四 書写山炎上の事
弁慶、阿波国より播磨国にわたり、書写山にまゐり、性空上人の御影を拝み奉り、既に、「下向せん。」としたるが、「同じくは、一夏こもらばや。」とおもひける。この夏と申すは、諸国の修行者充満して、余念もなく勤めける。大衆は、学頭{*1}の坊に集会し、修行者は、行ひ所につく。夏僧は、虚空蔵{*2}の御堂にて、人について夏中のやうを聞きて、学頭の坊に入りける。
弁慶は、推参して、長押の上ににくげなる風情して、学頭の座敷を暫く睨みて居たりけり。学頭どもこれを見て、「一昨日きのふの座敷にも、有りともおぼえぬ法師の。推参せられ候は、いづくよりの修行。」と問ひければ、「比叡の山の者にて候。」と申しければ、「比叡の山はどれより。」「桜本より。」と申す。「僧正の御弟子か。」と申せば、「さん候。」「御俗姓は。」と問はれて、ことごとしげなる声をして、「天児屋根の御苗裔、中関白道隆の末、熊野の別当の子にて候。」と申しけるが、一夏の間は、いかにも心に入りて勤め、退転なく行ひ居たりける。衆徒も、「初めの景気、今の風情、相違して見えたり。されば、人にはなれて見えたり。隠便の者にて有りけるや。」とぞ誉めける。弁慶、思ひけるは、「かくて一夏も過ぎ、秋の初めにもなりしかば、また国々{*3}に修行せん。」とぞ思ひける。されども名残を惜しみて、出でもやらで居たり。
さてしも有るべきことならねば、七月下旬に、「学頭に暇こはん。」とて行きたりければ、児大衆、酒宴してぞ有りける。弁慶、「参じてせんなし。」と思ひて出でけるが、新しき障子一間立てたる処あり。「こゝに昼寝せばや。」と思ひて、暫く伏しけるに、その頃書写に、相手きらはぬいさかひ好む者あり。信濃坊戒円{*4}とぞ申しける。弁慶が寝たるを見て、「多くの修行者見つれども、きやつほどの、広言してにくげなる者こそなけれ。きやつに恥をあたへて、寺中をおひ出ださん。」と思ひて、硯の墨すりながし、武蔵坊が面に二くだり、物を書きたりけり。片面には「あしだ。」と書く。片面には「書写法師の足駄にはく。」とかきて、
弁慶は平足駄とぞ成りにけり面をふめども起きもあがらず
と書き付けて、小法師ばらを二、三十人あつめて、板壁をたゝいて同音にどつと笑はせける。
武蔵坊、「あしき処に推参したりけるや。」と思ひて、衣の袂引きつくろひて、衆徒の中へぞ出でにける。衆徒、これを見て、目ひき鼻ひき笑ひけり。人は、かんにたへで{*5}笑へども、我は知らねばをかしからず。「人の笑ふに笑はずは、弁慶、遍執{*6}に似たり。」と思ひ、共に笑ひ顔してぞ笑ひける。されども座敷の体、ふしぎに見えければ、弁慶は、「我が身の上。」と思ひて、拳を握り、膝を立て、「何のをかしきぞ。」と、眼に角を立て、睨み廻しけり。学頭、これを見給ひ、「あはや、この者、けしきこそ損じて{*7}見え候へ。いかさま、寺の大事と成りなん。」と宣ひて、「詮なき事{*8}に候。御身の事にては候はぬぞ。よその事を笑ひて候。何のせんかおはすべき。」と宣へば、座敷を立つて、但島の阿闍梨といふ者の坊、その間一町ばかりあり。これも、修行者のよりあひ処にてありければ、かしこへ行きあふ人々も、弁慶を笑はぬ人はなし。「怪し。」と思ひて、水に影をうつして見れば、つらに物をぞ書かれたる。「さればこそ。これほどの恥にあたつて、一時なりとも有りてせんなし。いづ方へも行かん。」と思ひけるが、又うちかへし思ひけるは、「我一人が故に、山の名を下さん事こそ心うけれ。諸人をさんざんに悪口して、咎むる者をばならはして{*9}、恥をすゝぎて出でばや。」と思ひて、人々の坊中へめぐり、さんざんに悪口す。
