巻 第四十八

女院吉田御住居 同 御出家の事

 建礼門院と申すは、平家太政入道清盛の御娘、高倉院の后、安徳天皇の御母儀におはしましき。悪徒に引かれて都を出でて、三年の間、西海に落ち下らせ給ひて、舟の中、波の上に漂ひ給ひし程に、元暦元年三月二十四日に、長門国門司関壇浦にて源氏のために攻められつつ、あるいは命を白刃のさきに失ひ、あるいは身を蒼海の底に沈めつゝ、上下悉く亡び給ひし時、建礼門院も、先帝と同じく海中に入りおはしけるを、渡辺党に源兵衛尉眤が子に源五馬允番と云ふ者、取り上げ奉りたりければ、それよりあらけなき武士の手に懸かつて、西国より都へ還り上り給ひて、東山の麓吉田の辺なる所にぞ立ち入らせたまひける。
 中納言法橋慶恵とて奈良法師なりける者の朽ち坊なり。住みあらして年久しくなりにければ、庭には草深うして、軒のしのぶ茂り、簾絶えて、ねや顕はなれば、雨風もたまるべくもなし。昔は玉の台をみがき、錦の帳に纏はれて明かし暮らしたまひしに、今は、ありとある人には皆別れ果てて、浅まし気なる朽ち坊に、只一人落ち著き給へる御心の中、いかばかりなりけん。道の程、ともなひ給ひつる女房達も、これより皆散り散りに成り果てて、御心細さにいとゞ消えいるやうにぞ思し召されける。誰憐れみ誰育み奉るべしとも見えず。魚の陸に上るが如く{*1}、鳥の子の巣を離れたるよりも猶ほ悲しく、うかりし波の上、船の中の御住居、今は恋しく思し召さるゝ。「同じ底のみくづとも成りぬべかりし身の、せめての罪の報いにや、残り留まりて。」と思し召せども甲斐ぞなき。「天上の五衰の悲しみ、人間にもありけるものを。」とぞ思し召し知られける。
 五月一日、女院、御髪おろさせ給ふ。御戒師には長楽寺の阿証坊上人印西ぞ参られける。御布施は、先帝の御直衣とぞ承りし。上人、これを賜はりて、何と云ふことばをば出ださざりけれども、涙を流し、墨染の袖絞るばかりなり。先帝の海へ入らせ給ひけるその期まで召し奉りたりければ、御移り香も未だ尽きず。御形見とて西国より持たせ給ひたりけり。「如何ならん世までも、御身を放たじ。」と思し召しけれども、御布施に成りぬべき物のなき上、「かの御菩提の御ために。」と、泣く泣く取り出ださせ給ひけるぞ悲しき。上人、庵室に還り、かの御直衣にて十六ながれの幡を縫ひ、長楽寺の常行堂に懸けられて、御菩提を弔ひ奉り給ひけるこそ有り難けれ。「たとひ修羅闘戦の咎によつて蒼海の底に沈み給ふとも、などか常行荘厳の善に答へて、青蓮の上に生まれ給はざらん{*2}。」と、憑もしくこそおぼえけれ。
 女院は、御年十五にて内へ参り{*3}給ひしかば、やがて女御の宣旨下されき。十六にて后妃の位に備はり、君王の傍に候し給ひて、朝には万機をすゝめ奉り、夜は夜を専らにせさせ給ひ、二十二にて王子御誕生おはしましき。いつしか皇太子に立たせ給ふ。東宮、位に即かせ給ひしかば、二十五にて院号あり。建礼門院と申しき。太政入道の御娘なる上、天下の国母にておはしまししかば、世の重くし奉る事、なゝめならず。今年は二十九にぞ成らせ給ふ。桃李の粧ひ猶こまやかに、芙蓉の御形、未だ衰へさせ給はねども、翡翠の御簪、今は付きても何にかはせさせ給ふべきなれば、御様かへさせ給へり。
 憂世を厭ひ、誠の道に入らせ給へども、御歎きは休まらず。「人々の、今はかうとて海に入り給ひし有様、先帝の御面影、いかならん世にか思し召し忘るべき。露の命、何にかゝりて今まで消えやらざるらん{*4}。」と思し召し続けさせ給ひては、御涙せき敢へさせ給はず。五月の短夜なれども、明かしかねさせたまひつゝ、自らうちまどろませ給ふことなれば、昔の事を夢にだに御覧ぜず。遅々たる残りの灯火の、壁に背きたる影幽かに、蕭々たる暗き夜、窓打つ雨音しづかなり。「上陽人が上陽宮に閉ぢられたりけん悲しさも限りあれば、さびしさは、これには過ぎじ。」とぞ思し召されける。昔を忍ぶ妻となれとや、もとの主や移し植ゑたりけん軒近き花橘の、風なつかしく薫りたりける折しも、山郭公の一声二声おとづれて、遥かに聞こえければ、御涙をおし拭はせ給ひて、御硯の蓋にかくぞ書きすまさせ給ひける。
  郭公花橘の香をとめてなくはむかしの人や恋しき
と。大納言典侍、これを御覧じて、いとゞ悲しく思し召しければ、
  猶も又昔をかけて忍べとやふりにし軒に薫るたち花

