七 鬼一法眼の事

 こゝに、代々の御門の御宝、天下に秘蔵せられたる十六巻の書あり。異朝にも我が朝にも、伝へし人、一人として愚かなる事なし。異朝には太公望、これを読みて八尺の壁に上り、天に上る徳を得たり。張良は、一巻の書と名付けてこれを読みて、三尺の竹に上りて虚空をかける。樊噲は、これを伝へて、甲冑をよろひ弓箭を取つて、敵に向ひて怒れば、頭の兜の鉢をとほす。本朝の武士には坂上田村麿、これを読み伝へて、あくしのたかまろを取り、藤原利仁、これを読みて、あかがしらの四郎将軍を取る{*1}。それより後は、絶えて久しかりけるを、下野国の住人相馬小次郎将門、これを読みつたへて、我が身のせいたんむしやなる{*2}によつて、朝敵となる。されども、天命を背く者の、やゝもすれば世を保つ者、すくなし。当国の住人田原藤太秀郷は、勅宣をさきとして、将門を追討のために東国に下る。相馬小次郎、防ぎ戦ふといへども、四年に味方滅びにけり。最後の時、威力を修してこそ、一張の弓に八つの矢はげて、一度にこれを放つに、八人の敵をば射たりけれ。それより後は、又絶えて久しく読む人もなし。唯いたづらに代々の御門の御宝蔵に篭め置かれたりけるを、その頃一條堀河に、陰陽師の法師に鬼一法眼とて、文武二道の達者あり。天下の御祈祷してありけるが、これを賜はりて、秘蔵してぞ持ちたりける。
 御曹司、これを聞き給ひて、やがて山科を出でて、法眼のもとにたゝずみて見たまへば、京中なれども、居たる処もしたゝかにこしらへ、四方に堀をほりて水をたゝへ、八つの櫓をあげたりけり。夕には申の刻、酉の時になれば、橋をはづし、朝には、巳午の刻まで門を開かず。人のいふ事、耳のよそになして居たる大華飾{*3}の者なり。
 御曹司、さし入りて見給へば、侍の縁のきはに、十七、八ばかりなる童一人、たゝずみてあり。扇差し上げて招き給へば、「何事ぞ。」と申しける。「おのれは、内の者か。」と仰せられければ、「さん候{*4}。」と申す。「法眼は、これに候か。」と仰せられければ、「これに。」と申す。「さらば、おのれに頼むべき事あり。法眼にいはんずる様は、『門に見も知らぬ冠者、物申さんといふ。』と、きつといひて帰れ。」と仰せられける。童、申しけるは、「法眼は、華飾{*5}世に越えたる人にて、しかるべき人達の御入りの時だにも、子どもを代官に出だし、我は出で合ひ参らせぬくせ人にて候。まして、おのおのの様なる人の御出を賞翫候て対面ある事、候まじ。」と申しければ、御曹司、「きやつは、不思議のもののいひ事かな。主もいはぬさきに、人の返事をすべからん事は、いかに。入りて、この様を言ひて帰れ。」とぞ仰せられける。
 「申すとも、御用ゐあるべしともおぼえず候へども、申して見候はん。」とて、内に入り、主の前にひざまづき、「かかることこそ候はね。門に、年の頃十七、八かとおぼえ候小冠者一人、たゝずみ候が、『法眼は、おはするか。』と問ひ奉り候ほどに、『御渡り候。』と申して候へば、御対面あるべきやらん。」と申しける。「法眼を洛中にて、見さげて左様にいふべき人こそおぼえね。人の使か、おのれが言葉か、よく聞きかへせ。」と申しける。童、申しけるは、「この人の気色を見候に、主など持つべき人にてはなし。また、郎等かと見候へば、折節に直垂を召して候。児達かとおぼえ候。かね黒に眉取りて候が{*6}、良き腹巻に、金作りの太刀を佩かれて候。あはれ、この人は、源氏の大将軍にておはしますござんなれ{*7}。この程、世を乱さんとうけたまはり候が、法眼は、世に越えたる人にて御渡り候へば、一方の大将軍とも頼み奉らんずるために、御入り候やらん。御対面候はん時も、『世になし者{*8}。』など仰せられ候ひて、持ちたまへる太刀のむね{*9}にて、一打ちもあてられさせ給ふな。」と申しける。
 法眼、これを聞きて、「けなげ者ならば、行きて対面せん。」とて出でたち、生絹の直垂に、緋縅の腹巻著て、草履をはき、頭巾、耳の際までひつかうで{*10}、大手鉾を杖につきて、縁とうとうと踏みならし、暫くまもりて、「そもそも法眼に物いはんといふなる人は、侍か、凡下{*11}か。」とぞいひける。