学頭、このことを聞きて、「何ともあれ、書写法師、面をはりふせられぬ{*10}と覚ゆる。このこと僉議して、この中にひがことの者あらば、それを取りて、修行者に取らせて、大事をやめん。」とて、衆徒催して、講堂にして学頭詮議す。されども、弁慶はなかりけり。学頭、使者を立てけれども、老僧の使のあるにも出でざりけり。重ねて使あるに、東坂の上にさしのぞきて、後ろの方を見たりければ、二十二、三ばかりなる法師の、衣の下に伏縄目のよろひ腹巻著てぞ出で来る。弁慶、これを見て、「こはいかに。今日は、隠便の詮議とこそ聞きつるに、きやつが風情こそけしからね。ないない聞くに、『衆徒、僻事をなすならば、拷を乞へ{*11}。修行者、ひがことあらば、小法師ばらにはなち合はせよ。』といふなるに、かくて出で、大勢の中に取り篭められ、叶ふまじ。我も、さらば行きて出で立たばや。」と思ひて、学頭の坊に走り入りて、「こはいかに。」と、人のとふ返しをもせず、人も許さざりけるに、いつ案内は知らねども、納殿につと走り入りて、唐櫃一合取つて出で、褐の直垂に黒糸縅の腹巻著て、九十日剃らぬかしらに、揉烏帽子に鉢巻し、櫟の木をもつて削りたる棒の、八角にかどを立てて、もとを一尺ばかりまろくしたるを引杖にして、高足駄をはいて、御堂の前にぞ出で来る。
大衆、これを見て、「こゝに出で来るものは、何者ぞ。」といひければ、「これこそ聞こゆる修行者よ。」「あら、けしからぬ有様かな。こなたへ呼びてよかるべきか。捨て置きてよかるべきか。」「捨て置きても呼びても{*12}よかるまじ。」「さらば、目な見せそ。」とまうしける。弁慶、これをみて、「いかにともいはんか。」と思ひつるに、「衆徒のふしめに成りつるこそ心得ね。善悪をよそにて聞けば{*13}、大事なり。近付きてきかばや。」と思ひ、走りよつて見ければ、講堂には老僧児どもうち交じりて、三百人ばかり居ながれたり。縁の上には中居の者ども、小法師ばら、一人も残らず催したり。残る処なく、寺中、上を下にかへして出で来る事なれば、千人ばかりぞありける。その中に、「あしく候。」ともいはず、足駄踏み鳴らし、肩をも膝をもふみ付けて通りけり。「あともそともいはば、一定、事も出で来りなん。」と思ひ、皆、肩をふまれて通しけり。階の下に行きて見れば、履物ども{*14}ひしとぬぎたり。「我もぬぎて置かばや。」と思ひけるが{*15}、「禍ひを除くに似たり。」と思ひ、はきながら、からめかしてぞ上りけり。衆徒も、「咎めんとすれば、事みだれぬべし。せんずる処、取りあひて詮なし。」とて、皆、小門の方へぞ隠れける。
弁慶は、長押の際を足駄はきながら、かなたこなたへぞありきける。学頭、「見苦しきものかな。さすが、この山と申すは、性空上人の建立せられし寺なり。しかるべき人おはするうへ、幼き人の腰もとを足駄はいて通るやうこそ奇怪なれ。」と咎められて、弁慶、ついしざつて{*16}申しけるは、「学頭の仰せは、勿論に候。左様に縁の上にあしだはいて候だにも、狼藉なりと咎め給ふ程の衆徒の、何の緩怠{*17}に、修行者のつらをば足駄にしてはかれけるぞ。」と申しければ、道理なれば、衆徒、音もせず。中々はなち合はせて置きたらば、学頭の計らひに、いかやうにもすかして出だすべかりしを、禍ひおこりける。
信濃坊、これを聞きて、「稀有{*18}なるべし、修行法師めが面や。」と、ゐたけ高になりて申しける。「あまりにこの山の衆徒は、きやうこうが過ぎて。修行者めらに、目を見せて、すでに後悔し給ふらんものを。いで、ならはさん。」とて、つと立つ。「あは、事出できたり。」とて、ひしめく。弁慶、これを見て、「面白し。きやつこそ、相手きらはずのえせ者よ。おのれが腕のぬくるか、弁慶が脳のくだくるか。思へば、弁慶がつらに物を書きたる奴か。にくい奴かな。」とて、棒取り直し、待ちかけたり。
戒円が寺の法師ばら、五、六人、座敷に在りけるが、これを見て、「見苦しく候。あれほどの法師、縁より下に蹴落として、首の骨ふみ折つてすてん。」とて、衣の袖を取つて結び、肩にかけ、喚き叫んでかゝるを見て、弁慶、えいやと立ち上がり、棒を取つて直し、薙打ちに、一度に縁より下になぎ落としける。戒円、これを見て、走り立ちてあたりを見れども、打つべき杖なし。末座を見れば、櫟{*19}を打ち切り打ち切りくべたる燃えさしをおつ取り、すびつ押しにじりて、「一定か、わ法師{*20}。」とて、走りかゝる。弁慶、しきりに腹を立てて、持つて開いてちやうど打つ。戒円、走り違へてむずと打つ。弁慶、がしと合はせて、潛り入りて、左手のかひなさしのべ、頭{*21}掴んでえいと引きよせ、右手のかひなをもつて、戒円が股をつかみそへて、目より高くおしあげて、講堂の大庭の方へ行く。