大臣父子鎌倉より上洛 附 女院寂光院入御の事

 女院は、「吉田{*5}にも、かりに立ち入らせ給ふ。」と思し召しけれども、五月も立ち、六月も半ばに過ぎぬ。今日までもながらへさせ給ふべくも思し召さざりしかども、御命は限りあれば、明けぬ暮れぬと過ぐさせ給ひし程に、「大臣殿父子、本三位中将、鎌倉より還り上りたまふ。」と聞かせ給ひければ、誠ならず思し召しけれども、「甲斐なき命ばかりもや。」と思し召しける程に、「大臣殿父子は、都近き近江国勢多と云ふ所にて、うせたまひぬ。」と聞こし召しければ、悲しとも云ふばかりなし。三位中将、奈良の大衆の中へ出だされて、今は限りの御有様、御首は大卒堵婆に釘づけにせられ給へる事、又、大臣殿父子の御首、大路を渡して獄門の木に懸けられたる事、人参りて細々と申しければ、「由なく聞かせつるものかな。」と思し召しつゝ、御胸塞がり、御涙せき敢へさせ給はず。
 都に近くて、かかる事を聞こし召すに付けても、尽きせぬ御歎きは休まらせ給はず。「露の命、風を待つ程も、深山の奥にも篭り入らばや。」と思し召しけれども、さるべき便りもなし。吉田には、去んぬる文治元年九月九日の大地震に、築地も崩れ、荒れたる屋どもも{*6}、いとゞ傾き破れて、すませ給ふべき御有様にも見えさせ給はず。憑もしき人一人もなし。「地震に、地打ち返すべし。」など聞こし召せば、「惜しかるべき御命にはなけれども、只尋常にて{*7}消えいらばや。」とぞ思し召しける。くれ行く秋のさびしさは、いとゞ御心細からずと云ふ事なし。心の儘に荒れたる籬は、繁き野辺よりも露けくて、折知りがほに、いつしか虫の音声々に怨むるも哀れなり。都も尚静かなるまじき様に聞こし召しければ、「今少しかき篭らばや。」とぞ思し召しける。何事も替はり果てぬる憂世なれば、「如何に。」と申す人もなし。自ら哀れをかけ訪らひ申しける草の便りも枯れ果てて、誰育み奉るべしとも思し召さざりけるに、信隆卿の北の方と、隆房卿の北の方と、忍びつゝ、時々憐れみ申しける。
 秋も既に半ばになりぬ。御ものおもひに秋の哀れをさへうち副へて、いとゞ忍び難く思し召せば、夜のやうやう長くなる儘には、御寝覚めがちにて、明かしぞかねさせ給ひける。さても女院に候はせ給ひける女房のゆかりにて、「大原の奥に寂光院と申す所を尋ね出だしたり。」と申しければ、悦び思し召して、渡らせ給ふべきに定まりにけり。御乗物などは、冷泉大納言隆房の北の方より、忍びたる様にて女房車二両、まゐらせられけり。
 かの北の方と申すは、女院の御妹にておはしける故なり。大方も、常に訪らひ申されければ、「嬉し。」と思し召しけり。「この人の憐れみて、かくあるべしとこそ、かけても思し召さざりしか。」とて、御涙を浮かべさせ給へば、候ひ給ひける人々も、皆袖をぞ絞りける。
 頃は十月末の事にや、いと人通ひたりとも見えぬ道を、遥々と分け入らせ給ふに、四方の梢の色衰へたるを御覧ずるにつけても、「我が身の上ならん。」と、御心すまずと云ふ事なし。山陰なればにや、日も既に暮れかゝりぬ。何となく御心細く思し召すに、野寺の鐘の入相の音すごく、草葉の露にそぼぬれさせたまへり。かくて分け入らせ給へば、地形幽閑の洞の内、西の山の麓、北の山の谷の奥に、寂光院と云ふ御堂あり。あやしげなる坊もあり。「年経にけり。」とおぼえて、古りにける石の色、落ちくる水の音も、由ある体なり。緑蘿の垣、紅葉の山、絵にかくとも筆も及び難し。いつしか空かき陰り、うち時雨れつゝ、嵐烈しうして、木の葉猥りがはし。鹿の音時々おとづれて、虫の怨みも絶え絶え弱れり。秋の悲しみ、秋の哀れをさへ取り集めたる御心すごさに、古き歌を思し召し出でつゝ、
