将軍御逝去の事

 同じき年{*1}四月二十日、尊氏卿、背に癰瘡出でて、心地例ならずおはしければ、本道、外科の医師、数を尽くして参り集まり、倉公、華佗が術を尽くし、君臣佐使の薬{*2}を施し奉れども、更にしるしなし。陰陽頭、有験の高僧集まつて、鬼見、太山府君、星供、冥道供、薬師の十二神将の法、愛染明王、一字文殊、不動慈救、延命の法、種々の懇祈を致せども、病、日に随つて重くなり、時を添へて憑み少なく見え給ひしかば、御所中の男女、気を呑み、近習の従者、涙を押さへて、日夜寝食を忘れたり。かかりし程に、身体次第に衰へて、同じき二十九日寅の刻、春秋五十四歳にて遂に逝去し給ひけり。
 さらぬ別れの悲しさは、さる事ながら、国家の柱石砕けぬれば、「天下、今も如何。」とて、歎き悲しむ事、限りなし。さてあるべきにあらずとて、中一日あつて、衣笠山の麓等持院に葬し奉る。鎖龕は天竜寺の竜山和尚、起龕は南禅寺の平田和尚、奠茶は建仁寺の無徳和尚、奠湯は東福寺の鑑翁和尚、下火{*3}は等持院の東陵和尚にてぞおはしける。
 哀れなるかな、武将に備はつて二十五年、向ふ処は必ず従ふといへども、無常の敵の来るをば、防ぐにその兵なし。悲しいかな、天下を治めて六十余州、命に随ふ者多しといへども、有為の境を辞するには、伴ひて行く人もなし。身は忽ちに化して暮天数片の煙と立ち上り、骨は空しく留まつて卵塔一掬の塵となりにけり。別れの涙に掻き暮れて、これさへとまらぬ月日かな。五旬程なく過ぎければ、日野左中弁忠光朝臣を勅使にて、従一位左大臣の官を贈らる。宰相中将義詮朝臣、宣旨を啓いて三度拝せられけるが、涙をおさへて、
  かへるべき道しなければ位山のぼるにつけてぬるる袖かな
と詠ぜられけるを、勅使も哀れなる事に聞きて、ありのままに奏聞しければ、君、限りなく叡感あつて、新千載集を選ばれけるに、委細の事書を載せられて、哀傷の部にぞ入れられける。勅賞のいたり、誠に忝かりし事どもなり。

新待賢門院{*4} 附 梶井宮御隠れの事

 同じき四月十八日、吉野の新待賢門女院、隠れさせ給ひぬ。一方の国母にておはしければ、一人を始め参らせて、百官皆、椒房の月に涙を落とし、掖庭{*5}の露に思ひを砕く折節、「如何にありける事ぞや。」とて涙を拭ひける処に、又同じき年五月二日、梶井二品親王、御隠れありければ、山門の悲歎、竹苑の御歎き、更に類なし。これ等は皆、天下の重き歎きなりしかば、知るも知らぬも押しなべて、「世の中、如何あらんずらん。」と打ちひそめき、洛中、山上、南方、打ち続きたる哀傷、蘭省露深く、柳営煙暗くして、台嶺{*6}の雲の色悲しんで、「今年は如何なる歳なれば、高き歎きの花散りて、蔭の草葉に懸かるらん。」と、僧俗男女、共に押しなべて袖をぞしぼりける。

崇徳院の御事

 今年の春、筑紫の探題にて将軍より置かれたりける一色左京大夫直氏{*7}、舎弟修理大夫範光は、菊池肥前守武光に打ち負けて、京都へ上られければ、小弐、大友、島津、松浦、阿蘇、草野に至るまで、皆宮方に従ひ靡き、筑紫九国の内には唯、畠山治部大輔{*8}が日向の六笠城に篭りたるばかりぞ、将軍方とては残りける。「これを無沙汰にて差し置かば、今将軍の逝去に力を得て、菊池、いかさま都へ攻め上りぬとおぼゆる。これ、天下の一大事なり。急いで討手の大将を下さでは叶ふまじ。」とて、故細川陸奥守顕氏の子息、式部大夫繁氏を伊予守になして、九国の大将にぞ下されける。
 この人、先づ讃岐国へ下り、兵船をそろへ軍勢を集むる程に、延文四年六月二日、俄に病みついて、物狂ひになりたりけるが、自ら口走つて、「我、崇徳院の御領を落として、軍勢の兵粮料所に充て行ひしに依つて、重病を受けたり。天の責め、八万四千の毛の穴に入つて、五臓六腑に余る間、すさまじき風に向へども盛んなる炎の如く、冷ややかなる水を飲めども沸き返る湯の如し。あら、熱や、堪へ難や。これ、助けてくれよ。」と悲しみ叫びて、悶絶躄地{*9}しければ、医師、陰陽師の看病の者ども、近づかんとするに、あたり四、五間の中は、猛火の盛んに燃えたる様に熱して、更に近づく人もなかりけり。
 病みついて七日に当たりける卯の刻に、黄なる旗一流れ差して、ひた兜の兵千騎ばかり、三方より同時に鬨の声を揚げて押し寄せたり。誰とは知らず、敵寄せたりと心得て、この間馳せ集まりたる兵ども五百余人、大庭に走り出でて散々に射る。箭種尽きぬれば打物になつて、追つつ返しつ半時ばかりぞ戦ひたる。搦手より寄せける敵かとおぼえて、紅の母衣掛けたる兵十余騎、大将細川伊予守が首と家人行吉掃部助が首とを取つて、鋒に貫き、「憎しと思ふ者をば、皆討ち取つたるぞ。これ看よや、兵ども。」とて、二つの首を差し上げたれば、大手の敵七百余騎、勝ち鬨を三声どつと作つて帰るを見れば、この寄せ手、天に上り雲に乗じて、白峯の方へぞ飛び去りける。
 変化の兵、帰り去れば、これを防ぎつる者ども、討たれぬと見えつる人も死せず、手負と見えつるも、恙なし。「こは、いかなる不思議ぞ。」と、互に語り互に問ひて、暫くあれば、伊予守も行吉も、同時にはかなくなりにけり。誠に濁悪の末世といひながら、不思議なる事どもなり。

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校訂者注
 1:底本は、「同じき四月」。『太平記 五』(1988年)に従い補った。
 2:底本は、「君臣佐使(さし)の薬」。底本頭注に、「一方剤の中に主とする薬を君とし他の薬を臣とし佐とし使とする意。」とある。
 3:底本は、「下火(あご)」。底本頭注に、「火葬の時火をつける僧の役名。」とある。
 4:底本頭注に、「河野左中将公廉の女で後村上帝の御母。」とある。
 5:底本頭注に、「〇椒房、掖庭 共に後宮。」とある。
 6:底本頭注に、「比叡山。」とある。
 7:底本頭注に、「範氏の子。」とある。
 8:底本頭注に、「国久。」とある。
 9:底本は、「躄地(びやくち)」。底本頭注に、「地に膝行するさま。ゐざりの様。」とある。