衆徒、これを見て、「修行者、御免候へ。それは、ぢたい{*22}酒狂ひする者にて候ぞ。」と申しければ、弁慶、「見苦しく見えさせたまふものかな。日頃の約束には、修行者の酒狂ひは大衆鎮め、衆徒の酒狂ひをば修行者鎮めよとの御約束と承り候ひしかば、命をば殺すまじ。」といつて、一振りふつて、「えいや。」といひて、講堂の軒の高さ一丈一尺ありける上に投げ上げたれば、一たまりもたまらず、ころころと転び落ち、雨おちの石たゝきに{*23}どうどおつる。取つて押さヘて、「骨は砕けよ。脛はひしげよ。」と踏みたり。左手の小腕ふみ折り、右手のあばら骨二枚損ず。「中々にいふにかひなし。」とて、いふばかりもなし。
戒円が持ちたる燃えざしを、さらば捨てもせで、持ちながら投げあげられて、講堂{*24}の軒にうちはさむ。折ふし風は谷より吹きあげたり。講堂{*25}の軒に吹き付けて、焼けあがりたり。九間の講堂、七間の廊下、多宝の塔、文殊堂、五重の塔に吹き付けて、一宇ものこらず。性空上人の御影堂、これを初めて、堂塔社々の数、五十四箇所ぞ焼けたりける。武蔵坊、これを見て、「現在仏法の仇となるべし。咎をだに犯しつる上は、まして大衆の坊々どもは、助け置きて何にかせん。」と思ひて、西坂本に走り下り、松明に火を付けて、軒を並べたる坊々に一々に火をぞ付けたりける。谷より嶺へぞ焼けて行く。山を切りて崖作りにしたる坊なれば、何かは一つも残らず。やうやう残るものとては、石すゑのみ残りけり。
二十一日の巳の時ばかりに、武蔵坊は、書写を出で京へぞ行きける。その日一日歩み、その夜もあゆみて、二十二日の朝に京へぞ著きにける。その日は都、大雨大風吹きて、人の往き来もなかりけるに、弁慶、装束をぞしたりける。長直垂に赤き袴をぞ著たりける。いかにしてか上りけん、さ夜更け人静まりて後、院の御所の築土に上り、手を広げて火をともし、大の声にてわつと喚きて、東の方へぞ走りける。又取つてかへし、門の上につい立つて、恐ろしげなる声にて、「あら、浅まし。いかなるふしぎにてか候やらん、性空上人の手づからみづから立て給ひし書写の山、昨日のあした、大衆と修行者との口論によりて、堂塔五十四箇所、三百坊、一時に煙と成りぬ。」と呼ばはつて、かきけす様に失せにけり。
院の御所には、これを聞こし召し、「何ゆゑ書写は焼けたる。」と、早馬を立てて御尋ねあり。「誠に焼けたらば、学頭を初めとして、衆徒を追ひ出だせ。」との院宣なり。使庁の下部{*26}、向ひて見れば、一宇も残らず焼けければ、「全く時を移さず参りて、陳じ申さん。」とて、馳せ上り{*27}、院の御所に参じて陳じ申しければ、「さらば、罪科の者を申せ。」と仰せ下さる。「修行者には武蔵坊、衆徒には戒円。」と申す。公卿、これを聞き給ひて、「さては、山門にありし鬼若が事ござんなれば、これが悪事、山上の大事にならぬさきに鎮めたらんこそ気味ならめ{*28}。戒円が悪事、是非なし。詮ずる処、戒円を召せ。戒円こそ仏法王法の怨敵なれ。しやつを取つて、糾問せよ。」とて、津国の住人昆陽野太郎、承つて、百騎の勢にて馳せむかひ、戒円を召して、院の御所に参る。
{*29}御前に召されて、「汝一人が計らひか。与したる者の有りけるか。」と尋ねらる。糾問、厳しかりければ、とても生きてはらはん事、不定なれば{*30}、「日頃、にくかりし者を入ればや。」と思ひて、与したる衆徒とては、十一人までぞ白状に入れたりける。又、昆陽野太郎、馳せ向ふ処に、かねて聞こえければ、さきだて十一人、参り向ふ。されども、「白状に載せたり。」とて召し置かる。陳ずるに及ばず、戒円は終に責め殺さる。死しける時も、「われ一人の咎ならぬに、残りをば失はれずば、死するとも悪霊とならん。」とぞいひける。かくいはざるだにも有るべし。「さらば、斬れ。」とて、十一人も皆斬られにけり。