 御曹司、門の脇よりするりと出でて、「某申すにて候ぞ。」とて、縁の上に上り給ひける。法眼、これを見て、縁より下におり立つて畏まらんとするに、思ひの外に、法眼にむずと膝をきしりてぞ居たりける。「御辺は、法眼に物いはんと仰せられける人か。」と申しければ、「さん候。」「何事仰せ候べき。弓の一張、矢の一筋などの御所望か。」と申しければ、「やあ、御坊。それほどのこと企てて、これまで来らんや。まことか、御坊は、異朝の書を将門が伝へし六韜兵法といふ文、殿上{*12}より賜はりて、秘蔵して持ちたまふとな。その文、私ならぬものぞ{*13}。御坊もちたればとて、読み知らずば、をしへ伝ふべき事もあるまじ。理を枉げて、某にその文見せ給へ。一日の中に読みて、御辺にも知らせをしへて返さんぞ。」と仰せありければ、法眼、歯噛みをして申しけるは、「洛中にこれ程の狼籍者を、誰がはからひとして門より内へ入れけるぞ。」と言ふ。
 御曹司、思し召しけるは、「憎い奴かな。のぞみをかくる六韜こそ見せざらめ。あまつさへ、あら言葉をいふこそ不思議なれ。いつの用に帯したる太刀ぞ。しやつ{*14}、斬つてくればや。」と思し召しけるが、「よしよし。しかじか一字をも読まずとも、法眼は師なり、義経は弟子なり。それを背きたらば、堅牢地神の恐れもこそあれ。法眼をたすけてこそ六韜兵法のありどころを知らんずれ。」と思し召しなほし、法眼をたすけてこそ居られけるは、「継ぎたる首{*15}かな。」と見えし。そのまゝ人知れず、法眼がもとにて明かし暮らし給ひける。出でてより飯をしたゝめ給はねども、痩せ衰へもしたまはず。日にしたがひて、美しき衣がへなんど召されけり。「いづくへおはしましけるやらん。」とぞ、人々、怪しみをなす。夜は、四條の聖{*16}のもとにぞおはしましける。
 かくて、法眼が内に幸寿の前とて女あり。次の者{*17}ながら、情ある者にて、常はとぶらひ奉りけり。自然、知り人なるまゝ、御曹司、物語のついでに、「そもそも法眼は、何といふぞ。」と仰せられければ、「何とも仰せ候はぬ。」と申す。「さりながらも。」と問はせ給へば、「過ぎし頃は、『あらば、ありと見よ。なくば、なきと見て、人々、ものないひそ{*18}。』とこそ仰せ候ひし。」と申しければ、「義経に心ゆるしもせざりけるござんなれ。まことは、法眼に子は幾人有る。」と問ひたまへば、「男子二人、女子三人。」「男二人{*19}、家にあるか。」「はやと申す処に、いんぢの大将{*20}して御入り候。」「又、三人の女子は、いづくに有るぞ。」「処々に幸ひて、皆上臈婿を取りて渡らせ給ひ候。」と申せば、「婿は誰。」「嫡女は、平宰相信業の卿の方、一人は、鳥飼の中将にさいはひ給へる。」と申せば、「何條、法眼が身として上臈婿取ること、過分なり。法眼、世に越えて、しれごと{*21}をするなれば、人々に面打たれん時、方人{*22}して家の恥をも清めんとは、よも思はじ。それよりも、われわれかやうにある程に、婿に取りたらば、舅の恥をすゝがんものを。主にさいへ。」と仰せられければ、幸寿、この事を承りて、「女にて候とも、左様に申して候はんずるには、首を斬られ候はんずるにて候。」と申しければ、「かやうに知る人に成るも、この世ならぬ契りにてこそあらめ。隠して詮なし。人々に知らすなよ。われは、左馬頭の子、源九郎といふ者なり。六韜兵法といふものに望みをなすによりて、法眼も心よからねども、かやうにてあるなり。その文のありどころ知らせよ。」とぞ仰せける。「いかでか知り候べき。それは、法眼のなゝめならず重宝とこそ承りて候へ。」と申せば、「さては、いかゞせん。」とぞ仰せける。「さ候はば、文を遊ばして賜はり候へ。法眼のなのめならず寵愛の姫君の方へ、人にも見えさせ給はぬを、すかして{*23}御返事を取りて参らせ候はん。」と申す。「女性の習ひなれば、近づかせ給ひて候はば、などかこの文、御覧ぜで候べき。」と申せば、「次の者ながらも、かやうに情ある者もありけるかや。」と、文遊ばして賜はる。
