水道拡張と下水の改良
市区改正に続いては、水道の拡張、下水の改良等に着手した。水道拡張は、技術家の設計を信頼しその計画を実施したけれど、その後に旱魃が続いて、断水の憂ひなどが起こる状態になつたこともあつて困つた。又下水の改良もなかなか困難な事業であつた。
私の就職当時は、山の手には下水道がなく、下水はすべて局部々々に放任して、地中に浸み込ますべき趣向になつて居た。それで下水道を山の手に造らせて見たが、その不潔な水は、下町の方に流れて来る。そのために不潔な河川がますます不潔になつて、悪臭紛々として鼻を衝き、夏分などは、ほとんど堪へ{*1}られない状態になつた。ことに西洋館がふえて、西洋式の便所から放流される不潔物が、これに拍車をかけるといふ有り様であつた。帝国ホテルの後ろにある河川の如きは、俗にお歯黒どぶと言はれた程で、目も当てられないほどの醜状を呈してゐた。特別の貴賓を帝国ホテルに迎へる時には、それがいつも問題となつた。私はやむを得ず一時かの方面を締め切り、そこに上水を湛へて{*2}、お歯黒どぶを隠さう{*3}と考へたこともあつた。又下水道を造るにあたつても、その水量に違算を生じ、せつかく造つた暗渠の如きは、小さすぎて用をなさない場所が出来た。
東京にも久しき以前から、気象台があつて、降雨の分量については、一通りの統計が出来てゐた。技師はこの統計を基礎に最大雨量と、平生流れる下水の分量とを加算し、なほ相当の余裕を加へて、暗渠の大きさを定めたのであるから、下水が溢れる筈はなかつた。しかし実際下水は溢れて、道路が河となることが、たびたびあつた。その原因は当時東京の人々が、溝渠に塵芥を捨てる悪癖があつたのと、統計上に違算が生じた結果に在つた。
いさゝか余談ではあるが、当時気象台の統計は、たいてい時間によつて計算してある。即ち一時から二時までの雨量、或は三時から四時までの雨量といふ風に時計の時間で統計を取つて居た。ところが雨は時計の時間通りに降らず、夜半の一時に降り出して、一時間も経たないうちに止んでしまふこともあり、又もつと長く降ることもあつて、その降り出し降り止む時間が、極めて不規則である。故に同じ一時間の雨量でも、時によつては非常な相違がある。それを知らずに、時計の進行通り、規則正しく降るものとして、雨量を計算し、下水道を計画したから、実際に直面すると、役に立たぬやうなことになつたのだ。「統計ほど信頼すべきものはないと同時に、また統計ほど険呑なものはない。」と当時は熟々感じた事である。
道路の改装にも種々の思ひ出がある。今日では東京の隅々まで舗装道路で、素晴らしく立派になつてゐるが、以前は人の歩く道ではなかつた。天気になれば、塵埃が飛び、雨が降れば、泥濘の海となるといつた状態で、私は「是非これを改良せねばならぬ」と思ひ、種々試験した。即ち木道、アスハルト道、砕石道等、そのいづれがよいかを試験するために、種々の道路を少しづつ造つて見た。本郷大学前や、神田方面に在つた木道や、アスハルト道は、その一例である。
この路面改良について、笑話がある。私が市長就任頃、銀座の宗十郎町辺であつたと思ふが、裏通りとしてはかなり繁華な道路を改良するために、大層多く砂利が盛られてあつた。それがために、車馬はもちろん、歩行も困難で、ほとんど人通りが絶えるほどであつた。「砂利を置いたらすぐローラーをかければよい」と思つて、そのことを係{*4}の技師に注意し、ついでに、
「なぜ砂利を盛りつぱなしにするのか。」と尋ねたら、
「通行人の足で踏ませるのが、道路のためにもよく、又経済的でもある。」と平気な顔で答へた。私は驚いて、
「道路は何のために改良するのか。犬猫のためか、牛馬のためか。通行人をば道路を造る道具に使ふとは、不思議な考へ方だ。」
と云つたら、技師は呆然として、答ふるところを知らぬといふ風態だつた。