武蔵坊、都にありけるが、これを聞きて、「かかる心地よき事こそなけれ。居ながら敵、思ふやうにあたりたる事こそなけれ{*31}。弁慶が悪事は、朝の御祈りに成りける。」とて、いとゞ悪事をぞしたりける。
校訂者注
1:底本は、「がくとう」。底本頭注に、「学頭。社僧の職名。」とある。底本頭注に従い改めた。「学頭」15例中13例が「がくとう」であり、煩雑を避け{*}を略した。
2:底本は、「こくさう」。底本頭注に、「虚空蔵。虚空蔵菩薩をいふ。」とある。底本頭注に従い改めた。
3:底本は、「また国に」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
4:底本は、「かいゑん」。「戒円」13例中12例が「かいゑん」であり、煩雑を避け{*}を略した。
5:底本は、「かんにたへて」。底本頭注に、「可笑しくて我慢が出来ないで。」とある。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
6:底本は、「遍執(へんしふ)」。底本頭注に、「かたいぢ。」とある。
7:底本頭注に、「機嫌をわるくした。」とある。
8:底本頭注に、「かひもない事。詰まらぬ事。」とある。
9:底本頭注に、「懲らして。目にもの見せて。」とある。
10:底本頭注に、「顔をなぐりふせられた。」とある。
11:底本は、「かうをこえ、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
12:底本は、「捨て置きてもよかるまじ。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
13:底本頭注に、「何やかやを他から聞けば。」とある。
14:底本は、「小袖ども」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
15:底本は、「とももひけるが、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
16:底本は、「ついたつて」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
17:底本は、「くわんたい」。底本頭注に従い改めた。
18:底本は、「けう」。底本頭注に、「稀有。珍らしや修行法師の面はの意。」とある。底本頭注に従い改めた。
19:底本は、「くの木(ぎ)」。底本頭注に、「くぬぎ。櫟。」とある。底本頭注に従い改めた。
20:底本は、「一定(いちぢやう)か、わ法師。」。底本頭注に、「きつとかこの法師め。」とある。
21:底本は、「かう」。底本頭注に従い改めた。
22:底本頭注に、「元来。」とある。
23:底本は、「雨(あま)おち石たゝきに」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
24:底本は、「かう堂(だう)」。底本頭注に従い改めた。
25:底本は、「かうだう」。底本頭注に従い改めた。
26:底本は、「寺中の下へ」。『義経記』(1992年岩波書店刊)頭注に従い改めた。
27:底本は、「馳ぜ上り」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
28:底本頭注に、「〇鬼若が事ござんなれば 鬼若の事にこそあるなれば。」「〇山上の大事 比叡山延暦寺の大事。」「〇鎮めたらんこそきみならめ 鎮めたらうならばよいぐあひだ。きみは気味だらう。」とある。底本頭注に従い改めた。
29:底本は、「御所に参る。汝一人が」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
30:底本頭注に、「〇生きてはらはん事 生きてのける事。生きおほせること。」「〇不定 たしかでない。」とある。
31:底本頭注に、「こんなに思ふ通り、目ざした通りになつた事はない。」とある。
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