巻第二十四

朝儀年中行事の事

 暦応改元の頃より、兵革暫く静まり、天下無為に属すといへども、京中の貴賤は尚、窮困の愁へに懸かれり。その故は、国衙荘園も、本所の知行ならず、正税官物も、運送の煩ひあつて、公家は日を追つて狼戻{*1}せしかば、朝儀、悉く廃絶して、政道、さながら塗炭に堕ちにけり。
 それ、天子は必ず万機の政を行ひ、四海を治め給ふ者なり。その年中行事と申すは、先づ正月には、平旦に天地四方拝、屠蘇白散、群臣の朝賀、小朝拝、七曜の御暦、腹赤の御贄、氷様{*2}。式兵二省{*3}、内外官の補任帳を奉る。立春の日は、主水司{*4}、立春の水を奉る。子の日の若菜、卯の日の御杖、視告朔{*5}の礼、中春両宮の御拝賀。五日は、東寺の国忌、叙位の議白。七日は、兵部省、御弓の奏。同日、白馬の節会。八日は、大極殿の御斎会。同日、真言院の御修法、太元の法、諸寺の修正、女叙位。十一日は、外官の除目。十四日は、殿上の内論議。十五日は、七種の御粥、宮内省の御薪。十六日は、踏歌の節会、秋冬の馬料、諸司の大粮、射礼、賭弓、年給の帳、神祇官の御幣。晦日には、御巫、御贖{*6}を奉る。院の尊勝陀羅尼。二月には、上の丁の日、釈奠{*7}。上の申の日、春日の祭。次の日、率川の祭。上の卯の日、大原野の祭。京官の除目、祈年祭、三省考選の目録、列見の位禄。季の御読経、仁王会を行はる。三月には、三日の御節供、御灯、曲水の宴。七日は、薬師寺の最勝会、石清水の臨時の祭、東大寺の華厳会授戒。同日、花鎮めの祭あり。
 四月には、朔日の視告朔。同日、掃部寮、冬の御座を徹して夏の御座を供ず。主水司、始めて氷を奉り、兵衛府、御扇を奉る。山科、平野、松尾、森本、当麻、当宗、梅宮、大神の祭。広瀬、立田の祭あり。五日は、中務省、妃、夫人、嬪、女御の夏の衣服の文を申す。同日、准蔭の位記{*8}。七日は、擬階の奏なり。八日は、灌仏。十日は、女官の春夏の時の飾り物の文を奏す。内の弓場の埒、斎内親王の御禊。中の申の日、国の祭{*9}。関白の賀茂詣。中の酉の日、賀茂の祭。男女の飾り馬。下の子の日、吉田宮の祭、東大寺の授戒の使、駒牽、神衣。三枝の祭あり。五月には、三日、六衛府、菖蒲並びに花を奉る。四日は、走り馬の結番、並びに毛色を奏す。五日は、端午の祭、薬玉の御節供、競べ馬、日吉の祭。最勝講を行はる。六月には、内膳司、忌火の御飯を供ず。中務省、暦を奏す。造酒司の醴酒{*10}、神祇官の御体の御占、月次、神今食、道饗{*11}、火鎮めの祭。神祇官の荒世の御贖を奏す。東西の文部、祓の刀を奏す。十五日は、祇園の祭。晦日の節折、大祓。
 七月には、朔日の告朔。広瀬、竜田の祭に向ふべし。五位の定め。女官の補任帳。二日は、最勝寺の八講、七夕の乞巧奠。八日の文殊会。十四日は{*12}、盂蘭盆。十九日は、尊勝寺の八講。二十八日は、相撲の節会。八月には、上の丁の釈奠。明くる日、内論議。四日は、北野の祭。十一日は、官の定考、小定考{*13}。十五日は、八幡の放生会。十六日は、駒牽。仁王会、季の御読経あり。九月には、九日、重陽の宴。十一日は、伊勢の例幣、祈年、月次、神甞、新甞、大忌風神。十五日は、東寺の灌頂、花鎮め、三枝、相甞、魂鎮め。道饗の祭あり。
 十月には、掃部寮、夏の御座を徹して冬の御座を供ず。兵庫寮、鼓吹の声を起こし、刑部省、年終断罪の文を奉る。亥の日、三度の猪子{*14}。五日は、弓場始。十日は、興福寺の維摩会、競べ馬の負け方の献物。大歌始あり。十一月には、朔日に、内膳司、忌火の御飯を供じ、中務省、御暦を奏す。神祇官の御贖、斎院の御神楽。山科、平野、春日、森本、梅宮、大原野の祭。新甞会。賀茂の臨時の祭あり。十二月には、朔日より同じき十八日まで、内膳司、忌火の御飯を供ず。御体の御占。陰陽寮、来年の御忌を勘録して、内侍にこれを奉る。荷前の使{*15}、御仏名。大寒の日、土牛の童子{*16}を立て、晦日に宮内省、御薬を奏す。大禊、御髪上。「金吾{*17}、四隊に列なつて、院々の焼灯は白日に異ならず。沈香火底に坐して笙を吹く。」といひぬる追儺の節会は、今夜なり。委細にこれを註さば、車に載すとも尽くべからず。唯、大綱を申すばかりなり。
 これらは皆、代々の聖主賢君の、天に受け地に奉じ、世を鎮め国を治め給ふ枢機なれば、一度も断絶すべからざる事なれども、近年は、天下の闘乱に依つて、一事も行はれず。されば、仏法も神道も、朝儀も節会も、なき世となりけるこそ浅ましけれ。政道、一事もなきに依つて、天も災ひを下す事を知らず。かかりけれども、道を知る者なければ、天下の罪を身に帰して、己を責むる心のなかりけるこそうたてけれ。されば、疾疫飢饉、年々にあつて、蒸民の苦しみとぞなりにける。

