巻第六

民部卿三位局御夢想の事

 それ年光{*1}停まらざる事、奔箭下流の水の如し。哀楽互に替はること、紅栄黄落の樹に似たり。然れば、この世の中の有様、唯夢とやいはん、幻とやいはん。憂喜共に感ずれば、袂の露を催すこと、今に始めずといへども、去年九月に笠置城破れて、先帝、隠岐国へ遷されさせ給ひし後は、百司の旧臣、悲しみを抱いて所々に篭居し、三千の宮女、涙を流して面々に伏し沈み給ふ有様、誠に憂世の中の習ひといひながら、殊更哀れに聞こえしは、民部卿三位殿の御局にて留めたり。
 それを如何にと申すに、先朝{*2}の御寵愛浅からざる上、大塔宮の御母堂にて渡らせ給ひしかば、かたへの女御、后は、花の側の深山木の色香もなきが如くなり。然るを世間静かならざりし後は、万、引き替へたる九重の内の御住居も定まらず。荒れのみまさる浪の上に、船流したる海士の心地して、寄る方もなき御思ひの上に打ち添ひて、君は{*3}、西海のかへらぬ波に浮き沈み、涙隙なき御袖の気色と承りしかば、空しく思ひを万里の暁月に傾け、宮は又、南山の道なき雲に{*4}踏み迷はせたまひて、あこがれたる御住居と聞こゆれど、書を三春の暮の雁にことづけ難し。
 かれと云ひこれと云ひ、一方ならぬ御歎きに、青糸の髪疎かにして、いつの間に老いは来ぬらんと怪しまれ、紅玉のはだへ消えて、今日をかぎりの命ともがなと思し召しける御悲しみの遣る方なさに、年頃の御祈りの師とて、御誦経、御撫で物{*5}なんど奉りける、北野の社僧の坊におはしまして、一七日参篭の御志ある由を仰せられければ、この折節、武家の聞こえも憚りなきにはあらねども、日頃の御恩も重く、今程の御有様も御痛はしければ、「情なくは如何。」とおもひて、拝殿の傍に僅かなる一間をこしらへて、尋常の青女房なんどの参篭したるよしにて置き奉りけり。
 あはれ、いにしへならば、錦帳によそほひを篭め、紗窓に艶を閉ぢて、左右の侍女、その数を知らず、あたりを輝かし、いつきかしづき奉るべきに、いつしか引き替へたる御忍びの物篭りなれば、都近けれども、事訪ひ交はす人もなし。ただ一夜の松の嵐に御夢をさまされ、主忘れぬ梅が香に、昔の春を思し召し出だすにも、昌泰の年の末に荒人神{*6}とならせ給ひし心づくしの御旅寝までも、今は君の御思ひになぞらへ、又は御身の歎きにおぼしめし知られたる、あはれの色の数々に、御念誦をしばらく止められて、御涙のうちに、かくばかり、
  忘れずば神もあはれと思ひ知れこころづくしのいにしへの旅
とあそばして、少し御まどろみありけるその夜の御夢に、衣冠正しくしたる老翁の、年八十有余なるが、左の手に梅の花を一枝持ち、右の手に鳩の杖をつき、いと苦しげなる体にて、御局の臥したまひたる枕の辺に立ちたまへり。御夢心地に思し召しけるは、「篠の小篠の一節も、問ふべき人もおぼえぬ都の外の蓬生に、怪しや、誰人の道踏み迷へるやすらひ{*7}ぞや。」と御尋ねありければ、この老翁、世に哀れなる気色にて、いひ出だせる詞はなくて、持ちたる梅の花を御前にさし置いて、立ちかへりけり。不思議や、と思し召して御覧ずれば、一首の歌を短冊にかけり。
  廻り来てつひにすむべき月影のしばしくもるを何なげくらむ
御夢覚めて、歌の心を案じ給ふに、君、遂に還幸成つて、雲の上{*8}に住ませ給ふべき瑞夢なりと、憑もしく思し召しけり。
 誠に、かの聖廟と申し奉るは、大慈大悲の本地、天満天神の垂跡にて渡らせ給へば、一度歩みを運ぶ人、二世の悉地を成就し、僅かに御名を唱ふる輩、万事の所願を満足す。況んや、千行万行の紅涙をしたて尽くして、七日七夜の丹誠を致させ給へば、懇誠、暗に通じて、感応、忽ちに告げあり。世、既に澆季に及ぶといへども、信心誠ある時は、霊鑑新たなりと、いよいよたのもしくぞ思し召しける。

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校訂者注
 1:底本頭注に、「歳月。」とある。
 2:底本頭注に、「先帝即ち後醍醐帝。」とある。
 3:底本は、「君西海(さいかい)の」。『太平記 一』(1977年)に従い補った。
 4:底本は、「雲踏(ふ)み」。『太平記 一』(1977年)に従い補った。
 5:底本頭注に、「祈祷の時身を撫でて禍を祓ひ捨てる人形。」とある。
 6:底本頭注に、「〇昌泰 醍醐帝の代。管公の事を記す。」「〇荒人神 現人神。」とある。
 7:底本頭注に、「たゝずめること。」とある。
 8:底本頭注に、「宮中。」とある。