本間孫四郎遠矢の事
新田、足利、相挑んで未だ戦はざる処に、本間孫四郎重氏、黄瓦毛なる馬の太く逞しきに、紅下濃の鎧著て、ただ一騎、和田御崎の波打際に馬打ち寄せて、沖なる船に向つて、大音声を揚げて申しけるは、「将軍、筑紫より御上洛さふらへば、定めて鞆、尾道の傾城ども、多く召し具せられ候らん。そのために、珍しき御肴一つ、押して参らせ候はん。暫く御待ち候へ。」と云ふままに、上差の流鏑矢を抜いて、羽の少し広がりけるを、鞍の前輪に当ててかきなほし、二所籘の弓の握り太なるに取り副へ、小松蔭に馬を打ち寄せて、浪の上なる鵃の、己が影にて魚を驚かし、飛び下がる程をぞ待つたりける。
敵は、これを見て、「射はづしたらんは、希代の笑ひかな。」と目を放たず。御方は、これを見て、「射当てたらんは、時に取つての名誉かな。」と、機を詰めてぞまもりける。遥かに高く飛び揚がりたる鵃、浪の上に落ちさがりて、二尺ばかりなる魚を、主人のひれを掴んで沖の方へ飛び行きける処を、本間、小松原の中より馬を駆け出だし、追つ様に成つて、かけ鳥{*1}にぞ射たりける。わざと生きながら射て落とさんと、片羽がひを射切つて{*2}、只中をば射ざりける間、鏑は鳴り響いて、大内介が船の帆柱に立ち、鵃は魚を掴みながら、大友が船の屋形の上へぞ落ちたりける。射手、誰とは知らねども、敵の船七千余艘には、舷を踏んで立ち並び、御方の官軍五万余騎は、汀に馬を控へて、「あ、射たり、射たり。」と感ずる声、天地を響かして静まり得ず。
将軍、これを見給ひて、「敵、我が弓の程を見せんと、この鳥を射つるが、こなたの船の中へ鳥の落ちたるは、御方の吉事とおぼゆるなり。いかさま、射手の名字を聞かばや。」と仰せられければ、小早川七郎、船の舳に立ち出でて、「類少なく見所あつても遊ばされつるものかな。さても、御名字をば何と申し候やらん、承り候はばや。」と問ひたりければ、本間、弓杖にすがりて、「その身、人数ならぬ者にて候へば、名のり申すとも、誰か御存知候べき。但し、弓箭を取つては、坂東八箇国の兵の中には、名を知つたる者も御座候らん。この矢にて名字をば御覧候へ。」と云つて、三人張に十五束三伏、ゆらゆらと引き渡し、二引両の旗立てたる船を指して、遠矢にぞ射たりける。
その矢、六町余りを越えて、将軍の船に並びたる佐々木筑前守が船を、箆中過ぎ通り、屋形に乗つたる兵の鎧の草摺に、裏をかかせてぞ立つたりける。将軍、この矢を取り寄せ見給ふに、相模国の住人本間孫四郎重氏と、小刀のさきにて書きたりける。諸人、この矢を取り伝へ見て、「あな、恐ろし。如何なる不運の者が、この矢先に廻つて死なんずらん。」と、かねて胸をぞ冷やしける。
本間孫四郎、扇を挙げて沖の方をさし招きて、「合戦の最中にて候へば、矢一つも惜しく存じ候。その矢、こなたへ射返してたび候へ。」とぞ申しける。将軍、これを聞きたまひて、「御方に誰かこの矢、射返しつべき者ある。」と、高武蔵守に尋ね給ひければ、師直、畏まつて、「本間が射て候はんずる遠矢を、同じ壺に射返し候はんずる者、坂東勢の中にはあるべしとも存じ候はず。誠にて候やらん、佐々木筑前守顕信こそ、西国一の精兵にて候なれ。彼を召され、仰せ附けられ候へかし。」と申しければ、「実にも。」とて、佐々木をぞ呼ばれける。
顕信、召し{*3}に随つて、将軍の御前に参りたり。将軍、本間が矢を取り出だして、「この矢、本の矢壺へ射返され候へ。」と仰せられければ、顕信、畏まつて、叶ひ難き由をぞ再三辞し申しける。将軍、強ひて仰せられける間、辞するに処なく{*4}して、己が船に立ち帰り、緋縅の鎧に鍬形打つたる兜の緒を締め、銀のつく{*5}打つたる弓の反高なるを、帆柱に当ててきりきりと{*6}押し張り、船の舳さきにたち顕はれて、弓の弦くひしめしたる{*7}有様、誠に射つべくぞ見えたりける。
かかる処に、如何なる推参の馬鹿ものにてかありけん、讃岐勢の中より、「この矢一つ受けて、弓勢のほど御覧ぜよ。」と、高らかに呼ばはる声して、鏑をぞ一つ射たりける。胸板に弦をや打ちたりけん、元来、小兵にやありけん、その矢、二町までも射つけず、波の上にぞ落ちたりける。本間が後ろに控へたる軍兵五万余騎、同音に、「あ、射たりや。」と欺きて、しばし笑ひも止まざりけり。
この後は、中々射てもよしなしとて、佐々木は遠矢を止めてけり。
経島合戦の事
遠矢射損じて、敵御方に笑はれ憎まれける者、恥をすすがんとや思ひけん、船一艘に二百余人取り乗りて、経島へ差し寄せ、同時に磯へ飛び下りて、敵の中へぞ打つてかかりける。脇屋右衛門佐の兵ども、五百余騎にて中にこれを取り篭め、弓手馬手に相附いて、縄手を廻してぞ射たりける。二百余騎の者ども、心は猛しといへども、射手も少なくかち立ちなれば、馬武者に駆け悩まされて、遂に一人も残らず討たれにければ、乗り捨つる船は、いたづらに岸打つ浪に漂へり。
細川卿律師、これを見給ひて、「続く者のなかりつる故にこそ、若干の御方をば故なく討たせつれ。いつを期すべき合戦ぞや。下り場のよからんずる所へ船を著けて、馬を追ひ下ろし追ひ下ろし、打つて上がれ。」と下知せらる。四国の兵ども、大船七百余艘、紺部の浜より上がらんとて、磯に添うてぞ上りける。兵庫島三箇所に控へたる官軍五万余騎、船の敵をあげ立てじと、漕ぎ行く船に随ひて、汀を東へ打ちける間、船路の勢は自ら進んでかかる勢ひに見え、陸の官軍はひとへに逃げて引くやうにぞ見えたりける。
海と陸との両陣、互に相窺うて、遥かの汀に著いて上りければ、新田左中将と楠と、その間遠く隔たりて、兵庫島の船著きには、支へたる勢もなかりけり。これに依つて、九国中国の兵船六十余艘、和田御崎に漕ぎ寄せて、同時に陸へぞあがりける。
校訂者注
1:底本頭注に、「翔り行く鳥。」とある。
2:底本は、「片羽がひを切つて」。『太平記 三』(1983年)に従い補った。
3:底本は、「御召しに」。『太平記 三』(1983年)に従い削除した。
4:底本頭注に、「由なく。」とある。
5:底本頭注に、「銀の折釘。矢の外れぬ用意に弓の矢を番ふ辺に打つ金物。」とある。
6:底本は、「きり(二字以上の繰り返し記号)押張り、」。『太平記 三』(1983年)に従い補った。
7:底本は、「弦(つる)くひしめたる」。『太平記 三』(1983年)に従い改めた。
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