宇佐行幸の事
平家は筑紫にてこの由を伝へ聞き給ひて、「あはれ、三の宮をも四の宮をも、具し奉りて落ち下るべきものを。」と申し合はれければ、平大納言時忠の卿、「さらんには高倉の宮の御子の宮を、御傅讃岐の守重秀が御出家せさせ奉り、具し奉りて北国へ落ち下りたりしを、木曽義仲上洛の時、主にし参らせんとて還俗せさせ奉り、具し奉りて都へ上つたるをぞ、位には即け参らせんずらん。」と宣へば、「人々いかでか、還俗の宮をば位に即け奉るべき。」と申されければ、時忠の卿、「さもさうず{*2}、還俗の国王の例、異国にはその例もやあるらん。わが朝には、まづ天武天皇、いまだ東宮の御時、大友皇子に襲はれさせ給ひて、鬢髪を剃り、吉野の奥へ逃げ篭らせ給ひたりしが、大友皇子を亡ぼして、遂に位に即かせ給ひき。また孝謙天皇と申せしも、大菩提心を起させ給ひて、御飾をおろし、御名を法基尼と申せしかども、二度位に即かせ給ひて、称徳天皇と申ししぞかし。況んや木曽が主にし参らせたる還俗の宮なれば、仔細に及ぶべき。」とぞのたまひける。
同じき九月三日の日、伊勢へ公卿の勅使を立てらる。勅使は参議長教とぞ聞えし。太上法皇伊勢へ公卿の勅使を立てらるゝことは、朱雀、白河、鳥羽三代の蹤跡ありとは申せども、これはみな御出家以前なり。御出家以後の例、これ始めとぞ承はる。
平家は筑紫に都を定め、内裏造らるべしと、公卿僉議ありしかども、都もいまだ定まらず。主上はその頃、岩戸の諸卿大蔵の種直が宿所にぞましましける。人々の家々は野中、田中なりければ、麻の衣はうたねども、十市の里ともいひつべし。内裏は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやありけんと、なかなか優なる方もありけり。まづ宇佐の宮へ行幸なる。大宮司公通が宿所皇居になる。社頭は月卿雲客の居所になる。廻廊は五位、六位の官人、庭上には四国、鎮西の兵ども甲冑弓箭を帯して、雲霞の如くなみゐたり。ふりにし朱の玉垣、復び飾るとぞ見えし。七日参篭の暁、大臣殿の御為に夢想の告げぞありける。御宝殿の御戸おし開き、ゆゝしうけだかげなる御声にて、
世の中のうさには神もなきものをなに祈るらむ心づくしに
大臣殿うち驚き、胸うち騒ぎ、あさましさに、
さりともと思ふ心も虫の音もよわりはてぬる秋の暮かな
といふ古歌を、心細げにぞ口ずさみ給ひける。さて太宰府へ還幸なる。
さる程に九月も十日あまりになりぬ。荻の葉向の夕嵐、ひとりまるねの床の上、片敷く袖をしぼりつゝ、更けゆく秋のあはれさは、いづくもとはいひながら、旅の空こそ忍びがたけれ。九月十三夜は名を得たる月なれども、その夜は都を思ひいづる涙に、われから曇りてさやかならず。九重の雲の上、久方の月に思ひをのべし夕も、今のやうに覚えて、薩摩の守忠度、
月を見し去年のこよひの友のみや都にわれを思ひ出づらむ
修理の大夫経盛、
恋しとよこぞに今宵の夜もすがらちぎりし人のおもひ出られて
皇后宮の亮経正、
わけて来し野べの露とも消えずしておもはぬ里の月を見るかな
緒環の事
豊後の国は、刑部卿三位頼資卿の国なりけり。子息頼経の朝臣を代官に置かれたりけるが、京より頼経の許へ使者を立てて、平家は既に神明にもはなたれ奉り、君にも捨てられ参らせて、帝都を出でて波の上に漂ふ落人となれり。然るを九州二島の者共が受取つて、もてあつかふらん事こそ然るべからね。当国においては一向従ふべからず。東北国と一味同心して、九国の中を追ひ出さるべき由、宣ひ遣はされたりければ、これを緒方の三郎惟義に下知す。かの惟義と申すは、おそろしき者の末にてぞ候ひける。
