尾張左衛門佐遁世の事

 都には、細川相模守、敵になりし後は、執事といふ者なくして、毎事叶はざりける間、「誰をかその職に置くべき。」と評定ありけるが、この頃時を得たる佐々木佐渡判官入道道誉が聟たるに依つて、かたへの人々、皆追従にや申しけん、「尾張大夫入道の子息左衛門佐{*1}殿に増したる人あらじ。」と申しければ、宰相中将殿も、心中に異議なくして、執事職を内々この人に定め給ひにけり。
 父の大夫入道は、元来、当腹の三男治部大輔義将を寵愛して、先腹の兄二人を世にあらせて見んとも思はざりければ、左衛門佐、執事職に据ゑらるべき由を聞きて、様様の非を挙げ種々の咎を立てて、「この者、かつてその器用にあらざる」由をぞ、宰相中将殿へ申されける。中将殿{*2}も、人の申すに附き易き人にておはしければ、「実にも、子を見る事、父に如かじ。さらば、当腹の三男を面に立てて、幼稚の程は、父の大夫入道に世務を執り行はすべし。」と宣ひけり。
 左衛門佐、これを聞きて、父をや恨みにけん、世を憂しとや思ひけん、ひそかに出家して、いづちともなく迷ひ出でにけり。附き随ふ郎従ども二百七十人、同時に皆、髻を切つて、思ひ思ひにぞ失せにける。
 この人、誠に父の所存をも破らず、我が身の得道をも願ひて出家遁世しぬる事、類少なき発心なり。「但し、この頃の人の有様は、昨日は髻切つて、実に貴げに見ゆるも、今日は頭を包みて、無慚無愧に振舞ふ事のみ多ければ、この遁世も又、行く末通らぬ事にてやあらんずらん。」と思ひしに、遂に道心さむる事なくして、はて給ひけるこそありがたけれ。

