巻第四十
中殿御会の事
貞治六年三月十八日、長講堂へ行幸あり。これは、後白河法皇の御遠忌追賁の御ために、三日まで御逗留ありて、法華御読経あり。安居院の良憲法印、竹内僧正慈照、導師にぞ参られける。あり難き法会なれば、聴聞の緇素{*1}、随喜せずといふ者なし。
総じてこの君、御治天の間、万、絶えたるを継ぎ、廃れたるを興しおはします叡慮なりしかば、諸事の御遊びに於いて、尽くさずといふ事おはしまさず。故に、中殿の御会{*2}は、累世の規模なり。然るを、この御世に未だその沙汰なし。依つて、つれづれ思し召し立ちしかば、関白殿その外の近臣に内々仰せ合はせられ、中殿の宸宴は大儀なる上、毎度天下の凶事にて、先規不快の由、面々一同に申されければ、重ねて勅定ありけるは、「聖人{*3}、謂へる事あり。『詩三百、一言にして以てこれを覆ふ。曰く、思ひ、よこしまなし。』と。されば、治まれる世の声は、安うして楽しむ。乱れたる世の声は、恨んで怒るといへり。大和歌も、かくの如くなるべし。政を正して邪正を教へ、王道の興廃を知るは、この道なり。されば、昔の代々の帝も、春の花の朝、秋の月の夜、事につけつつ、歌を合はせて奉らん人の賢し愚かなるをも{*4}知ろし召しけるにや。神代の風俗なり、いづれの君かこれを捨て給はん。聖代の教誡なり、誰人かこれをもてあそばざらん。
「そもそも中殿の宸宴と申し侍るは、後冷泉院天喜四年三月、画工の桜花を叡覧ありて、土御門大納言師房卿に勅して『新たに桜花を成す』といふ題を献ぜしめ、清涼殿に群臣を召し、御製を加へられ、同じく糸竹{*5}の宴会あり。しかりしより以来、白河院応徳元年三月、左大弁匡房に勅して『花に多春を契る』といふ題を献ぜしめ、中殿に於いてこれを講ぜらる。又、堀河院の御代永長元年三月、権大納言匡房卿に仰せて『花に千年を契る』といふ題を献ぜしめ、宴遊を延べらる。又、崇徳院の御宇天承元年十月、権中納言師頼に勅して『松樹緑久し』といふ題を献ぜしめ、宸宴ありき。その後、建保六年八月、順徳院、光明峯寺の関白{*6}に勅して『池の月久しく澄む』といふ題を献ぜしめ、講ぜられき。次に後醍醐院の御宇元徳二年二月、権中納言為定卿に勅して『花に万春を契る』といふ題にて、中殿の御会を行はる。
「この外、承保二年四月、長治二年三月、嘉承二年三月、建武二年正月、清涼殿にして和歌の宸宴これありといへども、一、二度にあらざれば、中殿の御会、先規には加へ侍らざるにや。かやうの先蹤皆、聖代の洪化なり。何ぞ不快の例といはんや。然るに、今年の春は、九城の内の花香ばしく、八島の外に風治まれる時、至れり。早く建保の芳躅を尋ねて、題並びに序の事、関白、これを献ぜらるべき」由、強ひて勅定ありしかば、中殿御会の事、内々已に定まりにけり。征夷将軍も、この道に数奇給ふ事なれば、勅撰なんど申し行はるる上、近頃は、「建武の宸宴、贈左府の嘉躅{*7}、由緒なきにあらず。」と仰せ出だされしかば、仔細に及ばず領掌申されけり。これに依つて、蔵人左少弁仲光を奉行にて、三月二十九日を定められ、勅喚の人々に題を配る。『花は多春の友』といふ題を、建保の例に任せて、兼日に関白、出だされけるとかや。
既にその日になりしかば、母屋の廂の御簾を捲いて、階の西の間より三間北にして、二間に各、菅の円座を敷きて、公卿の座とす。長治元年には二行たりといへども、今度は関白殿のかやうに座を設けらる。御帳の東西には、三尺の几帳を立てられ、昼の御座の上には、御剣、御硯箱をおかれたり。大臣の座の末、参議の座の前には、各、高灯台を立てられたり。関白、直廬{*8}より御参りあれば、内大臣已下、相随ひ給ふ。保安の例に任せて、今日已に直衣始めの事あり。前駆、布衣、随身の褐衣、常の如くなれば、さしたる見事はなかりけり。
