神木御帰座の事
大夫入道道朝、都を落ちて後、越前国河口荘、南都に返し附けられしかば、神訴、忽ちに落居して、八月十二日、神木御帰座あり。刻限卯の時と定められたるに、その暁より雨暗く風荒かりしかば、「天の怒り、猶何事にか残るらん。」と怪しかりしに、その期に臨みて雨晴れ風静まりて、天気殊に麗はしかりしかば、これさへ人の意を感ぜしめたり。
先づ南曹弁{*1}嗣房参つて、諸事を奉行す。午の刻ばかりに鷹司左大臣殿、九條殿、一條殿、大中納言、大理以下、次第に{*2}参り給ふ。関白殿御著座あれば、数輩の僧綱以下、御座の前にしてその礼を致す。これ、時の長者のしるしなり。出御の程になりぬれば、数万人立ち並びたる大衆の中より、一人進み出でて僉議あり。音声、雲に響き、言語、玉を連ねたり。僉議終はれば、幄屋に乱声を奏す。翕如たる声の中に、布留の神宝を出だし奉るに、関白殿以下、卿相雲客、席を避けて、皆跪き給ふ。その次に、本社の御榊、四所の御正体、光明赫奕としてゆすり出でさせ給へば、数千の神官ども、覆面をして、各々捧げ奉る。両列の伶倫{*3}、道々還城楽を奏して、正始の声を調べ、神人、警蹕の声を揚げて、非常をいましむ。赤衣の仕丁、白杖を持つて御前に立ち、黄衣の神人、神宝を頂戴して次々に従ふ。そのほかの神司、束帯を著して列を引き、白衣の神人、数千人の国民等、歩み列なる。
時の関白良基公は、柳の下重ねに糸鞋を召して、あたりも輝くばかりに歩み出でさせ給へば、前駆四人、左右に随ひ、殿上人二人、御裾をもつ。随身十人ありといへども、わざわざ御先をばおはず。神幸に恐れをなし奉る故なり。その次には鷹司左大臣、今出河大納言、花山院大納言、九條大納言、一條大納言、坊城中納言、四條中納言、西園寺中納言、四條宰相、洞院宰相中将{*4}。殿上人には左中将忠頼、右中将季村、新中将親忠、左中弁嗣房、新中将基信、蔵人右中弁宣房、権右中弁資康{*5}、蔵人左中弁仲光、右小弁宗顕、左少将為有、右少将兼時。行粧を整へ、威儀を正しくして、閑かに列をなし給へば、供奉の大衆二万人、各々、貝を吹き連ねて、前後三十余町に支へたり。
盛んなるかな、朝廷無事の化、遠く天児屋根の昔にたち返り、博陸具瞻{*6}の徳、再び高彦霊尊の勅を新たにし給へり。「誠に利物の垂迹、順逆の縁に和光し給はずば、今かかる神幸を拝し奉るべしや。」と、ちまたに満つる見物衆の、神徳を貴ばぬはなかりけり。
高麗人来朝の事
四十余年が間、本朝、大きに乱れて、外国、暫くも静かならず。この動乱に事を寄せて、山路には山賊あつて、旅客、緑林の蔭を過ぎ得ず、海上には海賊多くして、舟人、白浪の難を去りかねたり。欲心強盛の溢れ者ども、類を以て集まりしかば、浦々島々、多く盜賊に押し取られて、駅路に駅屋の長もなく、関屋に関守る人を替へたり。結句、この賊徒、数千艘の船をそろへて、元朝、高麗の津々泊り泊りに押し寄せて、明州、福州の財宝を奪ひ取り、官舎、寺院を焼き払ひける間、元朝、三韓の吏民、これを防ぎかねて、浦近き国々数十箇国皆、住む人もなく荒れにけり。
これに依つて、高麗国の王より、元朝皇帝{*7}の勅宣を受けて、牒使十七人、吾が国に来朝す。この使、異国の至正二十三年八月十三日に高麗を立ちて、日本国貞治五年九月二十三日、出雲に著岸す。道駅を重ねて、程なく京都に著きしかば、洛中へは入れられずして、天竜寺にぞ置かれける。この時の長老、春屋和尚智覚普明国師、牒状を進奏せらる。その詞にいはく、
{*k}皇帝聖旨裏{*8}、征東行中書省、日本と本省の所轄高麗と、地境水路相接することを照得す。凡そ貴国の飄風に遇へる人物、往々に理に依つて護送す。図らざるに、至正十年庚寅より、賊船数多有り、貴国の地面より出でて、進んで本省合浦等の処に来り、官廨を焼き破り、百姓を騒擾し、甚だしきは殺害するに至る。一十余年に経及び、海舶通ぜず、辺界の居民、寧んじ居ること能はず。蓋しこれ、島嶼の居民、官法を懼れず、専ら貪婪を務め、地を潜り海を出で、脅かし奪ふ。尚慮るに、貴国の広き、豈能く普く知らんや。もし兵を発し、搦め捕らしめば、恐らくは交隣の道に非じ。漸く已に日本国に移文して照験す。頗る行下を為して、地面の海島を概管し、厳に禁治を加へて、前の如く境を出でて耗を為さしむること勿かれ。本省府、今、本職等を差して一同に駅を馳せ、恭々しく国主の前に詣して啓稟す。仍つて日本国回文を守り取つて省に還る。閣下、照験を仰ぐ。上の施行に依つて、須らく箚附を議すべきものなり。一実、右に起こる。箚附して差し去れ。万戸金乙貴{*9}、千戸金竜等、これに准ず{*k}。
とぞ書きたりける。
賊船の異国を犯し奪ふことは、皆四国九州の海賊どもがする所なれば、帝都より厳刑を加ふるによんどころなしとて、返牒をば送られず。ただ、来献の報酬とて、鞍馬十匹、鎧二領、白太刀三振、御綾十段、綵絹百段、扇子三百本、国々の奉送使を添へて、高麗へぞ送りつけられける。
校訂者注
1:底本は、「南曹弁(なんそうのべん)」。底本頭注に、「曹を司る弁官。曹は勧学院。」とある。
2:底本は、「次に」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
3:底本は、「伶倫(れいりん)」。底本頭注に、「楽人。」とある。
4:底本頭注に、「〇鷹司左大臣 冬通。」「〇今出河大納言 公直。」「〇花山院大納言 兼定。」「〇九條大納言 忠基。」「〇一條大納言 房経。」「〇坊城中納言 俊冬。」「〇四條中納言 隆家。」「〇西園寺中納言 公永。」「〇四條宰相 隆右。」「〇洞院宰相中将 公頼。」とある。
5:底本は、「権(の)左中弁資康(すけやす)、」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
6:底本は、「博陸(はくりく)具瞻(ぐせん)」。底本頭注に、「〇博陸 摂政関白。」「〇具瞻 詩経小雅篇に『赫々師尹民具爾瞻。』衆庶の倶に仰ぎ見ること。」とある。
7:底本頭注に、「順宗。」とある。
8:底本は、「皇帝聖旨(せいし)、寰(くわん)」。『太平記 五』(1988年)頭注に従い改めた。
9:底本頭注に、「万戸は官名。」とある。
k:底本、この間は漢文。
コメント