八 亀割山にて御産の事

 おのおの亀割山を越え給ふに{*1}、北の方、御身をいたはり給ふことあり。御産近くなりければ、兼房、心苦しくぞ思ひける。山深くなるまゝに、いとゞ絶え入り給へば、時々は、もり奉りて行く。麓の里遠ければ、一夜の宿を取るべき所もなし。山の峠にて、道のほとり二町ばかりわけ入りて、ある大木の下に敷皮をしき、木のもとを御産所と定めて、宿し参らせけり。いよいよ御苦痛をせめければ、つゝましさも早忘れさせ給ひて、息ふき出だして、「人人近くて叶ふまじ。遠くのけよ。」と仰せられければ、さぶらひども、皆こゝかしこへ立ちのきけり。御身近くは、十郎権頭{*2}、判官殿ばかりぞおはしける。
 北の方、「これとても、心安かるべきにはあらねども、せめては力及ばず{*3}。」とて、又たえ入り給ひけり。判官も、「今は、かくぞ。」とぞ{*4}思し召しける。猛き心も失ひはてて、「かかるべしとは、かねて知りながら、これまで具足し奉り、京をばはなれ、思ふ所へは行きつかず、途中にてむなしくなし奉らん事の悲しさよ。誰を頼みて、これまで遙々、あらぬ里に御身をやつし、義経ひとり慕ひ給ひて、かかるうき旅の空に迷ひつゝ、片ときも心安きことを見せ聞かせ奉らず、失ひ奉らん事こそ悲しけれ。人に別れては、片ときもあるべしともおぼえず。たゞ同じ道に。」とかきくどき、涙もせきあへず悲しみ給へば、さぶらひどもも、「軍の陣にては、かくはおはせざりしものを。」と、みな袂を絞りけり。
 暫くありて、息ふき出だして、「水を。」と仰せられければ、武蔵坊、水瓶を取つて出でたりけれども、雨は降る、暗さはくらし、いづ方へ尋ね行くべきとはおぼえねども、足にまかせて谷をさしてぞ下りける。耳をそばだてて、「谷河の水や流るゝ。」と聞きけれども、この程久しく照りたる空なれば、谷の小河も絶えはてて、流るゝ水もなかりければ、武蔵坊、たゞかきくどき、ひとりごとに申しけるは、「御果報こそ少なくおはするとも、かやうに易き水をだにも、尋ねかねたる悲しさよ。」とて、泣く泣く谷にくだる程に、山河の流るゝ音を聞き付けて悦び、水を取りて、「嶺に上らん。」とすれども、山は霧深くして、帰るべき方を失ひけり。「貝を吹かん。」とすれども、「麓の里近かるらん。」とおもひて、左右なく吹かず。されども、「時刻移つては叶ふまじ。」と思ひて、貝をぞ吹きたりける。嶺にも貝を合はせたる。弁慶、とかくして水を持ちて、御枕に参りて、「参らせん。」としければ、判官、涙に咽びて仰せられけるは、「尋ねて参りたるかひもなし。早こときれ果て給ひぬ。誰に参らせんとて、これまでは、たしなみけるぞや。」とて泣き給へば、兼房も、御枕にひれ伏してぞ泣き居たり。
 弁慶も、涙をおさへて、御枕によりて、御頭を動かして申しけるは、「よくよく都にとゞめ奉らんと申し候ひしに、心弱くてこれまで具足し参らせて、今憂き目を見せたまふこそ悲しけれ。たとひ定業にて渡らせ給ふとも、これ程に弁慶が丹誠を出だして尋ね参りて候水を{*5}、聞こし召し入りてこそ、いかにもならせ給ひ候はめ。」とて、水を御口に注ぎ奉りければ、「うけ給ふ。」とおぼしくて、判官の御手に取り付き給ひて、又消え入り給へば、判官も、共にきえ入る心地しておはしけるを、弁慶、「心弱き御事候や。事もことにこそより候へ。そこ退き給へ、権頭。」とて、おし起こし奉る。
