直冬吉野殿と合体の事 附 天竺震旦物語の事

 翌年の春、新田左兵衛佐義興、脇屋左衛門佐義治、共に相模の河村城を落ちて、いづくにあるとも聞こえざりしかば、東国、心やすくなつて、将軍尊氏卿、上洛し給へば、京都、又大勢になりにけり。「さらば、やがて山名を攻めらるべし。」とて、宰相中将義詮朝臣をまづ播磨国へ下さる。
 山名伊豆守、これを聞きて、「この度は、然るべき大将を一人取り立て合戦をせずば、我に勢の著く事はあるまじ。」と思はれける間、足利右兵衛佐直冬の、筑紫九国の者どもに背き出だされ、安芸、周防の間に漂泊し給ひけるを招き請じ奉り、総大将とぞ仰ぎける。但し、これも将軍に敵すれば、子として父を攻むる咎あり。天子に対すれば、臣として君をないがしろにし奉る恐れあり。「さらば、吉野殿へ奏聞を経て勅免を蒙り、宣旨に任せて都を傾け、将軍を攻め奉らんは、天の怒り、人の譏りもあるまじ。」とて、直冬、ひそかに使を吉野殿へ参らせて、「尊氏卿、義詮朝臣以下の逆徒を退治すべき由の綸旨を下し賜はりて、宸襟を休め奉るべし。」とぞ申されける。伝奏洞院右大将、頻りに執し申されければ、再往の御沙汰までもなく、直冬が申し請ひ奉るに任せ、即ち綸旨をぞ成されける。
 これを聞きて遊和軒朴翁、難じ申しけるは、「天下の治乱興滅、皆、天の理に依らずといふ事なし。されば、直冬朝臣を以て大将として京都を攻めらるる事、一旦謀りごとあるに似たりといへども、事成就すべからず。その故は、昔、天竺に獅子国といふ国あり{*1}。この国の帝、他国より后を迎へ給ひけるに、軽軒{*2}香車数百乗、侍衛官兵十万人、前後四、五十里に支へて、道をぞ送り参らせける。日暮れて、或る深山を通りける処に、勇猛奮迅の獅子ども二、三百匹走り出で、追ひつめ追ひつめ人を喰ひける間、軽軒、軸折れて、馳すれども遁れず。官軍、矢射尽くして、防げども叶はず。大臣公卿、武士僕従、上下三万人、一人も残らず喰ひ殺されにけり。その中に王たる獅子、かの后を口にくはへて、深山幽谷の巌の中に置き奉つて、この獅子、容顔美麗なる男の形に変じければ、后、この妻となり給ひて、思はぬ山の岩の蔭に年月をぞ送らせ給ひける。
 「始めの程は、后、かかる荒き獣の中に交じはりぬれば、我さへ畜類の身となりぬる事の心憂さ、いかに命のながらへて、一日片時も過ぐすべしとおぼえず、消えぬを露の身の憂さに思し召し沈ませ給ひけるが、苔深き巌は変じて玉楼金殿となり、虎狼野干は化けて卿相雲客となり、獅子は化して万乗の君となつて、玉扆{*3}の座に粧ひをうづ高くして、袞竜の御衣に薫香を散らせしかば、后、早、憂かりし御思ひも消え果てて、連理の枝の上に心の花の移ろはん色を悲しみ、偕老の枕の下に夜の隔てつる程をだにかこたれぬべく思し召す。かくて三年を過ごさせ給ひける程に、后、ただならずなり給ひて、男子を産み給へり。あはれみの懐の中に人となつて、歳十五になりければ、みめかたちの{*4}世に勝れたるのみにあらず、筋力人に超えて、如何なる大山を挟んで北海を飛び越ゆるとも、たやすかるべしとぞ見えたりける。
 「或る時この子、母の后に向つて申しけるは、『たまたま人界の生を受けながら、后は畜類の妻とならせ給ひ、我は子となつて候事、過去の宿業とは申しながら、心憂き事にて候はずや。然るべき隙を求めて、后、この山を逃げ出でさせ給へ。我、負ひ奉つて獅子国の王宮へ逃げ篭り、母を后妃の位に昇せ奉り、我も朝列の臣と仕へて、畜類の果を離れ候はん。」と勧め申しければ、母の后、限りなく喜んで、獅子の他の山へ行きたりける隙に、后、この子に負はれて獅子国の王宮へぞ参り給ひける。帝、ななめならず喜び思し召して、君恩、類なかりければ、後宮綺羅の三千、君がために衣裳を薫ずれども、君、蘭麝を聞きて馨香ならずとなす。君がために容色を事とすれども、君、金翠を看て顔色無しと為す。新しき人来つて古き人棄てられぬ。眼の裏の荊棘、掌の上の花の如し。
