六 住吉大物二箇所合戦の事

 「天に口なし、人をもつていはせよ。」と。大物の浦{*1}にも騒動す。宵には見えぬ小船の、夜の中に著きて、苫をとらせず{*2}。これぞ怪しければ、「何舟にてある。引きよせて見ん。」とて、五百余騎、三十艘の舟にとり乗りて、おし出だす。潮干なれども小船なりければ、足は早し、屈強の楫取はのせたり。思ふやうに漕ぎかけて、大船を中に取りこめ、「もらすな。」とぞのゝしりける。判官、御覧じて、「敵が進めばとて、味方はあはつな。義経が舟と見ば、さうなくよも近付かじ。狼藉せば、武者に目なかけそ。柄ながき熊手にて、大将と思しきやつを手取りにせよ。」とぞ宣ひける。
 武蔵坊、申しけるは、「仰せはさる事にて候へども、舟の中のいくさは、大事のものにて候。今日の矢合はせは、余の人は{*3}、望み有るべからず。弁慶、仕り候はん。」と申しければ、片岡、これを聞きて、「僧道の法には、無縁の人をとぶらひ、結縁の者を導くこそ、法師とは申せ。軍といへば、御辺の先だつ事はいかゞ。そこ、のき給へ。経春、矢一つ射ん。」とぞ申しける。弁慶、これを聞きて、「御辺より外は、この殿の御内に弓箭とる者はなきか。」とぞ申しける。
 佐藤四郎兵衛{*4}、これを聞きて、御前に畏まつて申しけるは、「かかる事こそ御座候へ。この人ども、先がけ論ずる間に、敵は近付きぬ。あはれ、仰せを蒙りて、忠信、さきを仕り候はばや。」と申しければ、判官、「いしう{*5}申したるものかな。望めかしと思ひつる所に。」とて、やがて忠信にさきがけを賜はりて、みつしげめゆひの直垂に、萌黄縅の鎧に、三枚兜の緒をしめ、いかもの作りの太刀をはき、たかうすびやうの矢二十四さしたるを頭だかに負ひなして、上矢に大の鏑二つさしたりける。ふぢまきの弓もちて、舳にうち渡して出で合ひたり。
 豊島冠者、上野判官、両大将軍として、掻楯かいたる小舟に取り乗りて、矢頃に漕ぎ寄せて申しけるは、「そもそもこの御舟は、判官殿の御舟と見参らせて候。かく申すは、豊島冠者と上野判官と申すものにて候。鎌倉殿の御使と申す所に、さうなく落人の入らせたまひ候を、もらし参らせ候はんこと、弓箭の恥辱にて候と存ずる間、参りて候。」と申しければ、「四郎兵衛忠信と申す者にて候。」と、いひもはてず、つつ立ち上がる{*6}。豊島冠者、いひけるは、「代官は、自身におなじ。」とて、大の鏑をうちはめて、よく引きてひやうど射る。鏑は遠鳴りして、舟端にどうど立つ。
 四郎兵衛、これを見て、「時のつくりと日の敵は、真ん中をぶつと射ちぎりたるこそ面白けれ。忠信程の源氏の郎等を、戯笑{*7}せらるゝ武士とこそおぼえね。手並を見給へ。」とて、三人張りに十三束三つがけ取つてつがひ、よく引きてひやうど射る。鏑は遠鳴りして、大の雁股の手さき、内兜に入るとぞ見えし。首の骨をかけて、ふつと射ちぎりて、かりまたは鉢付に立つ。首は兜の鉢につれて、海にたぶとぞ入りにける。
 上野判官、これを見て、「さないはせそ。」とて、押し違へて箙の中差取つて、よく引きてひやうど射る。忠信が矢さしはげて立つたる弓手の兜の鉢を射削りて、鏑は海へ入る。忠信、これを見て、「地体{*8}この国の住人は、敵射る様をば知らざりける。奴に手並の程を見せん。」とて、尖矢をさしはげて、小びきに引いて待つ。敵、一の矢射損じて、無念にやおもひけん、二の矢を取つてつがひ、うち上ぐる所を、よく引きてひやうど射る。弓手の脇の下より、右手の脇に五寸ばかり射出だす。則ち海へたぶと入る。
 忠信、次の矢をはげながら、御前に参りける。「不覚とも高名とも、沙汰のかぎり。」とて、一の筆にぞ付けられける{*9}。豊島冠者と上野判官、討たれければ、郎等ども、矢頃より遠く漕ぎのけたり。片岡、「いかに、四郎兵衛殿。軍は何とし給ひたり。」といへば、「手の上手が仕りて候。」と申しければ、「退き給へ。さらば、経春も矢一つ射てみん。」といひければ、「さらば。」とて退きにけり。片岡、しろき直垂に、黄白地の鎧著て、わざと兜は著ざりけり。折烏帽子にゑぼしがけ{*10}して、白木の弓、脇にはさみ、矢櫃一合、せがいの上にからと置きて{*11}、蓋を取りて除けければ、箆をもためで、節の上をかきこそげて、羽をば、かはぎにはぎたる矢の、櫟と黒樫と強げなる所を拵へて、まはり四寸、長さ六寸に拵へて、角木割りを五、六寸ぞ{*12}入れたりける。
