女院六道廻り物語の事
法皇、申させ給ひけるは、「何事につけても、如何に昔も恋しく、便無き御事にて候らん。隔てなく仰せられよ。昔のよしみ、更に忘れまゐらせず。」と聞こえさせ給へば、女院、仰せのありけるは、「何かは便なく候べき。朝夕の事は、隆房の北の方{*1}、訪らひ申せば煩ひなし。かかる身となりて候。一旦の歎きに任せてこそ、君をも恨み申し候ひつれども、誠は、将来不退の悦びと思ひ取りてこそ候へ。
「今更申すに及ばざる事なれども、偕老同穴の眤びをなして、千秋万歳と祝ひし竜顔{*2}に別れ奉りて、幾程もなく父相国に後れ候ひにき。都の外に漂ひて後は、又八條の尼公にも別れ、天津御子にも後れ奉りぬ{*3}。親しき人々を始めて、有りと有りし者ども、唯一時に亡びにき。親を思ひ、子を悲しむ心は、獣すら猶ほ深しと申す。まして人界の類には、何事かこれにすぎん。釈尊入滅の時は、身子の羅漢{*4}、五百の弟子の悲しみのこゑ、天に昇り、地を響かす。迦葉尊者{*5}のをめきけるこゑは、三千世界に聞こえけり。生者必滅の道、愛別離苦の理なれども、この身の有様は、昔も今もためし少なうこそ候ひぬれ。いかばかりかは惜しくも悲しくも候ひし。されども、殺さぬ命、かぎりあれば、一人残り留まりて、かの後生菩提を弔ひ候へば、賢くぞ残り留まりにける。貧女が一灯とかやも、かくこそとおぼえ候。諸仏薩埵、いかでか納受し給はざらん。
「中にも、繰り言{*6}の様に候へども、五障三従の身{*7}を持ちながら、早く釈迦大師遺弟につらなる竜女が成仏、憑みあり。忝く弥陀他力本願を信ず。韋提の得悟、疑ひなし。この世は仮の宿なれば、屠所の羊の足早き思ひをなし、月日の鼠の口騒がしき観を凝らしつつ、三時に六根の罪障を懺悔して、一筋に九品の蓮台を相待つ。臨終の夕に一念の窓を開きて、順次の暁、三尊の迎へを得ん事、これ既に一旦別離の故に候。法華経には、『善知識は、これ大因縁。』と説かれたり、かの浄蔵、浄眼は、生きて父の知識たり。安徳天皇は、崩じて母の知識たり。されば、今度生死を離れ、菩提に到らん事は、思ひ定めて候。『三界無安、猶如火宅。衆苦充満、甚可怖畏。』と説かれたれば、さなしとても、心ある人は厭ふべし。いはんや我が身、か程の憂目にあひながら、いかでかつれなく思ひ知らず、むなしく過ごし候べき。
「また、韋提希夫人の、悪子のために閉ぢられて、如来を請じ奉り、『不楽閻浮提、濁悪世也。此濁悪処、地獄餓鬼畜生盈満、多不善聚。』と歎き給ひけんも、思ひ知られ候。その故は、人は皆、生を替へてこそ六道をば見候へ。そも隔生即忘{*8}とて、生死、道へだたりぬれば、昇沈苦楽、悉くに忘れ、胎卵湿化、一つとして覚えず。それに、自らこそ生を替へずして、まのあたり六道の苦楽を経廻り候へ。天上人中の快楽も、夢の中の戯れ、地獄鬼畜の愁歎も、迷ひの前の悲しみなり。今は、見たき所もなく、住みたき境も候はず。されば、日に随ひ、衆苦充満の穢土の厭はしく、時を逐ひ、快楽不退の極楽は、ねがはれ候へば、さりとも今度は生死をば離れ候ひなんと、憑もしく候へば、世の事、つゆ思はず。されば、何事にかは今更貪る思ひもあり、諂ふ心も候べき。」と申させ給ひければ、法皇、聞こし召して、「この條、覚束なく候。天竺には、釈迦如来の御弟、難陀尊者在俗の時、仏の通力に随ひ奉り、九山八海を廻り、天上地獄を見たりき。唐土には、玄弉三蔵、まのあたりに六道を見たまひき。我が朝には、金峯山の日蔵上人、蔵王権現の御誓ひによりて六道を見たりとは、承り伝へたり。かれ等は皆、大権の化現たる上、仏神の通力によつて見て候。女人の御身として、正しく六道を御覧じける事、実しからぬ様にこそおぼえ候へ。」と仰せければ、女院、うち笑はせ給ひて申させ給ひけるは、「勅諚、誠にさる事に候へども、自ら生を替へずして、六道の苦楽を経たる有様を、この世になぞらへて申し候はん。
