残る物とて金の鍋
俄に時雨れて生駒の山も見えず、日は暮れに及び、平野の里へ帰る木綿買ひ、道を急ぎ、昔業平の高安通ひの息継ぎの水といふ所まで、やうやう走り着きしに、後より八十余りの老人来つて頼むは、「近頃の無心なれども、老足の山道、さりとては難儀なり。暫く負うて賜はれ。」と言ふ。「易き事ながら、かかる重荷の折節なれば、叶はじ。」と申す。「いたはりの志あらば、重くはかからじ。」と、鳥の如く飛び乗りて行くに、一里ばかりも過ぎて、松原の蔭にて日和も上がれば{*1}、老人、ひらりと下りて、「草臥れの程も思ひ遣られたり。せめては酒一つ盛るべし。これへ。」と。
見え渡りて吸筒もなく、不思議ながら近う寄れば、吹き出だす息に連れて、美しき手樽一つ現れける。「何ぞ肴も。」と黄金の小鍋、幾つか出だしける。これさへ合点の行かぬに、「とてもの馳走に酒の相手を。」と吹けば、十四、五の美女、琵琶琴出だしてこれをかき鳴らし、後には付け差し様々。我をおぼえず酔ひ出でければ、「冷やし物。」とて、時ならぬ瓜を出だしぬ。
この自由、極楽の心地して楽しみけるに、かの老人、女の膝枕をして鼾出でし時、女、小声になつて申すは、「自ら、これなる御方の手掛け者なるが、明け暮れ付き添ひて、気尽くし止む事なし。御目の開かぬ内の楽しみに、隠し妻に逢ふ事、見許して賜はれ。」と申す言葉の下より、これも息吹けば、十五、六なる若衆を出だし、「最前申せしは、この方。」と手を引き合ひ、その辺りを連れ歌歌うてありきしが、後には久しく行方の知れず。
「老人、目覚めたらば。」と、寝返りの度々にかの女を待ちかねつるに、いつとなく立ち帰り、若衆を女呑み込みければ、老人目覚ましてこの女を呑み込み、初め出だせし道具を片端から呑み仕舞ひ、金の小鍋を一つ残してこれを商人に取らし、両方共にどれになつて、色々の物語尽きて、既に日も那古の海に入れば、相生の松風謡ひ立ちに、老人は住吉の方へ飛び去りぬ。
商人は、暫し枕して夢見しに、花が散れば餅を搗き、蚊帳を畳めば月が出で、門松もあれば大踊りあり。盆も正月も一度に、昼とも夜とも知れず、少しの間に良い慰みをして、残る物とて鍋一つ。里に帰りてこの事を語れば、「生馬仙人といふ者、毎日住吉より生駒に通ふと申し伝へし、それなるべし。」。
校訂者注
コメント