広有怪鳥を射る事
元弘三年七月に改元あつて、建武に移さる。これは{*1}、後漢の光武、王莽が乱を治めて、再び漢の世を継がれし佳例なりとて、漢朝の年号を写されけるとかや。
今年、天下に疫癘あつて、病死する者、甚だ多し。これのみならず、その秋の頃より、紫宸殿の上に怪鳥出で来て、「いつまで、いつまで。」とぞ鳴きける。その声、雲に響き、眠りを驚かす。聞く人皆、忌み恐れずといふ事なし。即ち、諸卿相議して曰く、「異国の昔、尭の代に十の日出でたりしを、羿といひける者、承つて、九つの日を射落とせり。我が朝の古、堀河院の御在位の時、変化の物ありて、君を悩まし奉りしをば、前陸奥守義家、承つて、殿上の下口に候し{*2}、三度弦音を鳴らしてこれを鎮む。又、近衛院の御在位の時、鵺といふ鳥の雲中に翔けつて鳴きしをば、源三位頼政卿、勅を蒙つて射落としたりし例あれば、源氏の中に誰か射候べき者ある。」と尋ねられけれども、射はづしたらば、生涯の恥辱と思ひけるにや、我、承らんと申す者、なかりけり。「さらば、上北面、諸庭の侍どもの中に、誰かさりぬべき者有る。」と御尋ねありけるに、「二條関白{*3}左大臣殿の召し仕はれ候、隠岐次郎左衛門広有と申す者こそ、その器に堪へたる者にて候へ。」と申されければ、「やがてこれを召せ。」とて、広有をぞ召されける。
広有、勅定を承つて、鈴の間の辺に候ひけるが、「実にもこの鳥、蚊のまつ毛に巣くふなる蜼螟の如く{*4}、小さくて、矢も及ばず、虚空の外に翔けり飛ばば、叶ふまじ。目に見ゆる程の鳥にて、矢がかりならんずるに、何事ありとも射はづすまじきものを。」と思ひければ、一議も申さず畏まつて領掌す。則ち、下人に持たせたる弓と矢とを執り寄せて、孫廂の蔭に立ち隠れて、この鳥の有様を伺ひ見るに、八月十七夜の月、殊に晴れ渡つて、虚空清明たるに、大内山{*5}の上に黒雲一群かかつて、鳥鳴く事、頻りなり。鳴く時、口より火炎を吐くかとおぼえて、声の内より稲光りして、その光、御簾の内へ散徹す。
広有、この鳥の在りかをよくよく見おほせて、弓押し張り、弦くひしめして、流鏑矢を差しつがひて立ち向へば、主上は、南殿{*6}に出御成つて叡覧あり。関白殿下、左右の大将、大中納言、八座、七弁、八省輔、諸家の侍、堂上堂下に袖を連ね、文武百官、これを見て、如何あらんずらんと、固唾を呑うで手を握る。広有、已に立ち向つて、弓を引かんと欲しけるが、いささか思案するやうありげにて、流鏑にすげたる雁股を抜きて打ち捨て、二人張に十二束二伏、きりきりと引きしぼりて、左右なくこれを放たず、鳥の鳴く声を待ちたりける。この鳥、例より飛び下がり、紫宸殿の上に二十丈ばかりが程に鳴ける処を聞き澄まして、弦音高く、ひやうと放つ。鏑、紫宸殿の上を鳴り響かし、雲の間に手応へして、何とは知らず、大盤石の落ち懸かるが如く聞こえて、仁寿殿の軒の上より、ふたへに竹台の前へぞ落ちたりける。
