巻第二十五

持明院殿御即位の事 附 仙洞妖怪の事

 貞和四年十月二十七日、後伏見院の御孫{*1}、御年十六にて御譲りを受けさせ給ひて、同じき日、内裏にて御元服あり。剣璽を渡されて後、同じき二十八日に、萩原法皇{*2}の第一の御子、春宮に立たせ給ふ。御歳十三にぞならせ給ひける。卜部宿禰兼前、軒廊の御占を奉り、国郡を卜定あつて、抜穂の使を丹波国へ下さる。
 その十月に、行事所始めあつて、已に斎庁場所を作らんとしける時、院の御所に一つの不思議あり。二、三歳ばかりなる童部の頭を、斑なる犬がくはへて、院の御所の南殿の大床の上にぞ居たりける。平明に御隔子参らせける御所侍、箒を以てこれを打たんとするに、この犬、孫廂の方より御殿の棟木に上つて、西に向ひ三声吠えて、掻き消す様に失せにけり。
 「かやうの妖怪、触穢になるべし。今年の大甞会を停止せらるべし。且は先例を引き、且は法令に任せて考へ申すべき」由、法家の輩に尋ね下さる。皆、「一年の触穢にて候べし。」と考へ申しける中に、前大判事明清が勘状に、法令の文を引いて曰く、「神道は王道の用ゐる{*3}所に依るといへり。然らば、ただ宜しく叡慮に在るべし。」とぞ考へ申したりける。ここに、神祇大副卜部宿禰兼豊一人、大きに怒つて申しけるは、「法意の如く勘進して触穢の儀に非ずんば、神道は、なきものにてこそ候へ。およそ一陽分かれて後、清濁汚穢を忌み慎しむ事、ことさらこれ、神道の重んずる所なり。然るを、触穢の儀なく、大礼の神事、無為に行はれば、一流の神書を火に入れて、出家遁世の身と罷りなるべし。」と、憚る所なく申しける。若殿上人など、これを聞きて、「あまりに厳重なる申し言かな。少々は存ずる処ありとも残せかし。四海もし無事にして、一事の違乱なく大甞会を行はるれば、兼豊が髻は不便の事かな。」とぞ笑はれける。
 されども主上も上皇も、この明清が勘文、御心に叶ひて、「実にも。」と思し召されければ、「今年、大甞会を行はるべし。」とて、武家へ院宣を成し下さる。武家、これを施行して、国々へ大甞会米を宛ておほせて、不日に責めはたる。近年は、天下の兵乱打ち続いて、国弊え民苦しめる処に、君の御位、恒に替はつて、大礼、止む時なかりしかば、人の歎きのみあつて、いささかも、「これこそ仁政なれ。」と思ふ事もなし。されば、「事騒がしの大甞会や。今年はなくてもありなん。」と、世皆、唇を翻せり。

