男地蔵

 北野の片脇に、合羽のこはぜをしてその日を送り、一生夢の如く草庵に一人住む男あり。
 都なれば、よろづの慰み事もあるに、この男は、いまだ西東をも知らぬ程の娘の子を集め、好けるもて遊び物を拵へ、これにうち交じりて、何の罪もなく明け暮れ楽しむに、後には新賽の川原と名付けて、五町三町の子供ここに集まり、父母をも尋ねず遊べば、親ども喜び仏のやうにぞ申しける。
 その後この男、夜に入り月影を忍び京中に行きて、美しき娘を盗みて、二、三日もあひしては又帰しぬ。これを不思議の沙汰して、暮れより用心していとけなき娘を門に出ださず{*1}、都の騒ぎ大方ならず。昨日は、「六條の珠数屋の子が見えぬ。」とて歎き、今日は新町の椀屋の子を尋ね悲しむぞかし。
 頃は、軒端に菖蒲葺く五月の節句の、色めける室町通りの菊屋の某の一人娘、今七才にてそのさま優れて生まれつきしに、乳母腰元がつきて、入り日をよける傘差し掛けて行くを見澄まし、横取りにして抱きて逃ぐるを、「それそれ。」と声を立つるに、追つかくる人も早、形を見失ひける。この男の足の速き事、京より伊勢へ一日に下向するなれば、後に続くべき事、及び難し。その面影を見し人の言ふは、「まづ菅笠を着て耳の長き女。」と見るもあり、「いや、顔の黒き、目の一つある者。」と、とりどりに姿を見替へぬ。
 かの娘の親、色々歎き洛中を探しけるに、自然と聞き出だし、かの子を取り返し、この事を言上申せば、召し寄せられて思ふ所を御聞きあそばしけるに、「只、何となく小さき娘を見ては、そのままに欲しき心の出で来、今まで何百人か盗みて帰り、五日三日はあひして、また親元へ帰し申す」の由、他の子細もなし。かかる事のありしに今まで世間に知れぬは、さすが都の大やうなる事、思ひ知られける。

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校訂者注
 1:底本は、「出ず。」。『新釈日本文学叢書 第十巻』(日本文学叢書刊行会 1929)に従い改めた。