鎌倉合戦の事

　新田左兵衛佐、脇屋左衛門佐{*1}二人は、僅かに二百余騎に打ちなされ、武蔵守に離れぬ、御方の勢どもは、いづちへか引きぬらん、浪にも著かず、磯にも離れたる心地して、皆馬より下り居て休まれけるが、「この勢にては、上野へも帰り得まじ。落ちて行くべき方もなし。討死すべき命なれば、鎌倉へ討ち入つて、足利左馬頭{*2}に逢ひて命を失はばや。」とのたまへば、諸人皆、この議に同じて、ひたすら討死せんと志し、思ひ思ひの母衣懸けて、鎌倉へとぞ赴かれける。

　夜半過ぐる程に関戸を過ぎ給ひけるに、勢の程五、六千騎もあるらんとおぼえて、西を指して下る勢に行き合ひ給ひて、「これは、搦手に廻る勢にてぞあるらん。さては、鎌倉までも行き著かずして、関戸にてぞ骸をば曝すべきにてありけり。」と、面々に思ひ定めて一処に馬をかけ寄せ、「これは、誰殿の勢にて御渡り候ぞ。」と問はれければ、「これは石堂入道、三浦介、新田殿へ御参り候なり。」とぞ答へける。義興、義治、手を打つて、「こはいかに。」と悦び給ふ事、限りなし。唯、魯陽が朽骨二度連なつて韓遘難と戦ひを致せし時、日を三舎に返しし{*3}悦びも、これには過ぎじとぞおぼえける。

　やがて、この勢と打ち連れて、神奈川に著きて鎌倉の様を問ひ給へば、「鎌倉には、将軍の御子息左馬頭基氏を警固し奉つて、南遠江守、安房、上総の勢三千余騎にて、けはひ坂、巨福呂坂を切り塞ぎて用心厳しく見え候ひしが、昨日の朝、『敵、三浦にあり。』と聞いて、打ち散らさんとて向はれ候ひしかども、虚言にてありけりとて、唯今鎌倉へ打ち帰らせ給ひて候よ。」とぞ語りける。「さては、唯今の合戦ござんなれ。ここにて軍の用意をせよ。」とて、兵粮をつかひ、馬に糠かはせて、三千余騎、二手に分かれて、鶴岡へ旗差少々差し遣はして、大御堂の上より真下りにぞ押し寄せたる。

　鎌倉勢は、唯今三浦より打ち帰つて、未だ馬の鞍をも下ろさず、鎧の上帯をも解かぬ程なれば、若宮小路へ打ち出でて、唯一処に控へたり。小俣小次郎をば、今日の軍奉行と今朝より定められたりければ、手勢七十余騎ひつすぐつて、敵の群立つて控へたる中へ、つと駆け入り、火を散らして切り乱す。三浦、葦名、二階堂の兵ども、案内は知つたり、人馬は未だ疲れず、ここの谷かしこの小路より、どつと喚いては駆け入り、さつと駆け破つては裏へ抜け、谷々小路小路に入り乱れてぞ戦ひたる。

　兵衛佐義興は、浜面の在家のはづれにて、敵三騎切つて落とし、大勢の中を、つと駆け抜けける処にて、小手の手覆ひを切りながさるる太刀にて、手綱のまがりをづんど切られて、弓手の片手綱、土に下がり、馬の足に踏まれけるを、太刀をば左の脇に挟み、鐙の鼻に落ちさがり、左右の手綱を取り合はせて結ばれけるを、敵三騎、よき隙かなと馳せ寄つて、兜の鉢と総角著とを三打ち四打ち、したたかに切りけれども、義興、少しも騒がず。閑かに手綱を結んで鞍壺に直り給へば、三騎の敵、はつと馬を懸けのけて、「あはれ、大剛の武者や。」と、高声に二声三声感じて、御方の勢にぞ馳せつきたる。