「我が身、入道相国の世に候ひし時、その娘として、何事にか乏しく候ひし。院の御位の時は、后の宮にて候ひしかば{*9}、十五にて内へ参り、やがて女御の宣旨を下され、十六の時、后妃の位に備はり、君王の傍らに候ひて、朝には朝政を進めまゐらせ奉りて、夜は夜を専らにして、二十二にて王子御誕生ありしかば、春宮にこそ立たせ給ふべかりしかども、いつしか天子の位につかせ給ひしかば、二十五にて院号賜はりて、建礼門院と云はれ、天下の国母と仰がれし後は、百敷の大宮人にかしづかれて、一天四海を掌の内に握り、百官万民を眼の前に照らしつゝ、竜楼鳳闕の九重の中に、清涼紫宸の床を相並べ、玉の簾の内、錦の茵の上にして、詩歌、管絃、扇合、絵合の興に戯れ、玄上、鈴鹿、河霧、牧馬{*10}のしらべを聞き、大内山の花の春は、南殿{*11}の桜に心を澄まして、日の長き事を忘れ、清涼殿の秋の夜は、雲居の月に思ひを懸けて、夜の明けなん事を歎き、冬は右近の馬場にふる雪を、まづさく花かと悦び、夏は木陰涼しき暁に、初郭公の音も嬉し。玄冬素雪のさゆる朝なれども、衣を重ねて嵐を防ぎ、九夏三伏の熱き夕には、泉に向つて納涼す。長生不老の術を求めて、衰へざる事を願ひ、蓬莱不死の薬を尋ねて、久しく保たん事を思ひき。乳泉の滋味、朝夕に備へたり。綺羅の妙なる色、夜も昼もかざらんとす。一門の栄華は堂上花の開くが如く、万人の群集は門前に市を立つるに異ならず。かの極楽世界の荘厳も、菩薩聖衆の快楽も、いかでかこれにはすぎんとおぼえ候ひき。貧しき事なくほこりて、乏しき事を知らず。醜き事なし。忘れて善所をねがはず。明けても暮れても楽しみ栄えし事は、大梵王宮の高台の閣、天帝釈城の勝妙の楽しみ、衆車園の遊び、歓喜園の戯れ、ねがはざるにふるなる忉利天の葡萄、打たずして鳴る帝釈宮の楽の音、かくこそと思ひ侍りき。
「これは暫く天上の楽しみと思ひ候ひしに、去にし養和の秋の初め、七月の末に、木曽義仲に都を落とされて、行幸、俄になりしかば、九重の内を迷ひ出でて、八重立つ雲の外をさし、故郷を一片の煙とうち眺め、旅衣万里の浪に片敷きて、浦伝ひ島伝ひして明かし暮らし、折々に波間幽かに千鳥の声を聞き、夜もすがら友なき事を悲しみ、浦路遥かに藻塩の煙を見る。ひねもすは堪へぬ思ひ、懇ろなり。憑む便りもなく、寄る方もなかりし事は、これやこの、天上の五衰退没{*12}の苦ならんと覚えて、『天上欲退時、心生大苦悩。地獄衆苦痛、十六不及一{*13}。』と書かれたるも、これなり。今度人界に生まれて、愛別怨憎の苦を受け、盛者必衰の悲しみを含めり。人間の事は、今更申すに及ばず。
「同じき秋の末、九月上旬になりしかば、昔は雲の上にして見し月を、今は伏屋の床にしてながめし事の心憂さ。十月の頃にや、備中国水島、幡磨国室山、所々の合戦に打ち勝ちたりしかば、人々の色、少し直りて見えし程に、摂津国一谷と云ふ所にて、一門多く亡びし後は、直衣束帯の姿を改めて、皆鉄をのべて身をつゝみ、諸の獣の皮を以て足手に纏ひつゝ、鎧の袖を片敷き、兜の鉢を枕とし、明けてもくれても、目に見ゆる物は弓箭兵杖の具、海にも陸にも、耳に聞こゆるものは、矢叫び軍呼ばひの声のみなり。これやこの、須弥の半腹にして、天帝修羅、各、権をあらそひ、三世にたえず戦ふ一日三時の闘諍、天鼓自然鳴の報いならんと思へば、修羅道の苦患も経たる心地し候ひし。