 我が主の方に行き、やうやうにすかして、御返事取りて参らする。御曹司、それよりして、法眼の方へはさし出で給はず。たゞおほかたに引き篭りてぞおはしける。法眼が申しけるは、「かかる心地よき事こそなけれ。『目にも見えず、音にも聞こえざらん方に行き失せよかし。』と思ひつるに、失ひたるこそうれしけれ。」とぞ宣ひける。御曹司、「人にしのぶ{*24}程、げに心苦しきものはなし。いつまでかくて有るべきならねば、法眼に、かくと知らせばや。」とぞ宣ひける。姫君、御袂にすがり、悲しみ給へども、「我は、六韜に望みあり。さらば、それを見せ給ひ候はんにや。」と宣ひければ、「明日聞きて{*25}、父に失はれんこと、力なし。」と思ひけれども、幸寿を具して、父の秘蔵しける宝蔵に入りて、重々の巻物の中に、鉄巻きしたる唐櫃に入りたる六韜兵法一巻の書を取り出だして奉る。御曹司、悦び給ひて、ひき広げて御覧じて、昼はひねもすに書き給ふ。夜は夜もすがらこれを復し給ひ、七月上旬の頃よりこれをよみはじめて、十一月十日頃になりければ、十六巻を一字も残さず覚えさせ給ふ。
 読み給ひての後は、「こゝにあり、かしこにあり。」とぞ振舞はれける程に、法眼も、はや心得て、「さもあれ。その男は、何故に姫が方にはあるぞ。」と怒りける。ある人の申しけるは、「御方におはします人は、左馬頭の公達と承り候。」よし申せば、法眼、聞きて、「世になし源氏{*26}入れ立てて、すべて六波羅{*27}へ聞こえなば、なじかはよかるべき。今生は子なれども、後の世の敵にてありけりや。斬りて棄てばや。」と思へども、「子を害せんこと、五逆の罪のがれがたし。異姓他人なれば、これを切つて、平家の御見参に入りて、勲功にあづからばや。」と思ひて、うかゞひけれども、我が身は行にて{*28}叶はず。「あはれ、心も剛ならん者もがな。斬らせばや。」と思ふ。
 その頃、北白川に世に越えたる者あり。法眼には妹婿なり。しかも弟子なり。その名を湛海坊とぞ申しける。かれがもとに使者を遣はし、申しければ、程なく湛海きたり。余間{*29}なる処に入れて、様々にもてなし、申しけるは、「御辺を喚び奉ること、別の仔細になし。去春の頃より法眼がもとに、さる体なる冠者一人、下野の左馬頭の公達など申す。助け置きては悪しかるべし。御辺より外に頼むべき人もなし。夕さり、五條の天神へ参り、この人をすかし出だすならば、首を斬つて見せ給へ。さもあらば、五、六年望み給ひし六韜兵法をも、御辺に奉らん。」といひければ、「さ承りぬ。善悪{*30}まかり向ひてこそ見候はめ。そもそもいかやうなる人にておはしまし候ぞ。」と申しければ、「未だ年も若く、十七、八かとおぼえ候。よき腹巻に、金作りの太刀の心も及ばぬを持ちたるぞ。心許し給ふな。」と申しければ、湛海、これを聞きて申しけるは、「何條{*31}、それ程の小男の、分に過ぎたる太刀佩いて候とも、何事か有るべき。一刀には、よも足り候はじ。ことごとし。」とつぶやきて、法眼がもとを出でにけり。
 法眼、「すかしおふせたり。」と、世に嬉しげにて、日ごろは、「音にも聞かじ。」としける御曹司の方へ申しけるは、「見参に入り候べき。」由を申しければ、「出でて、何にかせん。」と思し召しけれども、「呼ぶに出でずば、臆したるにこそ。」と思し召し、「やがて参り候べき。」とて使をかへしたまひける。この由を申しければ、世に心ちよげにて、日頃の見参所へ入れ奉り、尊げに見えんがために、素絹の衣に袈裟かけて、机に法華経一部おきて、一の巻の紐をとき、「妙法蓮華経。」と読みあぐる処へ、憚る処なく、つゝと入り給へば、法眼、片膝を立て、「これへ、これへ。」と申しける。すなはち、法眼と対座に直らせ給ふ。