たとへば昔豊後の国、ある片山里に女ありき。ある人のひとり女、夫もなかりけるがもとへ、男夜な夜な通ふほどに、年月も隔たれば、身もたゞならずなりぬ。母これをあやしみて、「汝がもとへ通ふ者はいかなる者ぞ。」と問ひければ、「来るをば見れども、帰るを知らず。」とぞいひける。「さらば朝がへりせん時、しるしをつけて繋いで見よ。」とぞ教へける。女母の教へに従ひて、朝がへりしける男の、水色の狩衣を著たりける首がみに針をさし、賤の緒環といふものをつけて、経て行く方を繋いで見れば、豊後の国に取つても日向の境姥が嶽といふ嶽のすそ大きなる岩屋の内へぞ繋ぎ入れたる。女岩屋の口にたゝずんで聞きければ、大きなる声してよびにけり。
女申しけるは、「御姿を見参らせんが為に、妾こそこれまで参つて候へ。」といひければ、岩屋の内より答へていはく、「われはこれ人の姿にあらず。汝わが姿を見ては、肝魂も身に添ふまじきぞ。孕める所の子は男子なるべし。弓矢、打物取つては、九州二島に肩を双ぶる者あるまじきぞ。」とぞ教へける。女かさねて、「たとひいかなる姿にてもあらばあれ、日頃のよしみいかでか忘るべきなれば、互の姿を今一度、見もし見えられん。」といひければ、さらばとて岩屋の内より、臥長は五六尺、跡枕べは十四五丈もあるらんと覚ゆる大蛇にて、動揺してぞはひ出でたる。女肝魂も身に添はず、召し具したる十余人の所従共、をめき叫んで逃げ去りぬ。首がみにさすと思ひし針は、大蛇の咽笛にぞ立つたりける。
女帰つて、程なく産をしたりければ、男子にてぞありける。母方の祖父、育てて見んとて育てたれば、未だ十歳にも満たざるに、背大きう顔長かりけり。七歳にて元服せさせ、母方の祖父も大太夫という間、これをば大太とこそつけたりけれ。夏も冬も手足に隙なく赤がりわれたりければ、赤がり大太ともいはれけり。かの惟義は件の大太には五代の孫なり。斯かる恐ろしき者の末なればにや、国司の仰せを院宣と号して、九州二島に廻文をしたりければ、然るべき者どもも、惟義にみな従ひつく。件の大蛇は日向の国に崇められさせ給ふ、高千尾の明神の神体なりとぞ承る。
太宰府落ちの事
さる程に平家は筑紫に都を定め、内裏造らるべしと、公卿僉議ありしかども、惟義が謀叛に依つてそれもかなはず。新中納言知盛卿の意見に申されけるは、「かの緒方の三郎は小松殿の御家人なり。然れば君達御一所向はせたまひて、こしらへて御覧ぜらるべうもや候らん。」と申されければ、この儀最も然るべしとて、新三位の中将資盛、その勢五百余騎、豊後の国にうち越え、やうやうにこしらへ宣へども、惟義従ひ奉らず。あまつさへ、「君達をもこれにて取りこめ参らすべう候へども、大事の中の小事なし{*3}とて、取りこめ参らせずば、何程のことか候べき。たゞ太宰府へ帰らせ給ひて、御一所でいかにもならせ給へ。」とて、おつ返し奉る。
その後、惟義が次男野尻次郎惟村を使者にて、太宰府へ申しけるは、「平家こそ重恩の君にてましまし候へば、兜をぬぎ、弓の弦をはづいて、降人に参るべく候へども、一院の仰せには、速かに九国の中を追ひ出し奉るべき由候。」と申し送りたりければ、平大納言時忠の卿緋緒くゝりの袴、糸葛の直垂、立烏帽子にて、惟村に出で向ひて宣ひけるは、「それわが君は天孫四十九世の正統、神武天皇より人皇八十一代に当らせ給ふ。されば天照大神、正八幡宮も、わが君をこそ守り参らさせ給ふらめ。なかんづく当家は、保元、平治よりこのかた、度々の逆乱を鎮めて、九州の者どもをば、みな内ざまへこそ召されしか。然るにその恩を忘れて、東国、北国の兇徒等、頼朝、義仲等に語らはれて、しおほせたらば国を預けん、荘をたばんと申すを、まことと思ひて、その鼻豊後が下知に従ふらん事こそ然るべからね。」とぞ宣ひける。豊後の国司刑部卿三位頼資卿は極めて鼻の大きなりければ、かやうには宣ひけるなれ。
惟村帰つて、父にこの由を告げたりければ、「こはいかに、昔は昔、今は今、その儀ならば九国の中を追ひ出し奉れや。」とて、勢揃ふると聞えしかば、源大夫の判官季貞、摂津の判官守澄、「向後傍輩のため奇怪に候。召捕り候はん。」とて、その勢三千余騎で筑後の国にうち越え、高野の本荘に発向して、一日一夜攻め戦ふ。されども惟義が方の勢、雲霞の如くに重なれば、力及ばで引退く。
