唐傘の御託宣
慈悲の世の中とて、諸人のために良き事をして置くは、紀州掛作の観音の貸し唐傘、二十本なり。昔より、或る人寄進して、毎年張り替へて、この時まで掛け置くなり。いかなる人も、この辺にて雨雪の降りかかれば、断りなしに差して帰り、日和の時、律儀に返して、一本にても足らぬといふ事なし。
慶安二年の春、藤代の里人、この唐笠を借りて、和歌・吹上にさし掛かりしに、玉津島の方より神風どつと、この唐傘取つて、行方も知らずなるを、惜しやと思ふ甲斐もなし。吹き行く程に、肥後の国の奥山、穴里といふ所に落ちける。
この里は、昔より外を知らず住み続けて、無仏の世界は広し、唐傘といふ物を見た事のなければ驚き、法体老人集まり、「この年まで聞き伝へたるためしもなし。」と申せば、その中に小賢しき男出でて、「この竹の数を読むに、正しく四十本なり。紙も常のとは格別なり。忝くも、これは名に聞きし日の神、内宮の御神体、ここに飛ばせ給ふぞ。」と申せば、恐れをなし、俄に塩水をうち、新菰の上に直し、里中、山入りをして宮木を引き萱を刈り、程なう伊勢移して崇めるに従ひ、この唐傘に性根入り、五月雨の時分、社壇頻りに鳴り出でて止む事なし。
御託宣を聞くに、「この夏中、竈の前を自堕落にして油虫をわかし、内陣までけがらはし。向後、国中に一匹も置くまじ。又一つの望みは、美しき娘をおくら子に供ふべし。さもなくば、七日が中に車軸をさして、人胤のないやうに降り殺さん。」との御事。
各々、「恐や。」と談合して、指折りの娘どもを集め、それかこれかと詮索する。未だ白歯の娘、涙を流し嫌がるを聞けば、「我々が命、とてもあるべきか。」と、唐傘の神姿の異な所に気をつけて歎きしに、この里に色よき後家のありしが、「神の御事なれば、若い人達の身替はりに立つべし。」と、宮所に夜もすがら待つに、「何の情もなし。」とて腹立して、御殿に駆け入り、かの傘を握り、「思へば体倒しめ。」と引き破りて捨てつる。
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