「豊後国にて、少し心を休むるやらんと思ひ候ひし程に、尾形三郎に追ひ出だされて、山鹿城に篭り入りしに、空かき曇り、晴れ間もなかりしかば、唐の一行上人の火羅国へ流されたりけんやうに、月日の光をも見ず、浅ましき有様にて候ひし程に、それをも追ひ落とされしかば、二位殿は、先帝をいだきまゐらせ、網代の輿に奉り、箱崎の方へ落ちさせ給ひしに、その外の人々は、公卿も殿上人も、かちはだしにて迷ひ出でつゝ、兵船に棹をさし、泣く泣く浪路に焦がれ給ひ、よるせも知らぬ船の中に漂ひしかば、山野広しといへども、休まんとするに処なし。国々悉く塞がつて、御調物もかまへねば、供御を備ふる人もなし。人天多しといへども、食を願ふに与へずといへるに異ならず。諸の苦中に、これ尤も甚し。得尸羅城の餓鬼は、五百生の間、終に水を得る事なく、師子国の餓鬼は、恒伽河の七度山となり海となるまで、飲食の名を聞かず。さればにや、血肉の頭を破りて脳を食し、恩愛の子を生みて自ら食す。これを以て、倶舎には、『我夜生五子、随生皆自食。』といへり。まれに供御を備へたりとも、水なければまゐらせず。万水、海に満ちたれども、飲まんとすれば潮水なり。自ら陸にあがりて、このみをとらんとすれば、敵、既に寄するといへば、捨てて去りぬ。百菓、林に結ぶ。取らんとすれば人目しげし。餓鬼道の苦に異ならず。
「一谷を落とされて後は、夫は妻に別れ、妻は夫に別れ、親は子を失ひ、子は親に後れて、喚き叫ぶこゑ、船の中に充ち満ち、泣き悶ゆるこゑ、陸の側らに尽きざりしかば、叫喚、大叫喚{*14}とおぼえたり。助くる船ありしかども、人多く込み乗りしかば、底の水屑となりにき、たまたま船に乗る人も、心にまかせぬ波の上と云ひながら、あるいは淡路のせとをおし渡り、阿波の鳴戸を沖懸かりに、紀伊路に赴く船もあり。あるいは葦屋の沖に懸かりつゝ、浜の南宮を伏し拝み、九国へ赴く船もあり。思ひ思ひに漕ぎ別れ、あまの焼く火に身を焦がし、磯打つ波に袖ぬらす。白鷺の遠樹に群れ居るを見ては、源氏の旗かと肝を消し、夜雁雲居に啼き渡るを聞きては、兵船を漕ぐかと魂を迷はす。源平、互にまけぬれば、首を刎ね、足手を切る。身は紅と染むる時は、等活地獄ともおぼえたり。玄冬素雪の冬の夜は、衾は袖狭くすそ短くして、霜の朝、雪の夜も、褄を重ぬる事なければ、紅蓮、大紅蓮の氷に閉ぢらるゝが如し。九夏三伏の夏なれども、班女が扇も捨てられつゝ、
泉の水をも結ばねば、木陰涼しき便りもなし。焦熱、大焦熱の炎に焦がるゝ心地なり。
「今一つの道も{*15}経たる様に思ひ候へども、それまでは申すも事長き様に候へば。」と申させ給へば、法皇、仰せのありけるは、「六道の有様、生を替へず御覧じ廻る由、誠に理に候。但し、今一つを残させ給ふ事、いと本意なし。仏道には懺悔とて、罪をかくさずとこそ承り候へ。御憚りあるまじきにこそ。」と申させ給へば、女院、「家を出でて、かかる身となり候ひぬれば、何かは苦しく候べき。又、御伴に候はるゝ人々も、見なれし事なれば、恥づかしかるべきに非ず。」とて、「自らは、君王にまみえられ奉りて、后妃の位に備はり候ひし上は、仮初の妻を重ぬべしとこそ思はず候ひしに、阿波民部大輔成能が、宗盛に心を通はして、呼び入れまゐらせしかば、讃岐国屋島につきて、大裏造りなどして安堵して候ひしに、そこをも源氏に追ひ落とされて、一つ船の中に住居なりしかば、兄の宗盛に名を立つ{*16}と云ふ聞きにくき事を云ふをも、又、九郎判官にいけどられて、心ならぬあだ名を立て{*17}候へば、畜生道に云ひなされたり。誠に女人の身ばかり、申すに付けて悲しけれども、我が身一人の事にあらず。昔もためしの候ひければこそ。
「天竺の術婆訶は、后の宮{*18}に契りをなし、夢路を恨みて炎と昇り、阿育大王の鳩那羅太子は、八万四千の后を亡ぼし給ひけり。震旦には、則天皇后は長文成に会ひ給ひ、遊仙崛を作らせ、雪山と申す獣に会ひけんも口惜しや。唐の玄宗皇帝の楊貴妃は、一行阿闍梨に心を移して、咎なき上人を流し給ふ。吾が朝には、聖武天皇の御娘孝謙女帝は、道鏡禅師に心を移して、恵美大臣を亡ぼし、仁明天皇の五條后と申すは、冬嗣大臣の御女なり。業平中将に御心を通はして、『我が通ひ路の関守は』と侘び給ひければ、中将も、『よひよひ毎にうちもねななむ』とながめけり。文徳天皇の染殿后は、清和帝の御母儀、太政大臣忠仁公の御女なり。柿本紀僧正、御修法のついでに思ひを懸け奉り、紺青鬼と変じて、御身に近付きたりけん、同じ道と云ひながら、怖ろしくぞおぼゆる。清和天皇の二條后と申すは、贈太政大臣長良の御女なりけるが、在原業平が忍びつゝ、五條渡りの西の対の亭に、『月やあらぬ』とながめけり。寛平法皇の京極御息所は、時平大臣の御娘。志賀寺詣の御時、かの寺の上人、心を懸け奉り、今生の行業を譲り奉らんと申せば、