堂上堂下一同に、「あ、射たり、射たり。」と感ずる声、半時ばかりののめいて、暫しはいひやまざりけり。衛士の司に松明を高く取らせて、これを御覧ずるに、頭は人の如くにして、身は蛇の形なり。嘴の先曲がつて、歯、鋸の如く生ひ違ふ。両の足に長き蹴爪ありて、利き事、剣の如し。羽先を延べてこれを見れば、長さ一丈六尺なり。「さても広有、射ける時、俄に雁俣を抜いて捨てつるは、何ぞ。」と御尋ねありければ、広有、畏まつて、「この鳥、御殿の上に当たつて鳴き候ひつる間、仕つて候はんずる矢の落ち候はん時、宮殿の上に立ち候はんずるが忌々しさに、雁俣をば抜いて捨てつるにて候。」と申しければ、主上、いよいよ叡感あつて、その夜、やがて広有を五位になされ、次の日、因幡国に大荘二箇所賜はつてけり。
弓矢取の面目、後代までの名誉なり。
神泉苑の事
兵革の後、妖気、猶、禍ひを示す。その殃ひを消すには、真言秘密の効験に如くはなしとて、俄に神泉苑をぞ修造せられける。
かの神泉苑と申すは、大内、始めて成りし時、周の文王の霊囿になぞらへ、方八町に築かれたりし園囿{*7}なり。その後、桓武の御代に、始めて朱雀門の東西に二寺を建てらる。左をば東寺と名づけ、右をば西寺と号す。東寺には、高野大師{*8}、胎蔵界の七百余尊を安んじ、金輪宝祚を守る。西寺には、南都の守敏僧都、金剛界の五百余尊を顕はして、玉体の長久を祈らる。
かかりし処に、桓武の御宇、延暦二十三年の春の頃、弘法大師、求法のために御渡唐ありけり。その間、守敏僧都一人、竜顔に近づき奉り、朝夕、加持を致されける。
或る時、御門{*9}、御手水を召されけるが、水、氷つて、余りに冷たかりける程に、暫しとて、差し置き給ひたりけるを、守敏、御手水に向つて火の印を結び給ひける間、氷水、忽ちに溶けて、沸ける湯の如くなり。御門、御覧ぜられて、余りに不思議に思し召されければ、わざと火鉢に炭を多くおこさせて、障子を立て廻し、火気を内に篭められたれば、臘裏の風光、あたかも春三月の如くなり。帝、御顔の汗を押し拭はせ給ひて、「この火、消さばや。」と仰せられければ、守敏、又火に向つて水の印をぞ結び給ひける。これに依つて、炉火、忽ちに消えて、空しく冷灰になりにければ、寒気肌を侵し、五体に水を注ぐが如し。
これより後、守敏、かやうの奇特不思議をあらはす事、神変を得たるが如し。かかりしかば、帝、これを帰依渇仰し給へる事、尋常ならず。かかりける処に、弘法大師、御帰朝あり。即ち参内し給ふ。帝、異朝の事ども{*10}御尋ねあつて後、守敏僧都の、この間様々なりつる奇特どもをぞ御物語ありける。大師、これを聞こし召し、「馬鳴、帷をかかぐれば、鬼神、去つて口を閉ぢ、栴檀、塔を礼すれば、支提、破れて尸を顕はすと申すこと候へば、空海が有らんずる処にて、守敏、よも左様の奇特をば現はし候はじ。」とぞ欺かれける{*11}。帝、「さらば、両人の効験を施させて、威徳の勝劣を御覧ぜられん。」と思し召して、或る時、大師、御参内{*12}ありけるを、傍らに隠し置き奉り、守敏、勅に応じて御前に候す{*13}。
時に、帝、湯薬を参りけるが、建盞{*14}を差し置かせ給ひて、「余りにこの水冷たくおぼゆる。例の様に、加持して暖められ候へかし。」とぞ仰せられける。守敏、「仔細候はじ。」とて、建盞に向つて火の印を結び、加持せられけれども、水、敢へて湯にならず。帝、「こは、如何なる不思議ぞや。」と仰せられ、左右に目くはせありければ、内侍典侍なりける者、わざと熱く沸き返りたる湯をついで参りたり。帝、又湯を立てさせて、まゐらんとし給ひけるが、又、建盞を差し置かせ給ふ。「これは、余りに熱くて、手にも執られず。」と仰せられければ、守敏、先にもこりず、又建盞に向つて水の印を結びたりけれども、湯、敢へてさめず。尚、建盞の内にて沸き返る。