　塔の辻の合戦、難儀なりと見えければ、脇屋左衛門佐と小俣少輔二郎と一手になつて二百余騎、喚いて懸かられけるに、南遠江守、駆け立てられて、旗を巻いて引き退くを見て、谷々に戦ひける兵ども、十方へ落ち散りける間、一所に打ち寄ること叶はずして、百騎二百騎、思ひ思ひに落ちて行く。されども三浦、石堂が兵ども、あまりに戦ひくたびれて、さして敵を追はざりければ、南遠江守は、今日の合戦に打ち洩らされ、左馬頭を具足し奉つて、石浜を指して落ちられけり。

　新田左兵衛佐、脇屋左衛門佐、二月十三日の鎌倉の軍に打ち勝つてこそ、会稽の恥を清むるのみにあらず、両大将と仰がれて、暫く八箇国の成敗に据ゑられけり。

笛吹峠軍の事

　新田武蔵守は、将軍の御運に退緩して{*4}、石浜の合戦に本意を達せざりしかば、武蔵国を前になし、越後、信濃を後ろに当てて、笛吹峠に陣を取つてぞおはしける。これを聞いて打ち寄る人々には、大江田式部大輔、上杉民部大輔{*5}、子息兵庫助、中條入道、子息佐渡守、田中修理亮、堀口近江守、羽川越中守、荻野遠江守、酒勾左衛門四郎、屋沢八郎、風間信濃入道、舎弟村岡三郎、堀兵庫助、蒲屋美濃守、長尾右衛門、舎弟弾正忠、仁科兵庫助、高梨越前守、大田滝口、干屋左衛門大夫、矢倉三郎、藤崎四郎、瓶尻十郎、五十嵐文四、同文五、高橋大五郎、同大三郎、友野十郎、滋野八郎、祢津小二郎、舎弟修理亮、神家の一族三十三人、滋野の一族三十一人、都合その勢二万余騎、先朝第二宮上野親王{*6}を大将にて、笛吹峠へ打ち出づる。

　将軍、小手差原の合戦に事ゆゑなく、石浜におはするよし聞こえければ、馳せ参りける人々には、千葉介、小山判官、小田少将、宇都宮伊予守、常陸大丞、佐竹右馬助、同刑部大輔、白川権少輔、結城判官、長沼判官、河越弾正少弼、高坂刑部大輔、江戸、豊島、古尾谷兵部大輔、見田常陸守、土肥兵衛入道、土屋備前前司、同修理亮、同出雲守、下條小三郎、二宮近江守、同河内守、同但馬守、同能登守、曽我上野守、海老名四郎左衛門、本間、渋谷、曽我三河守、同周防守、同但馬守、同石見守、石浜上野守、武田陸奥守、子息安芸守、同薩摩守、同弾正少弼、小笠原、坂西、一條三郎、板垣三郎左衛門、逸見美濃守、白洲上野守、天野三河守、同和泉守、狩野介、長峯勘解由左衛門、都合その勢八万余騎、将軍の御陣へ馳せ参る。

　「鎌倉には義興、義治、七千余騎にて著到をつくると聞こえ、武蔵には新田義宗、上杉民部大輔、二万余騎にて控へたりと聞こゆ。いづくへむかふべき。」と評定ありけるが、「先づ勢の労せぬ前に、大敵に打ち勝ちなば、鎌倉の小勢は戦はずとも退散すべし。」と、衆議一途に定まつて、将軍、同じき二月二十五日、石浜を立つて、武蔵府に著きたまへば、甲斐源氏、武田陸奥守、同刑部大輔、子息修理亮、武田上野守、同甲斐前司、同安芸守、同弾正少弼、舎弟薩摩守、小笠原近江守、同三河守、舎弟越後守、一條四郎、板垣四郎、逸見入道、同美濃守、舎弟下野守、南部常陸守、下山十郎左衛門、都合二千余騎にて馳せ参る。

