義経鵯越を落とす 並 畠山馬を荷ふ 附 馬の因縁の事
七日の暁、九郎義経は、鷲尾を先陣として、一谷の後ろ、鵯越へぞ向ひける。頃は二月の始めなり。霞の衣立ちへだてて、緑を副ふる山の端に、白雲絶え絶え聳えつゝ、まづ咲く花かとあやまたる。未だ歩みなれぬ山路なり。行く末はそこと知らねども、ゆく馬の足にまかせつゝ、各先にと進みけり。まだほの暗き程なり。道にはなづみけれども、矢合はせ時を定めたれば、明くるを待つにおよばずして、谷に下り峯に登り、引き懸け引き懸け打ちけるに、一谷の後ろに篠が谷と云ふ所に、人のこゑ{*1}しければ、押し寄せて、「何者ぞ。」と問ふ。名乗る事はなくて、散々に射ければ、「この奴原は、平家の雑兵にこそ有るらめ。一々に搦め捕り、頚を切り、軍神に祭れ。」とて、源氏も散々に射ければ、こゝにて平家、多く討たれにけり。
その後、鷲尾、尋承にて下り上り打つ程に、辰の半ばに鵯越一谷の上、鉢伏、磯のみちと云ふ所に打ち登る。兵ども、遥かに差し覗きて谷を見れば、軍陣には楯を並べ突き、士卒は矢束をくつろげたり。前は海、後は山、波も嵐も音合はせ、左は須磨、右は明石、月の光も優ならん。追手の軍は半ばと見えたり。喚き叫ぶ声、射違ふ鏑の音、山をうがち谷を響かし、赤旗赤符立て並べて、春風に靡く有様は、「劫火の地を焼くらんもかくや。」とおぼえたり。時既によくなりたり。「大手に力を合はせん。」とて見下せば、実に上七、八段は、小石交じりの白砂なり。馬の足止まるべき様なし。かちにても馬にても落とすべき所に非ず。さればとて、さてあるべき事ならねば、只今まで乗りたりける大鹿毛には佐藤三郎兵衛を乗せ、我が身は大夫と云ふ馬に乗り替へて、谷へ打ち向け給ひ、「鹿の通ひ路は、馬の馬場ぞ。各落とせ、落とせ。」と勧め給ふ。兵ども、「我も、我も。」と馬をば谷へ引き向けて、心は、「先陣。」とはやれども、さすがいぶせきがけなれば、手綱を控へてためらへば、馬も恐れて退けり。互に顔と顔とを見合はせて、いづくを落とすべしとも見えず。
軍将、宣ひけるは、「一つは馬の落ち様をも見、一つは源平の占形なるべし。」とて、葦毛の馬に白覆輪白ければ、白旗になぞらへて源氏とし、鹿毛の馬に黄覆輪赤ければ、赤旗になぞらへて平氏とて、追ひ下す。各、木の間よりこれを見る。上七、八段は小石交じりの白砂なれば、まろぶともなく落つるともなく下りつゝ、巌の上にぞ落ち著きたる。やゝ暫くありて、岩の上よりまろび下り、越中前司盛俊が仮屋の後ろに落ち著きて、源氏の馬は這ひ起きつゝ、身振ひして峯の方をまもり、二声いばへ{*2}、篠草はみて立ちたり。平家の馬は、身を打ち損じ、臥して再び{*3}起きざりけり。城中にはこれを見て、「敵のよすればこそ、鞍置き馬は下るらめ。」とて、騒ぎ迷ひける処に、御曹司{*4}は、「源氏の占形{*5}こそ目出たけれ。平家の軍、さやうあるべし。人だに心得て落とすならば、誤ち、更にあるまじ。落とせ、落とせ。」と宣へども、我だに恐れて落とさねば、人も怖れて、え落とさず。
白旗五十ながればかり、梢に打ち立てて宣ひけるは、「まもつて時を移すべきにあらず。がけを落とすには、手綱あまたあり。馬に乗るには、一に心、二に手綱、三に鞭、四に鐙と云ひて、四つの義あれども、所詮、心を持ちて乗るものぞ。若き殿原は、見も習へ、乗りも習へ。義経が馬の立てやうを本にせよ{*6}。」とて、真つさかさまに引き向け、「つゞけ、つゞけ。」と下知しつゝ、馬の尻足{*7}引き敷かせて、流れ落ちに下したり。三千余騎の兵ども、「大将軍につゞけ。」とて、白旗三十ながれ、城の内へ差し覆ひ、轡並べて手綱かいくり、同じ様に尻足しかせて、さと流して、壇の上にぞ落ち留まる。それより底を差し覗いて見れば、石巌そばだつて苔むせり。刀のはに草覆へる様なれば、いといぶせき上、「十、二十丈もやあるらん。」と見え渡る。下へ落とすべき様もなし。上へ上るべき便りもなし。
