時頼横笛の事
三條斎藤左衛門大夫茂頼が子に、斎藤滝口時頼入道と云ふ者あり。かの時頼は、小松大臣殿{*1}に候ひけるが、高倉院御位の時、建礼門院、后宮にて渡らせ給ひけるに、二人のはしたもの{*2}あり。横笛、刈萱とぞ云ひける。共にみめ形、類なく、心の色も情あり。刈萱をば、越中前司盛俊、相具しけり。
横笛と云ふは、もとは神崎の遊君、長者の娘なり。大方も無双の能者、今様、朗詠は、所の風俗なれば、云ふに及ばず。琴、琵琶の上手、歌道の方にも勝れたり。太政入道、福原下向の時、召し具したりけるを、女院、未だ中宮にて渡らせ給ひける時、まゐらせられたり{*3}。小松内府、如何おもひけん、横笛と名を付けられたり。時頼、人知れぬ見参して、あからさまと思ひけれども、松蘿の契り、色深く、蘭菊の情、匂ひ細やかにして{*4}、志、切にして思ひける。
父、この事を聞きて、滝口を呼びつゝ、「横笛は、当時殿上の官女なり。それに汝が契りを結び、通ふと云ふ事、世にあまねく披露あり。この事、もし上聞に達せば、珍事出で来りなん。『かやうに尾篭{*5}ならんを、その親として教訓せざるの條、奇怪なり。』と仰せ下されば、身に取つて一期の大事、面目を失ふべし。その上、憑もしき人の婿に成つて、世に立つべき振舞ひもあるべし。かやうのひとり人を相憑みては、遂にいかなるべきぞ。由なきことなり。」と、様々云ひけれども、しかるべき先世の契りにや、つゆ忘れ難かりければ、父母の諌めにもかゝはらず、いとゞ志浅からず通ひければ、父茂頼、重ねて時頼を呼びむかへて、様々教訓して、「所詮、親の命に随はずんば、不孝なり{*6}。」と云ひければ、「仰せ、畏まつて承り候ひぬ。」と申して、父が前を立ち、常に住みける所に立ち入りて、安然{*7}として思ひけるは、「あな、あぢきなの事どもや。程なきこの世に住まひつゝ、心に任せぬ悲しさよ。たとひ長命を保つとも、七、八十にはよも過ぎじ。もし又栄華に誇るとも、二十年をば出づべからず。夢幻の世の中に、楽しければとて、にくからん女に相具せん事、心憂し。同僚、傍官が、『欲にふける。』と笑はん事も、いと恥づかし。但し、これ程の父の教訓し給ふ事を用ゐずんば、逆罪なり。不孝父母当堕悪道と云ふ故に、さても終はりなば、地獄に入るべし。親の命に随つて、女の心を違へば、永き世の恨みあり。繋念無量劫と云ふ故に、とにもかくにも、世にあらば悪縁なり。不孝なり。如かじ、棄恩入無為は真実報恩のもの{*8}といへり。しかるべき善知識にこそ。」と思ひきり、生年十八の歳、菩提心をおこしつゝ、嵯峨の奥の法輪寺にして出家し、法名阿浄と名を付けて、行ひ澄まして居たりけり。
深く契りし中なれども、時頼、かくとも云はざれば、横笛、つゆも知らざりけり。日頃月頃経けれども、夫も見えず、おとづれもなし。「只かりそめの契りかや、移れば替はる心か。」と、ひとり思ひに焦がれけり。「たとひ我がもとへこそ通はずとも、本所の衆{*9}にて侍るに、出仕の止まるべき事はなし。」と、昼は終日に思ひくらし、夜は八声の鳥{*10}と鳴き明かす。心は日々に駿河なる、富士の高峯と焦がるれども、煙たたねば人とはず。さりとて人に知られねば、語りて慰む方もなし。呉竹の夜ごとに物が思はれて、音のみ泣かれて琴の音の、伊勢国鈴鹿山の心して、「何となる{*11}べき我が身やらん。」と、朝夕歎きけるこそ哀れなれ{*12}。
たまたまありと聞こえつゝ、「我ゆゑ、様を替へけん事の無慙さよ。世を背き、深き山に篭るとも、などかはかくと知らせざる。夜かれ日かれ{*13}をだにも歎きしに、絶えぬる{*14}中こそ悲しけれ。人こそ心強くとも、尋ねて恨みん。」と思ひければ、忍びて内裏を紛れ出で、法輪寺へぞ尋ね行く。暮れ行く秋の習ひとて、道芝の露深ければ、夜寒になりぬ。旅衣、重ねし妻{*15}こそ恋しけれ。十市の里の砧の音、よわりはてぬる虫の声、一方ならぬ哀れさも、「誰ゆゑに。」とぞ悲しみける。
