世間の広き事、国々を見めぐりて、はなしの種をもとめぬ。
 熊野の奥には、湯の中にひれふる魚あり。筑前の国には、ひとつをさし担ひの大蕪あり。豊後の大竹は手桶となり、若狭の国に、二百余歳の白比丘尼の住めり。近江の国堅田に、七尺五寸の大女房もあり。丹波に、一丈二尺のから鮭の宮あり。松前に、百間つづきのあらめあり。阿波の鳴戸に、竜女のかけ硯あり。加賀の白山に、閻魔王の巾着もあり。信濃の寝覚の床に、浦島が火打ち箱あり。鎌倉に、頼朝の小遣ひ帳あり。都の嵯峨に、四十一まで大振袖の女あり。
 是を思ふに、人は化け物、世にない物はなし。

公事は破らずに勝つ

 大織冠、讃岐の国房崎の浦にて、龍宮へ取られし珠をとり返さんために、都の伶人を呼びくだし給ひて、管絃ありし唐太鼓、一つは南都東大寺におさめ、また一つは、西大寺の宝物となりぬ。この太鼓、いつの頃か、西本願寺に渡りて、今に二六時中を勤めける。そのかみに革張り替ゆる時、この中を見るに、西大寺の豊心丹の方組を細字にて書き附けありけるなり。外は木をあらはし、中には諸々の羅漢を彩色、金銀の置きあげ、日本たぐひなき名筒なり。
 毎年の興福寺の法事に要る事ありて、東大寺の太鼓を借りて勤められしに、ある年、東大寺より太鼓を貸さずして、事を欠きける。衆徒・神主の言葉を、「当年ばかりは。」と添へられ、やうやう借りて仏事を済ましぬ。
 その後、使を立つれども、太鼓を戻さず、寺中、集まつて評判する。「数年貸し来つて、今この時に到り、憎き仕方なり。只は返さじ。打ち破つて。」と言ふ者あれば、「それも手ぬるし。飛火野にて焼け。」と、あまたの若僧・悪僧勇みて、方丈に声響き渡りて鎮まらず。
 その中に、学頭の老法師の進み出でて、「今朝より聞くに、いづれもの申し分、皆、国土の費えなり。某が存ずるには、太鼓をそのまま、当寺の物になせる分別あり。」と、筒の中に「東大寺」と先年よりの書附を削り、新しき墨にて元の如く「東大寺」と書き記し、この事、沙汰せず東大寺に戻せば、悦び、宝蔵に入れ置き、重ねて出だす事なし。
 明けの年また、興福寺の法事前に使僧を遣はし、「例年の通り預け置き候太鼓を取りに参つた。」と申せば、腹立して、使の坊主を打擲して帰しける。
 この事、奉行所へ申し上ぐれば、御詮議になつて、太鼓を改め給ふに、名筒を削りて「東大寺」との書附。たとへ興福寺からの仕業にても、落ち度は、古代の書附知れ難し。自今、興福寺の太鼓に極め、先例の通り、置き所は東大寺に預け、年々要る時を打ちけるとなん。