 法眼、申しけるは、「去んぬる春の頃より御入り候とは知りまゐらせて候へども、いかなる跡なし人{*32}にて渡らせたまふやらんと思ひまゐらせて候へば、忝くも左馬頭殿の公達にてわたらせ給ふこそ、忝き御事にて候へ。この僧ほどの浅ましき次の者などを、親子の御契りの由、承り候。まことしからず候へども、誠に京にも御入り候はば、万事たのみ奉り存じ候。さても、北白川に湛海と申す奴、御入り候が、何故ともなく法眼がために仇をなし候。あはれ、失はせ候てたまはり候へ。今宵、五條天神にまゐり候なれば、君も御参篭候て、きやつを切つて、頭を取りてたまはり候はば、今生の面目、申し尽くしがたく候。」とぞ申しける。「あはれ、人の心も計りがたく。」思し召しけれども、「さ承り候{*33}。身において叶ひがたくは候へども、罷り向ひてこそ見候はめ。何程のことの候べき。しやつも印地をこそ仕習うて候らめ。義経は、さきに天神に参り、下向しざまに、しやつが首切りて参らせ候はんこと、風の塵払ふが如くにてこそ候らめ。」と、言葉を放つて仰せありければ、法眼、「何と和君が支度するとも、先に人をやりて待たすれば。」と、世にをこがましくぞ思ひける{*34}。
 「さ候はば、やがて帰りまゐらん。」とて出でたまひ、「そのまゝ天神に。」と思し召しけれども、法眼が娘に御心ざし深かりければ、御方へ入らせ給ひて、「たゞいま天神にこそ参り候へ。」とのたまへば、「それは、何故ぞや。」と申しければ、「法眼の、『湛海斬れ。』とのたまひて候によつてなり。」と仰せければ、聞きもあへず、さめざめと泣きて、「悲しきかなや。父の心を知りたれば、人の最期も今を限りなり。これを知らせんとすれば、父に不孝の子なり。知らせじと思へば{*35}、契り置きつる言の葉、みな偽りとなり果てて、夫妻の恨み、後の世まで残るべき{*36}。つくづくと思ひつゞくるに、親子は一世、夫は二世の契りなり。とても人に別れて、片時も世に長らへてあらばこそ、憂きも辛きも忍ばれめ。親の命を思ひすてて、かくと知らせ奉る。唯これより、いづ方へも落ちさせ給へ。昨日昼程に、湛海を召しよせて、酒を勧められしに、あやしき言葉の候ひつるぞ。『堅固の若者{*37}ぞ。』と仰せける。湛海、『一刀には、たらじ。』といひしは、御身の上。かく申すは、女の心のうち、かへりてきやうしやくせさせ給ふべきなれども、『賢臣、二君につかず。貞女、両夫にまみえず。』と申すことの候へば、知らせ奉るなり。」とて、袖を顔におしあてて、忍びもあへず泣き居たり。
 御曹司、これを聞こし召し、「もとよりうちとけ、思はず知らず候こそ迷ひもすれ。知りたりせば、しやつめには斬られまじ。とくより参り候はん。」とて出でたまふ。頃は十二月二十七日、夜ふけがたの事なれば、御装束は白小袖一重ね、藍摺ひきかさね、精好の大口に、唐織物の直垂にきごめして、太刀わきばさみ、暇申して出で給へば、姫君は、「これや限りの別れなるらん。」と悲しみ給へり。妻戸の脇に衣かづきて{*38}臥し給へり。
 御曹司は、天神にひざまづき、祈念申させ給ひけるは、「南無天満大自在天神。利生霊地すなはち機縁の福を蒙り、礼拝のともがらは、千万の諸願成就す。こゝに社壇ましますとなつて、天神と号し奉る。願はくは、湛海を義経に相違なく手にかけさせて給べ。」と祈念し、御前を立ちて、南へ向いて四、五段ばかり歩ませ給へば、大木一本あり。この木の下のほの暗きところ、五、六人がほど隠るべきところを御覧じて、「あはれ、所や{*39}。こゝに待ちて、切つてくればや。」と思し召し、太刀を抜き、待ちたまふ処に、湛海こそ出できたれ。究強の者五、六人に腹巻きせて、前後に歩ませて、我が身は聞こゆるいんぢの大将なり。人には一様かはりて出で立ちけり。褐の直垂に、節縄目の腹巻きて、赤銅作りの太刀をはき、一尺三寸有りける刀に、ごめんやうなめし{*40}にて表鞘を包みて、むずとさし、大長刀の鞘を外し、杖につき、法師なれども常に頭を剃らざれば、をつゝがみ頭に生ひたるに、しゆつちやう頭巾{*41}ひつかごみ、鬼の如くに見えける。さし屈み{*42}て御覧ずれば、首のまはりに、かゝる物もなく、よに斬りよげなり。