互に堅唾を呑みて思ひ煩へる処に、三浦党に佐原十郎義連、進み出でて、「我等、甲斐、信濃へ越えて狩し、鷹仕ふ時は、兎一つ起こいても、鳥一つ立てても、傍輩に見落とされじと思ふには、これに劣る所やある。義連、先陣仕らん。」とて、手綱掻いくり鐙踏ん張り、只一騎、真先かけて落とす。御曹司、これを見給ひて、「義連討たすな。つゞけ、者ども。つゞけ、者ども。」と下知して、我が身もつゞきて落とされけり。
畠山は、赤縅の鎧に、うすべを{*8}の矢負ひ、三日月と云ふ栗毛の太く逞しきに乗りたりけり。この馬、鞭打ち{*9}に三日の月程なる月影のありければ、名を得たり。壇の上にて馬より下り、さしのぞいて申しけるは、「こゝは、大事の悪所。馬転ばして悪しかるべし。親にかゝる時、子にかゝる折{*10}と云ふことあり。今日は、馬をいたはらん。」とて、手綱、腹帯、より合はせて、七寸に余りて大きに太き馬を、十文字に引きからげて、鎧の上にかき負ひて、椎の木のすだち{*11}一本ねぢ切り、杖につき、岩の迫りをしづしづとこそ下りけれ。「『東八箇国に大力。』とは云ひけれども、只今かかる振舞ひ、人倫には非ず。誠に鬼神のしわざ。」とぞ、上下、舌を振ひける。
つらつら竜樹論の疏を考ふるに、馬はこれ、十二神将の封体の中なりとも云ひ、又は南方旃檀香仏の変化身とも云ふ。馬郁経には、{*12}「観自在菩薩、大功徳力を成ぜんがために、重事に馬と成り、来つて人の役を償ふ。人の六歩を以て、馬の一歩の広さとなす。天上には馬、竜となる。人中には竜、馬となる{~*12}。」又、ある経には、{*13}「父は、よき馬と成りて、子のために乗られ、母は、よき魚となりて、子のために食はる。かたがた以ておろそかならず{~*13}。」と。この心を得たりけるにや。畠山は、「この岩石に、馬損じては不便なり。日頃は汝にかゝりき。今日は汝をはぐゝまん。」と云ひける。「情深し。」とおぼえたり。
その後、三千余騎、手綱かいくり鐙踏ん張り、手を握り目を塞ぎ、馬に任せ人に随ひて、「劣らじ、劣らじ。」と落としけるに、「しかるべき八幡大菩薩の御計らひにや。」と申しながら、馬も人も損ぜざりけるこそ不思議なれ。落としもはてず、白旗三十ながれ、さと捧げ、三千余騎、同時に鬨を造る。山彦答へておびたゞし。平家の城郭に乱れ入りて、たてさま横さま{*14}蜘蛛手十文字に馳せ廻り、喚き叫びて戦ひければ、城中には、東西の城戸口ばかりこそ防ぎけれ、さしも恐ろしき巌石より、「敵寄すべし。」とも思はざりければ、打ち延べて、「左右の城戸口の弱からん時、軍せん。」とて、鎧物具脱ぎ置きて、小具足ばかりにて居たる所へ、ばと寄せ{*15}、どつと鬨を造りたれば、弓矢を取り、馬にのる隙を失ひ、あわて迷ひ、味方の兵も皆敵に見えければ、たまたま馬に乗り、弓矢を番ひける者も、味方討に討ち殺し、切り殺して、上になり下になりて、肝も心も身にそはず、度を失ひ、騒ぎふためきける有様は{*16}、小魚の溜まり水に集まり、宿鳥の枝をあらそふに異ならず。
御曹司{*17}、下知し給ひけるは、「城郭、広漠なり。賊徒、数を知らず。多く官軍を亡ぼさん事も、いと不便なり。火を放て。」と宣へば、武蔵坊弁慶、屋形に打ち入り、仮屋に火をさす。折節、西の風烈しくして、猛火、城の上へ吹き覆ふ。平家の軍兵、煙に咽び、火に攻められて、今は敵を防ぐに及ばず。取る物も取り敢へず、浜の汀に逃げ出でつゝ、海の藻塩{*18}に馳せ入つて、「船に乗らん。」とぞ迷ひける。助け舟も多くありけれども、そも、しかるべき人々をこそ乗せけれ、次々の者どもをば乗せざりければ、「乗らん。」「乗せじ{*19}。」とする程に、多く海にぞ{*20}沈みける。猛火の煙、蹴立ての灰、逃げ去る道も見えざりければ、皆敵にぞ討たれける。されば、助かるはまれに、亡ぶるは多し。無慙と云ふもおろかなり。