 「さる程に、獅子、外の山より帰り来つて后を尋ね求むるに、后もおはしまさず、我が子もなし。こは如何なることぞと驚きあわてて、ばけたるかたち、元の姿になつて、山を崩し木を掘り倒し求むれども得ず。さては人の住む里にぞおはすらんとて、獅子国へ走り出でて、奮迅の力を出だして吠え怒るに、如何なる鉄の城なりとも破れぬべくぞ聞こえける。野人村老、恐れ倒れ死する者、幾千万といふ数を知らず。又、近づかざる所も、家を捨て財宝を捨て逃げ去りける間、獅子国十万里の中には、人一人もなかりけり。されどもこの獅子、王位にや恐れけん、都の中へは未だ入らず。唯、王宮近き辺に来つて、夜な夜な地を動かして吠え怒り、天に飛揚して啼き叫びける間、大臣公卿、刹利居士{*5}、皆宮中に逃げこもる。
 「時に公卿僉議あつて、この獅子を退治して参らせたらんずる者には、大国を一州下さるべしと法を出だして、道々に札を書きてぞ立てられける。かの獅子の子、この札を見て、さらば我、父の獅子を殺して一国を賜はらんと思ひければ、尋常の人ならば、百人しても引きはたらかすまじかりける鉄の弓、鉄の矢を拵へ、鏃に毒を塗りて、父の獅子をぞ相待ちける。
 「獅子、今は王宮へ飛び入つて、国王大臣を喰ひ殺さんとて、禁門の前を過ぎけるが、我が子の毒矢をはげて立ち向ひたるを見て、涙を流し地に伏して申しけるは、『我、年久しく相馴れし后と、二人ともなき汝を失うて、恋ひ悲しく思ふ故に、若干の人を失ひ、多くの国土を亡ぼしつ。然るに、ことの様を尋ねきけば、后は王宮におはすなれば、今生にて再び相見んことありがたし。せめて汝をだに一目見たらば、たとひ我、命を失ふとも、悲しむ処にあらずと思ひき。道々に立てられたる札を見れば、我が命を以て一国の抽賞に報ぜられたり。然れども我を一箭にも射殺さんずる者は、天下に汝より外はあるべからず。命を惜しむも子のためなり。汝、一国の主となつて栄花を子孫に及ぼさば、我が命、全く惜しむべからず。早くその弓を引き、その矢を放ちて我を射殺し、報国の賞に預かれ。』とて、黄なる涙を流しつつ、『ここを射よ。』とて自ら口をあきてぞ伏したりける。
 「獅子は畜類なれども、子を思ふ心猶深く、子は人倫の身なれども、親を思ふ道なかりければ、飽くまで引きて放つ矢に、獅子、喉を射抜かれて、地に伏して忽ちに死ににけり。子、獅子の首を取つて、天子にこれを奉る。一人万民、悦び合へる事限りなし。已に宣旨を下してその賞を定められし上は、仔細に及ばず、獅子の子に一国を下し給ふべかりしを、重ねて公卿僉議あつて、『勅宣に随ふ処は忠ありといへども、父を殺す罪、軽からず。但し、忠賞の事は法を定められしかば、綸言、今更変じ難し。』とて、恩賞に擬せられける一国の正税官物、百年が間を考へて、天下の鰥寡孤独{*6}の施行に引かれぬ。彼を以てこれを思ふに、たとひ一旦利を得たりとも、終には諸天の御咎めあるべし。