 「いかに切り損ずべき。」と待ちたまふも知らずして、御曹司の立ちたまへる方へ向ひて、「大慈大悲の天神。願はくは、聞こゆる男を湛海が手にかけてたべ。」とぞ祈請しける。御曹司、これを御覧じて、「いかなる剛の者も、唯今死なんずることは知らずや。ぢきに斬らばや。」と思し召しけるが、「暫く我が頼む天神を大慈大悲と祈念するに、義経は悦びの道なり。きやつは参りの道ぞかし{*43}。未だ所作もはてざらんに切つて、社壇に血をあえさん{*44}も、神慮の恐れあり。下向の道を。」と思し召し、現在のかたきをとほし、下向をぞ待ちたまふ。
 津国の二葉の松の、根ざしそめて千代を待つよりも、猶ほ久し。湛海、天神にまゐりて見れども、人もなし。聖{*45}にあうて、あからさまなるやうにて、「さる体の冠者などや、参りて候ひつる。」と問ひければ、「左様の人は、とく参り、下向せられぬる。」と申しける。湛海は、やすからず。「とくより参りなば、逃すまじきを。さだめて法眼が家に有るらん。行きてせめ出だして、切つてすてん。」とぞ申しける。「尤もしかるべし。」とて、七人つれて天神を出づ。「あはや。」と思し召し、さきの所に待ち給ふ。その間、二段ばかりちかづきたるが、湛海の弟子、禅師と申す法師、申しけるは、「左馬頭殿の公達、鞍馬にありし牛若殿、男になりて、源九郎と申し候は、法眼の娘に近付きけるなれば、女の男にあひぬれば、正体なきものなり。もしこの事をほの聞き、男にかくと知らせなば、かやうの木の陰にも待つらん。あたりに目な離したまふな。」と申しける。湛海、「音なしそ。」とぞ申しける。「いざ、この者、よびて見ん。剛の者ならば、よもかくれじ。臆病者ならば、我等が気色に恐れて、出づまじきものを。」とぞいひける。「あはれ、たゞ出でたらんよりも、『有るか。』といふ声について、出でばや。」と思はれけるに、憎げなる声色して、「河のほとりより、世になし源氏、参るや。」といひも果てざるに、太刀うちふり、わつと喚いて出でたまふ。
 「湛海と見るは、ひが目{*46}か。かくいふこそ義経よ。」とて、追つかけ給ふ。今までは、「とこそせめ、かくこそせめ。」と言ひけれども、その期になりぬれば、三方へさつと散る。湛海も、ついて二段ばかりぞ逃げにける。「生きても死しても、弓矢取る者の臆病程の恥やある。」とて、長刀を取りなほし、返し合はす。御曹司は、小太刀にて走り合ひ、散々に打ち合ひ給ふ。もとよりの事なれば、切り立てられ、「今は叶はじ。」とや思ひけん、長刀取りなほし、散散に打ちあひけるが、少しひるむ処を、長刀の柄を打ち給ふ。長刀からりと投げかけたる時に、小太刀を打ち振り、走りかゝりて、ちやうど切り給へば、「切先、頚の上にかゝる。」とぞ見えしが{*47}、首は前へぞ落ちにける。年三十八にてぞ亡せにける。酒を好みし猩々は、樽のほとりにつながれ、悪を好みし湛海は、由なき者に与して亡せにけり。五人の者ども、これを見て、「さしもいしかりつる{*48}湛海だにも、かくなりたり。ましてわれわれ、叶ふまじき。」とおもひて、皆ちりぢりにぞなりにける。
 御曹司、これを御覧じて、「憎し。一人もあますまじ。湛海とつれて出づる時は、一所とこそいひつらん。きたなし。返し合はせよ。」と仰せありければ、いとゞ足ばやにぞ逃げにける。かしこに追ひつめ、はたと切り、こゝに追ひつめ、はたと切り、枕を並べて二人切り給へり。残りは方々へ逃げにけり。三つの首を取り集めて、天神の御前に杉のある下に、念仏申しおはしたりけるが、「この首をすててや行かん、持ちてや行かん。」と思し召し、「法眼が、『かまへてかまへて首取りて見せよ。』と誂へつるに、持ちて行きてくれて、胆をつぶさせん。」と思し召し、三つの首を太刀の先にさし貫き帰りたまひ、法眼がもとにおはして御覧ずれば、門をさして橋をはづしたれば、「たゞ今たゝきて、『義経。』といはば、よもあけじ。これほどの処は、はね越し入らばや。」と思し召し、口一丈の堀、八尺の築地に飛び上がりたまふ。梢に鳥のつたふ如し。
