二 静吉野山に捨てらるゝ事

 供したる者ども、判官の賜びたる財宝を取りて、かき消す様にぞ失せにける。静は、日暮るゝに随ひて、「今や、今や。」と待ちけれども、帰りて事問ふ人もなし。せめて思ひの余りに、泣く泣く枯木のもとを立ち出でて、足にまかせてぞ迷ひける{*1}。耳に聞こゆるものとては、杉の枯葉を渡る風、眼にさへぎるものとては、梢まばらに照らす月、そゞろにもの悲しくて、足をはかりに行く程に、高き峯に上りて、声を立てて喚きけれど、谷の底に木魂の響きければ、「我を問ふか。」とおもはれて、泣く泣く谷に下りて見れば、雪深き道なれば、跡踏みつくる人もなし。又、谷にて悲しむ声の、嵐にたぐへて聞こえけるに、耳をそばだてて聞きければ、幽かに聞こゆるものとては、雪の下行く細谷川の水の音、聞くにつらさぞまさりける。泣く泣く峯にかへり上りて見ければ、我が歩みたる跡より外に、雪ふみわくる人もなし。
 かくて、谷へ下り、嶺に上りせし程に、はきたるくつも雪に取られ、著たる笠も風にとらる。足は皆ふみ損じ、流るゝ血は紅を注ぐが如し。吉野の山の白雪も、染めぬ所ぞなかりける。袖は涙にしをれて、袂は垂冰{*2}ぞながれける。裾はつらゝに閉ぢられて、鏡を見るが如くなり。されば、身たゆくして働かず。その夜は、よもすがら山路に迷ひ明かしけり。
 十六日の昼程に、判官にははなされ奉りぬ。けふ十七日の暮れまで、ひとり山路に迷ひける、心の中こそ悲しけれ。雪踏み分けたる道を見て、「判官の、近所にやおはすらん。又、我すてし者どもの、この辺にやあるらん。」と思ひつゝ、足をはかりに行くほどに、やうやう大道にぞ出でにける。「こゝは、いづ方へ行く道やらん。」と思ひて、暫くたち休らひけるが、後に聞けば、宇多へかよふ道なり。西をさして行く程に、遙かなる深き谷に、灯火幽かに見えければ、「いかなる里やらん。」売炭の翁もかよはざれば、焼く炭竈の火にてもなし。秋の暮れならば、「沢辺の蛍か。」とも疑ふべき。かくて、やうやう近付きて見ければ、蔵王権現の御前の灯篭の火にてぞありける。
 さし入りて見たりければ、寺中には道者、大門に充ち満ちたり。静、これを見て、「いかなる所にて渡らせ給ふらん。」と思ひて、ある御堂の傍らに暫く休み、「これは、いづくぞ。」と人に問ひければ、「吉野の御嶽。」とぞ申しける。静、うれしさ限りなし。「月日こそ多けれ、けふは十七日{*3}。この御縁日ぞかし。」たふとく思ひければ、道者に紛れ、御正面に近付きて拝み参らせければ、内陣外陣の貴賎、なかなか数を知らず。大衆{*4}の所作の間は、苦しみの余りに衣引きかづき伏したりけり。勤めも果てしかば、静もおき居て、念誦してぞ居たりける。
 芸にしたがひて、思ひ思ひのなれこ舞{*5}する中にも、面白かりしことは、近江国より参りける猿楽。伊勢国より参りける白拍子も、一番まうてぞ入りにける。静、これを見て、「あはれ、われもうち解けたりせば、などか丹誠を運ばざらん、願はくは権現{*6}、この度、安穏に都に返し給へ。又、あかで別れし判官を、事ゆゑなく今一度引き合はせ給へ。さもあらば、母の禅師とわざと参らん。」とぞ祈りける。
 道者は皆下向して後、静、正面に参りて念誦して居たりける所に、若大衆の申しけるは、「あら、美しの女の姿や。只人ともおぼえず。いかなる人にておはすらむ。あの様の人の中にこそ、面白き事もあれ。いざや、勧めて見ん。」とて、正面に近付きしに、素絹の衣を著たりける老僧の、半装束の珠数持ちて立ちしが、「あはれ、権現の御前にて、何事にても御入り候へ。御法楽{*7}候へかし。」とありしかば、静、これを聞きて、「何事を申すべきともおぼえず候。近き程の者にて候。毎月に参篭申すなり。させる芸能ある身にても候はばこそ。」と申しければ、「あはれ、この権現は、霊験無双に渡らせ給ふものを。且は、罪障懺悔のためにてこそ候へ。この垂跡は、芸ある人の、御前にて丹誠運ばぬは、思ひに思ひを重ね給ふ。面白からぬ事なりとも、我が身にしる事のほどを、丹誠を運びぬれば、悦びに又悦びを重ね給ふ権現にて渡らせ給ふ。これ、私に申すにはあらず。ひとへに権現の託宣にてぞ渡らせ給ふ。」と申されければ、静、これを聞きて、「恐ろしや。我は、この世の中に名を得たる者ぞかし。神は、正直の頭にやどり給ふなれば、かくてむなしからん事も、恐れあり。舞までこそなくとも{*8}、法楽の事は苦しかるまじ。我を見知りたる人は、よもあらじ。」と思ひければ、物は多くならひ知りたりけれども、別して白拍子の上手にてありければ、音曲、文字うつり{*9}、心も言葉も及ばれず。聞く人、涙をながし、袖を絞らぬはなかりけり。
