壇上における尾崎の豪胆
(大正十三年一月一日発行「雄弁」所載)
石川半山
尾崎行雄氏の雄弁は、当代において、第一流であつて、実に企て及ぶべからざるものがある。徳富蘇峰氏の文章と、尾崎氏の雄弁は共に明治から大正へかけての傑出したるものである。余は尾崎氏の演説を聞いてその雄弁に感服したことも多いが、しかしその雄弁以上に、恐れ入つたのは、大正六年一月二十四日、新富座の演説会場において、暴漢の現れたる時の彼の態度であつた。
新富座{*1}の討閥演説会
大正五年十月、大隈内閣が辞任して、寺内内閣の成立するや、余らは直ちにこれに反対する運動を開始した。寺内内閣を目して閥族の再現となし、所謂討閥運動を起こしたのである。或は集会を開いて、決議を行ひ、或は演説会を開いて、公衆に訴へたが、この運動は、年を超えて、大正六年の春まで、盛んに続いて居た。しかして一月二十四日には、新富座{*2}において、討閥演説会を開き、同志の多数が出席して、寺内内閣の攻撃を行うたが、尾崎氏はこの時、演壇に現れると、暴漢の襲撃に会したのである。
余の演説中にも騒擾
この時弁士として演壇に立つた者は、随分多数であつた。関和知君などもその一人であつたと記憶して居る。余もまたその一人であつた。この討閥演説会は、政府からも政友会からも、多数の妨害者を入れて、盛んに野次を飛ばしたから、会場はしばしば混乱に陥つた。余の演説中にも、傍聴席において、壮士と壮士とのなぐり合ひが始まり、三階において、組み討ちを演じたる者が、花道の所へ落ちて来て大騒ぎとなつた。余はこれに対して、演壇からすこぶる激烈なる語を発して、聴衆の喝采を博したが、それから後尾崎氏の混乱中における態度を見て、自家の遠く及ばざるものあるを感じた。
壮士短刀を抜いて飛び附く
尾崎氏が演壇に立つや、例によつて、盛んなる人気であつた。喝采の中に、脱帽々々と云ふ声が現れた。彼は満場の静まるを待ちて、極めて低い声で、「諸君」と呼びかけた。
この一瞬間に土間から舞台へ飛び上がつた一壮漢があつた。右手に長さ七寸ばかりの短刀を振りかざして居た。私服の刑事巡査の一人が、それと見るより直ちに彼に組み附いた。土間から舞台へ飛び上がる者と、楽屋から飛び出したる者とで、舞台はたちまち人を以て埋められた。そこで幾組かの組み討ちが始まり場内は全く一大混乱に陥つた。体躯の大ならざる尾崎氏は、この群衆の中に包囲されて、その姿は見えなくなつた。警官はこの混乱中に尾崎氏に請うて、一旦楽屋へ引き揚げしめたが、その群衆が舞台を去つた時、一般聴衆は尾崎氏の安否を気遣ひ、「尾崎君は如何」「尾崎君は無事なりや」と問ふ声が、四隅から叫ばれた。余らは協議の上、尾崎氏の無事を聴衆に報告するに決し、中島気崢氏が演壇に出で、「尾崎君は何らの負傷もありません。今から再びこの演壇に出でて、その演説を続けられます」と言つた時満場は狂喜して、
「尾崎君万歳」を三唱した。
冷静なる態度
この熱狂せる歓呼の声の中に、悠然として現れたる尾崎氏の態度は、少しも平常と異なる所がなかつた。その顔色に何らの特に緊張したる所もなく、相変らず低い静かなる調子で「諸君」と呼びかけた。しかして演説は直ちに寺内内閣の評論に入つて、その目前の騒擾に関しては、また一語を発しなかつた。余はその数分間前に、余の演説中の活劇に関して、ある発言をなして、大喝采を博したが、尾崎氏に対する暴行は、彼を緊張せしめ、これに関して、何らかの発言あるものと思ひの外、ほとんど何事もなかりしが如き冷静を以て顔色も音声も、全く平生の如くにして、その論旨を進められたので、余は心中において深く数分前の余の発言を恥ぢ、尾崎氏の人格に無限の敬意を表した。しかして彼が論じ去り論じ来たること、約三十分ばかりにして、又もや一名の壮漢が、演壇に駆け上がつたが、この時は演壇の左右に勇猛なる志士の一隊が、尾崎氏を護衛して居たので、直ちに取り押さへた。しかして尾崎氏が演壇上から、この混乱を見下ろす間、全く悠揚たるもので、それによつて彼の感情が、少しの動揺をも示さず、騒ぎが収まると、それに関しては、また何らの発言なく、既に説きたる論旨を継続して、滔々と説き出した。
長広舌一時間半
壮士の暴行が、かくの如く頻発するので、余らはその遂に尾崎氏の身上に、何らかの危害を及ぼさんことを恐れ、ひそかに彼の演説の早く結了せんことを望んだが、彼は平然としてその論鋒を進め、閥族の罪を鳴らし、政府を攻撃し、政友会を罵倒し、その長広舌は滔々として、一時間半に及び、満場は喝采に次ぐに喝采を以てし、壮士の暴行は、事実において、彼の演説に何らの妨害を加ふることも出来ず、満場はただその雄大なる弁説に酔倒して、この日の討閥演説会は多大の成功を収むることが出来た。
昔から偉大なる人物の、偉大なる性格は、ある事変の時に現れるものである。尾崎氏が平時における雄弁宏辞も、容易に学び易からざるところだが、この新富座{*3}の時の如き、混乱の変態に際して、特に著しく、その胆力の豪勇なるを現して居る。ルーズヴエルトはかつて演説中に、ピストルに打たれて負傷しながら尚平然としてその演説を続け、聴衆は彼が負傷せるに気附かなかつたと云ふことだが、尾崎氏の如きも、もし打たれても、言はんと欲する所だけは言ひ尽くされる人であると思ふ。尾崎氏の人格、その清廉、その抱負等について、余の敬服せる所も多いが、その演壇に立てる時の豪胆に至つても、遠く凡人を超越せる所があると深く感嘆して居る次第である。
校訂者注
1~3:底本は、「明治座」。『咢堂自伝』326頁に「新富座」とあるのに従い改めた。
(『尾崎行雄全集 第十巻』(1927年刊)所収。なお表記は「校訂『咢堂自伝』凡例」に準拠し適宜改めた。)
(『尾崎行雄全集 第十巻』(1927年刊)所収。なお表記は「校訂『咢堂自伝』凡例」に準拠し適宜改めた。)
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