身子声聞一角仙人志賀寺上人の事

 およそ煩悩の根元を切り、迷者の絆を離るる事は、上古にも末代にも、よくあり難き事にて侍るにや。
 昔、天竺に身子{*3}と申しける声聞、仏果を証ぜんために六波羅蜜を行じけるに、已に五波羅蜜をば成就しぬ。檀波羅蜜を修するに至つて、隣国より一人の婆羅門来つて財宝を乞ふに、倉の内の財、身の上の衣、残る所なくこれを与ふ。次に眷属及び居室を乞ふに、皆与へつ。次に身の毛を乞ふに{*4}、一筋も残さず抜いて施しけり。波羅門、猶これに飽き足らず、「同じくは、汝が眼をくじつて、我に与へよ。」とぞ乞ひける。
 身子、「両眼をくじつて、盲目の身となつて、暗夜に迷ふが如くならん事、如何あるべき。」と悲しみながら、力なく、この行の空しくならん事を痛みて、自ら二眼を抜いて、婆羅門にぞ与へける。婆羅門、二つの眼を手に取つて、「肉眼は抜かれて後、きたなきものなりけり。我、何の用にか立つべき。」とて、則ち地に投げて、ふみにじりてぞ捨てたりける。この時に身子、「人の五体の内には、眼に過ぎたる物なし。これ程、用にもなき眼を乞ひ取つて、結句、地に投げつる事の無念さよ。」と、一念瞋恚の心を起こししより、菩提の行を退けしかば、さしも功を積みたりし六波羅蜜の行、一時に破れて、破戒の声聞とぞなりにける。
 又、昔、天竺の波羅奈国に一人の仙人あり。小便をしける時、鹿のつるみけるを見て、婬欲の心ありければ、おぼえずして漏精したりける。そのかかれる草の葉を妻鹿食つて、子を生ず。形は人にして額に一つの角ありければ、見る人、これを一角仙人とぞ申しける。修行、功積もつて、神通、殊にあらたなり。或る時、山路に降つて、松の雫、苔の露、石岩滑らかなりけるに、この仙人、谷へ下るとて、滑りて地にぞ倒れける。仙人、腹を立てて、「竜王があればこそ雨をも降らせ。雨があればこそ我は滑りて{*5}倒れたれ。如かず、この竜王どもを捕らへて禁篭せんには。」と思ひて、内外八海の間にあらゆる所の大竜小竜どもを捕らへて、岩の中にぞ押し篭めける。これより国土に雨を降らすべき竜神なければ、春三月より夏の末に至るまで、天下、大きに旱魃して、山田の早苗さながらに、取らでそのまま枯れにけり。
 君、遥かに民の愁へを聞こし召して、「いかにしてかこの一角仙人の通力を失つて、竜神を岩の中より出だすべき。」と問ひ給ふに、或る智臣、申しけるは、「かの仙人、たとひ霞を食らひ気を飲みて、長生不老の道を得たりとも、十二の観に於いて未だ足らざる所あればこそ、道に滑りて怒る心はありつらめ。心未だ枯木死灰の如くならずば、色に耽り香に染む愛念、などかなからんや。然らば、三千の宮女の中に、容色殊に勝れたらんを一人、彼の草庵の中へ遣はされて、草の枕を並べ苔の筵を共にして、夜もすがら蘿洞の夢に契りを結ばれば、などか彼の通力を失はで候べき。」とぞ申しける。諸臣皆、この議に同じければ、即ち三千第一の后、扇陀女と申しけるに、五百人の美人を添へて、一角仙人の草庵の内へぞ送られける。
 后は、さしもいみじき玉の台を出でて、見るに悲しげなる草庵に立ち入り給へば、苔もる雫、袖の露、乾く間もなき御涙なれども、勅なれば辞するに詞なくして、十符の菅菰{*6}しき忍び、小鹿の角の束の間に、千年をかねて契り給ふ。仙人も岩木にあらざれば、あやなく后に思ひしみて、言の葉毎に置く露の、あだなるものとは疑はず。それ仙道は、露盤の気を嘗めても、婬欲に染みぬれば、仙の法皆尽きて、そのしるしなし。さればこの仙人も、一度后に落とされけるより、鯢桓の審も破れて、通力もなく、金骨かへつて元の肉身となりしかば、仙人、忽ちに病衰して、やがて空しくなりにけり。その後、后は宮中に立ち帰り、竜神は天に飛び去つて、風雨、時に随ひしかば、農民、東作{*7}を事とせり。その一角仙人は、仏の因位なり。その婬女は耶輙陀羅女これなり{*8}。
 又、我が朝には志賀寺の上人とて、行学勲修の聖才おはしけり。速やかにかの三界の火宅を出でて、永く九品の浄刹に生まれんと願ひしかば、富貴の人を見ても、夢中の快楽と笑ひ、容色の妙なるに逢ひても、迷ひの前の著相を憐れむ。雲を隣の柴の庵、暫しばかりと住む程に、手づから植ゑし庭の松も、秋風高くなりにけり。
 或る時上人、草庵の中を立ち出でて、手に一尋の杖を支へ、眉に八字の霜を垂れつつ、湖水波閑かなるに向つて、水想観をなして心を澄まして、唯一人立ち給ひたる処に、京極の御息所{*9}、志賀の花園の春の気色を御覧じて御帰りありけるが、御車の物見をあけられたるに{*10}、この上人、御目を見合はせ参らせて、おぼえず心迷ひて魂うかれにけり。遥かに御車の後を見送りて立ちたれども、我が思ひ、はや遣る方もなかりければ、柴の庵に立ち帰つて本尊に向ひ奉りたれども、観念の床の上には妄想の化のみ立ち添ひて、称名の声の中には堪へかねたる大息のみぞつかれける。「さても、もし慰むや。」と暮山の雲を眺むれば、いとど心もうき迷ひ、閑窓の月に嘯けば、忘れぬ思ひ、猶深し。
 「今生の妄念、遂に離れずば、後生の障りとなりぬべければ、我が思ひの深き色を御息所に一端申して、心安く臨終をもせばや。」と思ひて、上人、狐裘に鳩の杖をつき、泣く泣く京極の御息所の御所へ参つて、鞠のつぼの懸かり{*11}のもとに、一日一夜ぞ立つたりける。余の人は皆、「如何なる修行者、乞食人やらん。」と、怪しむ事もなかりけるに、御息所、御簾の内より遥かに御覧ぜられて、「これは、いかさま、志賀の花見の帰るさに、目を見合はせたりし聖にてやおはすらん。我故に迷はば、後世の罪、誰が身の上にかとまるべき。よそながら、露ばかりの言の葉に情をかけば、慰む心もこそあれ。」と思し召して、「上人、これへ。」と召されければ、わなわなとふるひて、中門の御簾の前に跪いて、申し出でたる事もなく、さめざめとぞ泣き給ひける。
 御息所は、偽りならぬ気色の程、あはれにも、又恐ろしくも思し召されければ、雪の如くなる御手を御簾の内より少し差し出ださせ給ひたるに、上人、御手に取りつきて、
  初春のはつねの今日の玉箒手にとるからにゆらぐ玉の緒
と詠まれければ、やがて御息所、とりあへず、
  極楽の玉の台のはちす葉にわれをいざなへゆらぐ玉の緒
とあそばされて、聖の心をぞ慰め給ひける。
 かかる道心堅固の聖人、久修練業の尊宿だにも、遂げがたき発心修行の道なるに、家富み若き人の、浮世の絆を離れて永く隠遁の身となりにける、左衛門佐入道の心の程こそありがたけれ。

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校訂者注
 1:底本頭注に、「氏頼。」とある。
 2:底本頭注に、「宰相中将足利義詮。」とある。
 3:底本は、「身子(しんし)」。底本頭注に、「十大弟子の一人で第一の智者舎利弗のこと。」とある。
 4:底本は、「乞ふに、又一筋も」。『太平記 五』(1988年)に従い削除した。
 5:底本は、「我は滑(すべ)り倒れたれ。」。『通俗日本全史 太平記』(1913年)に従い補った。
 6:底本は、「十符(とふ)の菅薦(すがごも)」。底本頭注に、「編目を十筋に編んだ菅の薦。」とある。
 7:底本頭注に、「耕作に同じ。」とある。
 8:底本頭注に、「〇仏の因位 仏果を得べき修行中に在ること。」「〇耶輙陀羅女 悉達太子の妃。」とある。
 9:底本頭注に、「藤原時平の女褒子。宇多帝の妃。」とある。
 10:底本は、「あげられたるに、」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 11:底本頭注に、「蹴鞠場。」とある。