丑の刻ばかりに、将軍{*9}、已に参内あり。その行粧、見物の貴賤皆、目を驚かせり。公家家礼の人々には、為秀、行忠、実綱卿、為邦朝臣なんど、庭上に下つて礼あり。左衛門の陣の四脚に、将軍、即ち参入あり。先づ帯刀十人、左右に相番ひて列を曳く。左は佐々木佐渡四郎左衛門尉時秀、地白の直垂に金銀の箔にて四目結を押したる紅の腰に、鰄{*10}の金作りの太刀を佩く。右は小串次郎左衛門尉詮行、地緇の直垂に、銀箔にて二雁を押し、白太刀を佩く。次に伊勢七郎左衛門貞行、地白の直垂に、金箔にて村蝶を押して、白太刀を佩いて左に歩む。右は斎藤三郎左衛門尉清永、地香の直垂に、二筋違の中に銀箔にて撫子を押したる黄腰に、鰄の太刀を佩いたり。次に大内修理亮、地香の直垂に金箔にて大菱を押し、打鰄に金作りの太刀を佩く。右は海老名七郎左衛門尉詮季、地黒に茶染の直垂に、金箔にて大笳篭を押して、黄なる腰に白太刀佩いたり。次に本間左衛門太郎義景、地白紫の片身替はりの直垂に、金銀の箔にて十六目結を押し、紅の腰に白太刀を佩く。右に山城四郎左衛門尉師政、地白に金泥にて洲流を書きたる直垂に、白太刀佩きて相随ふ。次に粟飯原弾正左衛門尉詮胤、地苅安{*11}に銀泥にて水を書き、金泥にて楓を書きたる直垂に、帷子は黄なる腰{*12}に白太刀を佩いたり。ゆゆしくぞ見えたりける。
この次に征夷大将軍正二位大納言源朝臣義詮卿、薄色の立紋の織物の指貫に、紅の打衣を出だし、常の直垂なり。左の脇に山名民部少輔氏清、濃き紫の指貫に山吹色の狩衣著して、帯剣の役に随へり。右は摂津掃部頭能直、薄色の指貫、白青の織物の狩衣著て、沓の役に候す。佐々木備前五郎左衛門尉高久、二重狩衣にて御調度の役に候す。本郷左近大夫将監詮泰は、香の狩衣にて笠の役に随ふ。今川伊予守貞世は侍所にて、爽やかに鎧うたる随兵百騎ばかり召し具して、轅門の警固に相随ふ。この外、土岐伊予守直氏、山城中務少輔行元、赤松大夫判官光範、佐々木尾張守高信、安東信濃守高泰、曽我美濃守氏助、小島掃部助詮重、朝倉小次郎詮繁、同又四郎高繁、彦部新左衛門尉秀光、藤民部五郎左衛門盛時、八代新蔵人師国、佐脇右京亮明秀、藁科新左衛門尉家治、中島弥次郎家信、後藤伊勢守、久下筑前守、荻野{*13}出羽守、横地山城守、波多野出雲守、浜名左京亮、長次郎。これ等の人々、思ひ思ひの直垂にて、飼ひたる馬に厚総懸けて、花を折り美を尽くす。将軍堂上の後、帯刀の役人は皆、中門の外に敷皮を敷きて列居す。
先づ別勅に依つて御前の召しあり。関白殿、御前に参らる。その後、刻限に至つて、人々、殿上に著座あり。右大臣、内大臣、按察使実継、藤中納言時光、冷泉中納言為秀、別当忠光、侍従宰相行忠、小倉前宰相実名、二條宰相中将為忠、富小路前宰相中将実遠なんどぞ参られける。関白殿、奉行職事仲光を召して、事の具否をたづねらる。やがて出御を伺はる。御衣は黄直衣、打ちの御袴なり。関白殿、著座あつてのち、頭左中弁嗣房朝臣を召して、公卿、著座すべきよしを仰す。嗣房、殿上に出でて、諸卿を召す。右大臣、内大臣以下、次第に著座ありしかば、将軍は殿上には著座し給はで、直に御前に進著せらる。