よしさらば真の道のしるべして我をいざなへゆらぐ玉の緒
とうちながめ給ひて、御手を授け給ひけり。源氏の女三の宮は、柏木右衛門督に通ひて、薫大将を産めり。
誰が世にか種は蒔きしと人問はばいかゞ岩根の松は答へむ
と、源氏の云ひけんも恥づかしや。狭衣大将は、聞きつゝも、『涙に曇る』と忍びけり。
「天竺、震旦、我が朝、貴きも賤しきも、灯に入る夏の虫、妻を恋ふる秋の鹿、山野の獣、江河の鱗に至るまで、この道{*19}に迷ひて心を尽くし、命を失ふ習ひなり。されば、『所有三千界、男子諸煩悩、合集為一人、女人為業障。』と仏の説き給へるも、理とおぼえたり。今も昔も、男女の習ひ、力及ばざる事なれば、とてもかくても候ひなん。これをこそ、『自らは六道を経たり。』とは申すに候へ。
「但し、猶ほ生死の境にかへるべき恩愛の道の悲しさは、先帝の御事、忘れんとすれども忘れず。思ひ消せどもけされず。これや妄念ならんと思ひ候へば、仏の御名を唱へ、経教の文を習ひ、花を摘み、水を汲む事怠らず。『よしよし、恩愛別離の歎きによらずば、いかでか厭離穢土の志もいでこん。』と、うち翻して思へば、ゆゝしき善知識とこそおぼえて候へ。長門国壇浦にして、『軍は只今ぞ限り。』とて、人々の海へ入り給ひし時、自らも同じ波の底{*20}に沈まずして、武士に取りあげられ、二度都へ帰り上り、憂き事を見聞き候ひしには、『いかなりける先の世の罪の報いにや。』と、口惜しく候ひしかども、今は、『死なざりける事の嬉しさよ。』と、引き替へ嬉しく候なり。
「その故は、自ら生き残らずば、誰かはこの人々の後世をば弔ひたまひ候べき。この寂光院と申すは、よに静かなる所にて候。如何に情なき人なりとても、心を澄まし、哀れを催すべき有様なれば、いはんや自らは、恨み歎き、身にあまり候へば、御堂に参りて夜もすがら香の煙と燃え焦がれ、朝の露と泣きしをれて、静かに念仏申し経を読みて、人々の後世を祈り申し候ひし験にや、ある夜、いさゝかまどろみ入りて候ひし夢に、昔の大内には超過して、ゆゝしき所に罷りて候ひしかば、先帝を始めまゐらせて、一門の卿相雲客、目出たく礼儀して候ひしかば、『都を出でて後は、かかる所は未だ見ず。これは、いづこぞ。』と尋ね候ひしに、新中納言知盛と思しき人、『これは、竜宮城。』と答へしかば、『有り難かりける所かな。こゝには、苦はなきか。』と問ひ候ひしに、『いかでか苦なくて候べき。竜軸経の中に説かれて候。よくよく御覧じて、後生弔ひましませ。』と申すと思ひて覚め候ひぬ。『あな、無慙や。さてはこの人々、竜宮城に生まれにけり。後世を弔はれて、かく夢に見えけるにこそ。』と思ひて、雪の朝の{*21}寒きにも、峯に登つて花を摘み、嵐烈しき夕にも、谷に下りて水を掬ぶ。難行苦行、日重なり、転経念仏、功積もりて、仏に祈り申し候へば、『さりとも今はこの人々、竜畜の依身を改めて、浄土菩提に到りぬらん。』とこそおぼえて候へ。化功、己に帰するの道理あれば、自らも、この尼女房達も、憑もしくこそ候へ。さてもさても、有り難き御幸に、何となきくどき事のいぶせさこそ。」と仰せられもあへさせ給はず、御涙に咽ばせ給へば、公卿、殿上人の、籬のはざま、杉の御庵の隙より承り、見まゐらせて、昔、まのあたり見まゐらせし御事なれば、いみじかりし御有様も、只今の様におぼえて哀れなり。限りあれば、昔、釈尊の霊鷲山にて法説き給ひけんも、いかでかこれにはすぎんとぞ、各、袖を絞りける。
