恐るべき米人気質
ロンドンを出発したのは十月初めであつた。それからワシントンに来て一ケ月余り滞留したが、これは休養かたがた新聞紙を熟読するくらゐの程度で、近傍の友人を訪ねて行つたりなどして遊んでゐた。街に出て見ると昔と違つて、日本品が大分眼につくやうに{*1}なつた。しかし日本品の粗製濫造は、実に言語道断であつた。ことによくないと思ふのは、子供のおもちやが、アメリカでは、ドイツからの輸入が杜絶したため、日本からたくさん入つてゐる。都会のみならず、田舎にも随分入つてゐるが、ソレが皆ぢきに壊れるとか、色が変るとかする。ところが、ある日、日本贔屓のアメリカ人が、それを反対に解釈して、
「私の国の子供は、お国の子供にくらべると、どうも乱暴だと見えて、すぐ壊してしまふ。お国の子供は余程おとなしいと見える。」
と云つて感心してゐた。何とも挨拶の仕様がなかつた。かつてある鉄道会社の人が、子供の時分から汽車にのせると、その人は一生旅行好きになる故、子供は無賃で乗せる方が利益だ、と話してゐたが、日本玩具は、アメリカの子供に対して、ちやうどその正反対の結果を生ずるだらう。
同様なことは英国でも見聞した。ロンドンで最も良い品を売つてゐるのは、ボンド・ストリートで、山中商店なども、この街にあるが、今度行つて聞くと、この街では日本品を陳列するのを忌み嫌ふ者が多くなつたと云ふ事だ。高価な骨董品の修繕を商売にしてゐる日本人がロンドンにゐたが、その家に行つて見ると、随分よい屏風や衝立が置いてあるから、これは惜しいものだ。こんなことをして置かないで、ボンド・ストリートへ出してはどうかと云ふと、「これは日本品ですから、とてもあすこでは受け付けませぬ」と云ふ。やはりその家に、ラムプの傘のやうなもので、灯がつくと綺麗な絵が現れるものが作つてあつたが、それも日本品と云つては、ボンド・ストリートでは受け付けぬから、何とかしたいと云つてゐた。
しかし、英国でも米国でも支那品をば売つてゐる。支那品は日本品のやうなごまかし物が少なく、かつ堅実だからだ。品物ばかりではない。支那人の評判も日本人よりはよかつた。支那は歴史上の事跡を見ても、また文学においても実に偉いが、そのやうな国柄のためでもあらうか、最初の洋行の時は、支那人はお国自慢で、衣服飲食を初め{*2}とし、一切万事国風を固執し、到る処で排斥されてゐたが、今度行つて見ると、日本人がお国自慢でうぬぼれてゐるに反し、支那人はさういふ様子はさらに示さず、言葉も日本人よりは上手、交際もうまく{*3}、思想も余程進歩してゐる。従つて日本人はどこでも、余り受けがよくないが、支那人は到る処で、可愛がられてゐる。三十年前とは日支全くその地位を顛倒してゐた。
十一月末にワシントンを出発し、シカゴ、サルト・レーキ・シチー、ポートランド等を経て、西海岸に出で、タコマ、バンクーバー、シヤトルなどを訪れた。シヤトルや、バンクーバーでは在留日本人が私のために、歓迎会や演説会を開いてくれた。演説会ではある時、お礼の支度が間に合はないからと云つて、主催者が聴衆から寄附を集めて贈つてくれた。アメリカでは、名士が演説して報酬を受けることが盛んに行はれてゐる。主催者から謝礼を受けるのもあれば、聴衆から入場料をとるのもあるが、入場料はおよそ一弗が普通のやうだ。前の大統領タフトでも、ブライアンでも皆やつて居た。ブライアンの如きは、その俸給では生活に不足するから、国務卿をやめて演説をして歩いた方がよいと云ふくらゐだ。
政治家の運動費は、公明正大なものでなければならぬ。民衆から零砕な金を集めて運動費に使ふのは最も公明正大だ。
日本でも昔は、演説をして聴衆から金を取つた。沼間守一君、島田三郎君などの仲間は十銭づゝ取つてゐたが、相当に入りがあつた。吾々も矢野文雄君、犬養毅君、箕浦勝人君などの仲間で、やつたことがある。ところが、この入場料をとる事は、議会の開設、議員の選挙と共に罷まつた。これは、金をとるどころではない。こちらから進んで演説を聞いてもらはなければならぬことになつて来たからだ。