その後、嗣房朝臣、仲光、懐国、五位殿上人伊顕なんど、面々の役に随ひて、灯台、円座、懐紙等を置く。為敦、為有、為邦朝臣、為重、行輔なんどまで著座ありしかども、右兵衛督為遠は、御前には著かず、殿上の辺に徘徊す。これは、建保に定家卿、かくの如くの行跡たりし、その例とぞ申し合ひける。富小路前宰相中将、冷泉院中納言、藤中納言、鎌倉大納言、内大臣、右大臣、関白なんどの懐紙の見やう{*14}、膝行、皆思ひ思ひなり。関白は、建保の例に依つて、序者たりといへども、位次に任せてこれを置く。又、直衣踏みくくみて膝行あり。故太閤、元徳の中殿の御会に参られしに、この作法侍りけるとかや。右大臣、読師たるに依つて、直に御前の円座に著し給ひて、講師仲光を召す。又、序を講ぜんために、別勅に依つて時光卿を召され、右大弁為重を召して懐紙を重ねしむ。序より次第にこれを読み上げたり。
{*k}春日中殿に侍して同じく花は多春の友といふを詠ず
製に応ずる和歌一首並びに序
関白従一位臣藤原朝臣良基奉る
それ天の仁は春なり、地の和は花なり。天地悠久の道に則つて、不尽{*15}の仁を施し、煙霞明媚の景をもてあそんで、大和の和を敷く。黄鴬、友を呼んで万年の枝に遷り、粉蝶、舞を為して百里の園に戯むる。大いなるかな聖徳、時なるかな宸宴。ここに、歌詠を五雲の間に上げ、忽ちに治世の風を興す。簫韶を九天の上に奏し、再び大古の調べを聞く。況んや又、玉笙の操り、高く紫鸞の声を引く。奎章の巧み、新たに素鵝の詞をつぐ。盛礼の世、未だ必ずしも雅楽を弄せず、これを兼ぬるはこの時なり。好文の主、未だ必ずしも和語を携へず、これを兼ぬるは我が君なり。一場の偉観、千載の徽猷なるものか。小臣、久しく竜顔に謁し奉りて、忝くも万機の政を佐く。親しく鳳詔を奏し、聊か一日の遊びを記す。その辞に曰く{*k}、
つかへつつ齢は老いぬ行く末の千年も花になほやちぎらむ
この次に、右大臣正二位臣藤原朝臣実俊、内大臣正二位臣藤原朝臣師良、正二位行陸奥出羽按察使藤原朝臣実継。この次は、征夷大将軍正二位臣源朝臣義詮、正二位行権中納言臣藤原朝臣時光、正二位行権中納言藤原朝臣為秀、権中納言従三位兼行左衛門督臣藤原朝臣忠光。この次に、参議従三位兼行侍従兼備中権守臣藤原朝臣行忠、従三位兼右兵衛督臣藤原朝臣為遠、蔵人内舎人六位{*16}上行式部大丞臣藤原朝臣懐国等に至るまで、披講、事終はつて、講師皆、退き給ひければ、講誦の人々、猶伺候すべき由、天気に依つて、関白、読師の円座に著き給ひしかば、別勅にて権中納言時光卿を召され、御製の講師として、
咲きにほふ雲居の花のもとつ枝に百代の春をなほやちぎらむ
講誦、十遍ばかりに及びしかば、日、已に内樋に輝く程なり{*17}。されば、物の色合ひさだかに、花の匂ひも懐かしく、霞立つけはひもいと艶なるに、面々の詠歌の声も、雲居に通へる心地して、身にしむばかりぞ聞こえける。御製の披講終はつて、各々本座に退けば、伶人{*18}にあらざる人々も座を退く。
その後、やがて御遊び始まり、笛は三條大納言実知卿、和琴は左宰相中将実綱、篳篥は前兵部卿兼親、笙は前右衛門督利時、拍子は綾小路三位成方、琴は公全朝臣、附け歌は宗泰朝臣なり。呂には、この殿、鳥の破。席田、鳥の急。律には、万歳楽、伊勢海、三台の急なりけり。玉笙の声の中には鳳鳥も来儀し、和琴の調べの間には鬼神も感動するかとぞおぼえし。