 遂にかくぞ歌ひける。
  ありのすさみのにくきだに  ありきのあとは恋しきに
  飽かで離れし面影を  いつの世にかは忘るべき
  別れの殊に悲しきは  親のわかれ子のわかれ
  すぐれてげに悲しきは  夫妻の別れなりけり
と。涙のしきりに進みければ、衣引きかづき伏しにけり。
 人々、これを聞き、「音声の聞き事{*10}かな。何様、たゞ人にてはなし。ことに、夫を恋ふる人とおぼゆるぞ。いかなる人の妻となり、これほど心を焦がすらん。」とぞまうしける。治部法眼と申す人、これを聞きて、「面白きこそ理よ。誰と思ひければ、これこそ音に聞こえし静よ。」と申しければ、同宿、聞きて、「いかにして見知りたるぞ。」といへば、「一年、都に百日の日でりのありしに、院{*11}の御幸ありて、百人の白拍子の中にも、静が舞ひたりしこそ、三日の洪水、流れたり。さてこそ日本一といふ宣旨を下されたりしか。その時、見たりしなり。」と申しければ、若大衆ども、申しけるは、「さては、判官殿の御行方をば、この人こそ知りたるらん。いざや、留めて聞かん。」と申しければ、各、同心に、「尤もしかるべし。」とて、執行の坊の前に関をすゑて、道者の下向を待つ所に、人に{*12}紛れて下向しけるを、大衆、とゞめて、「静と見奉る。判官は、いづくにおはしますぞ。」と問ひければ、「御行方、知らず候。」とぞ申しける。
 小法師ばら、荒らかにいひけるは、「女なりとも、所にな置きそ。たゞ放逸にあたれ{*13}。」と罵りければ、静、「いかにもして{*14}かくさばや。」と思へども、女の心のはかなさは、我が身うきめに逢はんことの恐ろしさに、泣く泣くありのまゝにぞ語りける。「さればこそ。情ありける人にてありけるものを。」とて、執行の坊に取り入れて、やうやうにいたはり、その日は一日とゞめて、明くれば馬にのせて、人をつけ、北白川へぞ送りける。「これは、衆徒の情。」とぞ申しける。

三 義経吉野山を落ち給ふ事

 さて明けければ、衆徒、講堂の庭に集会して、「九郎判官殿は、中院谷におはすなり。いざや、寄せて討ち取りて、鎌倉殿の見参に入らん{*15}。」とぞ申しける。老僧、これを聞きて、「あはれ、詮なき詮議かな。我がための敵にもあらず。さればとて、朝敵にてもなし。たゞ兵衛佐殿{*16}のためにこそ不和なれ。三衣を墨に染めながら、甲冑をよろひ、弓箭を取つて戦場に出でんこと、且は穏便ならず。」と諌めければ、若大衆、これを聞きて、「それはさる事にて候へども、いにしへ、治承の事を聞き給へ。高倉の宮{*17}御謀叛に、三井寺など与し参らせ候ひしかども、山{*18}は心がはり仕り、三井寺法師は忠を致し、南都{*19}はいまだ参らずといへども、宮は、奈良へ落ちさせ給ひけるが、光明山の鳥居の前にて、流れ矢にあたつて、かくれさせ給ひぬ。南都は未だ参らずといへども、宮にくみし参らせたる咎によつて、太政入道殿、伽藍をほろぼし奉りし事を、人の上と思ふべきにあらず。判官、この山におはする由、関東に聞こえなば、東国の武士ども、承りて、我が山に押し寄せて、欽明天皇のみづから末代までと建立し給ひし所、刹那に焼き滅ぼさん事、口惜しき事にはあらずや。」と申しければ、老僧達も「この上は、ともかくも。」といひければ、その日を待ち暮らし、明くれば二十日の暁、大衆詮議の大鐘をぞ撞きにける。
