巻第三十六

仁木京兆南方へ参る事 附 太神宮御託宣の事

 「都には、去年の天災旱魃飢饉疫癘、都鄙の間に起こつて、屍骸、路径に充満せし事、只事にあらず。いかさま、改元あるべし。」とて、延文六年三月晦日に、康安に改められける。その夜、四條富小路より火出でて、四方八十六町まで焼失す。「改元の始めに、洛中かやうに焼けぬる事、先づ不吉の表示なり。この年号、然るべからず。」と申さるる人多かりけれども、武家、「既に宣下を承つて国々へ施行しぬるを、いつしか又改元あらん條、その例なし。」とて、終にこの年号をぞ用ゐられける{*1}。
 さるほどに、仁木右京大夫義長は、三年が間、大敵に取り巻かれて伊勢の長野城に篭りたれば、知行の地もなく、兵粮乏しくなるにつけて、憑み切りたる一族郎従、漸々に落ち失せて、僅かに三百余騎になりにけり。土岐右馬頭氏光{*2}、外山、今峯、兄弟三人、始めは仁木に属して城に篭りたりけるが、弟の外山、今峯は、忽ちに翻つて寄せ手に加はり、兄の右馬頭は猶、城に留まつて仁木が方にぞ居たりける。連枝{*3}の間なれば、外山、今峯、「如何にもして右馬頭を助けばや。」と思ひて、ひそかに人を遣はし、「城のさのみ弱り候はぬ前に、急ぎ御降参候へ。将軍の御意も仔細なく候へば、御本領なども相違あるまじきにて候。」と申し遣はしたりければ、右馬頭、使に向つてとかくの返事をばせで、その文を引き返して、一首の歌を書きてぞ返しける。
  連なりし枝の木の葉の散り散りにさそふ嵐の音さへぞうき
外山、今峯、この返事を見て、「これ程に思ひ切つたる人なれば、語らふともかひあるまじ。実にも、連枝の兄弟散り散りになつて後、憂世を秋の霜{*4}の下に朽ちなん名こそ悲しけれ。」と涙ぐみけるぞ哀れなる。
 日に随つて勢の落ち行く気色を見て、我が力にては遂に叶ふべしとも思はざりけるにや、義長、ひそかに吉野殿へ使者を参らせて、御方に参るべき由をぞ申し入れたりける。伝奏吉田中納言宗房卿、参内して事の由を奏聞せられけるに、諸卿、異議多しといへども、「義長、御方に参りなば、伊賀伊勢両国、官軍に属するのみならず、伊勢国司顕能卿の城も心安くなりぬべし。」とて、則ち勅免の綸旨をぞなされける。
 これを承つて、武者所に候ひける者どもがささやき申しけるは、「近年、源氏の氏族の中に、御方に参ずる人々を見るに、いづれも僞りを以て君を欺き申さずといふ者なし。先づ錦小路恵源禅門は、相伝譜代の家人、師直師泰等が害を遁れんために御方に参りしかども、当方の力を借つて会稽の恥を清めたりし後、一日も更に天恩を重しとせず。その責め、身に留まつて、遂に毒害せられにき。その後又、宰相中将義詮朝臣、御方に参るべき由を申して、君臣御合体のよしなりしも、いつしか天下を君の御成敗に任せたりし堅約、忽ちに破れて、義詮、江州を指して落ちたりしは、その偽りの果たす所にあらずや。
 「又、右兵衛直冬、石堂刑部卿頼房、山名伊豆守時氏等が御方の由なるも、すべて誠ともおぼえず。推量するに、『唯、勅命を借つて私の本意を達せば、君をば御位に即け参らするとも、天下をば我がままにすべきものを。』と心中にさし挟むものなり。今又、仁木右京大夫義長、大敵に囲まれたるが堪へ難さに、御方に参るべき由を申すを、諸卿、許容し給ふこそ心得ね。彼が平生の振舞、悪として造らずといふ事なし。いささかも心に逆らふ時は、咎なき人を殺して、誤れりとも思はず。気に合ふ時は、忠なきに賞を与へて、忽ちにこれを取り返す。まづ、多年の芳恩を忘れて義詮朝臣に背く程の者なれば、君の御ために深く忠義を存ずべしや。