歓迎会では、禁酒令がしかれてゐたので、酒を飲まないから、実に有益な話を聞くことが出来た。日本では歓迎会と云ふと、必ず酒を飲むことになつてゐるから、滅茶々々になつてしまつて、真面目な話{*4}は出来ない。私も酒は好きだが、酔つ払ひが嫌ひだから、決して酔つ払ふほど飲まない。従つて酒席では、どこでも邪魔者にされる。この禁酒令について感じた事は、米国人の断行力の強い事だ。この法律を行ふために無駄になつた資本は数十億弗であらう。それを政府は少しも賠償しない。日本なら無論既得権だと云つて賠償を求めるに相違ない。その断行力に富むことは禁酒令ばかりに限らず、実に驚くべきものがあつた。いざとなれば命懸けでやる。命ぐらゐは何とも思つてゐない。
大戦に参加して、莫大な戦費と人命とを失つたが、それでも戦争といふものは、案外手間のかゝらぬ面白い仕事だといふ気分に満たされてゐる。平素、男でも女でもピストルを持つてゐて、一つ間違へばすぐ撃ち殺してしまふといふ連中がなかなか多い。活動写真を見ても、ピストル騒動の幕が非常に多い。ニユーヨークのやうな大都会では、白昼ピストルの撃ち合ひをやる事も決して珍しくない。あれを弱いなどゝ思つてゐるのは、余程の間違ひだ。
アメリカはたゞに物質的に偉いのみならず、精神的にも実に偉い。日本に比して偉いのは無論のこと、英仏などに比しても偉い。今度の講和会議で、英仏はドイツから償金を取らう、軍艦を分配しよう{*5}などゝ云つたが、アメリカは償金は一文もとらぬ、軍艦は破壊してしまふがよいと云つた。まことにその意気全世界を圧するとも云ふべき勢ひであつた。
アメリカが因循にならぬのは、まだ未開の地がいくらもあつて、創業進取の気風を誘ふ上に、諸方から異人種が集まつて来る。絶えず刺戟を与へるためであらうと思ふ。私はどちらかと云へば、個人的にも、国家的にも、余り嫉妬心を起こさない方の性質と自ら思つてゐるが、アメリカへ行くと、嫉妬羨望の心が、いつもむらむらと湧いて来る。
日本も明治十年頃までは、すこぶる断行力に富んでゐたと言つてよい。これは維新の革命的思想が流れてゐたからだ。ところが明治二十年頃になると、全く因循に流れ、何事も断行出来なくなつた。爾来その傾向は少しも改善されない。これは青年日本、新興国日本にとつて、甚だ遺憾なことであると考へながら、シヤトルから諏訪丸に乗つて、十二月三十一日に横浜へ帰着した。
翻つて我が国の社会を見ると、混乱してゐるとは言ふものゝ、欧米のそれとは比べ物にならなかつた。戦禍を体験しない日本人は、所謂成金気分に浸つて、泰平の夢に耽つてゐた。こんな話がある。
私は旅行が好きで、欧米にはこの後一回と、都合四回も遊び、支那や朝鮮にも少しばかり遊んだ事がある。日本内地はほとんど残るくまなく旅行したが、さて飛び抜けて珍しい事は、どこにも少ないものと見えて、余り出会した事はなかつた。だが、奄美大島から琉球方面へ遊んだ時には、かなり面白く感じた事もあつた。私が大島各島へ行つたのは、ヨーロッパ大戦争後で、非常に景気のよい時であつたが、この好景気の波に乗つて、色々の贅沢品が俄かに移入され、なかんづくビールや葡萄酒の如きは、統計表に現れた所によれば、俄然数倍の多きに及んで居る。これらの酒類は飲み慣れない者には、決して美味な物ではないから、初め{*6}てこれを飲む人々は、定めしよほどの苦痛を覚えたであらう。少なくとも薬を飲むくらゐの苦痛をば感じたであらう。この苦痛は、辛抱したとしても、俄然四五倍のビールや葡萄酒を消費するやうになつたのは、不思議に堪へなかつた。だんだん問ひ質して見ると、日本酒を飲む時のやうに、コップで献酬し、惜し気もなく盃洗に流し去つた事はもちろん、豪奢を誇る田舎漢中には、わらじ掛けで酒楼に来たり、ビールで足を洗ふものもあつたさうだ{*7}。愚人は古今を通じて、贅沢の仕方も知らないものだ。
校訂者注
1:底本は、「ように」。
2・6:底本は、「始め」。
3:底本は、「旨く」。
4:底本は、「談」。
5:底本は、「しやう」。
7:底本は、「そうだ」。
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