天竜寺建立の事

 武家の輩、かくの如く諸国を押領する事も、軍用を支へんためならば、せめては力なき折節なれば、心をやる方もあるべきに、そぞろなるばさら{*18}に耽りて、身には五色を飾り、食には八珍を尽くし、茶の会、酒宴に若干の費えを入れ、傾城田楽に無量の財を与へしかば、国費え人疲れて、飢饉疫癘、盜賊兵乱、止む時なし。これ全く、天の災ひを降すにあらず、唯、国の政なきに依るものなり。然るを、愚かにして道を知る人なかりしかば、天下の罪を身に帰して己を責むる心を弁へざりけるにや、夢窓国師、左兵衛督{*19}に申されけるは、「近年、天下の様を見候に、人力を以ていかでか天災を除き候べき。いかさま、これは、吉野の先帝{*20}崩御の時、様々の悪相を現じましまし候ひけると、その神霊、御憤り深くして、国土に災ひを下し、まがごとを成され候と存じ候。
 「去る六月二十四日の夜の夢に、吉野の上皇、鳳輦に召して、亀山の行宮に入御ましますと見て候ひしが、幾程なくて仙去候。又、その後、時々、金竜に駕して大井河のほとりに逍遥しおはします。西郊の霊跡は、檀林皇后の旧記に任せ、謂はれあるよし、まちまちに候。あはれ、然るべき伽藍一所御建立候うて、かの御菩提を弔ひ参らせられ候はば、天下、などか鎮まらで候べき。菅原の聖廟に贈爵を奉り、宇治の悪左府に官位を贈り、讃岐院、隠岐院{*21}に尊号を諡し奉り、仙宮を帝都に遷し参らせられしかば、怨霊皆静まつて、かへつて鎮護の神とならせ給ひ候ひしものを。」と申されしかば、将軍{*22}も左兵衛督も、「この儀、尤も。」とぞ甘心せられける。
 されば、やがて、「夢窓国師を開山として、一寺を建立せらるべし。」とて、亀山殿の旧跡を点じ、安芸、周防を料国に寄せられ、天竜寺をぞ作られける。このために、宋朝へ宝を渡されしかば、売買その利を得て、百倍せり。又、遠国の材木をとれば、運載の船、更に煩ひもなく、自ら順風を得たれば、誠に天竜八部もこれを随喜し、諸天善神も彼を納受し給ふかとぞ見えし。されば、仏殿、法堂、庫裏、僧堂、山門、総門、鐘楼、方丈、浴室、輪蔵、雲居庵、七十余宇の寮舎、八十四間の廊下まで、不日の経営事成つて、綺麗の粧ひを交じへたり。
 この開山国師、天性、水石に心を寄せ、浮萍{*23}の跡を事としたまひしかば、水に添ひ山に依り、十境の景趣を作られたり。所謂、大士応化の普明閣、塵々和光の霊庇廟、天心秋を浸す曹源池、金鱗尾を焦がす三級岩、真珠頷を磨く竜門亭、三壺を捧ぐる亀頂塔、雲半間の万松洞、もの言はずして笑ひを開く拈花嶺、声無くして音を聞く絶唱渓、銀漢に上る渡月橋。この十景のその上に、石を集めては煙嶂{*24}の色を仮り、樹を植ゑては風涛の声を移す。恵崇が煙雨の図、韋偃が山水の景にも未だ得ざりし風流なり。
 康永四年に成風の功{*25}終はつて、この寺、五山第二の列に至りしかば、総じては公家の勅願寺、別しては武家の祈祷所とて、一千人の僧衆をぞ置かれける。