 御腰をいだき奉り、「南無八幡大菩薩。願はくは、御産、平安になし給へ。さて、我が君をば、棄てはてたまひ候や。」と祈念しければ、常陸坊も、掌を合はせてぞ祈りける。権頭は、こゑを立ててぞ悲しみける。判官も、今はかきくれたる心地して、御頭をならべて、ひれふし給ひけり{*6}。北の方、御心地つきて、「あら、心うや。」とて、判官に取りつき給へば、弁慶、御腰を抱きあげ奉れば、御産、やすやすとぞ{*7}し給ひける。武蔵、少人のむづかる御声を聞いて、篠懸{*8}におしまきて、抱き奉る。何とは知らねども、御臍の緒切りまゐらせて、「ゆあびせ奉らん。」とて、水瓶にありける{*9}水にて洗ひ奉り、「やがて御名を付け参らせん。これは、亀割山の亀の万劫をとつて、鶴の千歳に{*10}なぞらへて、亀鶴殿。」とぞつけ奉る。判官、これを御覧じて、「あら、いとけなの者の有り様やな。いつか人となりぬべきとも見えず。義経が心安くばこそ、又行く末もしづかならめ。物の心を知らぬさきに、疾く疾くこの山の巣守になせ{*11}。」と宣ひけり。
 北の方、聞こし召して、今まで御身を悩まし奉りたるとも思し召されず、「怨めしくも承り候ものかな。たまたま人界に生を受けたるものを、月日の光をも見せずして、むなしくなさんこと、いかにぞや。御不審{*12}かうぶらば、それ、権頭、取りあげよ。これより都へ抱きて上るとも、いかでかむなしくなすべき。」と悲しみ給へば、武蔵、これを承つて、「君一人を頼み参らせて候へば、自然の事も候はば、又頼み奉るべき方も候まじきに、この若君を見あげ参らせんこそ頼もしく候へ。これ程いつくしき若君を、いかでか失ひ参らせ候べき。」とて、「果報は、伯父鎌倉殿にあやかり参らせ給ふべし。力は、かひがひしくは候はねども、弁慶に似給へ。御命は、千歳万歳を保ち給へ。」とて、「これより平泉へは、さすがに程遠く候に、みち行く人に行き逢うて候はんに、『はかな。』とばしむづかりて、弁慶うらみ給ふな{*13}。」とて、篠懸にかいまきて、笈の中にぞ入れたりける。その間、三日に下り著き給ひけるに、一度も{*14}なき給はざりけるこそ不思議なれ。
 その日は、せひのうちといふ所にて、一両日御身いたはり、明くれば、馬を尋ねて乗せ奉り、その日は栗原寺に著き給ふ。それよりして、亀井六郎、伊勢三郎を御使にて、平泉へぞ遣はされける。

九 判官平泉へ御著の事

 秀衡、「判官の御使。」と聞き、急ぎ対面す。「この程、北陸道にかゝりて御下りとは、内々承り候ひつれども、一定{*15}を承らず候ひつるによつて、御迎へをも参らせず。越後、越中こそ怨みあらめ、出羽国は{*16}、秀衡が知行のところにて候へば、各、何故御披露候ひて、国の者どもに送られさせおはしまし候はざりけるぞ。急ぎ、御迎へに人を参らせよ。」とて、嫡子泰衡冠者{*17}を呼びて、「判官殿の御迎へに参れ。」と申しければ、泰衡、百五十騎にてぞ参りける。北の方の御迎へには、御輿をぞ参らせける。「かくもありけるものを。」と仰せられて、磐井郡におはしましたりければ、秀衡、左右なく{*18}吾がもとへは入れ参らせず。月見殿とて、常に人も通はぬ所にすゑ奉り、日々の椀飯をもてなし奉る。北の方には、容顔美麗に心優なる女房達十二人、その外下女、はした者にいたるまで、調へてぞ付け奉る。
 判官は、かねての約束なりければ、名馬百疋、鎧五十両、征矢五十こし、弓五十挺。御手所{*19}には、もゝふの郡、牡鹿郡、志太郡、玉造、遠田郡とて、国の内にてよき郡、一郡には三千八百町づゝ有りけるを、五郡ぞ参らせける。侍どもには、すぐれたる胆沢、ゑさし、はましの荘とて、このうち、分々に配分せられけり。「時々は、いづくへも出で、慰み給へ。」とて、骨つよき馬十匹づゝ、履、行縢{*20}にいたるまで、心ざしをぞ運びける。「しよせん、今はなにに憚るべき。只思ふ様に遊ばせ参らせよ。」とて、泉の冠者{*21}に申しつけて、両国の大名三百六十人をすぐつて、日々の椀飯を供へたる。やがて、「御所つくれ。」とて、秀衡がやしきより西にあたりて、衣河とて、地を引き、御所造りて入れ奉る。城の体を見るに、前には{*22}衣川、東は秀衡が館なり。西は、たうくがいはやとて、しかるべき山につゞきたり。かやうに城郭を構へて、上見ぬ鷲の如くにておはしけり。昨日までは空山伏、今日はいつしか男になりて{*23}、栄華ひらきてぞおはしける。折々ごとに北陸道の御物語、北の方の御ふるまひなど仰せられ、各、申し出だし、笑ひ草にぞなりにける。