法皇、御涙をおし拭はせましまして、「一乗妙典の御法をたもち、十念成就の本願を憑みて、九品の往生をねがひ、聖衆来迎を待ち、すぎ別れさせ給ひし高倉先帝、安徳天皇、一品大相国、屋島内府{*22}已下兄弟骨肉、六親眷属もろともに、敵のために亡ぼされ、波の底に沈みし輩も、一仏浄土に生まれ給へと、難行苦行して御弔ひあれば、妄念の罪早く消えて、菩提の縁を結び給はん事、御疑ひあるまじ。」と申させ給ひけるに、夕陽、西に傾きて、入合の鐘も響きけり。小夜も漸うふけ行けば、巴峡の猿の一叫び、憐れを催す友となり、こゝろ騒がしきむさゝびも、所からにぞ心澄む。いさゝ群竹吹く風に、旅寝の夢も覚めぬべし。玉巻く葛葉{*23}の朝露は、行人の袖を絞るらん。何事に付けても御心澄まずと云ふ事なし。
卯月の末の事なれば、ありあけの月の出づるをしるべにて、法皇、還御ならせ給ふ。御名残惜しく思し召しければ、たゞ先立つものとては、御涙ばかりなり。芹生の里の細道、来迎院のありさま、忘れ難くぞ思し召す。女院も、御名残申させ給ひつゝ、遥かに見送りまゐらせて、ありし昔の大内山の御住居、思し召し出ださせ給ひて、御名残惜しく思し召しければ、泣く泣く立ち入らせ給ひつゝ、御本尊に向ひまゐらせて、高声に念仏申させ給ひて、「天子聖霊、成等正覚。」と廻向せさせ給ひて、絶え入るやうにおはしけるぞ、いとほしき。昔は、南に向はせ給ひて、天照大神、八幡大菩薩を拝ませ給ひて、「天子宝算、千秋万歳。」とこそ祈らせ給ひしに、今は西に向はせ給ひつゝ、「弥陀如来、観音、勢至。」と唱へて、「過去聖霊、往生極楽。」とたむけさせ給ふも哀れなり。
建久三年三月十三日に、法皇、隠れさせ給ひぬ。その後、主上{*24}、代をしろしめす。おり居{*25}にならせ給ひて、承久三年、思し召し立つ御事のありけるが、御謀叛の事顕はれて、院{*26}は、隠岐国へ流されましまし、宮々は、国に遷され給ひぬ。雲客卿相、あるいは浮島が草の原にて露の命を消し、あるいは菊河の早き流れに憂名を流すなど、披露ありければ、女院、聞こし召して、今更又悲しくぞ思し召しける。この院は、高倉院の御子にておはしまししかば、女院には御継子にて、安徳天皇の御弟にましまししかば、よその御事とも思し召さず。配流の後は、隠岐院とぞ申しける。又は、後鳥羽院とも名づけ奉る。
平家、都を落ちて西海の浪に漂ひ、先帝、海中に沈み給ひ、百官悉く亡びし事、只今の様におぼえて、その愁へ、未だやすまらせ給はず。「いかなる罪の報いにて、露の命の消えやらで、又かかる事を聞こし召すらん。」と、尽きせぬ御歎き、うち続かせ給ひけるにつけても、朝夕の行業、おこたらせ給はざりけるが、御歳六十八と申しし貞応三年の春の頃に、五色の糸を御手にひかへ、「南無西方極楽教主、阿弥陀如来。本願誤り給はず、必ず引摂し給へ。」と祈誓して、高声に念仏申させ給ひて、引き入らせ給ひければ{*27}、紫雲、空に聳き、異香、空に薫じつゝ、音楽、雲に聞こえ、光明、窓を照らして、往生の素懐を遂げさせ給ひけるこそ貴けれ。二人の尼女房も、遅速こそありけれども、皆本意の如く、臨終正念に終はりけり。
泡沫無常の世の習ひ、分段輪廻の里の癖、いづくか常住の所なる。誰も不退の身ならねども、上一人の玉の台より、下万民の柴の枢に至るまで、今も昔も類すくなき事どもなり。されば、女院の今生の御恨みは、一旦の事。善知識は、これ莫大の因縁なり。昔の如く后妃の位におはしまさば、いかでか法性の常楽をば経させ給ふべき。源平両家のあらそひありて、憂目を御覧じけるは、ひとへに往生極楽の勝因のきざしけるにこそ。」と、心ある人は、皆貴み申しけるとかや。