平家は緒方の三郎惟義が三万余騎の勢にて、既に寄すと聞えしかば、取る物も取りあへず、太宰府をこそ落ち給へ。さしもたのもしかりつる天満天神の注連のあたりを、心細くも立ちわかれ、駕輿丁もなければ、葱花鳳輦はたゞ名をのみ聞えて、主上腰輿に召されけり。国母を始め参らせて、やんごとなき女房たちは袴の裾を高く取り、大臣殿以下の卿相雲客は指貫の側を高く挟み、徒跣足で水城の戸を出でて、われ先にわれ先にと、箱崎の津へこそ落ち給へ。折ふし下る雨車軸の如し。吹く風砂を揚ぐとかや。落つる涙、ふる雨、わきていづれも見えざりけり。住吉、箱崎、香椎、宗像伏し拝み、主上たゞ旧都の還幸とのみぞ祈られける。垂水山、鶉浜などいふさかしき険難を凌がせ給ひて、渺々たる平砂へぞ赴かれける。いつならはしの御事なれば、御足より出づる血は砂を染め、紅の袴は色をまし、白き袴は裾紅にぞなりにける。
かの玄奘三蔵の流沙葱嶺を凌がれたりけん悲しみも、これにはいかでかまさるべき。それは求法のためなれば、自他の利益もありけん、これは闘戦の道なれば、来世の苦しみ、かつ思ふこそ悲しけれ。原田の大夫種直は二千余騎で、京より平家の御供に参る。山賀の兵藤次秀遠数千騎で、平家の御迎へに参りけるが、種直、秀遠以ての外に不和なりければ、種直は悪しかりなんとて、路より引返す。それより芦屋の津といふ所を過ぎさせたまふにも、これは都よりわれらが福原へ通ひし時、朝夕見なれし里の名なればとて、いづれの里よりもなつかしく、今更あはれをぞ催されける。新羅、百済、高麗、契丹、雲のはて、海のはてまでも、落ち行かばやとも思はれけれども、波風向うて叶はねば力及ばず、兵藤次秀遠に具せられて、山賀の城にぞ篭り給ふ。
山賀へもまた敵寄すと聞えしかば、取る物も取りあへず、平家小船どもに取り乗つて、夜もすがら豊前の国柳が浦へぞ渡られける。こゝに都を定めて内裏造らるべしと、公卿僉議ありしかども、分限なければそれもかなはず。また長門より源氏寄すと聞えしかば、取る物も取りあへず、あま小船に召して海にぞ泛び給ひける。十月のころほひ小松殿の三男左の中将清経は、何事も深う思ひ入り給へる人にておはしけるが、ある月の夜、船端に立出でて、横笛音取、朗詠してあそばされけるが、都をば源氏の為に攻め落され、鎮西をば惟義が為に追ひ出され、網にかゝれる魚の如し。いづちへ行かば遁るべきかは。ながらへはつべき身にもあらずとて、静かに経読み念仏して、海にぞ沈み給ひける。男女泣き悲しめどもかひぞなき。
長門の国は新中納言知盛卿の国なりけり。目代は紀伊の刑部の大夫通資といふ者なり。平家あま小船に召したる由承つて、大船百余艘点じて参らせたりければ、平家これに乗り移り、四国へぞ渡られける。阿波の民部重能が沙汰として、讃岐の国八島の磯に、かたのやうなる板屋の内裏や御所をぞ造らせける。その程はあやしの民屋を皇居とするに及ばねば船を御所とぞ定めける。
大臣殿以下の卿相雲客は海士の苫屋に日を暮し、船の中にて夜をあかす。竜頭鷁首を海中に泛べ、波の上の行宮は静かなる時なし。月をひたせる潮の深き愁へに沈み、霜を覆へる芦の葉のもろき命を危む。洲崎に噪ぐ千鳥の声は、暁の恨みをまし、磯間にかゝる楫の音は、夜半に心を傷ましむ。白鷺の遠松にむれ居るを見ては、源氏の旗を揚ぐるかと疑はる。野雁の遼海に鳴くを聞きては、兵どもの夜もすがら船を漕ぐかと驚かる。晴嵐膚を侵しては、翠黛紅顔の色やうやう衰へ、蒼波眼を穿ちて、外土望郷の涙おさへ難し。翠帳紅閨にかはれるは、埴生の小屋の葦すだれ、薫炉の煙に異なる、海士の藻塩火たく賤しきにつけても、女房たちは尽きせぬものおもひに、紅の涙せきあへ給はねば、緑の黛乱れつゝ、その人とも見え給はず。
校訂者注
1:底本脚注に、「壱岐と対馬」とある。
2:底本脚注に、「さも候はず。 さうでない。」とある。
3:底本脚注に、「「なし」一本「なれ」とす。」とある。
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