 かくて年も暮れければ、文治三年に成りにけり。

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校訂者注
 1:底本は、「こゑ給ふに、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 2:底本は、「十郎権頭(らうごんのかみ)」。底本頭注に、「北の方の傅 増尾十郎兼房。」とある。
 3:底本頭注に、「苦痛が迫り来ては何とも致方がない。」とある。
 4:底本は、「と思召(おぼしめ)しける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 5:底本は、「尋(たづ)ね参りて候を、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 6:底本は、「ひれふし給ひける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 7:底本は、「やす(二字以上の繰り返し記号)とし給ひける。」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 8:底本は、「篠懸(すゞかけ)」。底本頭注に、「修験者の衣。」とある。
 9:底本は、「緒(を)をつぎまゐらせて、御湯(みゆ)をひかせ奉らんとて、水瓶(みづがめ)にあけける」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 10:底本は、「千歳(せんざい)なぞらへて」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 11:底本頭注に、「〇すもり 荒れた処に居残ることで巣守にするは山中に棄てる意。」とあるのに従い改めた。
 12:底本頭注に、「御嫌疑御勘気をいふ。」とある。
 13:底本頭注に、「脱文でもあるか。強ひていへば、笈の中で窮屈だとぢれて泣いて弁慶を恨み給ふなの意か。ばしは意を強める接尾語。」とある。
 14:底本は、「一度なき」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 15:底本は、「一定(いちぢやう)」。底本頭注に、「確かなこと。」とある。
 16:底本は、「越後越中こそ怨(うら)みあらめ、出羽(の)国の者どもに、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 17:底本は、「もとよしの冠者」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い改めた。
 18:底本は、「左右(さう)なく」。底本頭注に、「無造作には。」とある。
 19:底本は、「御手所(おんてじよ)」。底本頭注に、「直領。」とある。
 20:底本は、「履行縢(くつむかばき)」。底本頭注に、「〇行縢 毛皮で作つて、狩猟の時前股に著用したもの。」とある。
 21:底本は、「いつの冠者」。底本頭注に、「いづみの冠者の誤りか。秀衡の三男和泉三郎忠衡。」とあるのに従い改めた。
 22:底本は、「前衣川(ころもがは)、」。『義経記』(1992年岩波書店刊)に従い補った。
 23:底本は、「空山伏(そらやまぶし)、今日(けふ)はいつしか男(をとこ)になりて、」。底本頭注に、「〇空山伏 にせ山伏。」「〇男になり 俗人になつて。」とある。