 判官は、中院谷といふ所におはしけるが、雪、群山に降りつみて、谷の小川もひそかなり。駒の蹄も通はねば、鞍皆具{*20}も付けず。下人どもを具せざれば、兵粮米も持たれず。皆人、つかれに臨みて、前後も知らず臥しにけり。未だあけぼのの事なるに、遥かの麓に鐘の声の聞こえければ、判官、あやしく思し召して、侍どもを召して仰せられけるは、「晨朝{*21}の鐘過ぎて、又鐘の鳴るこそ怪しけれ。この山の麓と申すは、欽明天皇の御建立の吉野の御嶽、蔵王権現とて、霊験無双の霊社にて渡らせ給ふ。並びに吉祥、駒形の八大金剛童子、勝手、ひめぐり、しき王子、さうけ、こさうけの明神とて{*22}、甍を並べ給へる山上なり。さればにや、執行を初めとして、衆徒、華飾世に越えて、公家にも武家にも従はず。必ず宣旨院宣はなくとも、関東へ忠節のために、甲冑をよろひ、大衆の詮議するかや。」とぞ宣ひける。
 備前平四郎は「自然の事{*23}候はんずるに、一まづ落つべきかや。又、返して討死するか、腹を切るか。その時に臨んで、あわてふためきては叶はじ。よきやうに人々、計らひ申され候へや。」と申しければ、伊勢三郎、「申すに付けて、臆病の致す所に候へども、見えたるしるしなくて自害、無益なり。衆徒に逢うて討死、詮なし。唯幾度も、あしきのよからん方へ{*24}、一まづ落ちさせ給へや。」と申しければ、常陸坊、これを聞きて、「いしくも{*25}申され候ものかな。誰も、かくこそ存じ候へ。尤も。」と申しければ、武蔵坊、申しけるは、「くせ事を仰せられ候ぞとよ。寺中の近所に居て、麓に鐘の聞こゆるを、敵の寄するとて落ち行かんには、敵寄せぬ山々は、よもあらじ。たゞ君は、暫しこゝに渡らせおはしませ。弁慶、麓に罷り下り、寺中の騒動を見て参り候はん。」と申しければ、「尤もさこそありたけれども、御辺は、比叡の山にて素生したりし{*26}人なり。吉野、十津川の者どもに見知られてや有るらん。」と仰せられければ、武蔵坊、畏まつて申しけるは、「桜本に久しく候ひしかども、きやつばらには見知られたる事も候はず。」と申しもあへず、やがて御前を立ち、褐の直垂に、黒糸縅の鎧著て、法師なれども常に頭を剃らざりければ、三寸ばかり生ひたる頭に、揉鳥帽子に結ひがしらして、四尺二寸ありける黒漆の太刀、かもめじりにぞ佩きなしたる。三日月の如くに{*27}そりたる長刀、杖につき、熊の皮のつなぬき{*28}はきて、咋日ふりたる雪を時の落花の如く蹴散らし、山下をさして下りけり。
 弥勒堂の東、大日堂の上より見渡せば、寺中騒動して、大衆、南大門に詮議し、上を下へ返したり。宿老は講堂にあり。小法師ばらは、詮議の中をしさつて、はやりける。若大衆のかね黒なるが、腹巻に袖付けて、兜の緒をしめ、しこ{*29}の矢、筈さがりに負ひなして、弓杖につき、長刀手々にひつさげて、宿老より先に立ち、百人ばかり山口にこそ臨みけれ。弁慶、これを見て、「あはや。」と思ひ、取つて返して、中院谷に参りて、「騒ぐまでこそかたからめ。敵こそ矢頃に成りて候へ。」と申しければ、判官、これを聞き給ひて、「東国の武士か、吉野法師か。」と仰せられければ、「麓の衆徒にて候。」と申しければ、「さては、叶ふまじ。それらは、所の案内者なり。すくやか者を先に立て、悪所に向ひて追ひ懸けられて、叶ふまじ。誰かこの山の案内を知つたる者あらば、先立て、一まづ落ちん。」と仰せられける。
 武蔵坊、申しけるは、「この山の案内しる者、朧気にても候はず。異朝をとぶらふに、いわう山、かうふ山、しゆこう山とて、三つの山あり。一乗{*30}とは葛城、菩提とはこの山の事なり。役の行者と申し奉りし貴僧、精進潔斎し給ひて、優婆塞の宮のうつろひをもみしとりねを立てしかば、川瀬の波にやめうちけんと崇め奉りし正身の不動、立ち給へり。さる間、この山は、不浄にては、おぼろげにても人の入る山ならず。それも、立ち入りて見る事は候はねども、あらあら承り候。三方は、難所にて候。一方は、敵の矢さき。西は深き谷にて、鳥の音もかすかなり。北は竜返しとて、おち止まるところは、山川のたぎりて流るゝなり。東は、大和国宇多へつゞきて候ぞ。こなたへ落ちさせ給へや。」とぞ{*31}申しける。

