一門大路わたされの事

 さる程に二の宮帰り入らせ給ふと聞えしかば、法皇より御迎への御車を参らせらる。御心ならず、外戚の平家に捕はれさせ給ひて、西海の波の上に漂はせ給ふ御事を、御母儀も御乳母持明院の宰相も、なのめならず御歎きありしに、今待ち受け参らせ給ひて、いかばかりらうたく思召されけん。同じき二十六日、平氏の生捕ども鳥羽に著いて、やがてその日都に入つて、大路を渡さる。小八葉の車の前後の簾をあげ、左右の物見を開く。大臣殿は浄衣を著給へり。日頃はさしも色白う、清げにおはせしかども、潮風に痩せ黒みて、その人とも見え給はず。されども四方を見廻らして、いと思ひ入れ給へる気色もおはせざりけり。御子右衛門の督清宗は白き直垂にて、父の御車の尻にぞ参られける。涙にむせび、うつ伏して、目も見上げ給はず、まことに深う思ひ入れ給へる気色なり。平大納言時忠の卿の車も同じう遣り続けられたり。讃岐の中将時実も同車に渡さるべかりしかども、現所労とて渡されず。内蔵の頭信基は疵を蒙つたりしかば、間道より入りにけり。
 これを見んとて、遠国、近国、山々、寺々、京の上下、老いたるも、若きも、多く来り集まりて、鳥羽の南の門、作道、四塚まではたと続いて、幾千万といふ数を知らず。人は顧みる事を得ず、車は輪を廻らす事能はず。去んぬる治承、養和の飢饉、東国、西国の軍に、人種多く亡び失せたりといへども、なほ残りは多かりけりとぞ見えし。都を出でて中一年、むげに間近き程なれば、めでたかりしことも忘られず。さしも恐れをのゝきし人の、今日のありさま、夢うつゝともわきかねたり。心なき、あやしの賤の男、賤の女に至るまで、みな涙を流し、袖を濡らさぬはなかりけり。まして馴れ近づきたりし人々の心の中、推し量られて哀れなり。年来重恩を蒙つて、父祖の時より伺候せし輩の、さすが身の棄てがたさに、多くは源氏につきたりしかども、昔のよしみ忽ちに忘るべきにもあらねば、さこそは悲しうも思ひけめ。みな袖を顔に押当てて、目を見上げぬ者も多かりけり。
 大臣殿の牛飼は、木曽が院参の時、車遣り損じて切られたりし次郎丸が弟三郎丸にてぞありける。西国にては、かりに男になつたりけるが、鳥羽にて判官に申しけるは、「舎人、牛飼など申す者は、いやしき下臈のはてにて、心あるべきでは候はねども、年ごろ召使はれまゐらせ候ひし御志浅からず候。何か苦しう候べき、御許されを蒙つて、大臣殿の御最後の御車を、今一度仕り候はばや。」と申しければ、判官なさけある人にて、「最も然るべし、とうとう。」とて許されけり。三郎丸なのめならずに喜び、尋常に装束著、懐より遣縄取り出してつけかへ、涙にくれて、行くさきは見えねども、牛の行くにまかせつゝ、泣く泣く遣りてぞまかりける。
 法皇は六條東の洞院に御車を立てて叡覧あり。供奉の公卿、殿上人の車ども、同じう立て並べられたり。さしも御身近う召使はせたまひしかば、法皇も御心弱う、今更あはれにぞ思召されける。日頃はいかなる人も、あの人々の目にも見え、ことばの末にもかゝらばやとこそ思ひしに、今日かやうに見なすべしとは、誰か思ひ寄りしぞやとて、上下袖をぞぬらされける。
 一年宗盛公内大臣になつて、悦申しのありし時、公卿には花山院の中納言兼雅の卿を始め奉つて、十二人扈従して遣りつゞけらる。蔵人の頭親宗以下の殿上人十六人前駆す。中納言四人、三位中将も三人までおはしき。公卿も殿上人も今日を晴れと時めき給へり。その時この時忠の卿、御前に召され参らせて、様々にもてなされ、種々の引出物賜はつて出でられ給ひしは、めでたかりし儀式ぞかし。今日は月卿雲客一人も従はず。同じう壇の浦にて生捕にせられたりし二十余人の侍どもも、みな白き直垂にて、鞍の前輪にしめつけてぞ渡されける。
 六條を東へ、河原まで渡いて、それより返つて、判官の宿所六條堀河なる所にすゑ奉つて、厳しう守護し奉る。大臣殿は御物まゐらせけれども、胸せき塞がつて、御箸をだにも立てられず。夜になれども装束をだにもくつろげ給はず、袖かた敷いて臥し給ひたりけるが、御子右衛門の督に御浄衣の袖を打著せ給へるを、守護の侍ども見奉つて、「あはれ高きも賤しきも、恩愛の道程悲しかりける事はなし。御浄衣の袖をうち著せ給ひたればとて、何程の事かおはすべき。せめての御志の深さかな。」とて、みな鎧の袖をぞぬらしける。