 「又、漢朝の古、帝尭と申しけるいみじき聖徳の帝、おはしましけり。天子の位にいます事七十年、御年、已に老いぬ。『誰にか天下を譲るべき。』と御尋ねありければ、大臣皆へつらひて、『幸ひに皇太子にて御渡り候へば、丹朱にこそ御譲り候はめ。』と申しけるを、帝尭、『天下はこれ、一人の天下に非ず。何を以てか、太子なればとて、天下を授くるに{*7}足らざらん者に位を譲りて、四海の民を苦しましむべき。』とて、丹朱に世を授け給はず。さても、いづくにか賢人ありと、隠遁の者までも尋ね求め給ひける処に、箕山といふ所に許由と申しける賢人、世を捨て光を包みて、唯、苔深く松やせたる岩の上に一瓢を懸けて、瀝々たる風の音に人間迷情の夢をさましてぞ居たりける。
 「帝尭、これを聞こし召して、即ち勅使を立てられ、御位を譲るべき由を仰せられけるに、許由、遂に勅答を申さず。あまつさへ松風渓水の清き音を聞きて爽やかなる耳の、富貴栄花の賤しき事を聞きて汚れたる心地しければ、潁川の水に耳をすすぎける程に、同じ山中に身を捨て隠居したりける巣父といふ賢人、牛を引きてこの川にて水を飼はんとしけるが、許由が耳を洗ふを見て、『何事に今耳をば洗ふぞ。』と問ひければ、許由、『帝尭の我に天下を譲らんと仰せられつるを聞きて、耳汚れたる心地して候間、洗ふなり。』とぞ答へける。巣父、首を振つて、『さればこそ。この水、例よりも濁つて見えつるを、何故やらんと覚束なく思ひたれば、この事にてありけり。左様に汚れたる耳を洗ひたる水の流れをば、牛にも飼ふべき様なし。』とて、いたづらに牛を引きてぞ帰りける。
 「帝尭、さては、誰にか世を授くべきとて、到らぬ隈もなく尋ね求め給ふに、冀州に虞舜といふ賤しき人あり。その父瞽叟は盲ひて、母は頑嚚{*8}なり。弟の象は驕り、もとる。虞舜は孝行の心深くして、父母を養はんために歴山に行きて耕すに、その地の人、畔を譲り、雷沢に下つて漁るに、その浦の人、居を譲る。河浜にすゑものづくりするに、器、ゆがみ、いしまあらず。虞舜の行きて居る処{*9}、二年あれば邑をなし、三年あれば都をなす。万人、その徳を慕ひて、来り集まりし故なり。
 「舜、年二十にして、孝行、天下に聞こえしかば、帝尭、これに天下を譲らんとおぼす心あり。まづ内外についてその行ひを御覧ぜんとおぼして、娥皇、女英と申しける姫宮を二人、舜にめあはせ給ふ。又、尭の御子九人を舜の臣となして、その左右にぞ慎しみ随はせられける。尭の二女、己が高きを以て夫に驕らざれば、舜の母によめづかひする事、甚だ違はず。九男、同じく舜に臣として仕ふる事、礼敬、更に怠らず。帝尭、いよいよ悦びて、舜に又、倉廩、牛羊、絺衣{*10}、琴一張をたまふ。舜、かくの如く、声誉、上に達し、父母に孝ありしかども{*11}、継母、我が子の象を世に立てばやと、猜む心深くありしかば、瞽叟と象と三人相謀つて、舜を殺さんとする事、度々なり。舜、これを知れども、父をも恨みず、母をも弟をも怒らず。孝悌の心、いよいよ慎しみて、唯、父母の意に違へる事をのみ、天に仰いでぞ悲しみける。
 「或る時瞽叟、舜を倉の上に登せて屋根を葺かせけるに、母、下より火を放つて舜を焼き殺さんとす。舜、始めより推したりしかば、かねて持つたる二つの唐笠を張りて、その柄に取り附いて飛び下りにけり。瞽叟、安からず思ひければ、又、象と相謀つて、舜に井をぞ掘らせける。これは、井、已に深くなりたらん時、上より土を下して、舜を生きながら埋づんためなり。堅牢地神も孝行の子を哀れにやおぼしけん、井の底より上げける土の中に、半ばは金ぞ交じりたりける。瞽叟、弟の象と共に、欲心に万事を忘れければ、土を揚げける度毎にこれを争ふ事、限りなし。その間に舜、傍らに抜け穴をぞ掘つたりける。井、已に深くなりぬる時、瞽叟と象と共に土を下し、大石を落として舜を埋めければ、舜、ひそかにかねて掘りし抜け穴より遁れ出でて、己が家へぞ帰りける。
