秀詮兄弟討死の事

 又、同じき年の九月二十八日、摂津国に不慮の事出で来て、京勢、若干討たれにけり。
 事の起こりを尋ぬれば、当国の守護職をば、故赤松信濃守範資、無二の忠戦に依つて将軍より賜はりたりしを、範資死去の後、嫡子大夫判官光範相続して、これを拝領す。然るを去年、宰相中将義詮朝臣、五畿七道の勢を率して南方を攻めらるる時、「光範が軍用の沙汰、毎事不足なり。」と将軍近習の輩ども、つぶやきけるを、佐々木佐渡判官入道道誉、よきついでとや思ひけん、南方の軍散じて後、光範、さしたる咎もなきに、摂津国の守護職を召し放さるべきよしを申して、則ち我が恩賞にぞ申し賜はりける。
 光範は、「今度の軍用といひ合戦といひ、忠烈、人に超えたり。」と思ひければ、「定めて抜群の恩賞をぞ賜はらんずらん。」と思ひけるところに、それこそなからめ、結句、二代の忠功を無きに処せられ、多年管領の守護職を改替せられければ、憤りを含み恨みを残すといへども、上裁なれば力及ばず、謹しんで訴訟をし居たりける。
 和田、楠{*1}、これを聞きて、「よき時分なり。」とおもひければ、五百余騎を率して渡辺橋を打ちわたり、天神森に陣を取る。佐渡判官入道道誉が嫡孫近江判官秀詮、舎弟次郎左衛門、かねて在国したりければ、千余騎にて馳せ向ひ、「神崎橋を隔てて防ぎ戦はん。」と議しけるを、守護代吉田肥前房厳覚、「何條さる事や候べき。『近年赤松大夫判官、当国の守護にてありながら、ややもすれば和田楠等に境内を犯し奪はれんとする事、未練の至りなり。』とて申し賜はらせ給ひける守護職にて候に、敵の国を退治するまでこそなからめ、当国に打ち越えたる敵を一人も生けて返したらんは、赤松に笑はるるのみにあらず、京都の聞こえも然るべからず。厳覚、命を軽んずる程ならば、一族他門の兵ども、誰か見放つ者候べき。恩賞ほしくば、つづけや、人々。」と広言吐いて、厳覚、真先に神崎橋を打ち渡れば、後陣の勢一千余騎も、続いて河を越したりける。
 ここにて敵の分際{*2}を問ふに、「楠は、未だ河を越えず。和田が勢ばかり、僅かに五百騎にも足らず見えて候。」と、牛飼童部どもの語りければ、吉田肥前房、からからと笑ひて、「あはれ、浅ましや。敵の種をばここにて尽くさすべし。同じくは、楠をも河を越えさせて打ち殺せ。」とて、いと閑かに馬を飼ひて、のさのさとしてぞ居たりける。和田、楠、これを見澄まして、河より西へ下部を四、五人遣はして、「南方の敵は、西より寄せられ候ぞ。神崎の橋詰を支へさせ給へ。」とぞ呼ばはらせける。
 佐々木判官、これを聞きて、「敵、さては差し違ひて、後より寄せけり。取つて返して戦へ。」とて、両方深田なる道一つを一面に打ち並んで、元の橋詰へと馬を西頭になして歩ませ行く処に、楠が足軽の野伏三百人、両方の深田へ立ち渡つて、鏃を支へ、散々に射る。両方は{*3}深田にて、馬の足も立たず。「後より返して、広みにて戦へ。」と先陣の勢に制せられて、後陣より返さんとする処に、和田、楠、橋本、福塚、五百余騎抜き連れて追つ懸けたり。中津河の橋詰にて、白江源次{*4}六騎、踏み止まつて討死しける。
 「これぞ案内者なれば、足立ちの善悪をも弁へて一軍もせんずる。」と、佐々木がかねてより憑みける国人の内{*5}、白一揆五百余騎、一戦も戦はず、物具太刀刀を取り捨てて、河中へ皆飛び漬かる。始めは、さしも擬勢{*6}しつる吉田肥前、真先に橋を渡つて逃げけるが、続く敵を渡さじとやしたりけん、橋板一間引き落としてければ、後に渡る御方の兵三百余騎は、皆水に溺れてぞ流れける。
 佐々木判官兄弟は、橋の辺まで落ち延びたりけるが、県二郎が、「橋の落ちて候ぞ。とても叶はぬ所なり。返つて討死せさせ給へ。御供申さん。」といひけるに恥ぢしめられて、兄弟二騎引き返して、矢庭に討たれてげり。瓜生次郎左衛門父子兄弟三人も、判官の討死するを見て、「一所に打ち寄らん。」としけるが、馬の平頚射られて刎ね落とされければ、田の畔の上に三人立ち並んで、「敵懸からば、討ち違へて死なん。」としけるが、遠矢に皆射すくめられて、一所にて皆討たれにけり。半時ばかりの軍に、死する京勢二百七十三人、この内、敵に討たれて死する兵、僅かに五、六人には過ぎず。その外二百五十余人は、皆河に流れてぞ失せにける。
 楠、父祖の仁恵をつぎ、情ある者なりければ、或いは野伏どもに生け捕られて、面縛せられたる敵をも斬らず。或いは河より引き上げられ、かひなき命生きたる敵をもいましめ置かず。赤裸なる者には小袖を著せ、手負ひたる者には薬を与へて、京へぞ返し遣はしける。身の恥は悲しかりけれども、悦ばぬ者はなかりけり。

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校訂者注
 1:底本頭注に、「〇和田 正武。」「〇楠 正儀。」とある。
 2:底本は、「分際(ぶんざい)」。底本頭注に、「多少。」とある。
 3:底本は、「南方は」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 4:底本頭注に、「興次。」とある。
 5:底本は、「国人(くにうど)の中白(なかしら)一揆(き)」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 6:底本は、「擬勢(ぎせい)」。底本頭注に、「みせかけの勢。」とある。