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校訂者注
 1:底本は、「狼戻(らうれい)」。底本頭注に、「衰微の意。」とある。
 2:底本は、「氷様(ひのためし)」。底本頭注に、「去年納め置いた氷の厚薄寸法等を元日節会の序に奏聞すること。」とある。
 3:底本頭注に、「式部省と兵部省。」とある。
 4:底本は、「主水司(もんどつかさ)初めて立春の」。『太平記 四』(1985年)に従い削除した。
 5:底本は、「視告朔(かうさく)」。底本頭注に、「百官の行事上日を註し月毎に帝の御覧に供する事。」とある。
 6:底本は、「御贖(みあがもの)」。底本頭注に、「祓への人形。」とある。
 7:底本は、「釈奠(しやくてん)」。底本頭注に、「孔子や顔回などの十哲を祭る事。」とある。
 8:底本は、「准蔭(じゆおん)の位記」。底本頭注に、「父祖の蔭によつて位階を賜はること。」とある。
 9:底本頭注に、「賀茂の本祭。」とある。
 10:底本は、「醴酒(ひとよざけ)」。底本頭注に、「今日造つて明日供する例。」とある。
 11:底本は、「道饗(みちあへ)」。底本頭注に、「疫病神の祭。」とある。
 12:底本は、「十四日には」。『太平記 四』(1985年)に従い削除した。
 13:底本は、「官の定考(ぢやうかう)。十五日は」。『太平記 四』(1985年)に従い補った。底本頭注に、「〇定考 六位以下の加階に芸能行跡を選んで官爵を定める事。」とある。
 14:底本は、「猪子(ゐのこ)」。底本頭注に、「内蔵寮より餝を供へ帝が朝餉に食せらる亥の日餅を食せば病なしと云ふ。」とある。
 15:底本は、「荷前(のざき)の使」。底本頭注に、「年の終りに十陵八墓に使を以て幣帛を奉らす。」とある。
 16:底本は、「土牛(とご)の童子」。底本頭注に、「昔、疫病が盛んで百姓が多く失せたので土牛を作り追儺といふ事が始まつた。大寒日の
夜半に陰陽師が之を門口に立てる。」とある。
 17:底本頭注に、「武官。」とある。
 18:底本頭注に、「無益なおごり。」とある。
 19:底本は、「左衛門督」。底本頭注及び『太平記 四』(1985年)に従い改めた。底本頭注に、「〇左衛門督 足利直義。」とある。
 20:底本頭注に、「後醍醐天皇。」とある。
 21:底本頭注に、「〇菅原 菅原道真。」「〇宇治の悪左府 左大臣藤原頼長。」「〇讃岐院 崇徳上皇。」「〇隠岐院 後鳥羽院。」とある。
 22:底本頭注に、「足利尊氏。」とある。
 23:底本は、「浄萍(ふへい)」。『太平記 四』(1985年)に従い改めた。
 24:底本頭注に、「山の形の屏風を立てた如きさま。」とある。
 25:底本は、「成風(せいふう)の功を終つて、」。『太平記 四』(1985年)に従い削除した。底本頭注に、「〇成風の功 建築。」とある。