらひとこぶし、覚えありつる者どもが、彼に負けじと一同に、木枯らしの音さつとすれば、時分は良きぞ早掻けと、云ふこそ程もなかりけり。
▲同音{*1}「皆我先にと木の葉掻きを、打ちかけ打ちかけ乱れ掻く。勢ひは、鷲、熊鷹の、爪も立つべきやうぞなき。草刈りの小童、少しも驚く気色なく、こまざらへをおつ取り、地団駄踏ん張りころび打ち、飛び上がり走り廻れば、こらへず、並びて進む十四、五人、同じ廻りに掻き伏せられ、木の葉を奪はれほうほう逃げて、籠を破られ手ぶりさこにて走るもあり。
▲シテ「駒坂思ふやう。
▲同音{*2}「駒坂思ふやう、この者どもを目の下に掻くは、いかさま竜の爪か、人爪にてはよもあらじ、木の葉も籠のありてこそ、あら枝葉や行かんとて、馬鍬杖に突き、後ろめたくも引きけるが。
▲シテ「駒坂云ふやう。
▲同音{*3}「駒坂云ふやう、ものものし、そのわつぱ、かくと云ふともさぞあるらん、駒坂馬鍬のあらん程は、いかなる天狗、鷲の爪をも宙に引つ掻き、木の葉と共に掻き散らし、掻かれたる者どもの、いざや恥辱をすゝがんとて、道より取つて返し、例の馬鍬引きそばめ、萩薄を小楯に取つて、かの小童を狙ひけり。草刈りのわつぱゝ見るよりも、木の葉掻きを引きそばめ、物あひ少し隔てゝ待つ。駒坂も馬鍬を構へ、互にかゝるを待ちけるが、いらつて駒坂左足を踏み、岩石も崩すばかりに、打ち掻く馬鍬を引つ外し、弓手へ越せば、追つ駈けすかさず掻く馬鍬に、ひらりと乗ればはね返し、しさつて引けば馬手へ越すを、おつ取り直してどうと掻けば、宙にて結ぼる木の葉掻きを、引つ掻き払へば跳び上がつて、その儘見えず。こゝやかしこと尋ぬる処に、思ひも寄らぬ後ろより、足を引つ掻き打ち倒せば、こはいかに、あのわつぱに掻かるゝ事の腹立ちさよと云へども、天然の老いの極めぞ無念なる。
▲シテ「掻き物わざにて叶ふまじとて。
▲同音{*4}「手取りにせんとて馬鍬を投げ捨て、大手を広げてこゝの叢、かしこの木陰に追つ駈け追つ詰め取らんとすれども、電光石火、朝開暮落の朝顔の、つひに命を失ひし、木の下蔭の苔の下、よく弔ひてたび給へと、木枯らしの音に、木の葉も散り散りに、ちり積もる掃き溜め山とぞなりにける。

校訂者注
 1~4:底本、ここに「▲同音「」はない。

底本『狂言二十番』(芳賀矢一校 1903刊 国立国会図書館D.C.

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