平大納言の文の沙汰の事

 平大納言時忠の卿父子も判官の宿所近うぞおはしける。世の中は斯くなる上は、とてもかくてもとこそ思はるべきに、大納言命惜しうや思はれけん、子息讃岐の中将時実を招いて、「散らすまじき文ども一合、判官に取られてあるぞとよ。之を鎌倉の源二位に見せなば人も多く亡び、わが身も命助かるまじ。いかゞせん。」と宣へば、中将申されけるは、「九郎は猛き武士なれども、女房などの訴へなげくことをば、いかなる大事をももてはなれずとこそ承つて候へ。姫君たちあまたましまし候へば、いづれにても御一所見せさせおはしまし、親しうならせ給ひて後、仰せ出さるべうもや候らん。」と申されたりければ、その時大納言涙をはらはらと流いて、「さりともわれ世にありし時は、姫どもをば女御、后に立てんとこそ思ひしか。なみなみの人に見せんとは、つゆも思はざりしものを。」とて泣かれければ、中将、「今はさやうの事ゆめゆめ思召し寄らせ給ふべからず{*1}。当腹の姫君の生年十七になり給ふを。」と申されけれども、大納言それをばなほいとほしき事におぼして、さきの腹の姫君の生年二十一になり給ふをぞ、判官には見せられける。これは年こそ少しおとなしけれども、みめすがた世にすぐれ、心ざま優におはしければ、判官も世にあり難き事に思ひ給ひて、先の上の河越の太郎重房が女もありけれども、それをば別の所に移し奉つて、座敷しつらうてぞ置かれける。
 さて女房、かの文の事をのたまひ出されたりければ、判官、あまつさへ封をだに解かずして、いそぎ大納言のもとへ遣はさる。なのめならず喜んで、やがて焚いてぞ捨てられける。いかなる文どもにてかありけん、おぼつかなうぞ見えし。
 平家亡び、いつしか国々静まつて、人の通ひもわづらひなく、都もおだしかりければ、世にはたゞ判官ほどの人ぞなき。鎌倉の源二位、何事をかし出したる。世は一向判官のままにてあらばやなんどいふ事を、源二位漏れ聞き給ひて、「こはいかに、頼朝がよくはからひて、兵どもをさし上せたればこそ、平家はたやすく亡びたれ。九郎ばかりしては、いかでか世をば鎮むべき。人のかくいふに奢つて、いつしか世をわがまゝにすることでこそあれ。人こそ多けれ、平大納言の壻におしなつて、大納言持ちあつかふらんも受けられず。また世にも憚らず、大納言の壻取りいはれなし。定めてこれへ下りても、過分のふるまひをせんずらん。」とぞのたまひける。

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校訂者注
 1:底本、ここは読点。