桂内閣弾劾演説(大正二年二月五日)
決議案
内閣総理大臣公爵桂太郎は、大命を拝するに当たり、しばしば 聖勅を煩はし、宮中府中の別を紊り、官権を私して党与を募り、又帝国議会の開会に際し、濫りに停会を行ひ、又大正二年一月二十一日、本院に提出したる質問に対し、至誠その責を重うするの意を昭らかにせず、これ皆立憲の本義に背き、累を大政の進路に及ぼすものにして、上 皇室の尊厳を保ち、下国民の福祉を進むる所以に非ず。本院は、此の如き内閣を信認するを得ず。よつてこゝにこれを決議す。
本員等の提出致しましたる決議案は、唯今桂総理大臣の答弁に照らし、なほその前後の挙動に鑑みて、こゝにこの決議案を提出するの已むべからざることを認めて出しました訳であります。その論点たるや、第一は、身内府に在り、内大臣兼侍従長の職を辱うして居りながら、総理大臣となるにあたつても、優詔を拝し、又その前後も、海軍大臣の留任等についても、しきりに優詔を煩はし奉りたるといふことは、宮中府中の区別を紊ると云ふのが、非難の第一点でありまする。唯今桂公爵の答弁によりますれば、自分の拝し奉つたのは勅語にして、詔勅ではないが如き意味を述べられましたが、勅語もまた詔勅の一である。しかして我が帝国憲法は、すべての詔勅――国務に関するところの詔勅は、必ずや国務大臣の副署を要せざるべからざることを特筆大書してあつて、(中略)すべての詔勅に対しては、国務大臣をしてその責任を負はせるのである。(中略)唯今の弁明によれば、勅語はすべて責任なしと云ふ。勅語と詔勅とは違ふと云ふが如きは、彼ら一輩の曲学阿世の徒の、憲法論において、此の如きことがあるかも知れないが、天下通有の大義において、そのやうなことは許さぬのである。(中略)況んや、勅語に対して責任を負はぬと云ふが如きは、立憲の大義を弁識せざるの甚だしきものと云はなければならぬ。(中略)
彼らは常に、口を開けばすぐに忠愛を唱へ、あたかも忠君愛国は自分の一手専売の如く唱へて居りまするが、そのなすところを見れば、常に玉座の蔭に隠れて、政敵を狙撃するが如き挙動を執つて居るのである。彼らは玉座を以て胸壁となし 詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか。此の如きことをすればこそ、身既に内府に入つて、未だ何をもなさゞるにあたりて、既に天下の物情騒然としてなかなか静まらない。況んやその人が常侍輔弼の性格――その人の性格として一点だも常侍輔弼といふ責任を執るべき資格ありや否やといふことは、公爵自ら承知して居らなければならぬ。常侍輔弼なるものは、その品行端正、挙止謹厳、一挙一動帝王の師となるべき者にして、初めて{*1}成就するのである。桂公爵はそれらの資格を一点だも備へて居るところがありますか。此の如き性格の者が、玉座の蔭に隠れて常侍輔弼の責に当たり、しかしてその野心を逞しうせんと欲すればこそ、天は人をして言はしめ、誰が教ふるとなく、天下物情騒然として定まるところがないのである。況んやその人が入つて未だ数ケ月を経ざるに、再び諸般の奇略を弄し、ことに 先帝崩御の後、天下皆憂愁の裡に沈むの場合にあたつて、諸般の陰険なる策略を弄して、ことさらに{*2}平地に風波を捲き起し、しかしておもむろに優詔を拝して内府を出で来たり、あたかも我にあらずんば天下を治むる者なしと云ふが如き顔色をして、総理大臣の職に就くといふに至つて、天下の物情ますます騒擾になるといふことは、敢へて怪しむに足らぬのである。(中略)
又その内閣総理大臣の位地に立つて、しかる後政党の組織に着手すると云ふが如きも、彼の一輩がいかに我が憲法を軽く見{*3}、その精神のあるところを理解せないかの一斑が分かる。彼らが口に立憲的動作をなすと云ふ。しかしながら天下いづれの処に、まづ政権を握り、政権を挟んで与党を造るのを以て、立憲的動作と心得る者がありますか。およそ立憲の大義として、まづ政党を組織し、与論民意のあるところを己の与党に集めて、しかる後内閣に入ると云ふのがその結果でなければならぬのに、彼らはまづ結果を先にして、しかしてその原因を作らんとするが如きは、所謂逆施倒行の甚だしきものであつて、順逆の別を知らない{*4}者であります。又此の如き非行を見て立憲的動作などゝ考へて、これに服従する者があるに至つては、その無智また大いに驚くべきものがある。又この議会開会の初めに当たつて、濫りに停会を致したと云ふが如きも、現に彼ら立憲的動作の何物たるを弁別せざるか、但しはこれを知つて敢へて非立憲的挙動をなして憚らざると云ふことの証拠である。(中略)
今日桂公爵を談ずるものは、既往二三十年間の桂公爵でなければならぬ。彼、既往二三十年間において何を致して居りましたか。一として非立憲的挙動ならざるなし。政党組織可ならざるにあらずといへども、かの伊藤公が十余年以前、政党組織をされたときに、百方これを妨害したではないか。又さらに遡れば、板垣、大隈諸伯の如きが、明治十四年、十五年の際に政党組織を致した以来、彼がいかにこの政党なるものを呪ひ、これを毒し、これを国賊扱ひしたかと云ふことは、天下公衆の皆知つて居るところであります。しかしながら、彼もし三十年の後において過を悟つたと云ふことなら、吾々はその過を改むることを咎めはしない。彼もし十余年の前において伊藤公の政党を妨害したる過を悟つたと云ふならば、これまた過を改むることを非難は致さぬ。しかしながら、真に悟れるものは直ちにその過を改むるの実を挙げなければならぬ。彼、何を以て今日において改むるの実を挙げましたか。もしその実を挙げんとすれば、前二週間の停会中においてその事実を証明することが出来たのでありますか。その間なしたところのことを見れば、僅かに{*5}政権を挟み、利益を賄賂として政党撹乱の仕事をしたと云ふ一事あるのみである。およそ朝憲を挟んで与党を募らんとすが如きは、非立憲的行為の最も甚だしきものである。吾々は第一、彼がしきりに 新帝を擁して、己の利を逞しうすると云ふ如き、挙動に対して、天下の公憤を漏らし、今日人天共に{*6}憤るといふ事態を生じたるは、彼の挙動やむを得ざるものであつて、その原因は唯々彼の既往の事績、現在の所為、すべてこれにあるのである。彼自らこれを改むるにあらずんば、天下の物情はいかにしても、これを鎮静することは出来ないと考へますが故に、いささか全国の公憤を漏らすために、この決議案を提出した次第であります。
校訂者注
1:底本は、「始めて」。
2:底本は、「故らに」。
3:底本は、「軽く視」。
4:底本は、「識らない」。
5:底本は、「纔に」。
6:底本は、「倶に」。
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