宮方の怨霊六本杉に会する事 附 医師評定の事

 仙洞の妖怪をこそ希代の事と聞く処に、又、仁和寺に一つの不思議あり。
 往来の禅僧、嵯峨より京へかへりけるが、夕立に逢ひて、立ちよるべき方もなかりければ、仁和寺の六本杉の木蔭にて雨の晴れ間を待ち居たりけるが、かくて日已に暮れにければ、行くさき恐ろしくて、「よし、さらば、今夜は御堂の傍にても明かせかし。」と思ひて、本堂の縁に寄り居つつ、閑かに念誦して心を澄ましたる処に、夜いたく更けて月清明たるに、見れば、愛宕の山、比叡嶽の方より、四方輿に乗りける者、虚空より来集ひて、この六本杉の梢にぞ並み居たる。座定まつて後、虚空に引きたる幕を風の颯と吹き上げたるに、座中の人々を見れば、上座に先帝{*4}の御外戚、峯僧正春雅、香の衣に袈裟かけて、眼は日月の如く光りわたり、嘴長くして鳶の如くなるが、水精の珠数爪操つて坐したまへり。その次に南都の智教上人、浄土寺の忠円僧正、左右に著座したまへり。皆、古、見奉りし形にてはありながら、眼の光、尋常に替はつて、左右の脇より長き翅、生ひ出でたり。
 往来の僧、これを見て、「怪しや。我、天狗道に落ちぬるか。はた、天狗の我が眼に遮るかは。」と、肝心も身にそはで、目も放たず目守り居たる程に、又空中より、五つ緒の車の鮮やかなるに乗つて来たる客あり。榻を践んで下るるを見れば、兵部卿親王{*5}の未だ法体にて御座ありし御かたちなり。先に坐して待ち奉る天狗ども、皆席を去つて蹲踞す。暫くあつて、坊官かとおぼしき者一人、銀の銚子に金の杯を取り副へて、御酌に立ちたり。大塔宮、御杯を召されて、左右に屹と礼あつて、三度聞こし召して差し置かせ給へば、峯僧正以下の人々、次第に飲み流して、さしも興ある景色もなし。やや遥かにあつて、同時に、「わつ。」と喚く声しけるが、手を挙げて足を引きちぢめ、頭より黒煙燃え出でて、悶絶躃地する事、半時ばかりあつて、みな火に入る夏の虫の如くにて、焦がれ死ににこそ死ににけれ。「あな、恐ろしや。これなめり、天狗道の苦患に、熱鉄のまろかし{*6}を日に三度呑むなることは。」と思ひて見居たれば、二時ばかりあつて、皆生き出で給へり。
 ここに、峯僧正春雅、苦しげなる息をついて、「さても、この世の中を如何してまた騒動せさすべき。」とのたまへば、忠円僧正、末座より進み出でて、「それこそいと易き事にて候へ。先づ左兵衛督直義は、他犯戒を保つて候間、俗人に於いては我程禁戒を犯さぬものなしと思ふ我慢心、深く候。これを、我等が依る所なる大塔宮、直義が内室の腹に男子となつて生まれさせ給ひ候べし。又、夢窓の法眷に妙吉侍者といふ僧あり。道行共に不足して、我程の学解の人なしと思へり。この慢心、我等が伺ふ処にて候へば、峯僧正御房、その心に入り替はり給ひて、政道を輔佐し邪法を説教させ給ふべし。智教上人は、上杉伊豆守重能、畠山大蔵少輔が心に依託して、師直、師泰を失はんと計らはれ候べし。忠円は、武蔵守、越後守が心に入り替はつて、上杉畠山を亡ぼし候べし。これに依つて、直義兄弟の中、悪しくなり、師直、主従の礼に背かば、天下に又大きなる合戦出で来て、暫く見物は絶え候はじ。」と申せば、大塔宮を始め参らせて、我慢邪慢の小天狗どもに至るまで、「いしくも計らひ申したるかな。」と、一同に皆、入興して、幻の如くになりにけり。
 夜明けければ、往来の僧、京に出で、施薬院師嗣成にこの事をこそ語りたりけれ。四、五日あつて後、足利左兵衛督の北の方、相いたはる事{*7}あつて、和気、丹波の両流の博士、本道、外科、一代の名医、数十人招請せられて脈を取らせらるるに、或いは、「御いたはり、風より起こつて候へば、風を治する薬には、牛黄金虎丹、辰沙天麻円を合はせて御療治候べし。」と申す。或いは、「諸病は気より起こる事にて候へば、気を収むる薬には、兪山人が{*8}降気湯、神仙沈麝円を合はせて参り候べし。」と申す。或いは、「この御いたはりは、腹の御病ひにて候へば、腹病を治する薬には、金鎖正元丹、秘伝玉鎖円を合はせて御療治候べし。」とぞ申しける。
 かかる処に施薬院師嗣成、少し遅参して、脈を取り参らせけるが、如何なる病とも弁へず。病ひ多しといへども、つかねて四種を出でず。然りといへども、混散の中に於いて料簡を致しけれども、更にいづれの病ひとも見えず。心中に不審をなす処に、天狗どもの仁和寺の六本杉にて評定しけることを屹と思ひ出だして、「これ、御懐妊の御脈にて候ひけり。しかも男子にて御渡り候べし。」とぞささやきける。当座に聞きける者ども、「あら、憎の嗣成が追従や。女房の四十に余つて始めて懐妊する事やあるべき。」と、口をつぐめぬ者はなかりけり。
 さる程に、月日重なり、誠に唯ならずなりにければ、「そぞろなる御いたはり。」とて大薬を合はせし医師は皆、面目を失ひて、嗣成一人、所領を賜はり俸禄に預かるのみならず、やがて典薬頭にぞ申しなされける。
 「猶、懐妊、実しからず。月頃にならば、如何なる人の産みたらん子を、これこそよとて抱きかしづかれんずらん。」とて、偏執の族は申し合ひける処に、六月八日の朝、生産たやすくして、しかも男子にてぞおはしける。蓬の矢の慶賀{*9}、天下に聞こえしかば、源家の御一族、その門葉、国々の大名はなかなか申すに及ばず、人と肩をも並べ、世に名を知られたる公家武家の人々は、鎧腹巻、太刀刀、馬車、綾羅金銀、「われ、人にまさらん。」と、引出物を先立てて賀し申されける間、賓客、堂上に群集し、僧俗、門に立ち列なる。後の禍ひをば{*10}未だ知らず、「あはれ、大果報の幼き人や。」といはぬ者こそなかりけれ。

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校訂者注
 1:底本頭注に、「光厳天皇の皇子で後に崇光院と諡す。」とある。
 2:底本頭注に、「花園院。」とある。
 3:底本は、「用ふる」。
 4:底本頭注に、「御醍醐帝。」とある。
 5:底本頭注に、「大塔宮護良親王。」とある。
 6:底本頭注に、「まるめたもの。」とある。
 7:底本頭注に、「〇足利左兵衛督の北の方 渋川貞頼の女。」「〇相労る事 病気。」とある。
 8:底本は、「兪山人(ゆさんじん)降気湯、」。『太平記 四』(1985年)に従い補った。
 9:底本は、「蓬矢(よもぎのや)の慶賀」。底本頭注に、「礼記に『男子生以桑孤蓬矢六射天地四方。』」とある。
 10:底本は、「後(のち)の禍ひを未だ」。『太平記 四』(1985年)に従い補った。