守敏、前後の不覚に色を失ひ、気を損じ給へる処に、大師、傍なる障子の内より御出であつて、「如何に、守敏。空海、これにありとは存知せられ{*15}候はざりけるか。星の光は朝の日に消え、蛍の火は暁の月に隠る。」とぞ笑はれける。守敏、大きにこれを恥ぢて、欝陶を心中にさし挟み、嗔恚を気上に隠し、退出せられけり。
それより守敏、君を恨み申す憤り、骨髄に入つて深かりければ、「天下に大旱魃をやりて、四海の民を一人もなく飢渇に合はせん。」と思ひて、一大三千界の中にある所の竜神どもを捕らへて、僅かなる水瓶の内に押し篭めてぞ置きたりける。これに依つて、孟夏三月の間、雨降る事なくして、農民、耕作を勤めず。天下の愁へ、一人{*16}の罪にぞ帰しける。君、遥かに天災の民に害ある事を愁へ思し召して、弘法大師を召し請じて、雨の祈りをぞ仰せ付けられける。
大師、勅を承つて、先づ一七日の間、定に入り、明らかに三千界の中を御覧ずるに、内海外海の竜神ども、悉く守敏の呪力をもつて、水瓶の中に追ひ篭めて、雨を降らすべき竜神、なかりけり。但し、北天竺の境、大雪山の北に無熱池といふ池の善女竜王、ひとり守敏より上位の薩埵にておはしましける。大師、定より出でて、この由を奏聞ありければ、俄に大内の前に池を掘らせ、清涼の水を湛へて竜王をぞ勧請し給ひける。時に、かの善女竜王、金色の八寸の竜に現じて、たけ九尺ばかりの蛇の頂に乗つて、この池に来り給ふ。則ち、この由を奏す。
公家{*17}、殊に敬嘆せさせ給ひて、和気真綱{*18}を勅使として、御幣、種々の物供を以て竜王を祭らせらる。その後、湿雲、油然{*19}として雨を降らす事、国土に普し。三日の間、をやみなくして、災旱の憂へ、永く消えぬ。真言の道を崇めらるる事、これよりいよいよ盛んなり。
守敏、尚、腹を立てて、「さらば、弘法大師を調伏し奉らん。」と思ひて、西寺に引き篭り、三角の壇を構へ、本尊を北向きに立てて、軍荼利夜叉の法をぞ行はれける。大師、この由を聞き給ひて、即ち東寺に炉壇を構へ、大威徳明王の法を修し給ふ。両人、いづれも徳行薫修の尊宿なりしかば、二尊の射給ひける流鏑矢、空中に合つて中に落つる事、鳴りやむ隙もなかりけり。ここに大師、守敏を油断させんと思し召して、俄に御入滅の由を披露せられければ、緇素{*20}、悲歎の涙を流し、貴賤、哀慟の声を呑む。守敏、これを聞き、「法威、成就しぬ。」と悦びを成し、則ち壇を破られけり。この時、守敏、俄に目くれ、鼻血垂つて、心身悩乱せられけるが、仏壇の前に倒れ伏して、遂にはかなくなりにけり。「呪詛、諸毒薬、本人に還著す。」と説き給ふ金言、誠に験あつて、不思議なりし効験なり。これよりして、東寺は繁昌し、西寺滅亡す。
大師、茅といふ草を結んで、竜の形に作つて壇上に立てて行はせ給ひける。法成就の後、聖衆を送り奉り給ひけるに、真の善女竜王をば、やがて神泉苑に留め奉つて、「竜華下生三会の暁まで、この国を守り、我が法を治め給へ。」と御契約ありければ、今まで跡を留めて、かの池に住み給ふ。かの茅の竜王は、大竜になつて、無熱池へ飛び帰り給ふともいひ、或いは曰く、聖衆と共に空に昇つて、東をさして飛び去り、尾張国熱田の宮に留まり給ふともいふ説あり。仏法東漸の先兆、東海鎮護の奇瑞なるにや。