そこで私は市会に提案して、蒸気ローラーを一挺買ひ入れることにした。さてこれを使はせよう{*5}とすると、技師はなかなか使はない。その理由の一つは、重い蒸気ローラーは、東京の各所に在る橋を通らせることが出来ない。強ひてこれを通らせると、その橋を毀してしまふ憂ひがあるといふことであつた。いかにも左様な不完全な箸はあるやうだ。しかしローラーの通行させることの出来ない橋では、橋として値打ちがないのである。私はそんなことで、ローラーを使用せぬのは不都合だと思ひ、しばしば技師を督促して使はせよう{*6}とした。
私が命を下すと、市長室の窓の下でガラガラ音をさせて、しきりに蒸気ローラーを引き廻す。「ハア使つて居るな。」と安心して、しばらく他の事務に気を取られ、その事を忘れて居ると、再びこれを使はずに、片付けて置く。叱れば、引き出して、窓の下で、ガラガラ音をさせる。それだけで本当には使はない。のみならず、私が知らぬ間に、市会は蒸気ローラーの運転費を、予算から削除してしまつた。変だと思つて、調べて見ると何の事だ。市会の関係者で、多摩川砂利会社に大分の資本を下してゐるものがゐる。しかるに、この多摩川砂利にローラーを掛けると、大部分は粉になつて、道路用砂利としては、適当でないことが分明した。さうなると{*7}、その利害関係の及ぶところが、なかなか広い。これが直接間接に、技師を動かし、市会を動かし、遂に蒸気ローラーの運転費までも削除してしまひ、せつかく買ひ入れたローラーを立ち腐れにする最大原因となつたのだ。
後年東京市に、砂利喰ひ事件といふ疑獄が起こつた遠因は、源をこゝに発してゐたのである。
道路改良エピソード
東京の道路改良については、その反対者が、非常に多かつたから、私は日英博覧会が、ロンドンに開かれるのを機会に、市会議員の有力者を欧米の都市視察かたがた派遣する事を考へ、市から補助して、視察員を数名出すことにした。私もそれと相前後して、欧米漫遊に出かけた。視察員には、出来るだけ道路を視察させるやうに、案内者に頼んで置いたから、その人達が帰朝したら、道路改良に一肌脱いでくれるだらうと、心ひそかに楽しんでゐた。しかるに何ぞ図らん。視察員等の報告を見ると、「道路の改良不必要」といふのであつた。その理由がふるつてゐる。曰く、
「そもそも東西の文明は、その根底が異なつてゐる。欧米の文明は、単純を主とし、東洋文明は複雑を主とする。随つて道路の如きも欧米人は、常に靴のみを穿いて、降つても照つても同じ靴で歩くのである。座敷に上がる時も靴を脱がないから、これに適する様に道路は出来てゐるが、これに反し我が国では、雨の日は足駄を、お天気には日和下駄、座敷に上がる時は、これを脱ぐ。かく極めて複雑かつ高尚優雅な風習を持つてゐる故に、座敷に上がる時にも、靴を脱がなくてよいやうな西洋流の道路を造る必要はない。」
これが大体の論旨で、この報告を見た市会議員の多数は、感心し、
「いかにもさうだ{*8}。もし市長の主張通り道路を改良せば、東京中の下駄屋は失業する。」と云つたやうな議論が出た。実に抱腹絶倒の至りであつた。こんな市会議員を相手にするのだから、道路に限らず、他の仕事もなかなか困難であつた。
道路の改良と同時に、道路の両側に樹を植ゑる{*9}ことも、大部分は、私が在職中の仕事であつた。一寸考へると、街路樹などは柳、或は桜、何でもよいやうに見えるが、さう{*10}はいかない。随分苦心の上長い年月を要して、西洋輸入の路傍樹を種から仕上げて、植え付けたものである。ついでに今日華盛頓の名物となつてゐる桜について書かう。