　同じき二十八日、将軍、笛吹峠へ押し寄せて、敵の陣を見給へば、小松生ひ茂つて、まへに小川流れたる山の南を陣に取つて、峯には錦の御旗を打ち立て、麓には白旗、中黒、棕櫚の葉、梶の葉の紋書きたる旗ども、その数、満ち満ちたり。先づ一番に、「新手、案内者なれば。」とて甲斐源氏、三千余騎にて押し寄せたり。新田武蔵守と戦ふ。これも新手の越後勢、同三千余騎にて相懸かりに懸かりて半時ばかり戦ふに、逸見入道以下宗徒の甲斐源氏、百余騎討たれて引き退く。二番に千葉介、宇都宮、小山、佐竹が勢、相集まりて七千余騎、上杉民部大輔が陣へ押し寄せて、入り乱れ入り乱れ戦ふに、信濃勢二百余騎討たれければ、寄せ手も三百余騎討たれて、相引きに左右へ颯と引く。引けば両陣入り替はつて、追つつ返しつ、その日の午の刻より酉の刻の終はりまで、少しも休む隙なく、日ねもす戦ひ暮らしてけり。

　それ、小勢を以て大敵に戦ふに、鳥雲の陣にしくはなし。鳥雲の陣と申すは、先づ後ろに山をあて、左右に水を境ひて敵を平野に見下し、我が勢の程を敵に見せずして、虎賁狼卒{*7}、替はる替はる射手を進めて戦ふものなり。この陣、幸ひに鳥雲に当たれり。待つて戦はば利あるべかりしを、武蔵守、若武者なれば、毎度広みに駆け出でて、大勢に取り巻かれける間、百度戦ひ千度駆け破るといへども、敵、目にあまる程の大勢なれば、新田、上杉、遂に打ち負けて、笛吹峠へぞ引き上りける。

　上杉民部大輔が兵に長尾弾正、根津小次郎とて、大力の剛の者あり。今日の合戦に打ち負けぬること、身一つの恥辱なりと思ひければ、紛れて敵の陣へ馳せ入り、将軍を討ち奉らんと相謀つて、二人ながら俄に二引両の笠印をつけ替へ、人に見知られじと、長尾は乱れ髪を顔へ颯と振りかけ、根津は刀を以て己が額を突き切つて、血を面に流しかけ、切つて落としたりつる敵の首、鋒に貫き、取附に取りつけて、唯二騎、将軍の陣へ馳せ入る。数万の軍勢、道に横たはつて、「誰が手の人ぞ。」と問ひひければ、「これは、将軍の御内のものにて候が、新田の一族に、宗徒の人々を組み討ちに討つて候間、首実検のために将軍の御前へ参り候なり。開いて通され候へ。」と、高らかに呼ばはりて、気色ばうて打ち通れば、「めでたう候。」と感ずる人のみあつて、おもひ咎夢むる人もなし。

　「将軍は、いづくに御座候やらん。」と問へば、ある人、「あれに控へさせたまひて候なり。」と、指さして教ふ。馬の上よりのびあがり見ければ、相隔たること、草鹿の的山{*8}ばかりになりにけり。「あはれ、幸ひや。唯、一太刀に切つて落とさんずるものを。」と、二人、屹と目くばせして、中々馬をしづしづと歩ませける処に、猶も将軍の御運や強かりけん、見知る人あつて、「そこに紛れて近づく武者は、長尾弾正と根津小次郎とにて候は。近づきてたばからるな。」と呼ばはりければ、将軍に近づき奉らせじと、武蔵、相模の兵ども三百余騎、中を隔てて左右より颯と馳せ寄する。根津と長尾と、支度相違しぬと思ひければ、鋒に貫きたる頚をなげうつて、乱れ髪を振りあげ、大勢の中を破つて通る。彼等二人が鋒に廻る敵、一人として兜の鉢を胸板まで真二つに破りつけられ、腰の番ひを切つて落とされぬはなかりけり。されども、敵は大勢なり、これ等は唯二騎なり。十方より矢衾を作つて散々に射ける間、叶はじとや思ひけん、「あはれ、運強き足利殿や。」と高らかに欺きて、しづしづと本陣へぞ帰りける。