大師の曰く、「もしこの竜王、他界に移らば、池浅く水少なくして、国荒れ、世乏しからん。その時は、我が門徒、祈請を加へ、竜王を請じ留め奉り、国を助くべし。」と宣へり。今は、水浅く、池あせたり。恐らくは{*21}竜王、他界に移り給へるか。然れども、請雨経の法行はるる毎に、掲焉{*22}の霊験、猶絶えず。未だ国を捨て給はざるに似たり。風雨、時に叶ふ、感応奇特の霊池なり。代々の御門、これを崇め、家々の賢臣、これを敬ふ。もし旱魃起こる時は、先づ池を浄む。然るを、後鳥羽法皇、おり居{*23}させ給ひて後、建保の頃より、この所廃れ、荊棘、路を閉づるのみならず、猪鹿の害蛇放たれ、流鏑の音、護法の聴きを驚かし、飛蹄の響き、冥衆の心を騒がす。心ある人、恐れ歎かずといふ事なし。
承久の乱の後、故武州禅門{*24}、ひそかにこの事を悲しみ、築垣を高うし、門を堅め、雑穢を止めらる。その後、涼燠{*25}、しばしば改まつて、門墻、漸く全からず。不浄汚穢の男女、出入制止する事なく、牛馬、水草を求むる往来、憚ることなし。定めて知んぬ、竜神、快からざるか。早く修理を加へ、崇め重んじ給ふべし。この所を崇めば、国土治まるべきなり。
校訂者注
1:底本は、「こは」。『太平記 二』(1980年)に従い改めた。
2:底本は、「候じ、」。『太平記 二』(1980年)に従い改めた。
3:底本頭注に、「道平。」とある。
4:底本頭注に、「〇蚊の睫云々 列子に『海上有虫曰焦螟、巣於蚊睫。』」とある。
5:底本頭注に、「内裏の事。」とある。
6:底本頭注に、「〇主上 後醍醐天皇。」「〇南殿 紫宸殿。」とある。
7:底本は、「霊囿(れいいう)」。『太平記 二』(1980年)に従い改めた。
8:底本頭注に、「弘法大師。」とある。
9:底本頭注に、「桓武天皇。」とある。
10:底本は、「事どもを御尋(おんたづ)ね」。『太平記 二』(1980年)に従い削除した。
11:底本頭注に、「誹られた。」とある。
12:底本は、「大師参内」。『太平記 二』(1980年)に従い補った。
13:底本は、「候ず。」。『太平記 二』(1980年)に従い改めた。
14:底本は、「建盞(けんざん)」。底本頭注に、「直立形の盞。唐の建安から製出されたのでかう云ふ。」とある。
15:底本は、「存知られ」。『太平記 二』(1980年)に従い改めた。
16:底本頭注に、「天皇。」とある。
17:底本は、「公家(くげ)」。底本頭注に、「朝廷。」とある。
18:底本は、「和気真綱(わけのまつな)」。底本頭注に、「清麿の子。」とある。
19:底本頭注に、「雲の盛んな様。」とある。
20:底本は、「緇素(しそ)」。底本頭注に、「僧侶及び俗人。」とある。
21:底本は、「恐らく竜王」。『太平記 二』(1980年)に従い補った。
22:底本は、「掲焉(けちえん)」。底本頭注に、「著しき。」とある。
23:底本頭注に、「譲位。」とある。
24:底本頭注に、「平泰時。」とある。
25:底本は、「涼燠(りやういく)」。底本頭注に、「寒暑。」とある。
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