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校訂者注
 1:底本は、「足にまかせて迷ひける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 2:底本は、「垂冰(たるひ)」。底本頭注に、「つらゝ。滴り垂れながら凍つた水。」とある。
 3:底本は、「十六日、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 4:底本は、「大衆(たいしゆ)」。底本頭注に、「多数の僧徒。」とある。
 5:底本頭注に、「互に心やすく馴れあはうとして寄合講をして舞ひ遊ぶこと。」とある。
 6:底本は、「打解(うちと)けたりせば、丹誠(たんせい)を運(はこ)ばざらん、願(ねが)はくは権現(ごんげん)の、此の度(たび)」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補い、削除した。底本頭注に、「〇丹誠を運ばざらん 真心からわざをして神仏にすゝめる。」とある。
 7:底本頭注に、「神仏を楽しましめる為に手向ける娯楽。」とある。
 8:底本は、「舞(まひ)までなくとも」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 9:底本頭注に、「言葉つゞき。」とある。
 10:底本は、「音声(おんじやう)の聞き事」。底本頭注に、「歌謡のよい聞きもの。」とある。
 11:底本頭注に、「後白河法皇。」とある。
 12:底本は、「待つ所に、紛(まぎ)れて」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 13:底本頭注に、「〇所にな置きそ 遠慮するな。憚るな。」「〇放逸に 思ふ儘に。存分に。」とある。
 14:底本は、「いかにとてかくさばや」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 15:底本頭注に、「頼朝にお目にかゝらう。」とある。
 16:底本は、「兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)」。底本頭注に、「頼朝。」とある。
 17:底本頭注に、「後白河天皇の皇子以仁王。」とある。
 18:底本頭注に、「比叡山延暦寺。」とある。
 19:底本頭注に、「興福寺。」とある。
 20:底本は、「鞍皆具(くらかいぐ)」。底本頭注に、「鞍橋鐙轡手綱など馬具悉皆。」とある。
 21:底本は、「晨朝(じんでう)」。底本頭注に、「寺院で朝の勤行。」とある。
 22:底本は、「霊験無双(れいけんぶさう)のかたのはつだい、金剛童子(こんがうどうじ)、勝手(かつて)ひめぐりしき王子(わうじ)、さうけやこさうけの明神(みやうじん)とて、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補い、削除し、改めた。
 23:底本頭注に、「若しもの事。万一の事。」とある。
 24:底本頭注に、「〇見えたる徴なく 目に見えたよい結果もないのに。」「〇あしき 不詳。足がかりか。足つきか。」とある。
 25:底本頭注に、「〇常陸坊 海尊。」「〇いしくも 神妙にも よくも。」とある。
 26:底本は、「比叡の山にてそせいしたりし」。底本頭注に、「比叡山で育つた。そせいは素生か。」とあるのに従い改めた。
 27:底本は、「こどくに」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 28:底本頭注に、「雪ぐつの一種。皮で作り底に鉄釘を打つたもの。」とある。
 29:底本頭注に、「矢壺。矢を入れて負ふ具。壺胡簶の類。」とある。
 30:底本は、「いちぜう」。底本頭注に従い改めた。
 31:底本は、「と申しける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。