　夜に入りければ、両陣共に引き退いて、陣々に篝を焼きたるに、将軍の御陣を見渡せば、四方五、六里に及んで、銀漢{*9}、高くすめる夜に星を列ぬるが如くなり。笛吹峠を顧みれば、月に消え行く蛍火の山陰に残るに異ならず。義宗、これを見給ひて、「日ねもすの合戦に、兵若干討たれぬといへども、これ程まで陣の透くべしとはおぼえぬに、篝の数の余りに寂しく見るは、いかさま、勢の落ち行くとおぼゆるぞ。道々に関を据ゑよ。」とて、栽田山と信濃路に、きびしく関を据ゑられたり。

　「それ、士率、将を疑ふ時は、戦ひ利あらずといふ事あり。前には大敵、勝つに乗つて、後ろは御方の国々なれば、今夜一定、越後、信濃へ引き返さんずらんと、我を疑はぬ軍勢あるべからず。船を沈め糧を捨てて、二度帰らじといふ心を示すは、良将の謀りごとなり。皆、馬の鞍をおろし鎧を脱ぎて、引くまじき気色、人に見せよ。」とて、大将、鎧を脱ぎ給へば、士率悉く鞍をおろして馬を休む。

　宵の程は皆、心を取り静め居たりけるが、夜半ばかりに松明おびただしく見えて、将軍へ大勢のつづく勢見えければ、明日の戦ひもかなはじとや思はれけん、上杉民部大輔、篝ばかりを焼き棄てて、信濃へ落ちにければ、新田武蔵守、その暁、越後へ落ちられけり。かかりし後は、唯今まで新田、上杉に附き従ひつる武蔵、上野の兵どもも、未だいづ方へも著かずして、一合戦の勝負を伺ひ見つる上総、下総の者どもも、我先にと将軍へ馳せ参りけるほどに、その勢、程なく百倍して、八十万騎になりにけり。

　新田左兵衛佐義興、脇屋左衛門佐義治は、六千余騎にて尚鎌倉におはしけるが、将軍、已に笛吹峠の合戦に打ち勝つて、八箇国の勢を率して鎌倉へ寄せ給ふ由、聞こえければ、義興も義治も、「ただここにて討死せん。」と宣ひけるを、松田、河村の者ども、「某等が所領の内、相模河の河上に究竟の深山候へば、唯、それへ先づ引き篭らせ給ひて、京都の御左右をも聞こし召し、越後{*10}、信濃の大将達へも牒じ合はせられ候て、天下の機を得、諸国の兵を集めてこそ、重ねて御合戦も候はめ。」と、よりより強ひて申しければ、義興、義治もろともに、三月四日、鎌倉を引きて、石堂、小俣、二階堂、葦名判官、三浦介、松田、河村、酒勾以下、六千余騎の勢を率して、国府津山の奥にぞ篭りける。

校訂者注

　1：底本は、「脇屋(わきや)左衛門(の)佐の二人」。『太平記　四』（1985年）に従い削除した。

　2：底本頭注に、「基氏。」とある。

　3：底本頭注に、「〇魯陽云々　淮南子に、『魯陽公与韓遘難戰酣日暮、援戈撝之、日為之反三舎。』」とある。

　4：底本頭注に、「尊氏の運命が強いので自然遅延して。」とある。

　5：底本頭注に、「憲顕。」とある。

　6：底本頭注に、「〇先朝　後醍醐天皇。」「〇上野親王　宗良親王。信濃宮とも上野宮とも称す。」とある。

　7：底本は、「虎賁狼卒(こほんらうさつ)」。底本頭注に、「強く逞しい武士。」とある。

　8：底本は、「草鹿(くさしゝ)の的山(あづちやま)」。底本頭注に、「草鹿は一種の騎射で草で鹿の形を作つて的とするもの。的山は的を置くために作つた仮山。」とある。

　9：底本頭注に、「天の川。」とある。

　10：底本は、「越御(ゑちご)」。『太平記　四』（1985年）に従い改めた。