 「舜、かくの如くして生きたりとは、弟の象、夢にも知らず、帝尭より舜に賜はりし財どもを面々に分かち領しけるに、牛羊、倉廩をば父母に与へ、二女と琴一張とをば、象、我が物にすべしと相計らふ。象、則ち琴を弾じて、二女を愛せんために舜の宮に行きたれば、舜、敢へて死せず、二女は瑟を調べ、舜は琴を弾じて、優然としてぞ居たりける。象、大きに驚いて曰く、『我、舜を已に殺しつと思ひて、鬱陶しつ{*12}。』といひて、誠に恥ぢたる気色なれば、舜、琴を差し置いて、その弟たる詞を聞くが嬉しさに、『汝、さぞ悲しく思ひつらん。』とて、そぞろに涙をぞ流しける。
 「かかりし後も、舜、いよいよ孝あつて、父母に仕ふる道も怠らず、弟を愛する心も浅からざりければ、忠孝の徳、天下に顕はれて、帝尭、遂に帝位を譲り給ひにけり。舜、天子の位を践んで世を治め給ふ事、天に叶ひ地に随ひしかば、五日の風、枝を鳴らさず、十日の雨、土くれを破る事なし。国富み民豊かにして、四海その恩を仰ぎ、万歳その徳を頌せり。されば孔子も、『忠臣を求むるは、必ず孝子の門に於いてす。』といへり。父のために不孝ならん人、豈君のために忠あらんや。天竺、震旦の古き跡を尋ぬるに、親のために道なければ、忠あれども罪せらる。獅子国の例、これなり。父のために孝あれば、賤しけれども賞せらる。虞舜の徳、これなり。
 「然るに、右兵衛佐直冬は、父を亡ぼさんために、君の命を仮らんとす。君、これを御許容あつて、大将の号を許さるる事、かたがた以て道にあらず。山名伊豆守、もしこの人を取り立てて大将とせば、天下の大功を致さん事、あるべからず。」と、昨木の隠子朴翁が、眉を顰めて申しけるが、果たして、「実にも。」と思ひ知らるる世になりにけり。

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校訂者注
 1:底本頭注に、「此の故事は西域記第十一巻に見える。」とある。
 2:底本頭注に、「軽車。」とある。
 3:底本は、「玉扆(ぎよくい)」。底本頭注に、「扆は屏風。」とある。
 4:底本は、「貌形(みめかたち)世に」。『太平記 五』(1988年)に従い補った。
 5:底本は、「刹利(せつり)居士(こじ)」。底本頭注に、「〇刹利 梵語で印度の四姓の一たる武士階級を云ふ。」「〇居士 朝に居る士。」とある。
 6:底本は、「鰥寡孤独(くわんくわこどく)」。底本頭注に、「孟子梁恵王篇に『老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰独、幼而無父曰孤。』」とある。
 7:底本は、「授くるに政(まつりごと)足らざらん者」。『太平記 五』(1988年)に従い削除した。
 8:底本は、「頑嚚(ぐわんぎん)」。底本頭注に、「左伝に『不道忠信之言為嚚、心不則徳義之経為頑。』」とある。
 9:底本は、「処に、」。『太平記 五』(1988年)に従い削除した。
 10:底本は、「倉廩(さうりん)、牛羊(ぎうやう)、絺衣(ちい)、」。底本頭注に、「〇倉廩 倉は穀蔵、廩は米蔵。」「〇絺衣 細葛布の衣。」とある。
 11:底本は、「ありしども、」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 12:底本頭注に、「哀れに思つて心が結ぼれた。」とある。