 「四箇国の管領を尚あきたらず思ひし程の心なれば、こなたの五箇国三箇国の恩賞を、不足なしと思ふべしや。もし又、彼が所存の如く恩賞を行はれば、日本六十六箇国に一所も残る処あるべからず。多年旧功の官軍ども、いづれの所にか身を置くべき。つらつらこれを思ふに、忠臣にあらず智臣にあらず、仏神に捨てられ参らせ、人望に背いて自滅せんとする悪人を御方になされたらば、豈聖運の助けならんや。唯、虎を養つて、自ら憂へを招く風情なるべきものを。」と申しければ、又、傍らに仁木を引く者{*5}かとおぼしくて、申しけるは、「この人、悪しき事はさる事なれども、又、只人とはおぼえず。鎌倉にては鶴岡の八幡宮にて、児を切り殺して神殿に血を注ぎ、八幡にては、駒方の神人を殺害して若干の神訴を負ふ。尋常の人にてこれ程の悪行をしたらんに、暫くも安穏なる事や候べき。仙輿国王の五百人を殺し、斑足太子の一千の王を害せしも{*6}、みな権者の所変とこそ承れ。
 「これも唯、人を贔屓して申すに非ず。人の語り伝へしことの耳に留まつて候間、申すにて候なり。近年この人、伊勢国を管領して在国したりしに、前々更に公家武家手を指さざる神領三郡に打ち入りて、大神宮の御領を押領す。これに依つて祭主神官等、京都に上つて公家に奏聞し、武家に触れ訴ふ。『開闢以来、未だかかる不思議やある。』とて、厳密の綸旨、御教書を成されしかども、義長、かつて承引せず。あまつさへ、『我を訴訟しつるが憎き。』とて、五十鈴川をせいて魚を捕り、神路山に入りて鷹を使ふ。悪行、日頃に重畳せり。『よしや、さらば神罰に任せて亡びんを待て。』とて、五百余人の神官等、榊の枝に木綿を懸け、様々の奉幣を捧げて、『唯、義長を七箇日の内に蹴殺させ給へ。』と異口同音にぞ呪詛しける。
 「七日に当たりける日、十歳ばかりなる童部一人、俄に物に狂ひて、『我に太神宮、乗り居させ給へり。』とて託宣しけるは、『我、本覚真如の都を出でて、和光同塵の跡を垂れしより以来、本高跡下{*7}の秋の月照らさずといふ処もなく、化属結縁{*8}の春の花薫ぜずといふ袖もなし。されば、方便の門には罪有るをも嫌はず、利物の所には愚かなるをも捨てず。そもそも義長が悪行を、汝等天に訴へて呪詛する事こそ心得ね。彼が三生の前に、義長法師といひし時、五部の大乗経を書きてこの国に納めたりき。その善根、今生に応へて、当国を知行する事を得たり。かやうの宿善ならずば、彼、豈一日も安穏なる事を得んや。ああ、あたら善根や。もし無上菩提の心に赴きてこの経を書きたらましかば、速やかに生死を離れ、仏果菩提に至りなまし。唯、名聞利養のために修せし処の善根なれば、今、身は武名の家に生まれて諸国を管領し、眷属多くたなびくといへども、悪行、心に染みて、乱れを好み、人を悩ます。哀れなるかな、過去の善根、この世に応へて、今生の悪業又、未来に酬はん事を。』とかきくどきて泣きけるが、暫く寝入りたる体にて、物附きは則ち覚めにけり。
 「かやうの事を以て思ふ時は、義長も故ある人とこそおぼえ候へ。」と申しければ、初め譏りつる者ども、「それは知らず。悪行に於いては、天下第一の曲者ぞ。」と夜もすがら語つて、明くれば朝よりぞ退きてげる。

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校訂者注
 1:底本は、「用ひられける。」。
 2:底本頭注に、「頼遠の子で仁木義長の養子。」とある。
 3:底本頭注に、「兄弟。」とある。
 4:底本頭注に、「刀。」とある。
 5:底本頭注に、「仁木を贔屓するもの。」とある。
 6:底本頭注に、「〇仙輿国王 諸経要集に『亦有如仙輿国王、殺五百婆羅門、生地獄中、発生信心、生甘露国。』。」「〇斑足太子 仁王経『昔有天羅国、王有一太子、欲登王位、名斑足太子、為外道、羅陁師受教、応取千王頭、以祭塚神、自登其位、已得九百九十九王、少一王、即得一王、名曰普明王。』」とある。
 7:底本は、「本高跡下(ほんかうじやくげ)」。底本頭注に、「本地垂迹を云ふ。」とある。
 8:底本は、「化属結縁(けぞくけちえん)」。底本頭注に、「互に縁になつて善悪を作す。」とある。