日露戦争の際に米国は日本に対して、多大の好意を示した。ことに米国財界の有力者シツフ氏の如きは、我が外債の募集に関し、非常に尽力してくれた。これはシツフを初め米国金融界の有力者にはユダヤ系の人が多く、当時露国がユダヤ人を非常に虐待してゐたので、「この時」とばかり、日本の外債に好意を寄せて、間接に露国に復讐したのである。
この親切に対し、相当な謝意を表したいと思ふ心は、我が同胞の中にかなり強かつた。あたかもよし、時の大統領タフト氏夫人の発起で、華府のポトマツク河畔に、日本の桜樹を移植しよう{*11}といふ企てがあつた。私はよい機会と思ひ、東京市からこの桜樹を寄贈すべく市会に諮つたところ、大賛成であつた。そこでとりあへず長さ七八尺ぐらゐの若桜を、三千本寄贈することに決定し、相当な専門家に依頼して、その手続きを運んだ。米国大使館でも、喜んで種々便宜を与へてくれた。
しかるにその桜が、亜米利加西海岸に到着すると、米国政府は全部これを焼き棄てゝしまつた。その事情は当時の米国代理大使から聞いたが、米国農務局の役人が、桜樹を検査したところ、害虫やその卵やその他種々の黴菌がその全部に附着してゐたので、一本も残さず焼いてしまつたとのことだつた。代理大使は、この話をいたく恐縮しながら、包まず話されたので、私は、
「桜の木を滅却し、しかも包まずその事実を語るのは、ワシントン氏以来の米国の伝統的やり方である、決して心配には及ばぬ。」
と戯れた。有名な「ワシントンと桜の木」の昔話を思ひ出して話したのである。それで代理大使はやつと安堵の胸を撫でおろしたやうであつた。
私は、桜に害虫の附着してゐることは、夢にも知らなかつた。後で聞いたことだが、当時我が国の田畑には、害虫や黴菌のゐない所は、なかつたさうだ{*12}。それで、日本で栽培した樹木には、大抵毒素が附帯して居たのだ。こんなことで、桜の寄贈は失敗したが、このまゝやめては、せつかくの好意が、先方に徹底しないから、今度は出来合ひの樹を買ひ入れずに、農商務省所管の消毒した畑に桜の実を蒔いて、新たに芽生えの苗を作つてもらふことにした。三年目に漸く苗が揃つてから、あらためて又送つたところ、今度は立派に検査を通過し、それがポトマツク河畔に植ゑられた。
その後私は二、三回、しかも桜の咲く頃華盛頓に遊んだが、いかにも見事に成長してゐる。今日どういふわけで、日本の桜がこゝに栄えて居るのか、多くの人々は知らないやうだが、せめてこの桜は東京市の寄贈であることを明示して置いたら、よささうな{*13}ものだ。こんな来歴が分かつたら、見物人の感興を一層多く引くことと思ふ。


電車買収と瓦斯合併
私が市長在職中になした仕事の中、最も重大なものは、電車の買収である。
世間では、私が電車会社に関係ある星派の残党、その他経済的有力者から致されて、この仕事に賛成したやうに言ひなし、かつ信じて居る者が多いやうだが、実際は全然それと正反対である。元来当時の電車会社は、星派の残党が、市会を操縦する手品の種箱であつた。電車市有と云ふ声が揚がれば、株が上がる。やめたと言へば下がる。それの思惑によつて、一攫数十万円の金を得て、これを市会議員や参事会員の操縦費に使ひ、甚だしきに至つては、その金を以て帝国議会の問題にまで干渉するほどの勢ひであつた。いかなる敏腕の市長があつても、この手品の種箱を彼ら一派が掌握してゐる以上、その手腕を自由に振るふわけには行かぬ。イザと言へば、数十万円の金が動いて市会議員も参事会員も、彼ら一派の自由になる。市政腐敗の最大原因は、こゝに在つたのだ。私はこの手品の種箱を取り上げてしまはなければならぬと考へた。
これに対し、星派の残党達は多少高く買ひ上げられても、売つてしまへば、それまでで、これを手品に使ふことは出来ないから、強く反対した。それだのに、世間では、私が彼らの手先になつて、電鉄買ひ上げを策したかの如く信じてゐるのだから、世の中は実に不思議なものである。それに政府もその一派の宣伝に乗つて、私の計画した電車市有案には、いつも耳を傾けなかつた。しかるに前にも述べた通り、政府は在外正貨の涸渇で、その補充に苦心してゐた折柄、私が外債による市電買ひ上げを計画したものだから、目的は違つたけれど、外貨を要求する点だけは一致し、政府も遂に私の案を援助してくれたのだ。
