遊巻 第三十九
友時重衡のもとに参る 附 重衡内裏の女房を迎ふる事
本三位中将{*1}の侍に木工馬允友時と云ふ者は、八條院に兼参しける者なり。「平家、都を落つ。」と聞こえしかば、「友時も、定めて重衡に具して下らんずらん{*2}。」とて、八條院より友時を召して、人に預け置かれたりければ、力及ばで、西国へも{*3}下らずしてありけるが、「三位中将、いけどられて都に上り給ひたり。」と聞きて、預かりの武士のもとに行き向ひて、「これは、八條院に木工馬允友時と申す者にてはべるが、これに御渡り候なる三位中将殿は、年ごろの主君にておはししかば、御一門に相具して、西国下向の時、御伴申すべかりしを、折節、身に相いたはる事ありて、心ならず罷りとゞまりたりしかば、如何なり給ひぬらんと、月頃日頃、御ゆくへの覚束なく思ひ奉りつるに、御上りと承れば、今一度、余りに見まゐらせたくて、推参仕れり。しかるべくは、御免を蒙りなんや。」と申しけれども、武士、これをゆるさず。友時、腰の刀を抜いて、武士の中へなげ入れて、腕頚を取り腰をかゞめ{*4}、「ひが事、更に候まじ。只年ごろの御情、忘れ難く思ひ奉り、一目見えもし奉り{*5}、見もまゐらせばやの志ばかりの事なり。」と、泣く泣く歎き申せば、土肥次郎、世にも哀れに思ひければ、「何かは苦しかるらん。」とて、ゆるし入れけり。
三位中将は、友時を見付け給ひ、傍近く呼び寄せて、「あはれ、如何にして参りたるぞ。珍らしくこそ。」と、宣ひも敢へず、袖を顔に押し当てて、御涙せき敢へ給はざりければ、友時も、共に袂を絞りけり。やゝ久しくありて、互に昔今の物語し給ひける中に、中将、宣ひけるは、「さても内裏に、年頃おろかならず申し馴れたる女房あり。都を落ちし時も、取りあへぬ事なりしかば、云ひたき事もありしかども、むなしく止まりぬ。年月の重なりぬるに付きても、いぶせさのみ積もれば、文をやりて、返り事をも見るならば、かかる憂身の慰みにもとは思へども、誰してやるべしともなかりつるに、友時、持ちて行きなんや。」と宣へば、「やすき程の御事にこそ。」と申す。三位中将、悦びて、土肥次郎に仰せられけるは、「年頃相知りたる女房のもとへ、文をやらばやと思ふは、叶はじや。」と問ひ給ひければ、猛き夷{*6}なれども、さすが岩木ならねば、哀れとや思ひけん、「何か苦しく候べき。」とて、ゆるし奉る。「さりながら、御文をば見まゐらせん。」と申しければ、見せられけり。土肥次郎、これを披き見れば、誠に女房のもとへの御文なり。歌もあり。実平、哀れにぞ思ひける。
友時、御文を賜はりて、内裏へ参りけるが、未だ明かかりければ、その辺近き小家に立ち入りて、くれ程に、かの女房の局近くたゝずみて思ふやう、「そも三位中将殿は、かく思し召せども、女房は御心替はりもやあるらん。左様ならんには、いみじからぬ御身に、中々如何あるべかるらん。」と思ひつゝ、やゝ久しく立ち聞けば、かの女房の声して、かたへの女房に語るとおぼしくて、「人にも勝れて世のおぼえもありき。また、心様も類なかりしかば、情を懸けぬ者もなかりき。我が身も馴れ初めて、年頃にもなりしかば、何事に付けてもへだてなく、憑もしき事にこそ云ひしか。都を落ちなんとせしにも、取り敢へざる事なりしかば、はかばかしく心静かなる事もなかりしに、云ひし事は、『我は、西国へ落ち行きなんず。別れて後の恋しさを、かねて思ふこそ悲しけれ。人は、同じ心ならずもやあるらん。我が心よりおこらぬことなれども、日本第一の大伽藍{*7}を焼亡したれば、末の露、本の雫に帰りつゝ、人に勝れて罪深くこそあらんずれ。終に如何聞きなし給はんずらん。』と物語せしかども、そも、さるべきかはと思ひしに、人しもこそ多きに、生きながら捕らはれて、京田舎、恥をさらす事の心憂さよ。三位、都を出でにし後には、堪へ忍ぶべしとも思はざりしかば、雲の上のまじはりもものうけれども、ひとり隙なく歎かんも罪深ければ、時の間も慰み忘るゝ事もやとこそ思ひしに、露の命と云ひながら、消えもうせなで、又憂き事を聞く悲しさよ。」とて、忍びもあへず泣き悲しみ給ふこゑしけり。