都をば、月と共に出でたれども、まだ踏みなれぬ道なれば、涙に曇る夜の空、こゝかしこにぞ迷ひける。つゞきの里もおともせず、人を咎むる里の犬、声澄む程になりてこそ、法輪寺には入りにけれ。この寺とは聞きたれども、住むらん坊は知らざりけり。女、その夜は御堂に詣で、仏の御前に通夜しつゝ、「南無帰命頂礼大聖虚空蔵菩薩。あかでわかれし滝口に、今一度。」と、心中に祈念して、礼拝をぞ奉りける。「人の心を尽くしつゝ、我も思ひにこがる。」とぞ、思ひ合はせて悲しみける。五更の鐘も鳴りければ、さすが人目もいぶせくて、むなしく帰りける程に、「せめてはその庵室とも知らばや。」とて、こゝかしこやすらひけり。
住み荒らしたる僧坊の、さすがよしある門の中に、法華経の提婆品をよむ声しけり。いとあやしくくたち聞けば、「若有善男子善女人、聞妙法華経提婆達多品、浄心信敬不生疑惑者、不堕地獄餓鬼畜生、生十方仏前、所生之処、常聞此経、若生人天中、受勝妙楽、若在仏前、蓮華化生。」と読み止めて、声を揚げて、「あゝ、三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、是三無差別。」と云ふ華巌経の文を、くり返しくり返し、二、三返をぞ唱へたる。聞けば、尋ぬる滝口入道が声なりけり。思ふが{*16}呼ぶ声はきこゆなる例も誠なる心地して、暫くこれを立ち聞けば、滝口入道申しけるは、「我が親、世にありしかば、なに不足ともおもはざりしかども、横笛がことに、心に叶はぬ憂世の中もおもひ知られて、様をかへ、かく行ひて候へば、悲しき女はかへつて菩提の善知識とおぼえたり。人は、心弱くては、仏道は遂ぐまじきにてありけるぞ。後生は、さりとも助かりなんものを{*17}。」なんどぞ口説きたる。
横笛、慥かにこれを聞き得つゝ、軒近く立ち寄りて、竹の編戸を叩きけり。内より、「誰。」と問ひければ、「横笛。」とぞ答へける。滝口入道、これを聞き、「誠ならぬ事かな。」と、胸打ち騒ぎ、障子の間よりこれを見れば、実に横笛にぞありける。色々の小袖に薄衣引きかづき、そやう{*18}の耳踏みきりて、袖は涙、すそは露にぞしをれたる。夜もすがら尋ね侘びたるけしきは、堅固の道心者も、心弱くぞおぼえける。「無慙やな。誰、これにとは教へけん。何とてこれまで来りけん。出でて物語をもせばや。見えて心をも慰めばや。」と思ひけれども、主の見るも恥づかしく、云ひつることも験なく、「さては仏道成りなんや。」と思ひ切る。
人を出して、「これにはさる事候はず。人違へにておはするか。滝口とは誰人ぞ。」と、事の外に云ひければ、横笛、しひて申す様、「げに入道の声のし給ひつるものをや。様をこそ替へ給はんからに、心さへつれなくなり給ひける恨めしさよ。させる妨げになるまじ。我故にすがたをやつし給へると承れば、今一度墨染の姿をも見奉り、又、便りあらば、自らも苔の袂に裁ち替へて、花を求め香を焼き、共に後生を助からんと思ひてこそ、遥々尋ね参りたれ。それまで誠に叶はずば、只出で給ひて今一度見え給へ。」と云ひければ、入道、千度百度、「出でばや。」と思へども、云ひつる事も恥づかしく、「出でて由なき事もや。」と思ひつゝ、遂に隠れて逢はざりけり。頃は十月中の六日の事なれば、嵐に伴ふ暁の鐘、今夜も明けぬと打ち響き、月に輝く紅葉葉も、幾重軒端につもるらん。落つる涙に時雨れつゝ、横笛、袖をぞ絞りける。
たまたまありと聞き得つゝ、声をたよりに尋ぬれば、主の僧ははしたなく、「なし。」と答へて出ださねば、憂身の程もあらはれて、今は人を恨むに及ばず、さすが明け行く空なれば、「人のため、つゝまし{*19}。」と思ひつゝ、