  奥山に紅葉ふみ分け啼く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき
と口ずさませ給ひけるにつけても、「浦伝ひ島伝ひせしかども、さすがこれ程はなかりしものを。」と思し召すぞ、「せめての御事。」とおぼえて哀れなる。秋の木の葉の霜を待つよりも、猶ほ危ふき御住居なり。窓打つ雨の音幽かに、松吹く風、物騒がしく、知らぬ鳥の声のみ軒近くおとづれて、たのもの雁は雲居遥かに啼きわたり、荻の上風うちそよぎ、はぎの下露、玉をたる。故ある気色、御覧じ棄て難く、昔の事ども思し召し出でさせ給ひて、御涙せきあへさせ給はざりける折しも、外面の谷の楢の葉のそよぎけるを、「誰ならん。日ごろは、さてこそありつれども、こと問ふ人もなかりつるに。故郷人のとひ来るにや。」と、御心迷ひして、急ぎ物の隙より御覧ずれば、故郷の人には非ずして、妻恋ふ鹿の籬の中をぞ通りける。山深き御住居、今更におぼし知られて、かくぞ思し召しつゞけさせ給ひける。
  里遠み誰か問ひ来む楢の葉のそよぐは鹿の渡るなりけり
かくて、御心凄く、幽かなる御住居にてぞ渡らせ給ひける。
 常は、仏の御前に参り給ひて、「過去聖霊、一仏浄土へ導き給へ。」と申させ給ふにつけても、「先帝の御面影、二位殿、今は、かくとて海へ入らせ給ひし御有様、如何ならん世にか思し召し忘るべき。露の命、何にかゝりて消えやらざるらん。」と思し召すも、理なり。御歎きは、ひしと御身に添ひて、忘れまゐらする時はなけれども、殊に悲しく思し召し出でさせ給ふ折節にや、仏の御前に倒れ臥させ給ひて、消えいらせ{*8}給ふ御事も度々なりければ、御前なる尼、女房達、「こは如何にや。」とて、抱へ奉りつゝ、をめき叫び合へり。やゝ久しくありてぞ、人心地出で来させ給ひける。「尽きせぬ御歎きの積もりにや。」とおぼえて哀れなり。かくて年月を経る程に、

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校訂者注
 1:底本は、「上るが如し、」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
 2:底本は、「などか常行荘厳(じやうぎやうしやうごん)の善に答へて、青蓮(しやうれん)の上に生まれ給はざらん」。底本頭注に、「〇常行荘厳の善 常行堂を麗美にした善行。」「〇青蓮 極楽浄土の蓮座。」とある。
 3:底本頭注に、「内裏に参ること、即ち入内」とある。
 4:底本は、「消えやらざらんと」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
 5:底本頭注に、「京都の郊外」とある。
 6:底本は、「屋(や)どもいとゞ」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い補った。
 7:底本は、「尋常(よのつね)にて」。底本頭注に、「普通の有様にて。」とある。
 8:底本は、「消えいらさせ給ふ」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。