 内に入り御覧ずれば、非番当番の者ども、伏したり。縁に上がり見たまへば、火ほのぼのとかゝげて、法華経の二巻目半巻ばかり読みて居たりけるが、天井を見あげて、世間の無常をこそ観じけれ{*49}。「六韜兵法を読まんとて、一字をだにも読まずして、今、湛海が手にかゝらんずらん。南無阿弥陀仏。」とひとり言に申しける。「あら、憎の者の面や。太刀のむねにて打たばや。」と思し召しけるが、女がなげかんこと不便{*50}に思し召して、法眼が命をば助けたまひけり。「やがて内へ入らん。」と思し召しけるが、「弓矢を取る身の、立ち聞きなんどしたるかと思はれんずらん。」とて、首をまた引きさげて、門の方へ出でたまふ。門の脇に花の木ありける下に、ほのくらき所あり。こゝに立ち給ひて、内に、「人やある。」と仰せありければ、内よりも、「誰。」と申す。「義経なり。こゝあけよ。」と仰せありければ、これを聞き、「湛海を待つ処におはしたるは、よきこと、よもあらじ。あけて入れまゐらせんか。」といひければ、「門あけん。」とする者もあり。「橋渡さん。」とする者もあり。走り舞ふ処に、いづくよりか越えられけん、築地の上に首三つ引きさげて、出で来り給ふ。おのおの、胆を消し居る処に、人よりさきに{*51}内に入り、「大かた身に叶はぬことにて候ひつれども、『かまへてかまへて首取りて見せよ。』と仰せ候ひつる間、湛海が首取りてまゐりたる。」とて、法眼が膝の上に投げられければ、興さめてこそ思へども、「会釈せでは叶はじ{*52}。」とや思ひけん、さらぬ様にて、「かたじけなし。」とは申せども、よに苦々しくぞ見えける。「悦び入りて候。」とて、内に急ぎにげ入る。
 御曹司、「今宵はこゝに留まらばや。」と思し召しけれども、女に暇こはせ給ひて、「山科へ。」とて出で給ふ。あかぬ名残の惜しければ、涙に袖を濡らし給ふ。法眼が女、跡にひれふし泣き悲しめども、甲斐ぞなき。忘れんとすれども忘られず。まどろめば夢に見え、さむれば面影にそふ。思ひは、いやまさりして、やる方もなし。冬も末になりければ、思ひの数や積もりけん、「物怪{*53}。」などといひしが、祈れどもかなはず、薬にても助からず、十六と申す年、終に歎き死にになりけり。
 法眼は、かねて物をぞ思ひける。「いかならむ世にも有らばや。」と、かしづきける娘には別れ、頼みつる弟子をば斬られぬ。自然の事あらば、一方の大将にもなり給ふべき義経は、中違ひ奉りぬ。彼といひ、これといひ、一方ならぬ歎き、思ひ入りてぞありける。「後悔そこにたえず。」とは、この事なり。唯、人は情あるべき浮世なり。

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校訂者注
 1:底本頭注に、「〇あくしのたかまろ あかがしらの四郎 共に正史に見えず、俗伝だらう。」とある。
 2:底本頭注に、「性短武者か。」とある。
 3・5:底本は、「くわしよく」。底本頭注に、「過飾。華飾。贅沢。僭越。」とある。底本頭注に従い改めた。
 4:底本頭注に、「さやうで御座います。」とある。
 6:底本頭注に、「〇かね黒 鉄漿で歯をそめたこと。」「〇眉取り 黛をつけて。」とある。
 7:底本頭注に、「〇ござんなれ こそあるなれ。」とある。
 8:底本頭注に、「世に隠れた日陰者。」とある。
 9:底本頭注に、「太刀の背。太刀のみね。」とある。
 10:底本頭注に、「引きかぶりて。」とある。
 11:底本は、「凡下(ぼんげ)」。底本頭注に、「身分のない賤民。」とある。
 12:底本は、「天上」。底本頭注に従い改めた。
 13:底本頭注に、「個人の私すべからぬものであるぞ。」とある。
 14:底本頭注に、「そやつの転。罵つていふ詞。」とある。
 15:底本は、「いられけるは、つぎたる首(くび)かなと見えし。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。底本頭注に、「〇つぎたる首 殺されて首と胴と離れるべきに生きて首をついだの意。」とある。
 16:底本頭注に、「四條の御堂に居た正門坊。」とある。
 17:底本頭注に、「一段低い地位の者。卑しき者。」とある。