山ふかみ思ひ入りぬる柴の戸の真の道に我をみちびけ
と読みすてて、「この世の見参はかなはずとも、朽ちせぬ契りにて、後世には必ず。」と、「さらば、暇申して。入道殿。」とて、女、そこより帰りにけり。
時頼入道も、心強くは出でねども、にくからぬ中なれば、庵室の隙より後ろ姿を見送りて、忍びて袖をぞしぼりける。
横笛は、泣く泣く都へ帰りけるが、つくづく物を案じつゝ、「如何なる{*20}滝口は、かなしき中を思ひきり、かく心づよく世を背くぞ。如何なる我なれば、蚫の貝の風情{*21}して、つれなくながらへて、よしなき物を思ふべきぞ。」と思ひければ、桂川の水上、大井川の早瀬、御幸の橋のもとに行き、かづきたりける朽葉色の衣をば、柳のえだにぬぎ懸け、思ふ事ども書き付けて、同じ枝に結ひ置き、歳十七と申すに、河のみくづとなりにけり。法輪近き所にて、入道、この事を聞き、河端に赴き、水練を語らひて淵に入り、女の死骸を潜り上げ、火葬して、骨をば拾ひ、頚に懸け、山々寺々修行して、こゝかしこにぞ納めける。「いかにも都近ければこそ、かかる憂き事をも見聞け。」とて、高野山に登りつゝ、奥の院に卒堵婆を立てて、女の骨を埋づみつゝ、我が身は宝幢院の梨の坊にぞ住しける。(異本には、蓮華谷、小松大臣の建立と、云々。)
校訂者注
1:底本頭注に、「平重盛。」とある。
2:底本頭注に、「賤しき召仕女。」とある。
3:底本は、「進(まゐ)られたり。」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
4:底本頭注に、「〇松蘿の契り云々 情愛のこまやかなのにたとへていふ。」とある。
5:底本は、「尾篭(びろう)」。底本頭注に、「はしたなきこと。」とある。
6:底本は、「不幸なり。」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
7:底本頭注に、「闇然であらう。」とある。
8:底本頭注に、「〇棄恩云々 恩愛を断捨し無為真如の道に入る時は却つて父母妻子を救ふべき地位に達するが故に真実の報恩の義を成ずる意。」とある。
9:底本頭注に、「時頼が滝口の武士であるからいふ。」とある。
10:底本頭注に、「幾声も鳴くので鶏の異名。」とある。
11:底本頭注に、「何と鳴ると言ふにかけていふ。」とある。
12:底本は、「哀れなり。」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
13:底本頭注に、「一日一夜の別離。」とある。
14:底本は、「絶えぬ中」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
15:底本頭注に、「重ねた褄といひかけていふ。妻は夫のこと。」とある。
16:底本は、「思ふか呼ぶ声は」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
17:底本は、「助かりなんものをなん。』とぞ」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
18:底本頭注に、「草履の類であらう。」とある。
19:底本頭注に、「〇人のため 時頼のため。」「〇つゝまし よろしくあるまい。」とある。
20:底本頭注に、「如何なればの意。」とある。
21:底本は、「蚫(あはび)の貝(かひ)の風情(ふぜい)」。底本頭注に、「片思ひの意。」とある。
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