当時星派の残党の牛耳を執つてゐたのは、利光鶴松君で、この人がなかなか大げさな計画を持つて私に対抗して来た。当時東京市には、二つの電車会社があつて、初めは互に敵視してゐたが、後には気脈を通じて、一緒になつた。又それに電力を供給する鬼怒川電気会社も、その仲間の手中に在つた。東京瓦斯株式会社、京王電車、京成電車も、彼らの勢力の下に在つた。東京電灯会社は甲州派のものであつたが、これまた彼らと気脈を通じてゐた。右の大小七会社が互に気脈を通じ、一大機関銀行を創立して、この方面から東京市を全然掌中に収めよう{*14}と計画してゐた。
こんな場合であるから、世間で電車市有の主唱者と思つて居た連中は、市有に賛成どころか、ひどく反対した。私は反対されゝば、されるほど、是非共電車だけは、彼らの手から取り上げたく思つた。このため彼らと私とは、暗々裡に衝突し、事すこぶる面倒となつた。しかし、政府が他の目的から手伝つてくれたので、私は多年の宿望を達し、一億円で電車を、買収することが出来た。この価格は、高すぎるといふ説もあり、私自身も、余り安い買ひ物とは、思はなかつたが、少しぐらゐの安い高いで、この計画が、全部不成立になつてしまへば、東京市は彼ら一派に掌握されて、手も足も出なくなる。かく考へたから、断然電車を買収し、彼らの勢力を打破することにした。果たせるかな、東京市を自由に切り廻してゐた利光一派は、その後手も足も出せなくなつてしまつた。
瓦斯会社の合併も私の市長時代であつた。東京市には新旧二つの瓦斯会社があつて、互に競争してゐた。二重の資本を投下するのも、馬鹿げたことであつたが、それよりも鉄管を二つの会社が別々に埋めるため、道路は悪くなつて、東京市の迷惑は甚だしかつた。それで二会社の合併問題が起こりかけてゐたので、私はその機会を捕らへて、市民と会社と双方の利益を一致せしむる方法を考へた。それには欧米でやつてる「スライヂング・スケール」を採用するのが、最も妥当と思つた。
当時私は会社の株主配当を九朱と定めたが、それはいくらでもよろしい。その標準率以上に配当を増やさう{*15}とすれば、瓦斯の値段を安くせねばならぬ。瓦斯の値段を高くしよう{*16}とすれば、株主配当を減らすべしと云ふのであつて、ちやうど尺度を上下するやうに配当率と瓦斯の値段を正反対に調節して行くのだ。かくすれば会社に損をさせることもないし、市民も高い瓦斯を売り付けられて苦しむこともない。もし会社が苦しめば市民も苦しむのだから、その利害は共に一致する。
これが「スライヂング・スケール」である。私は欧米におけるその実績のよいのに力を得て、なかなか強い反対もあつたが、会社の合併條件として、会社の配当標準率を九朱に定め、瓦斯料の上げ下げは、配当の増減と反比例する事を命令した。しかるに私の退任後はどういふ訳か、市はこの命令書を実行しなかつた。後に瓦斯疑獄が起こつたが、畢竟この「スライヂング・スケール」を実行しなかつた結果であらう。
校訂者注
1:底本は、「堪(た)え」。
2:底本は、「湛えて」。
3:底本は、「隠そう」。
4:底本は、「掛り」。
5・6:底本は、「使はせやう」。
7・8・10・12・13:底本は、「そう」。
9:底本は、「植える」。
11・16:底本は、「しやう」。
14:底本は、「収めやう」。
15:底本は、「増やそう」。
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