巻第三十二

茨宮御位の事

 今度、吉野殿と将軍と御合体の議破れて合戦におよびし刻、持明院の本院、新院、主上、春宮、梶井二品親王まで、皆南方の敵に捕らはれさせ給ひて、或いは賀名生の奥、或いは金剛山の麓に御座あれば、都には御在位の君もおはしまさず、山門には時の貫首も渡らせ給はず。「この平安城と比叡山と、同じき時に始まりて已に六百余歳。一日も未だかかる事をば承り及ばず。これぞ末法の世になりぬるしるしよ。」と、浅ましかりし事どもなり。されども、「かくては如何あるべき。」とて、天台座主には梶井二品親王の御弟子、承胤親王{*1}をなし奉る。この宮は、前門主の御振舞に様替はりて、遊宴奇物をも愛せさせ給はず、行業不退にして、唯、吾が山の興隆をのみ御心に懸けられたりければ、靡き奉らぬ衆徒もなかりけり。
 さて、「御位には誰をか即け参らすべき。」と尋ね求め奉る処に、本院{*2}第二の御子、三條の内大臣公秀の御女三位殿の御局、後には陽禄門院{*3}と申しし御腹に生まれさせ給ひたりしが、今年十五にならせ給ふを、日野春宮権大進保光に仰せて、南方へ取り奉らんとせられけるが、とかく料理に滞りて{*4}、保光、京都に捨て置き奉りけるを尋ね出だしまゐらせて、御位には{*5}即け参らせけるなり。
 この宮をば去年、御継母宣光門女院{*6}の御計らひとして、「妙法院の門跡へ御入室あるべし。」とて、已に御出家あらんとし給ひけるを、御外祖母広義門院{*7}より、内々、北斗堂の実算法印に{*8}御占を問はせ給ひたりければ、王位に即かせ給ふべき御果報おはします由を、考へ申したりける間、「誠しからず。」とは思し召しながら、御出家の議を止められて、日野右大弁時光に預け置き参らせられける。その明けの年、観応三年八月二十七日に、俄に践祚ありしかば、「兆前の勘文、更に一事も違はず。」実算法印、忽ちに若干の叡感抽賞にあづかりけり。

剣璽なくして御即位の例なき事 附 院の御所炎上の事

 同じき九月二十七日に改元あつて、文和と号す。その年の十月に、河原の御禊あつて、明けの月、大嘗会を遂げ行はる。「三種の神器おはしまさで御即位の事は、如何あるべからんと、諸卿、異議多かりけれども、武家、強ひて申し沙汰しける上は、ただともかくも、その議に随ふべしとて、織部祭{*9}をば致されける。」とぞ承る。「それ、人代百王のはじめは、鵜鷀草葺不合尊の第四の王子神日本磐余彦尊{*10}、大和国畝傍橿原宮にいまして、朝政を聞こし召したりしより以来、我が君の御宇、已に九十九代。三種の神器おはしまさで御位を継がせ給ふ事は、未だその例を聞かず。」と、有職を立つる人々の欺き申さぬはなかりけり。
 帝都、今静まりて、御在位安泰なるにつけても、「先皇、両院、梶井宮、南山の奥に御座あれば、さこそ御心を悩まさるらめ。」と、主上、御心苦しき事に思し召されければ、「如何にもして南山{*11}より盜み出だし奉らん。」と、手立てを廻らされけれども、主上、両上皇は、南山の警固の兵きびしくて、御出であるべき様もなかりけり。遥かに程経て、梶井宮ばかりをぞ、とかくして盜み出だし参らせける。
 同じき年の十月二十八日に、国母陽禄門院、隠れさせ給ひければ、天下諒闇の儀にて、洛中に物の音をも鳴らさざる事三月、禁裏、椒庭{*12}、殊更に物哀れなる折節なり。
 同じき二年二月四日、俄に失火出で来て、院の御所持明院殿、焼けにけり。回禄は天災にて、尋常ある事なれども、近年打ち続き京中の堂社宮殿、残り少なく焼け失せぬる事、只事ともおぼえず。唯、法滅の因縁、王城の衰微とぞ見えたりける。
 元弘、建武の乱より以来、回禄に逢ひぬる{*13}所々を数ふれば、先づ内裏、馬場殿、准后の御所、式部卿親王の常磐井殿、兵部卿宮の二條の御所、宣光門女院の御旧宅、城南離宮の鳥羽殿、荒れて久しき伏見殿、十楽院、梨本、青蓮院、妙法院の白河殿、大覚寺殿の御旧跡、洞院左府の亭宅、大炊御門内府の亭、吉田内府の北白河、近衛殿の小坂殿、為世卿の和歌所、三條大納言の住み馴れし毘沙門堂、頼基が天の橋立跡古りて、塩竃の浦をうつせし河原院、中書王{*14}の古を慕ひて建てし花園や、融の大臣の跡を慕ふ千種宰相の新亭。雲客以下の家々は、未だ数ふるに暇あらず。禁裏、仙洞、竹苑、椒房、三台九卿の曲阜以下、すべて三百二十余箇所、この時に当たつて焼けにけり。
 仏閣霊験の地には法城寺、法勝寺、長楽寺、清水寺六僧房、双林寺、講堂、慶愛寺、北霊山、西福寺、宇治宝蔵、浄住寺、六波羅の地蔵堂、紫野の寺、東福寺、雪村の塔頭大竜庵、夢窓国師の建てられし天竜寺に至るまで、禅院、律院、御祈祷所、三十余箇所の仏閣も、皆この時に焼けにけり。されば東山、西郊、京白河、在家も続かず寺院も稀なれば、盜賊、巷に満ちて、往来の道も安からず。貝鐘の声{*15}も幽かにして、無明の眠りも覚めがたし。

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校訂者注
 1:底本頭注に、「後伏見天皇の皇子。」とある。
 2:底本頭注に、「光厳院。」とある。
 3:底本頭注に、「秀子。」とある。
 4:底本頭注に、「処置に差支へあつて。」とある。
 5:底本は、「御位に即(つ)け」。『太平記 五』(1988年)に従い補った。
 6:底本頭注に、「諱は実子。正親町大納言実明の子。」とある。
 7:底本頭注に、「寧子。光厳院の母。」とある。
 8:底本は、「法印(ほふいん)の御占(おんうら)を」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 9:底本頭注に、「オホンベノマツリ即ち大嘗祭。」とある。
 10:底本は、「神日本磐余彦尊(かんやまといはれひこのみこと)」。底本頭注に、「神武天皇。」とある。
 11:底本頭注に、「吉野山。」とある。
 12:底本頭注に、「後宮。」とある。
 13:底本は、「逢ぬひる」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 14:底本頭注に、「中務卿兼明親王。」とある。
 15:底本は、「貝鐘(かひがね)の声」。底本頭注に、「誦経の声。」とある。