義貞夢想の事 附 諸葛孔明が事
その七日に当たりける夜、義貞朝臣、不思議の夢をぞ見給ひける。所は今の足羽辺とおぼえたる河の辺にて、義貞と高経と相対して陣を張る。未だ戦はずして数日を経る処に、義貞、俄に高さ三十丈ばかりなる大蛇になつて、地上に臥し給へり。高経、これを見て、兵をひき、楯を捨て逃ぐる事数十里にして止むと見給ひて、夢は則ち覚めにけり。義貞、夙に起きて、この夢を語り給ふに、「竜は、これ雲雨の気に乗りて、天地を動かすものなり。高経、雷霆の響きに驚きて、葉公が心を失ひしが如くにて、去る事候べし。めでたき御夢なり。」とぞ合はせける。
ここに、斎藤七郎入道道猷{*1}、垣を隔てて聞けるが、眉をひそめてひそかにいひけるは、「これ、全くめでたき御夢にあらず。則ち、天の凶を告ぐるにてあるべし。その故は、昔、異朝に呉の孫権、蜀の劉備、魏の曹操といひし人三人、支那四百州を三つに分けて、これを保つ。その志、皆、二つを亡ぼして一つに合はせんと思へり。然れども、曹操は、才智世に勝れたりしかば、謀りごとを帷帳の中に巡らして、敵を方域の外に防ぐ。孫権は、弛張時あつて士をねぎらひ衆を撫でしかば、国を賊し政を掠むる者、競ひ集まつて、よこしまに帝都を侵し奪へり。劉備は、王氏を出でて遠からざりしかば、その心、仁義に近くして利欲を忘るる故に、忠臣孝子、四方より来つて、文教をはかり武徳を行ふ。この三人、智仁勇の三徳を以て天下を分けて保ちしかば、呉魏蜀の三都相並んで、鼎の如くそばだてり。
「その頃、諸葛孔明といふ賢才の人、世を避け身を捨てて、蜀の南陽山に在りけるが、寂に{*2}釣り閑に耕して歌ふ歌をきけば、
{*k}歩んで齊の東門を出で 往きて蕩陰の里に到る
里中に三つの墳有り 塁々として皆相似たり
借問す、誰が家の塚ぞ 田強、古冶子
気は能く南山を排し 智は方に地理を絶す
一朝に讒言せられて 二桃、三士を殺す{*3}
誰か能くこの謀りごとを為さん 国の相{*4}は齊の晏子なり{*k}
とぞ歌ひける。蜀の智臣、これを聞きて、彼が賢なる所を知りければ、これを召して政を任せ、官を高くし世を治め給ふべき由をぞ奏し申しける。劉備、則ち、幣を重うし礼を厚うして召されけれども、孔明、敢へて勅に応ぜず。ただ澗飲岩栖して生涯を断送せんことを楽しむ。
「劉備、三度彼の草庵の中へおはして宣ひけるは、『朕、不肖の身を以て天下の太平を求む。全く身を安んじ欲を恣にせんとにはあらず。唯、道の塗炭におち、民の溝壑に沈みぬることを救はんためのみなり。公、もし良佐の才を出だして朕が中心を助けられば、残に勝ち殺を棄てん事{*5}、何ぞ必ずしも百年を待たん。それ、石を枕にし泉に口すすいで幽栖を楽しむは、一身のためなり。国を治め民を利して大化を致さんは、万人のためなり。』と、誠を尽くし理を究めて仰せられければ、孔明、辞するに詞なくして、遂に蜀の丞相となりにけり。劉備、これを貴寵して、『朕が孔明有るは、魚の水有るが如し。』と喜び給ふ。遂に公侯の位を与へて、その名を武侯と号せられしかば、天下の人、これを臥竜の勢ひありと恐れあへり。