 「何ともあれ、これをもつて主を射ばこそ、鎧、裏かかぬともいはれめ。四国がたの杉舟の端薄なるに、大勢は込み乗りて、舟の足は入りたり。水際を五寸ばかりさしさげて、矢目近にひやうど射るならば、鑿をもつて割るやうにこそあらんずらめ。水、舟に入らば、ふみ沈めふみ沈めて、皆うせんずるものを。助け舟寄らば、精兵小兵をば嫌ふべからず。つるべ矢に射てくれよ{*13}。」とぞ申しける。兵ども、「承り候。」と申しける。片岡、せがいの上に片膝ついて、さしつめ引きつめさんざんにこそ射たりけれ。櫟の木わりを十四、五射立てて置きたりければ{*14}、水一杯入る。慌てふためきて、踏み返し、目の前にて杉舟三艘まで失せにけり。豊島冠者、うせにければ、大物の浦に船こぎよせて、むなしき体をかきて、泣く泣く宿所へぞ帰りける。
 武蔵坊は、常陸坊を呼びて申しけるは、「安からぬ事かな。軍すべかりつるものを。かくて日を暮らさんこと、宝の山に入りて、手をむなしくしたるにてこそあれ。」と後悔する所に、小溝太郎は、「大物に軍あり。」と聞きて、百騎の勢にて大物の浦にはせ下りて、陸にあげたりける舟を五艘おし下し、百騎を五手に分けて、「われ先に。」とおし出だす。これを見て、弁慶は黒革縅の鎧を著、海尊{*15}は黒糸縅の鎧著たり。常陸坊は、もとより屈強の楫取なりければ、小舟に取り乗り、武蔵坊は、わざと弓矢をば持たざりけり。四尺二寸ありけるつか装束の太刀佩いて、巌通しと云ふ刀をさし、猪のめほりたる鉞、薙鎌、熊手を、舟にからりひしりと取り入れて、身を離さず持ちける物は、櫟の木の棒の一丈二尺ありけるに、鉄ふせて上に蛭巻したるに、石づきしたるを脇に挟みて、小舟の舳に飛びのる。「やうもなき事。この船を、あの中にするりとこぎ入れよ。そのとき、熊手取つて、敵の舟ばたにひつかけ、するりと引きよせて、かばと乗り移り、兜の真向、篭手のつがひ、膝のふし、腰骨、薙打ちにさんざんに打たんずる程に、兜の鉢だにもわれば、主めが頭もたまるまじ。唯置いて{*16}、物を見よ。」と呟きごとして、疫神のわたるやうにておし出だす。御方は、目をすましてこれを見る。
 小溝太郎、申しけるは、「そもそもこれ程の大勢の中に、唯二人乗りてよる者は、何者にてか有らん。」といへば、ある者、これを見て、「一人は武蔵坊、一人は常陸坊。」とぞまうしける。小溝、これを聞きて、「それならば、手にもたまるまじぞ。」とて、舟を大物へぞ向けさせける。弁慶、これを見て、声をあげて、「きたなしや。小溝太郎とこそ見れ。返し合はせよや。」といひけれども、聞きも入れず引きけるを、「漕げや、海尊。」といひければ、舟ばたを踏まへて、ぎしめかしてぞ{*17}漕ぎたりける。五艘の真ん中へするりと漕ぎ入れければ、熊手をもつて敵の舟に打ち貫き、引きよせ、ゆらりと乗りうつり、ともより舳に向つて、薙打ちにからめかして、ひしぎ付けてぞ通りける。手に当たる者はいふに及ばず、当たらぬ者も、おぼえず知らず、海へ飛び入り失せにけり。
 判官、これを見給ひて、「片岡、あれ、制せよ。さのみ罪な作りそ。」と仰せられければ、「御諚にて候。さのみ罪な作られそ。」といひければ、弁慶、これを聞きて、「何を申すぞよ。末も通らぬ青道心。御諚を耳にな入れそ。八方を攻めよ。」とて、さんざんに攻む{*18}。杉舟二艘は失せて、三艘は助かり、大物の浦へぞ逃げあがりける。その日{*19}、判官、軍に勝ちすまし給ひけり。御舟の中にも、手負ふ者十六人、死する者八人ぞ有りける。死したる者をば、「敵に首を取られじ。」と、大物の沖にぞ沈めける。