(本云)南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。十返廻向すべし。
源平盛衰記 下巻 終
1:底本は、「隆房北の方」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い補った。
2:底本は、「竜顔(りうがん)」。底本頭注に、「高倉院。」とある。
3:底本は、「又八條の尼公(あまぎみ)にも別れ、天津御子(あまつみこ)にも後れ奉りぬ」。底本頭注に、「〇八條の尼公 建礼門院の母二位尼。」「〇天津御子 安徳天皇。」とある。
4:底本は、「身子(しんじ)の羅漢(らかん)」。底本頭注に、「釈迦十大弟子中の舎利弗をいふ。羅漢とは修行者の悟了到達する極位。」とある。
5:底本は、「迦葉尊者(かせふそんじや)」。底本頭注に、「釈迦上足の弟子。」とある。
6:底本は、「老言(おいごと)」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
7:底本は、「五障(しやう)三従(じう)の身」。底本頭注に、「女人。」とある。
8:底本は、「隔生即忘(きやくしやうそくまう)」。底本頭注に、「人は皆過去世を有するが生まれ変つたので一も記憶しないといふ意」とある。
9:底本は、「院の御位(みくらゐ)の時は後宮(こうきう)にて候ひしかば」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。底本頭注に、「〇院の御位 高倉天皇の御在位。」とある。
10:底本は、「玄上(げんじやう)鈴鹿(すゞか)河霧(かはぎり)牧馬(ぼくば)」。底本頭注に、「〇玄上 琵琶の名器」「〇鈴鹿 和琴の名器」「〇河霧 の和琴の名器」「〇牧馬 琵琶の名器」とある。
11:底本頭注に、「紫宸殿。」とある。
12:底本は、「五衰退没(すゐたいもつ)」。底本頭注に、「天人の果報尽滅する相。」とある。
13:底本頭注に、「天上の果報尽きて其の境界を退く時の苦痛の烈しいのに比べると地獄の受苦は其の十六分の一にも及ばないといふ。」とある。
14:底本頭注に、「大叫喚地獄の略。」とある。
15:底本は、「道を経たる」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
16:底本頭注に、「艶聞を流すこと。」とある。
17:底本頭注に、「浮気の名を世間に立てる。」とある。
18:底本は、「后室」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
19:底本頭注に、「男女の道」とある。
20:底本は、「同じ流れの底」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
21:底本は、「雪の朝(あした)寒きにも」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い補った。
22:底本は、「一品大相国(いつぽんだいしやうこく)、屋島内府(やしまのないふ)」。底本頭注に、「〇一品大相国 一位太政大臣平清盛。」「〇屋島内府 平宗盛」とある。
23:底本は、「玉巻(ま)く葛(くず)の葉(は)の朝露(あさつゆ)は、」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い削除した。
24:底本頭注に、「後鳥羽天皇」とある。
25:底本頭注に、「御譲位。」とある。
26:底本頭注に、「後鳥羽上皇。」とある。
27:底本は、「引入らせ給ひけれど、」。『新定源平盛衰記』(1988年刊)に従い改めた。
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