則綱盛俊を討つ事
能登守教経は、「室山、水島、淡路島、高綱、苑部、今木城、所々の合戦に高名し給へり。」と聞こえしかども、大勢傾き立ちぬれば、力及ばざる事にて、薄墨と云ふ馬に乗り、須磨の関屋を指して落ち、それより船に乗り移り、淡路の岩屋に渡り給ふ。
越中前司盛俊は、「とても遁るべき身に非ず。かく傾きぬる上は。」とて思ひ切り、只一人残り留まりて、馳せ合はせ馳せ合はせ戦ひけるが、猪俣近平六則綱に馳せ並びて、引き組んで、どうと落つ。盛俊は、聞こえたる大力の大の男、よそには、「二十人が力。」と云ひけれども、内々は、六十人して上げ下ろす大船を、一人してあつかひける者なりければ、七、八十人が力もや有りけん。近平六も、「普通には力勝れたる人。」と云ひけれども、盛俊に遇ひぬれば、数ならず。取つて押し付けられて、働かず。既に兜の天辺を掴み上げ、刀を頚にさしあてて、掻き落とさんとしけるに、近平六は、刀を抜くにも及ばず、刎ね落とすにも力なし。
されども、はかりごと賢しき剛の者にて、少しも騒がず申しけるは、「そもそも御辺は誰人ぞ。敵をば慥かに名を聞きて後、首を取りてこそ勲功の賞にも預かれ。誰とも知らぬ首取りては、何にかはすべき。我が身は、東国には恥ある侍。誰か知らざる。されども、平家の公達にも、侍の殿原にも、見知られたる事なければ、これは誰が首とも見る人あるまじ。唯、犬烏の頚の定や。名乗らせて切つて、実検に合はせ給へ。」と云ふ。盛俊、「さも。」と思ひて、抑へながら、「さて、和君は誰。」と問ふに、「これは、武蔵国の住人猪俣近平六則綱とて、東国には名誉の者なり。兵衛佐殿の御内には、一二の者に数へられたり。そもそも又、御辺はたれぞ。」と返して問ふ。「これは、平家の侍に、京童部までも数へらるゝ、越中前司盛俊と云ふ者ぞ。」と答へたり。近平六、「あゝ、さては、聞こえ給ふ人にこそ。弓矢取つても並ぶ者なく、情も類少なしと伝へ承る。則綱、只今御辺に切られんずれども、よき敵に組みてけり。同じくは死ぬとも、雑人のために切られんよりは、しかるべき事にや。但し、殿原は、今は落人ぞかし。されば、則綱一人を討ちたりとても、平家、世におはせん事あるまじ。主、世におはせずば、たとひ則綱が首を捕りたりとも、神妙とて勧賞勲功に預かり給はん事、いざ知らず。只、則綱が命を生けられよかし。鎌倉殿に申して、和殿並びに親しき人々をも宥め申さん。」と云ひければ、盛俊、嬉しく思ひて、猶抑へながら、「実に助け給ふべきか、猪俣殿。」と問ふ。「仔細にや及ぶべき。我を助け給ひたらん人をば、いかでか我も助け奉らであるべき。怪しの鳥獣だにも、恩をば忘れずとこそ申せ。いはんや人として忘るべきに非ず。ためし、外になし。池の尼御前の兵衛佐殿を助けさせ{*21}給ひたれば、同じく平家の御一門ながら、『池殿の公達をば、たすけまゐらすべし。』とぞ承り候へ。」と云ひければ、盛俊、「実に。」と思ひて、おめおめと引き起こして、前は畠、後ろは水田なる所の中に畔のあるに、二人尻打ち懸けて、心静かに物語を始む。
越中前司、申しけるは、「やゝ、猪俣殿。盛俊は、男女の子供二十余人持ちて候ぞよ。我一人に侍るならば、いかでも候べし。彼等が行く末の悲しさに、御辺の命を助け奉るなり。同じく御恩あるべくば、いづれをも相構へて申し宥め給へ。」と云ふ。近平六は、「宗徒{*22}の御辺を助け奉らんに、末々の事は、さこそ候はんずれ。中々仰せにや及ぶべき。」と云ふ処に、塩谷五郎惟広と云ふ者、五騎にて浜の方より馳せ来る。「あはれ、よき敵に行き合ひて、分捕せばや。」と思ひたる景気なり。盛俊、これを見て、よに怪しげに思ひて、「源氏の軍兵、近付き候。『降人なり。』と、あひしらひ給へ、猪俣殿。」と云ふ。近平六、立ち上がり、これを見て、「いやいや、事かくまじ。塩谷五郎惟広なり。覚束なく思ひ給ふべからず。」といへども、猶惟広に目をかけたり。
