十二人の俄坊主
泳ぎ習ひは瓢箪に身を任せて、浮き次第に水練の上手となつて、自然の時の心掛け深し。
折節、夏海の静かに、加太の浦遊びとて御船を寄せられしに、御台所船より御膳の通ひ、浪の上を行くに、腰より下ばかりを濡らして自由する事、畳の上に変はらずして、月代を剃る人もあれば、中将棋を指すもあり、鸚鵡盃を交はし曲呑みするもをかし。曲舞にのせて小鼓を打ち、又は瓜の曲剥き。これさへ奇妙に眺めしに、四、五人してすぐり藁を何程か手毎に抱へて、海中に入りて出でぬ事二時に余りて、仁王の形を作りて、手足の力みまでを細縄がらみの細工、これぞ仏師も及び難し。
さまざま御遊興の折柄、御船端に関口の某、豊かに遠見して居られしに、小姓衆に仰せ付けられ、「御意。」と言葉を掛けて、さざ浪の中へ突き落としけるに、遥かの船に上がりぬ。「いかなる手者も、騙すには。」と大笑ひすれども、少しも驚かず召し船に乗り移れば、「何とて手もなく一人は沈みけるぞ。」と仰せける。「少人に誤りもあればと存じ、左の袂にしるしを付け置く」の由、申し上ぐる。
かの者召して御覧あるに、麻袴より帷子まで二、三寸突き通し、そのかすり、脇腹かけて茨掻きの如く細き筋のつきしに、御前始めて各々横手を打ちぬ。落ちさまに差添抜きて当てしに、その人さへおぼえねば、まして他よりは目にとまらず。速き事、日本一の御機嫌。
御船は浦々巡れば、家中の船は磯にさしつけ、阿波島の神垣のほとりまでも荒らし、若き人々酒興せしに、俄に高波となり、黒雲立ち重なり、たけ十丈余りのうはばみの出で、鱗は風車の如し。左右の角、枯木と見えて火炎吹き立て、山、更に動くと見えて{*1}、いづれも騒ぎけるに、間近く来りしに御長刀にて払ひ給へば、恐れて後に帰る。大うねりして小船は天地返して悩みぬ。
沖より十二人乗りし小早、横切れに押すと見えしが、うはばみ一息に呑み込む、身もだえせしが、間もなく後へ抜けて汀に流れつきしを見るに、残らず夢中になつて、かしら髪一筋もなく、十二人造り坊主となれり。
校訂者注
1:底本は、「見て、」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)脚注に従い改めた。
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