この宸宴に御所作ある事、たまさかなり。建保には御琵琶にてありけるなり。その後は、稀なる御事なるを、今この御宇に詩歌両度の宸宴に、毎度の御所作、あり難き事とぞ聞こえし。かかる大会は、いささかの故障もある事なるに、一事の違乱、煩ひなく、無為に遂げ行はれぬれば、万邦、敷島の政道に帰し、四海、難波津の古風を仰いで、人皆、柿本{*19}の遺愛を恋ふるのみならず、世、こぞつて柳営の数奇を感嘆し、翌日午の刻ばかりに人々退出せられしかば、めでたしなんどいふばかりなし。
「さても、中殿の御会といふ事は、吾が朝に相応せざる宸宴たるによつて、毎度天下に重事起こる。」と人皆、申し慣らはせる上、近臣、悉く眉を顰めて諌言を奉りたりしかども、一切御承引なく、終に遂げ行はれけり。さるに合はせて、同じき三月二十八日丑の刻に、「おびただしく天変、西より東を差して飛び行く。」と見えしが、翌日二十九日申の刻に、天竜寺新造の大廈、土木の功未だ終へざるに、失火、忽ちに燃え出でて、一時の灰燼となりにけり。「殊更にこの寺は、公家武家尊崇、他に異にして、五山第二の招提{*20}なれば、聊爾にも攘災集福の懇祈を専らにする大伽藍なるに、時節こそあれ、不思議の表示かな。」と、貴賤、唇をぞ翻しける。これに依つて、「将軍御参内の事、斟酌あるべき」よし、再三奏聞を経られしかども、「この寺、已に勅願寺たる上は、最も天聴を驚かす所なれども、かくの如くの災殃に依つて、期に臨んで宸宴を止めらるる事、先規なし。早く諸卿、参勤せしむべきものなり。武家、何の斟酌か有るべき。」と仰せ下されしかば、この問答に時遷りて、御参内も夜更け過ぐる程になり、御遊も翌日に及びけるとかや。あさましかりし事どもなり。
校訂者注
1:底本は、「緇素(しそ)」。底本頭注に、「僧侶や俗人。」とある。
2:底本は、「中殿(ちうでん)の御会(ぎよくわい)」。底本頭注に、「清涼殿に於て歌会を催し酒宴すること。」とある。
3:底本頭注に、「孔子を云ふ。」とある。
4:底本は、「人の恵み、賢し」。『太平記 五』(1988年)頭注に従い削除した。
5:底本は、「糸竹(しちく)」。底本頭注に、「管絃。音楽。」とある。
6:底本頭注に、「道家。」とある。
7:底本は、「贈左府(ぞうさふ)の嘉躅(かしよく)」。底本頭注に、「〇贈左府 尊氏を指す。」「〇嘉躅 嘉例。」とある。
8:底本は、「直廬(ちよくろ)」。底本頭注に、「摂政関白の休息所。」とある。
9:底本頭注に、「足利義詮。」とある。
10:底本は、「鰄(かいらぎ)」。底本頭注に、「鞘を蝶鮫の皮で包んだもの。」とある。
11:底本は、「黄䓞(かりやす)」。底本頭注に、「草の名。黄色の染料となす。」とある。
12:底本は、「直垂、大帷(おほかたびら)は香(かう)なる黄腰(きごし)に」。『太平記 五』(1988年)に従いそれぞれ改めた。
13:底本は、「荻花(をぎの)出羽(の)守、」。『太平記 五』(1988年)に従い改めた。
14:底本は、「懐紙(くわいし)、各(おの(二字以上の繰り返し記号))膝行(しつかう)」。『太平記 五』(1988年)頭注に従い補った。
15:底本は、「不仁之仁(ヲ)」。『太平記 五』(1988年)頭注に従い改めた。
16:底本は、「内舎人(とねり)正六位」。『太平記 五』(1988年)に従い削除した。
17:底本頭注に、「内樋は内殿にかけた雨落の樋。夜明けて朝日の光のさし込む時分である。」とある。
18:底本は、「伶人(れいじん)」。底本頭注に、「楽人。」とある。
19:底本頭注に、「歌人柿本人麿。」とある。
20:底本は、「招提(せうだい)」。底本頭注に、「寺院のこと。」とある。
k:底本、この間は漢文。
コメント