則綱、思ひけるは、「惟広を待ち付けて盛俊を討ちたらば、『二人して討ちたり。』と人のいはんも本意なし。和与{*23}して命は生きたれども、とても遁るまじき盛俊なり。塩谷に取られて云ひ甲斐なし。後の世をこそ弔はめ。」と思ひ、「則綱、かくて候へば、心苦しく思ひ給ふべからず。」とて、もとの所に居直る様にて、左右の手に力を加へて、真つさかさまに後ろの深田に突き倒す。盛俊、頭は水の底に、足は岸の端に、「起きん、起きん。」としけるを、則綱、上にのらへて{*24}頚を掻く。太刀の鋒に貫きて、高く捧げて馬に乗り、大音揚げて、「敵も味方も、これを見よ。平家の侍、今日近ごろ鬼神と聞こえつる越中前司盛俊が頚、猪俣近平六則綱、分捕にしたり。」と叫びけり。誠にゆゝしくぞ聞こえける。かの刀は、薩摩国の住、浪平造りの逸物{*25}なりけり。
校訂者注
1:底本は、「人の音(おと)」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
2:底本は、「嘶(いば)え」。
3:底本は、「臥して起きざりけり。」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い補った。
4・17:底本頭注に、「源義経。」とある。
5:底本は、「占形(うらかた)」。底本頭注に、「占に出た象」とある。
6:底本は、「本(ほん)にせよ」。底本頭注に、「手本にせよ。」とある。
7:底本頭注に、「馬の後脚。」とある。
8:底本は、「護田鳥毛(うすべを)」。底本巻35「粟津合戦の事」頭注に、「オスメフ(今の鷭といふ鳥か)転語で鷲の羽の本と末と薄黒いのをいふ。」とある。
9:底本頭注に、「馬の右の琵琶股のことで鞭の当るところ。」とある。
10:底本頭注に、「親子相扶ける意にて当時の諺。」とある。
11:底本頭注に、「素立即ち枝の細く直きもの。」とある。
12・13:底本、この間は漢文。
13:底本は、「被(ル)(レ)食(ハ)、食旁以(テ)下(レ)疎。此の」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
14:底本は、「竪(たて)さま蜘蛛手(くもで)」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い補った。
15:底本は、「はと寄せ」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
16:底本は、「有様(ありさま)に、」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
18:底本は、「海の藻塩(もしほ)」。底本頭注に、「海中。」とある。
19:底本は、「乗らせじ」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
20:底本は、「海に沈みける。」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い補った。
21:底本は、「助け給ひたれば、」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い補った。
22:底本は、「宗徒(むねと)」。底本頭注に、「おもなる人」とある。
23:底本は、「和与(わよ)」。底本頭注に、「鎌倉時代の語。問答中一方の申し出を承認して和解すること。」とある。
24:底本頭注に、「乗りて」とある。
25:底本は、「一物(もつ)」。底本頭注に従い改めた。
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