友時、「さては、この女房も、忘れず歎き給ひけり。」と哀れにおぼえて、立ち寄り、戸を打ち叩き、「もの申さん。」といへば、内より童さし出でて、「いづこより。」と問ふ。忍びごゑに、「三位中将殿より。」と申せば、さきざきは人にも見え給はぬ女房の、余りの有り難さにや、人目も恥も忘れつゝ、端近く出で給ひ、「いかにや、いかにや。」と問ひ給へば、「御文、候。」とて差し上げたり。披き見給へば、「いかならん野の末山の奥にも、甲斐なき命あらば、申す事もありなんとこそ思ひしに、そも叶はで、生きながら捕らはれて、恥をさらす事の心うさ。これも、しかるべき先の世の報いにこそと思へば、我が身の咎とおぼえて、人を怨む事なし。さてもこの世に候はん事、今明にこそ。いかでか今一度、相見奉るべき。」なんど、哀れに心細き事ども、細々書き続けて、奥に一首ぞ有りける。
涙川浮名を流す身なれども今一しほの逢瀬ともがな
女房、この文を見給ふに、いとゞせん方なくて倒れ臥し、引きかづきてぞ泣き給ふ。友時も、これを見奉り、「よしなかりける御使かな。」とぞ悶えける。やゝ久しくありて起き上がり、「使の待つらんも、心づきなし{*8}。」とて、細かに返事書き給ひつゝ、帰されけり。
三位中将、返事を待ち得て、限りなく悦び、披き見給へば、「いづくの浦にもましまさば、自ら申す事こそ難くとも、露の命のあらん限りは、風の便りにはとこそ思ひ侍りつるに、さては近き限りにおはすらん事こそ悲しけれ、誠に人の{*9}さもおはせんには、我が身とても、日ごろの歎きに打ち副へて、ながらへん事も有り難し。誠にいかにもしてか、今一度見奉るべき。」と書き給ひて、
君故に我も浮名を流しなば底のみくづとともにならばや
中将は、この文を見給ひては、物もおぼえず只泣き給ふばかりなり。
この女房と申すは、故少納言入道信西の孫、桜町中納言成範卿の娘、中納言局とぞ申しける。今年二十一にぞ成り給ふ。琴、琵琶の上手にて、絵書き、花結び、歌読み、手いつくしく書き給ひける上、貌細やかに、情深き人にておはしければ、三位中将、殊にわりなき事に思ひ入り給ひて、替はる心なく申し通はし給ひける御中なり。御子一人おはしけれども、北の方、大納言佐殿に憚り給ひて、世には、かくとも披露なし。西海の旅までも、引きつれ奉りたく思しけるが、大納言佐殿、先帝の御乳母とて下らせ給へば、そも叶はで、都に残し置き給ひけるなり。
三位中将、返事披き見給ひ、悲しき中にもなゝめならず悦び、又土肥次郎に宣ひけるは、「この文の主の女房を呼びて、最後の見参して、申したき事の侍るは、ゆるし給ひてんや。かかる身になりぬる上は、何事をかとおぼすらめども、尽きぬ思ひの晴れ難ければ、今一度逢ひみばやと思ふなり。如何あるべき。」と問ひ給へば、「実の女房にておはし侍らんには、などか苦しかるべき。」とて、ゆるし奉る。中将、悦びて、友時して乗り物尋ね出でて、内裏へ遣はす。女房、世もつゝましく思し召しけれども、せめての志の余りに、御車に召し、出で給ひけるが、涙にくれて、行くさきも見え給はず。かの宿所におはしつきて、車差し寄せて、「下りん。」とし給ひければ、中将、急ぎ立ち出でて、「武士の見んも、見苦しくはべるに。」とて、我が身は縁に立ちながら、車の簾うち纏ひ、手に手を取り組み、互の涙せきかね給へり。
中将、やゝありて宣ひけるは、「都を落ち下りしとき、友時が他行して侍りしほどに、何事も申し置かず、文をも奉らずして下りたりしかば、『年頃日頃申しし事は、皆偽はり事にてありけるよ。』と、思し召しなん恥づかしさよと思ひしかば、軍に出づる日は、今日は矢に中りて死なば、又申さでもや果てなんとは思はれ、船に乗る時は、今日や水に沈みて、晴るゝ事なくて止まんと悲しかりしに、今度生きながら捕らはれて、故郷の大路を渡されけるは、人を{*10}再び見奉るべき契りの朽ちざりけるにや。」とて泣き給へば、女房は、ことばも出されず、只泣くより外の事なし。