「その徳、已に天下を朝せしむべしと見えければ、魏の曹操、これを愁へて、司馬仲達といふ将軍に七十万騎の兵を副へて、蜀の劉備を攻めんとす。劉備は、これを聞きて、孔明に三十万騎の勢をつけて、魏と蜀との境、五丈原といふ処へ差し向けらる。魏蜀の兵、河を隔てて相支ふる事五十余日、仲達、かつて戦はんとせず。これに依つて魏の兵、漸く馬疲れ、食尽きて日々に竃を減ぜり。これに依つて魏の兵皆、戦はんと乞ふに、仲達、不可なりというて、これを許さず。
「或る時、仲達、蜀の芻蕘{*6}どもを虜にして、孔明が陣中の成敗を尋ね問ふに、芻蕘ども答へていひけるは、『蜀の将軍孔明、士卒を撫で、礼譲を厚くし給ふ事、おろそかならず。一豆{*7}の糧を得ても、衆と共に分かちて食し、一樽の酒を得ても、流れに注いで士と均しく飲す。士卒、未だかしがざれば、大将、食せず。官軍、雨露にぬるる時は、大将、油幕を張らず。楽しみは諸侯の後に楽しみ、愁へは万人の先に愁ふ。しかのみならず、夜は夜もすがら睡りを忘れて、自ら城を廻つて怠れるを戒め、昼は日ねもすに面を和らげて交じはりを睦まじくす。未だ須臾の間も心を恣にし、身を安んずる事を見ず。これに依つて、その兵三十万騎、心を一つにして死を軽くせり。鼓を打つて進むべき時は進み、鐘を敲いて退くべき時は退かん事、一歩も大将の命に違ふ事あるべからずと見えたり。その外の事は、我等が知るべき処にあらず。』とぞ語りける。
「仲達、これを聞きて、『御方の兵は七十万騎、その心、一人も同じからず。孔明が兵三十万騎、その志、皆同じといへり。されば、戦ひを致して蜀に勝つ事は、ゆめゆめあるべからず。孔明が病める弊えに乗つて戦はば、必ず勝つ事を得つべし。その故は、孔明、この炎暑に向つて昼夜心身を労せしむるに、温気、骨に入つて、病に臥さずといふ事、あるべからず。』というて、士卒の嘲りをもかへりみず、いよいよ陣を遠く取りて、いたづらに数月をぞ送りける。士卒ども、これを聞きて、『如何なる良医といふとも、間四十里を隔てて、暗に敵の脈を取り知る事やあるべき。唯、孔明が臥竜の勢ひを聞きおぢして、かかる狂言をばいふ人なり。』と、掌を打つて笑ひあへり。
「或る夜、両陣のあはひに客星落ちて、その光、火よりも赤し。仲達、これを見て、『七日が中に天下の人傑を失ふべき星なり。孔明、必ず死すべきに当たれり。魏、必ず蜀を合はせて取らん事、余日あるべからず。』と悦べり。果たしてその朝より、孔明、病に臥す事七日にして、油幕の内に死にけり。蜀の副将軍等、魏の兵、忽ちに利を得て進まん事を恐れて、孔明が死を隠し、大将の命と相触れて、旗をすすめ兵をなびけて、魏の陣へかけ入る。仲達は元来、戦ひを以て蜀に勝つ事を得じと思ひければ、一戦にも及ばず、馬に鞭打ちて走る事五十里、嶮岨にして留まる。今に、世俗の諺に、『死せる孔明、生ける仲達を走らしむ。』といふ事は、これを{*8}欺ける詞なり。戦散じて後、蜀の兵、孔明が死せる事を聞きて、皆仲達にぞ降りける。それより蜀、先づ亡び、呉、後に亡びて、魏の曹操、遂に天下を保ちけり。
「この故事を以て今の御夢を料簡するに、事の様、魏呉蜀三国の争ひに似たり。なかんづく竜は、陽気に向ひては威を震ひ、陰の時に至りては蟄居を閉づ。時、今、陰の初めなり。しかも竜の姿にて水辺に伏したりと見給へるも、孔明を臥竜といひしに異ならず。されば、面々は皆、めでたき御夢なりと合はせられつれども、道猷は、あながちに甘心{*9}せず。」と、眉をひそめていひければ、諸人、げにもと思へる気色なれども、心に忌み、詞に憚つて、凶とする人なかりけり。