 18:底本頭注に、「居たらば居るとして注意し、居なければ居ないとして注意せよ。人々物をいふな。」とある。
 19:底本は、「弟二人。』『家にあるか。』」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 20:底本頭注に、「礫を打投げる児童の戯で印地打ちといふのがある。その大将といふので野武士のあぶれ者をいふ。」とある。
 21:底本頭注に、「愚かな事。」とある。
 22:底本は、「方人(かたうど)」。底本頭注に、「身方。」とある。
 23:底本頭注に、「だまして。」とある。
 24:底本頭注に、「人に隠れる。」とある。
 25:底本頭注に、「明日父に聞かれて。」とある。
 26:底本頭注に、「世に隠れてゐる日陰者の源氏。」とある。
 27:底本頭注に、「清盛の邸。」とある。
 28:底本は、「行(ぎやう)にて」。底本頭注に、「修験者として修めるべき業がある故。」とある。
 29:底本は、「四間(よま)」。底本頭注に、「余間。正殿に接した間。寺院で内陣に接した左右の間をいふ。」とあるのに従い改めた。
 30:底本頭注に、「善し悪しとも。ともかく。」とある。
 31:底本は、「何條(なんでう)」。底本頭注に、「どうして。下の何事かあるべきにかゝる。」とある。
 32:底本頭注に、「筋目なき人。」とある。
 33:底本頭注に、「其の事承知致した。」とある。
 34:底本頭注に、「義経の心を愚かだと思つた。」とある。
 35:底本は、「不孝(ふかう)の子たるべしと思へば、契(ちぎ)り置きつる」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 36:底本は、「まで残るべきと、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い削除した。
 37:底本頭注に、「健やかな強い若者。」とある。
 38:底本は、「衣(きぬ)かつぎてぞ臥(ふ)し」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 39:底本頭注に、「あゝ、よい処であるわい。」とある。
 40:底本頭注に、「御免革。錦革で地色紫以外の色に白く唐草菊紅葉などを染めぬいたもの。紫は禁ぜられた色である。」とある。
 41:底本頭注に、「〇をつゝがみ頭 久しく剃らずにして掴まれる程に乱れ生えた髪。」「〇しゆつちやう頭巾 出定頭巾。剃髪者の被る頭巾。」とある。
 42:底本は、「さしくゞみ」。底本頭注に従い改めた。
 43:底本は、「義経(よしつね)は悦(よろこ)びの祷(たう)なり。きやつは参(まゐ)りの祷(たう)ぞかし。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 44:底本頭注に、「血を注がん。」とある。
 45:底本頭注に、「五條天神の住僧。」とある。
 46:底本は、「僻事(ひがごと)」。底本頭注に従い改めた。
 47:底本は、「見えし、首は、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 48:底本は、「厳(い)しかりつる」。底本頭注に、「物事に巧みにすぐれた。」とある。
 49:底本は、「無常(むじやう)をこそ観(くわん)じける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。底本頭注に、「世の無常なことの真理を心に観察し明らめた。」とある。
 50:底本は、「不便(ふびん)」。底本頭注に、「かはいさう。」とある。
 51:底本は、「人さきに」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 52:底本頭注に、「応接しないではならぬと思つて。」とある。
 53:底本は、「物怪(もののけ)」。底本頭注に、「生霊死霊などがついて祟りをすること。」とある。