巻第三十九

大内介降参の事

 聖人世に出でて、義を教へ道を正す時だにも、上智は少なく下愚は多ければ、人の心、すべて一致ならず。かるが故に、尭の代にすら{*1}四凶の族あり、魯国に小正卯あり。況んや、時今澆季なり、国又卑賤なり。何に因つて仁義を知る人あるべきなれども、近年、我が朝の人の有様程、うたてしき事をば承らず。
 先づ、弓矢取りとならば、「死を善道に守り、名を義路に失はじ。」とこそ思はるべきに、僅かに欲心を含みぬれば、御方になるに早く、いささかも恨みあれば{*2}、敵になるも易し。されば今、誰をか始終の御方と憑み思ふべき。変じ易き心は鴻毛より軽く、撓まざる志は麟角よりも稀なり。人数ならぬ小者どもの中に、たまたま一度も翻らぬ人、一両人ありといへども、それも、もし禄を与へ利を含めて呼び出だす方あらば、一日も足を留むべからず。唯、五十歩に止まる者、百歩に走るを笑ふが如し{*3}。
 見所の高懸けとかやの風情して、かやうの事を申すとも、書伝の片端を聞きたる人は、古を引き、「さても百里奚は、虞の君を棄てて秦の穆公に仕へ{*4}、管夷吾は桓公に降つて、公子糾と死せざりしは如何に。」とぞ思ひ給ふらん。それは誠に、似たる事は似たれども、是なる事は是ならず。かの百里奚は、虞公の、垂棘の玉、屈産の乗の賄ひに耽つて、路を晋に開きしかば、諌めけれども叶ふまじきほどを知つて、秦の穆公に仕へき。管夷吾は、召忽と共に死せざりしを、子路、「仁にあらず。」と譏りしかば、「豈匹夫匹婦の自ら溝壑に縊れて知ることなきが如くならんや。」と文宣王{*5}、これを塞ぎ給へり。されば、古賢の世を治めんために二君に仕へしと、今の人の欲をさきとして降人になるとは、「雲泥万里の隔て、その中にあり。」といひつべし。
 ここに、大内介は多年宮方にて、周防長門両国を討ち平らげて、恐るる方なく居たりけるが、如何思ひけん、貞治三年の春の頃より俄に心変じて、「この間押さへて領知する処の両国を賜はらば、御方に参るべき」由を、将軍羽林の方へ申したりければ、西国静謐の基たるべしとて、やがて所望の国を恩補せらる。これに依つて、今まで弐心なかりける厚東駿河守、長門国の守護職を召し放され、恨みを含みければ、則ち長門国を落ちて筑紫へ押し渡り、菊池と一所になつて、かへつて大内介を攻めんとす。大内介、遮つて、三千余騎を率して豊後国に押し寄せ、菊池と戦ひけるが、第二度の軍に負けて、菊池が勢に囲まれければ、降を乞ひて命を助かり、己が国へ帰つて後、京都へぞ上りける。在京の間、数万貫の銭貨、新渡の唐物等、美を尽くして、奉行頭人評定衆、傾城田楽猿楽遁世者まで、これを引き与へける間、「この人に勝る御用人あるまじ。」と、未だ見えたる事もなき先に、誉めぬ人こそなかりけれ。
 「世上の毀誉は善悪に非ず。人間の用捨は貧福に在り。」とは、今の時をや申すべき。

山名京兆御方に参らるる事

 山名左京大夫時氏、子息右衛門佐師氏は、近年御敵になつて、南方と引き合ひて、両度まで都を傾けしかば、将軍の御ためには上なき御敵なりしかども、内々、縁に属して、「両度の不義、全く将軍の御世を危ぶめ奉らんとにはあらず。唯、道誉が余りに本意なかりし振舞を、思ひ知らせんためばかりにて候ひき。その罪科を御宥免あつて、この間領知の国々をだにも恩補せられ候はば、御方に参つて忠を致すべき」由をぞ申したりける。「実にも、この人御方になるならば、国々の宮方、力を落とすのみならず、西国も又無為なるべし。」とて、近年押さへて領知せられつる因幡伯耆の外、丹波丹後美作、五箇国の守護職を当て行はれければ、元来、多年旧功の人々皆、手を空しくして、時氏父子の栄花、時ならぬ春を得たり。
 これを猜みて述懐する者ども、「多く所領を持たんと思はば、ただ御敵にこそなるべかりけれ。」と、口を顰むれども、甲斐なし。「人物、紛花を競へば、麗駒、鈿車を逐ふ。この時、松と柏と、道傍の花に及ばず。」と詩人の賦せし風諭の詞、実にもと思ひ知られたり。

仁木京兆降参の事

 仁木左京大夫義長は、さしたる不義はなかりしかども、「振舞、余りに思ふ様なり。」とて諸人に憎まるるによつて、心ならず御敵になり、伊勢国に逃げ下つて、長野城に楯篭りたりしを、初めは佐々木六角判官入道崇永、土岐大膳大夫入道善忠、両人討手を承り、これを攻めけるが、佐々木は他事に召されて上洛しぬ。土岐一人、国に留まりて攻め戦ひけれども、義長、敢へて城を落とされず。この時又、当国の国司北畠源中納言顕信卿、雲出川より西を管領して、兵を出だし、隙を伺ひて戦ひ挑みし間、一国三つに分かれて、片時も軍の絶ゆる日もなし。かくて五、六年経て後、義長、日頃の咎を悔いて降参すべき由を申されければ、「この人元来、忠功、他に異なり。今又降参せば、伊賀伊勢両国も静まるべし。」とて、義長を京都へ返し入れられける。
 これは、勢ひ已に衰へたる後の降参なりしかば、領知の国もなく、相従ひし兵も身に添はず、李陵が胡に在るが如くにして、旧交の友さへ来らねば、見る人、遠き庭上の花、春ひとり春の色なり。鞍馬稀なる門前の柳、秋ひとり秋の風なり。

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校訂者注
 1:底本は、「尭(げう)の代(よ)に四凶(きよう)」。『太平記 五』(1988年)に従い補った。
 2:底本は、「あらば、」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 3:底本は、「如く、」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
 4:底本は、「仕へず、」。
 5:底本頭注に、「孔子。」とある。