義貞の馬つけずまひの事
閏七月二日、足羽の合戦と触れられたりければ、国中の官軍、義貞の陣河合荘へ馳せ集まりけり。その勢、あたかも雲霞の如し。大将新田左中将義貞朝臣は、赤地の錦の直垂に脇立ばかりして、遠侍{*10}の座上に坐し給へば、脇屋右衛門佐は、紺地の錦の直垂に小具足ばかりにて、左の一の座に著き給ふ。この外、山名、大館、里見、鳥山、一井、細屋、中條、大井田、桃井以下の一族三十余人は、おもひおもひの鎧兜に色々の太刀刀、綺麗を尽くして東西二行に座を列す。外様の人々には、宇都宮美濃将監を始めとして、祢津、風間、敷地、上木、山岸、瓜生、河島、太田、金子、伊自良、江戸、紀清両党以下、著到の軍勢等三万余人、旗竿引きそばめ引きそばめ、膝を屈し手をつかねて、堂上庭前に充ち満ちたれば、由良、船田に大幕をかかげさせて、大将、遥かに目礼して、一勢一勢座敷を起つ。巍々たる装ひ、堂々たる礼、「誠に尊氏卿の天下を奪はんずる人は、必ず義貞朝臣なるべし。」と、思はぬ者はなかりけり。
その日の軍奉行上木平九郎、人夫六千余人に、幕、掻楯、埋め草、塀柱、櫓の具足どもを持ちはこばせて参りければ、大将、中門にて鎧の上帯しめさせ、水練栗毛とて五尺三寸ありける大馬に、手綱{*11}打ち懸けて、門前にて乗らんとし給ひけるに、この馬、俄につけずまひ{*12}をして、跳ね躍り狂ひけるに、左右に附きたる舎人二人、踏まれて半死半生になりにけり。これをこそ不思議と見る処に、旗さし、進んで足羽河を渡すに、乗つたる馬、俄に河伏しをして、旗さし、水にひたりにけり。かやうの怪ども、未然に凶を示しけれども、「已に打ち臨める戦場を引き返すべきにあらず。」と思ひて、人なみなみに向かひける勢ども、心中にあやぶまぬはなかりけり。
校訂者注
1:底本は、「道献(だうけん)」。『太平記 三』(1983年)本文及び頭注に従い改めた。
2:底本は、「寂を釣り」。
3:底本は、「二桃殺(二)(ス)三士(一)(ヲ)。」。底本頭注に、「齊景公が大夫晏子の謀を用ゐて三勇士を自殺せしめた故事を云ふ。」とある。
4:底本は、「国(ノ)将(ハ)」。『太平記 三』(1983年)頭注に従い改めた。
5:底本頭注に、「論語子路篇に『子曰、善人為邦百年、亦可以勝残去殺矣。』朱註『勝残化残暴之人使不為悪也、去殺謂民化於善可以不用刑殺也。』。」とある。
6:底本は、「芻蕘(すうぜう)」。底本頭注に、「草刈りと木こり。」とある。
7:底本は、「一豆(とう)」。底本頭注に、「豆はたかつきに似た木製の食器。」とある。
8:底本は、「これは欺(あざむ)ける詞(ことば)なり。」。『太平記 三』(1983年)に従い改めた。
9:底本頭注に、「同意。」とある。
10:底本は、「遠侍(とほさぶらひ)」。底本頭注に、「中門の際に設けた番侍の詰所。」とある。
11:底本は、「手縄(たづな)」。『太平記 三』(1983年)に従い改めた。
12:底本は、「属強(つけずま)ひ」。底本頭注に、「馬の進まぬ体。」とある。
k:底本、この間は漢文。
k:底本、この間は漢文。
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