 その日は、御舟にて日を暮らし給ふ。夜に入りければ、人々皆、陸に上り給ひて、心ざしは切なれども、「かくては叶ふまじ。」とて、皆方々へぞ送られける。二位大納言の姫君は、駿河次郎、承りて送り奉る。久我大臣殿の姫君をば、喜三太、おくり奉る。その外、残りの人々は、皆縁々につれてぞ送り給ひける。中にも{*20}静をば、心ざし深くや思はれけん、具し給ひて、大物の浦をば立ち給ひて、渡辺に著きて、明くれば住吉の神主長盛がもとに著き給ひて、一夜を明かし給ひて、大和国宇多郡岸の岡と申す所に著き給ひて、外戚{*21}に付きて、御ちかづきのもとに暫しおはしけり。「北條四郎時政、伊賀、伊勢の国を越えて、宇多へ寄する。」と聞こえければ、「われゆゑ人に大事をかけじ。」とて、文治元年十二月十四日の曙に、麓に馬を乗りすてて、春は花の名山と名を得たる、吉野の山にぞ篭られける。

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校訂者注
 1:底本は、「大物(だいもつ)の浦(うら)」。底本頭注に、「摂津国尼が崎の西南方の海。」とある。
 2:底本は、「苫をとらせて、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 3:底本は、「余(よ)の人の望(のぞ)み有るべからず。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 4:底本頭注に、「兵衛尉忠信。」とある。
 5:底本頭注に、「けなげにも、神妙に。」とある。
 6:底本は、「立ち上がり、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 7:底本は、「下乗(げじよう)」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 8:底本は、「地体(ぢたい)」。底本頭注に、「本来。もともと。」とある。
 9:底本頭注に、「〇沙汰のかぎり 論外。」「〇一の筆 第一の功名。」とある。
 10:底本頭注に、「烏帽子の緒。」とある。
 11:底本頭注に、「〇矢櫃 矢をしまつておく箱。」「〇せがい 船の横に板をわたして棚の如くにしたもの。」とある。
 12:底本は、「つのきわりを五六寸入れたりける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。底本頭注に、「〇つのきわり 鏃の角で造つて木割の形にしたもの。」とあるのに従い改めた。
 13:底本は、「精(せい)びやう小(こ)びやうをば嫌(きら)ふべからず、つるべ矢に射てくれん。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 14:底本は、「十四五板(いた)、巾(は)ゞをきたりければ、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 15:底本頭注に、「常陸坊。」とある。
 16:底本は、「唯(たゞ)追ひて」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 17:底本は、「ぎしめかして漕(こ)ぎたりける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。底本頭注に、「〇ぎしめかし ぎしぎし音をさせて。」とある。
 18:底本は、「攻むる。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 19:底本は、「その内、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 20:底本は、「静をば、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 21:底本は、「げしやく」。底本頭注に従い改めた。