ふけ行く儘に、夜もすがら御物語し給ひけるに、中にも女房は、三位中将の事は、今はさる事にて如何せん。御子の事をぞ歎かれける。「西海に落ち下り給ひて後は、東国の武士、家々に充ち満ちて、うつゝなき世の中なれば、如何なる憂き事をか見聞かんずらんと、明けても暮れても肝心を迷はし、こゝに隠れ、かしこに忍びなんどするも、垣壁もいぶせければ、便りに伝へて下し奉らばや{*11}と、せめての事には思ひしかども、人にこそ{*12}生きながら別れ奉らめ、行く末遠きをさなき人をさへ、旅の空に打ち棄てん事よと悲しければ、さてこそ過ごし侍りしか。西海の波の上に、さてもおはしましし程は、再び昔に還る事もやと、愚かに思はれつるに、今はかくなり給ひぬれば、憑む甲斐なし。さては、何となるべき世の中ぞや。御身の果て、如何聞きなし奉るべき。」と、忍びねにて泣き給ひけり。
三位中将は、「我、罪深き者とて、かかる身になりぬる上は、申し置きしあらまし{*13}も、夢の中の物語なり。罪深き者の子なれば、枝葉までも末憑もしくはなけれども、如何にもして助け隠して、片山寺に下し置き、僧になして、我が苦しみを弔はせ給へ。」と仰せられて、袖のしがらみ、せきかね給へり。
昔今の物語、夜を重ね、日を重ぬとも尽き難くおぼしけるに、暁かけて打ち響く野寺の鐘の声、やもめ烏の一声、今夜も明けぬと告げ渡る。尾上にかへる白雲、西山に傾く暁の月、互になごりは惜しけれども、さてあるべき事ならねば、「疾く疾く。」とて返されける。女房、別れを悲しみて、車の内に倒れ伏し、物もおぼえず泣き給ふ。既に車を遣り出さんとし給へば、三位中将、飽かぬなごりの悲しさに、女房の袂をひかへつゝ、「命あらば、又も見奉る。嬉しくこそ。世になきものと聞き給はば、必ず後世弔ひ給へ。」と宣ひて、
あふ事も露の命ももろともに今宵ばかりや限りなるらむ
女房、泣く泣く、
限りとてたち別れなば露の身の君よりさきに消えぬべきかな
とて出で給ひけるが、「こゝにおはしまさん程は、常によ。」とばかりにて、又、物も宣はず、車を遣り出し給ひけり。後にこそ、これを最後とは{*14}思しけん永き別れの心の中、帰るも止まるも、推し量られて哀れなり。
女房、内裏に帰り給ひたりけれども、うち臥し給ひて、衣引き纏ひて、只泣くより外の事ぞなき。かたへの女房達も、ともに袖をのみぞ絞りける。その後は、中将の仰せられけれども、武士、ゆるし奉る事なかりければ、時々消息ばかりこそ、友時して通ひけれ。女房は、内裏にもかくておはせん事、つゝましくおぼしければ、里にのみこそ住み給へ。せめての事と哀れなり。
校訂者注
1:底本頭注に、「平重衡。」とある。
2:底本は、「下られずらん」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
3:底本は、「西国へ下らずして」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い補った。
4:底本頭注に、「哀願する貌。」とある。
5:底本は、「一目(ひとめ)見も進ばや」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い補った。
6:底本は、「猛(たけ)き夷(えびす)」。底本頭注に、「関東武士を指す。」とある。
7:底本頭注に、「東大寺大仏殿をいふ。」とある。
8:底本頭注に、「不本意。」とある。
9・12:底本頭注に、「人とは重衡を指す。」とある。
10:底本頭注に、「人とは中納言局を指す」とある。
11:底本頭注に、「〇垣壁もいぶせければ 詩経に『君子無易由言耳属于垣。』とあるにより世間の耳目を憚るのをいふ」」「〇便りに伝へて下し奉らばや 中納言局の腹に生まれたる子供なり。」とある。
13:底本頭注に、「大略。」とある。
14:底本は、「最後(さいご)と思(おぼ)しけん、」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い補った。
コメント